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#01 彼と仔カピバラの出会い、そして……
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腹が減っては戦は出来ぬ。しかし今現在、彼は素材をどうこうする事は出来ないのである。
ナイフで切ろうとすれば切り口から解ける、焼こうとすれば一瞬で消し炭になる、煮ようとすれば得体の知れない土留色の液体になる。
仕方が無いので、森の中で採った木の実や、立ち寄った村で買った生で食べられる野菜、惣菜などを齧ってどうにか生きていた。
たんぱく質はチーズなどの乳製品で補っていたが、ここはやはりガツンと肉が食べたい。肉汁滴る牛のステーキ、脂が甘い豚の肉、しっとりふっくらの鶏の肉。
食堂があれば駆け込みたいところだが、生憎今の状態でそれは贅沢なのである。
なので、生食出来るものや美味しくも無い惣菜で、どうにか生命を繋いでいるのだが。
そろそろ挫けそうになって来た。
それもこれも、この厄介な呪いの所為なのである。
1ヶ月程前の事だった。彼の前に悪魔と名乗る女の子が現れた。
人を魅惑する妖艶な容姿……では無く、人間で言うと10代後半くらいの外見。衣装も赤と黒のロリータ調で余計に若く見えた。美醜で言うと確かに美貌ではあったのだが。
その時、彼は森の中で火を起こし、近くの村で入手した食材で具沢山のクリームシチューを作って食べていた。
甘みをたっぷりと蓄えたじゃがいも、採れたて新鮮の玉ねぎと人参にブロッコリ、捌きたての鶏肉をじっくりとブイヨンでことこと煮込み、新鮮で濃厚なミルクをたっぷり入れ、とろみはチーズで付け、バターと塩胡椒で味を整えている。
「美味しそうな香りがしたから、この私が来てあげたわ! その食べているものを私にも寄越しなさい!」
空から飛来したし、ふわふわと浮いていたから人外だと言う事は一目で判った。羽根が黒いので天使や妖精などの類では無い。見ると耳が横に向かってやや長く尖っていた。
「お前さん、悪魔か?」
彼が聞くと、女の子はふふんと鼻を鳴らし、得意そうに薄い胸を張った。
「ええそうよ、私は悪魔! 恐れ慄きなさい人間!」
「ふぅん」
彼があまりにも興味無さそうに応じたからか、女の子のプライドを傷付けてしまったらしく、「何よ! もっと怖がりなさいよ!」と怒り出した。
「まぁまぁ。俺はいろんな種族を見てるから慣れてるだけだ。それよりもシチュー食いたいんだろ?」
彼はそう言いながら、ケースから碗を取り出し、シチューを注ぐと、スプーンを添えて悪魔に差し出してやった。
「ほらよ。今日も我ながら巧く出来たぜ」
悪魔は膨れっ面のまま、奪い取る様に碗を受け取った。そして早速一口。その途端先程までの怒りは何処へやら、丸い眼を更に見開いて、表情を輝かせた。
「美味しい! 美味しいわ! 本当に美味しいわ! こんなシチュー初めて食べたわ!」
「そっかそっか。なら良かった」
ここまで喜ばれて悪い気はしない。彼はにっこりと笑い、うんうんと頷いた。
「お代わりよ!」
悪魔の1杯目はあっという間に空になり、碗を彼に突き出した。
「はいよ。まだあるから、たっぷり食いな」
悪魔はまたじっくりとシチューを味わう。満足そうな表情で、もぐもぐと口を動かした。
彼は自分の分のお代わりも注ぐ。とろ火に掛けているので、まだまだ熱いままで食べられる。
はふはふと湯気を上げながら口に運ぶ。まろやかで、しかししっかりとコクもあって、膨よかなクリームの風味がじんわりと広がる。
この時はやや肌寒かったのでシチューにしたのだが、身体の芯から温まり、額にはじんわりと薄く汗が滲んでいた。
「決めたわ!」
2杯目を空にした悪魔は満足げな溜め息を吐き、高らかに宣言した。
「喜びなさい人間! お前を私専属の料理人にしてあげるわ! 有り難く思いなさい!」
「え、無理」
その提案、否、命令は、彼にとっては歓迎出来るものでは無く、検討する事もせず即座に、そしてあっさりと応えた。
そしてその回答は悪魔にとって予想外の事だった様で、一瞬呆気に取られた様な表情をし、次の瞬間には盛大に怒りを表した。
「どうしてよ! この私の専属になれるのよ!? こんな名誉な事は他に無いわよ!」
「いやぁ、俺にはその価値は判らんし、やんなきゃいけない事もあるからよ」
「……何よ、それ」
「ま、手っ取り早く言えば金儲けだけどよ」
「じゃあ私が過不足無い金銭を与えるわよ。それなら良いでしょう?」
「いや、そういう問題じゃ無いんだ。悪いな、悪魔さんよ」
ここまで言ってくれるのに申し訳無いとは思う。だが彼には彼なりの矜持がある。それだけは譲れないのだ。
「……解ったわ。じゃあこうしてあげる!」
悪魔は言うと、右手を翳す。すると彼の頭が強烈に痛み出した。
「うわっ! 頭痛い! 何だこれ!」
頭を押さえて蹲る。今まで味わった事の無い痛みに、掠れて千切れた声しか出なかった。
それは彼にとって、永遠に続くかとも思われた。しかし実際には1分にも満たないものだった。
苦痛からの切り替わりは至ってスムーズで、彼は「あ、あれ?」と呆然とした。
「これでお前は私が食べるもの以外は何も作れないわ。食材を切れないし焼けないし煮られないの。しようとしたら、全部ゴミになるんだから!」
「なっ……!」
それは正に死活問題である。彼は激昂した。
「何て事してくれたんだ悪魔!」
「私に逆らった報いよ! この呪いは解いてなんかやらないんだから!」
「今すぐ解けよ!」
「嫌よ! また明日来るから、私にだけに料理を作るのよ! 良いわね!」
悪魔はそう怒鳴ると、踵を返して速やかに飛んで行ってしまった。
「待て! おい!」
彼は呼び止めようとするが、悪魔は構わず視線から消えてしまった。
「……くそっ!」
彼は怒りや苛立ちを打つける様に、両腕を激しく振り下ろした。
ああ、本当に何て事だ。しかし悪魔の話は到底聞き入れられるものでは無かった。彼は誰かの専属にはなれない。なってはならないのだ。
しかし、その呪いは本当に掛かってしまっているのだろうか。まずは確かめなければ。
彼は食材を入れている袋から玉ねぎを取り出し、俎板の上に置く。包丁を握り、構えた時にはつい喉を鳴らしてしまう。
いざ。
そうして刃が入れられた玉ねぎは、無残に溶けてしまったのだ。
呪いは本当だった。彼は絶望した。料理の出来ない彼は彼では無い。料理の出来ない彼は、この世界で出来る事は何も無い。
それ程までに、料理は彼にとって全てだった。
そして食材を無駄にしてしまった事にも罪悪感を覚えていた。
どうしよう。どうしたら。何をしたら良い。
彼は呆然とするが、すぐに我に返るとまずは財布を確認する。大丈夫、贅沢さえしなければまだ当分は保つ。
野宿も覚悟しなければならないだろうが、幸いこの国は治安が良い。安全とは言い難いだろうか、たまには馴染みの家の納屋を借りる事も出来るかも知れない。
まずはこの状況を乗り切らなければ。悪魔はまた来るだろう。まずは明日来ると言っていた。
どうやら自分の思い通りにならないと気の済まない我が儘な性格の様だが、根気良く説得を重ねて、何としてでもこの呪いを解いて貰わなければ。
そこで気付く。煮る事も出来ないと言われた事を。慌ててシチューを見る。変わり無い。どうやら無事の様だ。彼は安堵する。温める目的のとろ火だったからだろうか。
とりあえず、暫くは食堂にでも行かなければ温かな料理にはありつけないと言う事だ。
彼はシチューを椀によそい、まるで最後の晩餐の様な気持ちで口に入れた。
それから悪魔は毎日ほぼ同じ時間にやって来た。
「さぁ、料理を作りなさい!」
そう居丈高に言う。しかし彼は作らなかった。作ってしまえば呪いを諦めて受け入れてしまう事になるからだ。
その代わり、ただひたすら説得した。
こんな呪いを掛けられても、自分は悪魔の為に料理をするつもりは無い。寧ろ掛けられたからこそ作れない。
解いてくれれば作る事が出来る。食べたいものを作ってやるから、どうか頼む。
しかし何度言っても、悪魔は膨れっ面で首を横に振るだけだった。
最初こそは食事は安価な食堂に頼り、寝床も安宿を取っていたが、そろそろ資金の底が見えようとしていた。
食事は生で食べられるものや、さして美味しくも無い惣菜を買い、夜は林の中で明かす。
その日もそろそろ悪魔が来るだろう時間に、買って来た丼飯を晩飯にと、もそもそ口に運んでいた。
豚肉を使った丼である。素材が新鮮なので臭みなどは無いが、味付けが微妙なのである。
普段彼が使用しているものと同じ調味料を使用している筈なのに、どうしてこうした仕上がりになってしまうのか。
ああ、そう言えば買い物の時にまた訊かれてしまったな。次はいつかって。
済まん、もうちょっと待ってくれ。彼は苦笑を浮かべてそう返したが、そろそろ限界の様な気もする。
毎日毎日、悪魔と同じことの繰り返し。そろそろ流石に疲れて来ようとも言うもの。
彼が大きな溜め息を吐いたその時、近くの茂みが音を立てた。
彼はびくりと肩を震わす。何だ、獣か何かか? それは困る。彼に戦闘スキルは無い。
今手にしているこの丼を投げれば餌になるだろうか。ああしかし獣がそれで気が済むとは思えない。俺、終わったか? 彼がそう潔く覚悟した瞬間。
その茂みから顔を出したのは、小さな小さな仔カピバラだった。
「カピ?」
その仔カピバラは首を捻ると、ふんふんと鼻を鳴らす。
「こちらから食べ物の匂いを感じたものですカピから。お腹が空いてしまって、食べるものを探していたのですカピ」
「あ、ああ」
カピバラは可愛くて無害な動物である。だから彼は脱力した。良かった、人を襲う猛獣などでは無かった。
何かしらの能力がある動物は言葉を解する。これまでもそういう動物には何度も出会って来た。この仔カピバラもそうなのだろう。なのですぐに自分を取り戻す。
「飯食ってたから、その匂いかな。そんな量は分けてやれんが、ちょっと待ってくれな」
彼は持っていた丼を下に置くと、明日の朝用にと買っておいた焼き豚と握り飯を出した。
「悪いな、温かいもんやれたら良いんだが、生憎俺、今料理が出来ないもんだからさ」
彼が苦笑すると、仔カピバラは恐縮した様に首を振った。
「いいえいいえ、食べるものを分けていただけるだけで感謝ですカピ。それよりカピ」
仔カピバラは言うと、すっと眼を細めた。
「勘違いだったらごめんなさいカピ。呪いの匂いもするのですカピ」
そう言われ、彼は眼を見開く。
「あ、ああ、そうだ。俺はある特定の奴以外の為には料理が出来ない呪いが掛けられてる」
「それは厄介ですカピね。もしよろしければ解いて差し上げますカピ」
そうしれっと言われ、彼は驚いてあんぐりと口を開けた。
「どういう事だ?」
「ボクは祓魔師なのですカピ」
その何気無い台詞にも、彼はまた驚愕した。しかしすぐに納得する。そうか。それがこの仔カピバラの能力と言う事か。
「そりゃあ本当に有難い。頼めるか?」
「お安い御用ですカピ。なかなか強固な呪いの様ですカピが、幸いボクは能力が高い様で、今まで失敗した事が無いのですカピ」
「そりゃあ頼もしいな! じゃあ早速頼む。そしたら温かいもん食わしてやれるからよ」
「それはボクも嬉しいですカピ。では」
仔カピバラは眼を閉じると、鼻をひくつかせ、鼻先で小さく五芒星を描いた。すると彼の頭に激痛が走る。
しかしそれはほんの一瞬の事。手を頭にやる間も無く、彼はただ顔を歪めただけだった。
「はい、解けましたカピ」
仔カピバラはそう言って、笑顔を寄越す様に可愛く小首を傾げた。
「こんな簡単に?」
彼は驚いて言うと、仔カピバラは大きく頷いた。
「はいカピ。是非試してみてくださいカピ。普通にお料理が出来る様になっている筈ですカピ」
彼はごくりと唾を飲み、まずは包丁のセットを出す。俎板を近くの岩の上に置くと、これも朝に食べようとしていたレタスをバッグから出した。
1番上の葉を剥がし、俎板の上に。包丁を手にし、いざ、刃を入れてみる。
南無三。
かくしてレタスは、液状になる事も無く、無事包丁で綺麗に2等分された。
「や、やった!」
彼は嬉しさのあまり、歓声を上げた。
「ありがとう! ありがとうな! これでまた料理が出来るぜ!」
「良かったですカピ。ボクもお役に立てて嬉しいですカピ」
「じゃあ今あるもん使って、早速温かい飯作るからよ。ちょっと待っててくれな!」
その時。
「来たわよー! 今日こそ私の為に料理を作らせるんだからねー!」
悪魔の女の子が飛来した。悪魔は得意げに薄い胸を反らすと言い放つ。
「もうそろそろ観念したんじゃ無い? 泣いて頼めば呪いを解いてやっても良いわよ。その代わり私専属になって貰うけどね!」
「いや、呪いならもう解いて貰ったから」
彼が言うと、悪魔は「はぁ?」と端正な表情を歪めた。
「そんな事出来る訳が、て、あら、何か嫌な気配がするわね」
悪魔は言うと、辺りを見渡す。そしてその視線が仔カピバラに注がれた時、「げっ」と下品な声を上げた。
「ちょ、そいつ祓魔師じゃ無い! 何でこんなところにいるのよ!」
「あ? お前ら知り合いなのか?」
「違うわよ! 気配で判るの!」
「そういう貴方は悪魔ですカピね? 貴方がこの方に呪いを掛けたのですカピか?」
「そうよ。だってこの私専属の料理人になるって言う栄誉を断ったのよ。罰を受けて然るべきだわ」
「何て理不尽な」
仔カピバラが呆れた様に溜め息を吐くと、悪魔は怒ったのか両腕を上下にばたつかせた。
「何よ! 何よ何よ何よ! もう良いわよ! ふんだ! バーカバーカ!」
悪魔はそう不機嫌に捨て台詞を叫ぶと、速やかに飛んで行ってしまった。
彼と仔カピバラはそれを呆然と見送ると、彼はぽつりと言った。
「まるで嵐の様だったぜ……」
「そうですカピね……」
もう2度と来て欲しくは無い、正に招かれざる客だった。
さて、では早速。
「まずは薪を集めなきゃあな。ちょっと待ってな」
「あ、お手伝いしますカピ」
「腹減ってんだろ? 休んでてくれ。すぐだからよ」
ここは林の中だから、枯れ木はすぐに集まる。彼は少し木々の多い箇所に入り、両手一杯の枯れ木を拾い集めた。
それらをバランス良く組んで行く。
では、まずは下拵え。
丼の具である豚肉と朝食用の焼き豚を適当に角切りにし、レタスは一口大に千切っておく。
握り飯を半分に割り、中の具を取り出しておく。塩昆布とおかかだった。
塩昆布とおかかは包丁で細かく刻み。
具を取り出した握り飯と丼のご飯は、合わせて木べらで解しておく。
調味料も全て手元に準備して。
組んだ枯れ木に火を付け、炎が上がったところにフライパンを翳す。やや多めのごま油を引き、まずは一気にご飯を入れる。
利き手の右手でお玉を器用に使いながら、左手は絶えずフライパンを動かす。強い火力に煽られながら、ごま油を纏った米粒は次第に解れてパラパラになって行く。
そこに豚肉と焼き豚の角切りを加える。全体を混ぜ合わせる様に更に炒めて。
味出しにもなる塩昆布とおかかを追加。これも全体に行き渡る様にフライパンとお玉を動かして。
味付けは胡椒、そして米の発酵酒。また混ぜ合わせ、風味付けの醤油を鍋肌から入れて混ぜる。
最後にレタス。これはさっくりと混ぜて、あまり火を通し過ぎない様に。
「よっしゃ、完成!」
お手軽レタス炒飯の完成である。卵があればもっと美味しくパラパラに出来ただろうが、手持ちが無かったので仕方が無い。それはまたの機会に。
「皿に盛って食えるか?」
「はい。大丈夫ですカピ」
仔カピバラは漂う香りに鼻をひくつかせ、嬉しそうに頷く。
彼は皿を2枚出すと、それぞれにこんもりと盛り付ける。
「えっと、スプーンとかは使わ……無いよなぁ?」
「はいカピ。人間さまたちにはお行儀が悪いのかも知れませんカピが、犬食いさせていただきますカピ」
「そんなん構わんって。姿形は動物なんだからさ。ほらよ」
彼は笑いながら、炒飯の皿を1枚、仔カピバラの前に置いてやった。
「とても美味しそうな香りがしますカピ……!」
仔カピバラは言うと、ごくりと喉を鳴らした。
「旨いぜ! いや、お前さんの口に合うと良いんだけどな。どうぞ」
「で、では、いただきますカピ」
仔カピバラは言うと、早速炒飯の盛りに口先を埋めた。
脇目も振らずとはこの事か。仔カピバラはすっかりと炒飯に集中してしまっている。
彼はそんな仔カピバラに微笑ましさを覚え、おっと、俺も早く食いたいんだった、と、スプーンを手にした。
掬い、口に運んで、しっかりと味わう。
少し微妙な味付けだった豚と、今回はまだ食べていなかったが、これまで食べて来てやはり微妙な味付けだったと記憶している焼き豚が、ごま油と米の発酵酒と醤油で見事にリカバリされている。
米はパラパラに、レタスはシャキシャキに仕上がっていた。
これに鶏殼や上湯のスープが使えたらもっと味も風味も良かったのだが、今はストックが無かった。
呪いが掛けられて料理が出来なくなった時、悪くなってしまったら大変だからと、いつも世話になっている食堂の料理人に譲ったのだ。
しかしそれでもこれは上出来である。我ながら旨く出来たと、彼は頬を綻ばせた。
さて、仔カピバラはどうかと見てみると、満足そうに眼を細めていた。
「これは……これはとても美味しいですカピ! ボク、こんな美味しいご飯、初めていただきましたカピ!」
心底嬉しそうにそう言うと、残りにがっついた。
「あんま慌てて食べたら消化にも悪いからな、ゆっくりな」
「そ、そんな、ゆっくりなんて難しいですカピ。美味しすぎて次に次にと口が動いてしまうのですカピ」
「はは、そう言って貰えると嬉しいぜ」
彼も嬉しくなり、続きを食べようとスプーンを炒飯に突っ込んだ。
ひとりと1匹、すっかりと満腹になり、揃って心地良い溜め息を吐いた。
「ごっそさん」
「ご馳走さまでしたカピ。本当に美味しかったですカピ」
「おう、良かった。少しでも呪い解いて貰った礼になってると良いんだけどよ」
すると仔カピバラはまた恐縮した様子で首を振った。
「充分過ぎるくらいですカピ。こちらこそ何かお礼がしたいのですカピが」
「いやいや」
なので、彼は慌てて手を振って否定する。
「こっちがもっと礼をしたいくらいだからよ。そうだな、互いがこう言ってんだから、これでおあいこって事でどうだ」
「それは、はいカピ、貴方がそれで良いのでしたらカピ」
仔カピバラは少々不満そうではあったが、そう言って頷いてくれた。
「オッケー。本当に助かったんだからよ。ありがとうな」
「はいカピ。こちらこそありがとうございましたカピ。本当に美味しかったですカピ。ご馳走さまでしたカピ」
「おう」
これでまた、明日から呪いを掛けられる前の生活に戻れる。
今回の炒飯は簡単なものとは言え久々の料理になったのだが、どうやら有難い事に腕はそう鈍っていない様だ。これならすぐにでも始められる。
「ところでお前さんは、これからどうするんだ?」
「はいカピ。旅を続けますカピ。ボクは旅をして、悪魔や呪術師などから掛けられてしまった呪いを解いているのですカピ。報酬として食事や必要な日用品などをいただいたりしているのですカピ」
「じゃあやっぱりこの飯だけじゃ少なかったんじゃ」
彼が焦ると、仔カピバラは慌てて首を振った。
「充分なのですカピ。本当に美味しかったのですからカピ! 本当に!」
仔カピバラがそう訴えるものだから、この事はこれ以上突っ込むのは止めておこう。
「あ、じゃあ解呪出来なかったら、飯食えない事もあるって事か?」
「はいカピ。お金をいただく事もあるカピですので、それで買う事もあるのですカピが、ご飯をいただく事が多いのですカピなので、食いっぱぐれてしまう事もあるのですカピ」
「じゃあさお前さん、俺と一緒に来ないか? 俺も旅してんだよ。その地その地の名物食材使って飯作って、それを売って旅してんだ。俺と一緒に来たら、解呪が必要な人にも巡り会うだろうし、食いっぱぐれる事も無いぜ。どうよ」
この仔カピバラはとても丁寧な物腰で、そしてとても良い子そうだ。人を気遣う事も出来る様だし、何より恩がある。食いっぱぐれる事があると知れば、放っておく事など出来ない。
これは妙案だと思うのだが。
すると仔カピバラは嬉しそうに顔を輝かせた。しかし。
「それは、それは本当に嬉しくて有難いお申し出なのですカピが、本当に良いのですカピか? 足手纏いなどになってしまったらカピ……」
そう言って項垂れてしまった。なので彼はそんな台詞を笑い飛ばす。
「そんな事無い無い。だからさ、良かったら行こうぜ。お前さんと一緒だったら、楽しくて飯の旨い旅になりそうだ」
「そ、そう仰っていただけるのカピなら、どうぞよろしくお願いいたしますカピ!」
仔カピバラはそう言うと、嬉しそうに眼を見開いた。
「決まりだな! あ、自己紹介がまだだったな。俺はサミエル。よろしくな!」
「ボクはマロと言いますカピ。よろしくお願いしますカピ」
こうして、ひとりと1匹での旅が決まった。
今日はもう夜も遅いので、動き出すのは明日からだ。明日は、そうだな、まずはここから1番近い街で、仕事を再開しようか。あの街の名産品はええと、確か。
そうして、屋根のある部屋で、暖かなベッドで眠りたい。勿論マロも一緒に。
ああ、明日が待ち遠しい。サミエルは逸る心を落ち着かせる様に、胸を軽く叩いた。
ナイフで切ろうとすれば切り口から解ける、焼こうとすれば一瞬で消し炭になる、煮ようとすれば得体の知れない土留色の液体になる。
仕方が無いので、森の中で採った木の実や、立ち寄った村で買った生で食べられる野菜、惣菜などを齧ってどうにか生きていた。
たんぱく質はチーズなどの乳製品で補っていたが、ここはやはりガツンと肉が食べたい。肉汁滴る牛のステーキ、脂が甘い豚の肉、しっとりふっくらの鶏の肉。
食堂があれば駆け込みたいところだが、生憎今の状態でそれは贅沢なのである。
なので、生食出来るものや美味しくも無い惣菜で、どうにか生命を繋いでいるのだが。
そろそろ挫けそうになって来た。
それもこれも、この厄介な呪いの所為なのである。
1ヶ月程前の事だった。彼の前に悪魔と名乗る女の子が現れた。
人を魅惑する妖艶な容姿……では無く、人間で言うと10代後半くらいの外見。衣装も赤と黒のロリータ調で余計に若く見えた。美醜で言うと確かに美貌ではあったのだが。
その時、彼は森の中で火を起こし、近くの村で入手した食材で具沢山のクリームシチューを作って食べていた。
甘みをたっぷりと蓄えたじゃがいも、採れたて新鮮の玉ねぎと人参にブロッコリ、捌きたての鶏肉をじっくりとブイヨンでことこと煮込み、新鮮で濃厚なミルクをたっぷり入れ、とろみはチーズで付け、バターと塩胡椒で味を整えている。
「美味しそうな香りがしたから、この私が来てあげたわ! その食べているものを私にも寄越しなさい!」
空から飛来したし、ふわふわと浮いていたから人外だと言う事は一目で判った。羽根が黒いので天使や妖精などの類では無い。見ると耳が横に向かってやや長く尖っていた。
「お前さん、悪魔か?」
彼が聞くと、女の子はふふんと鼻を鳴らし、得意そうに薄い胸を張った。
「ええそうよ、私は悪魔! 恐れ慄きなさい人間!」
「ふぅん」
彼があまりにも興味無さそうに応じたからか、女の子のプライドを傷付けてしまったらしく、「何よ! もっと怖がりなさいよ!」と怒り出した。
「まぁまぁ。俺はいろんな種族を見てるから慣れてるだけだ。それよりもシチュー食いたいんだろ?」
彼はそう言いながら、ケースから碗を取り出し、シチューを注ぐと、スプーンを添えて悪魔に差し出してやった。
「ほらよ。今日も我ながら巧く出来たぜ」
悪魔は膨れっ面のまま、奪い取る様に碗を受け取った。そして早速一口。その途端先程までの怒りは何処へやら、丸い眼を更に見開いて、表情を輝かせた。
「美味しい! 美味しいわ! 本当に美味しいわ! こんなシチュー初めて食べたわ!」
「そっかそっか。なら良かった」
ここまで喜ばれて悪い気はしない。彼はにっこりと笑い、うんうんと頷いた。
「お代わりよ!」
悪魔の1杯目はあっという間に空になり、碗を彼に突き出した。
「はいよ。まだあるから、たっぷり食いな」
悪魔はまたじっくりとシチューを味わう。満足そうな表情で、もぐもぐと口を動かした。
彼は自分の分のお代わりも注ぐ。とろ火に掛けているので、まだまだ熱いままで食べられる。
はふはふと湯気を上げながら口に運ぶ。まろやかで、しかししっかりとコクもあって、膨よかなクリームの風味がじんわりと広がる。
この時はやや肌寒かったのでシチューにしたのだが、身体の芯から温まり、額にはじんわりと薄く汗が滲んでいた。
「決めたわ!」
2杯目を空にした悪魔は満足げな溜め息を吐き、高らかに宣言した。
「喜びなさい人間! お前を私専属の料理人にしてあげるわ! 有り難く思いなさい!」
「え、無理」
その提案、否、命令は、彼にとっては歓迎出来るものでは無く、検討する事もせず即座に、そしてあっさりと応えた。
そしてその回答は悪魔にとって予想外の事だった様で、一瞬呆気に取られた様な表情をし、次の瞬間には盛大に怒りを表した。
「どうしてよ! この私の専属になれるのよ!? こんな名誉な事は他に無いわよ!」
「いやぁ、俺にはその価値は判らんし、やんなきゃいけない事もあるからよ」
「……何よ、それ」
「ま、手っ取り早く言えば金儲けだけどよ」
「じゃあ私が過不足無い金銭を与えるわよ。それなら良いでしょう?」
「いや、そういう問題じゃ無いんだ。悪いな、悪魔さんよ」
ここまで言ってくれるのに申し訳無いとは思う。だが彼には彼なりの矜持がある。それだけは譲れないのだ。
「……解ったわ。じゃあこうしてあげる!」
悪魔は言うと、右手を翳す。すると彼の頭が強烈に痛み出した。
「うわっ! 頭痛い! 何だこれ!」
頭を押さえて蹲る。今まで味わった事の無い痛みに、掠れて千切れた声しか出なかった。
それは彼にとって、永遠に続くかとも思われた。しかし実際には1分にも満たないものだった。
苦痛からの切り替わりは至ってスムーズで、彼は「あ、あれ?」と呆然とした。
「これでお前は私が食べるもの以外は何も作れないわ。食材を切れないし焼けないし煮られないの。しようとしたら、全部ゴミになるんだから!」
「なっ……!」
それは正に死活問題である。彼は激昂した。
「何て事してくれたんだ悪魔!」
「私に逆らった報いよ! この呪いは解いてなんかやらないんだから!」
「今すぐ解けよ!」
「嫌よ! また明日来るから、私にだけに料理を作るのよ! 良いわね!」
悪魔はそう怒鳴ると、踵を返して速やかに飛んで行ってしまった。
「待て! おい!」
彼は呼び止めようとするが、悪魔は構わず視線から消えてしまった。
「……くそっ!」
彼は怒りや苛立ちを打つける様に、両腕を激しく振り下ろした。
ああ、本当に何て事だ。しかし悪魔の話は到底聞き入れられるものでは無かった。彼は誰かの専属にはなれない。なってはならないのだ。
しかし、その呪いは本当に掛かってしまっているのだろうか。まずは確かめなければ。
彼は食材を入れている袋から玉ねぎを取り出し、俎板の上に置く。包丁を握り、構えた時にはつい喉を鳴らしてしまう。
いざ。
そうして刃が入れられた玉ねぎは、無残に溶けてしまったのだ。
呪いは本当だった。彼は絶望した。料理の出来ない彼は彼では無い。料理の出来ない彼は、この世界で出来る事は何も無い。
それ程までに、料理は彼にとって全てだった。
そして食材を無駄にしてしまった事にも罪悪感を覚えていた。
どうしよう。どうしたら。何をしたら良い。
彼は呆然とするが、すぐに我に返るとまずは財布を確認する。大丈夫、贅沢さえしなければまだ当分は保つ。
野宿も覚悟しなければならないだろうが、幸いこの国は治安が良い。安全とは言い難いだろうか、たまには馴染みの家の納屋を借りる事も出来るかも知れない。
まずはこの状況を乗り切らなければ。悪魔はまた来るだろう。まずは明日来ると言っていた。
どうやら自分の思い通りにならないと気の済まない我が儘な性格の様だが、根気良く説得を重ねて、何としてでもこの呪いを解いて貰わなければ。
そこで気付く。煮る事も出来ないと言われた事を。慌ててシチューを見る。変わり無い。どうやら無事の様だ。彼は安堵する。温める目的のとろ火だったからだろうか。
とりあえず、暫くは食堂にでも行かなければ温かな料理にはありつけないと言う事だ。
彼はシチューを椀によそい、まるで最後の晩餐の様な気持ちで口に入れた。
それから悪魔は毎日ほぼ同じ時間にやって来た。
「さぁ、料理を作りなさい!」
そう居丈高に言う。しかし彼は作らなかった。作ってしまえば呪いを諦めて受け入れてしまう事になるからだ。
その代わり、ただひたすら説得した。
こんな呪いを掛けられても、自分は悪魔の為に料理をするつもりは無い。寧ろ掛けられたからこそ作れない。
解いてくれれば作る事が出来る。食べたいものを作ってやるから、どうか頼む。
しかし何度言っても、悪魔は膨れっ面で首を横に振るだけだった。
最初こそは食事は安価な食堂に頼り、寝床も安宿を取っていたが、そろそろ資金の底が見えようとしていた。
食事は生で食べられるものや、さして美味しくも無い惣菜を買い、夜は林の中で明かす。
その日もそろそろ悪魔が来るだろう時間に、買って来た丼飯を晩飯にと、もそもそ口に運んでいた。
豚肉を使った丼である。素材が新鮮なので臭みなどは無いが、味付けが微妙なのである。
普段彼が使用しているものと同じ調味料を使用している筈なのに、どうしてこうした仕上がりになってしまうのか。
ああ、そう言えば買い物の時にまた訊かれてしまったな。次はいつかって。
済まん、もうちょっと待ってくれ。彼は苦笑を浮かべてそう返したが、そろそろ限界の様な気もする。
毎日毎日、悪魔と同じことの繰り返し。そろそろ流石に疲れて来ようとも言うもの。
彼が大きな溜め息を吐いたその時、近くの茂みが音を立てた。
彼はびくりと肩を震わす。何だ、獣か何かか? それは困る。彼に戦闘スキルは無い。
今手にしているこの丼を投げれば餌になるだろうか。ああしかし獣がそれで気が済むとは思えない。俺、終わったか? 彼がそう潔く覚悟した瞬間。
その茂みから顔を出したのは、小さな小さな仔カピバラだった。
「カピ?」
その仔カピバラは首を捻ると、ふんふんと鼻を鳴らす。
「こちらから食べ物の匂いを感じたものですカピから。お腹が空いてしまって、食べるものを探していたのですカピ」
「あ、ああ」
カピバラは可愛くて無害な動物である。だから彼は脱力した。良かった、人を襲う猛獣などでは無かった。
何かしらの能力がある動物は言葉を解する。これまでもそういう動物には何度も出会って来た。この仔カピバラもそうなのだろう。なのですぐに自分を取り戻す。
「飯食ってたから、その匂いかな。そんな量は分けてやれんが、ちょっと待ってくれな」
彼は持っていた丼を下に置くと、明日の朝用にと買っておいた焼き豚と握り飯を出した。
「悪いな、温かいもんやれたら良いんだが、生憎俺、今料理が出来ないもんだからさ」
彼が苦笑すると、仔カピバラは恐縮した様に首を振った。
「いいえいいえ、食べるものを分けていただけるだけで感謝ですカピ。それよりカピ」
仔カピバラは言うと、すっと眼を細めた。
「勘違いだったらごめんなさいカピ。呪いの匂いもするのですカピ」
そう言われ、彼は眼を見開く。
「あ、ああ、そうだ。俺はある特定の奴以外の為には料理が出来ない呪いが掛けられてる」
「それは厄介ですカピね。もしよろしければ解いて差し上げますカピ」
そうしれっと言われ、彼は驚いてあんぐりと口を開けた。
「どういう事だ?」
「ボクは祓魔師なのですカピ」
その何気無い台詞にも、彼はまた驚愕した。しかしすぐに納得する。そうか。それがこの仔カピバラの能力と言う事か。
「そりゃあ本当に有難い。頼めるか?」
「お安い御用ですカピ。なかなか強固な呪いの様ですカピが、幸いボクは能力が高い様で、今まで失敗した事が無いのですカピ」
「そりゃあ頼もしいな! じゃあ早速頼む。そしたら温かいもん食わしてやれるからよ」
「それはボクも嬉しいですカピ。では」
仔カピバラは眼を閉じると、鼻をひくつかせ、鼻先で小さく五芒星を描いた。すると彼の頭に激痛が走る。
しかしそれはほんの一瞬の事。手を頭にやる間も無く、彼はただ顔を歪めただけだった。
「はい、解けましたカピ」
仔カピバラはそう言って、笑顔を寄越す様に可愛く小首を傾げた。
「こんな簡単に?」
彼は驚いて言うと、仔カピバラは大きく頷いた。
「はいカピ。是非試してみてくださいカピ。普通にお料理が出来る様になっている筈ですカピ」
彼はごくりと唾を飲み、まずは包丁のセットを出す。俎板を近くの岩の上に置くと、これも朝に食べようとしていたレタスをバッグから出した。
1番上の葉を剥がし、俎板の上に。包丁を手にし、いざ、刃を入れてみる。
南無三。
かくしてレタスは、液状になる事も無く、無事包丁で綺麗に2等分された。
「や、やった!」
彼は嬉しさのあまり、歓声を上げた。
「ありがとう! ありがとうな! これでまた料理が出来るぜ!」
「良かったですカピ。ボクもお役に立てて嬉しいですカピ」
「じゃあ今あるもん使って、早速温かい飯作るからよ。ちょっと待っててくれな!」
その時。
「来たわよー! 今日こそ私の為に料理を作らせるんだからねー!」
悪魔の女の子が飛来した。悪魔は得意げに薄い胸を反らすと言い放つ。
「もうそろそろ観念したんじゃ無い? 泣いて頼めば呪いを解いてやっても良いわよ。その代わり私専属になって貰うけどね!」
「いや、呪いならもう解いて貰ったから」
彼が言うと、悪魔は「はぁ?」と端正な表情を歪めた。
「そんな事出来る訳が、て、あら、何か嫌な気配がするわね」
悪魔は言うと、辺りを見渡す。そしてその視線が仔カピバラに注がれた時、「げっ」と下品な声を上げた。
「ちょ、そいつ祓魔師じゃ無い! 何でこんなところにいるのよ!」
「あ? お前ら知り合いなのか?」
「違うわよ! 気配で判るの!」
「そういう貴方は悪魔ですカピね? 貴方がこの方に呪いを掛けたのですカピか?」
「そうよ。だってこの私専属の料理人になるって言う栄誉を断ったのよ。罰を受けて然るべきだわ」
「何て理不尽な」
仔カピバラが呆れた様に溜め息を吐くと、悪魔は怒ったのか両腕を上下にばたつかせた。
「何よ! 何よ何よ何よ! もう良いわよ! ふんだ! バーカバーカ!」
悪魔はそう不機嫌に捨て台詞を叫ぶと、速やかに飛んで行ってしまった。
彼と仔カピバラはそれを呆然と見送ると、彼はぽつりと言った。
「まるで嵐の様だったぜ……」
「そうですカピね……」
もう2度と来て欲しくは無い、正に招かれざる客だった。
さて、では早速。
「まずは薪を集めなきゃあな。ちょっと待ってな」
「あ、お手伝いしますカピ」
「腹減ってんだろ? 休んでてくれ。すぐだからよ」
ここは林の中だから、枯れ木はすぐに集まる。彼は少し木々の多い箇所に入り、両手一杯の枯れ木を拾い集めた。
それらをバランス良く組んで行く。
では、まずは下拵え。
丼の具である豚肉と朝食用の焼き豚を適当に角切りにし、レタスは一口大に千切っておく。
握り飯を半分に割り、中の具を取り出しておく。塩昆布とおかかだった。
塩昆布とおかかは包丁で細かく刻み。
具を取り出した握り飯と丼のご飯は、合わせて木べらで解しておく。
調味料も全て手元に準備して。
組んだ枯れ木に火を付け、炎が上がったところにフライパンを翳す。やや多めのごま油を引き、まずは一気にご飯を入れる。
利き手の右手でお玉を器用に使いながら、左手は絶えずフライパンを動かす。強い火力に煽られながら、ごま油を纏った米粒は次第に解れてパラパラになって行く。
そこに豚肉と焼き豚の角切りを加える。全体を混ぜ合わせる様に更に炒めて。
味出しにもなる塩昆布とおかかを追加。これも全体に行き渡る様にフライパンとお玉を動かして。
味付けは胡椒、そして米の発酵酒。また混ぜ合わせ、風味付けの醤油を鍋肌から入れて混ぜる。
最後にレタス。これはさっくりと混ぜて、あまり火を通し過ぎない様に。
「よっしゃ、完成!」
お手軽レタス炒飯の完成である。卵があればもっと美味しくパラパラに出来ただろうが、手持ちが無かったので仕方が無い。それはまたの機会に。
「皿に盛って食えるか?」
「はい。大丈夫ですカピ」
仔カピバラは漂う香りに鼻をひくつかせ、嬉しそうに頷く。
彼は皿を2枚出すと、それぞれにこんもりと盛り付ける。
「えっと、スプーンとかは使わ……無いよなぁ?」
「はいカピ。人間さまたちにはお行儀が悪いのかも知れませんカピが、犬食いさせていただきますカピ」
「そんなん構わんって。姿形は動物なんだからさ。ほらよ」
彼は笑いながら、炒飯の皿を1枚、仔カピバラの前に置いてやった。
「とても美味しそうな香りがしますカピ……!」
仔カピバラは言うと、ごくりと喉を鳴らした。
「旨いぜ! いや、お前さんの口に合うと良いんだけどな。どうぞ」
「で、では、いただきますカピ」
仔カピバラは言うと、早速炒飯の盛りに口先を埋めた。
脇目も振らずとはこの事か。仔カピバラはすっかりと炒飯に集中してしまっている。
彼はそんな仔カピバラに微笑ましさを覚え、おっと、俺も早く食いたいんだった、と、スプーンを手にした。
掬い、口に運んで、しっかりと味わう。
少し微妙な味付けだった豚と、今回はまだ食べていなかったが、これまで食べて来てやはり微妙な味付けだったと記憶している焼き豚が、ごま油と米の発酵酒と醤油で見事にリカバリされている。
米はパラパラに、レタスはシャキシャキに仕上がっていた。
これに鶏殼や上湯のスープが使えたらもっと味も風味も良かったのだが、今はストックが無かった。
呪いが掛けられて料理が出来なくなった時、悪くなってしまったら大変だからと、いつも世話になっている食堂の料理人に譲ったのだ。
しかしそれでもこれは上出来である。我ながら旨く出来たと、彼は頬を綻ばせた。
さて、仔カピバラはどうかと見てみると、満足そうに眼を細めていた。
「これは……これはとても美味しいですカピ! ボク、こんな美味しいご飯、初めていただきましたカピ!」
心底嬉しそうにそう言うと、残りにがっついた。
「あんま慌てて食べたら消化にも悪いからな、ゆっくりな」
「そ、そんな、ゆっくりなんて難しいですカピ。美味しすぎて次に次にと口が動いてしまうのですカピ」
「はは、そう言って貰えると嬉しいぜ」
彼も嬉しくなり、続きを食べようとスプーンを炒飯に突っ込んだ。
ひとりと1匹、すっかりと満腹になり、揃って心地良い溜め息を吐いた。
「ごっそさん」
「ご馳走さまでしたカピ。本当に美味しかったですカピ」
「おう、良かった。少しでも呪い解いて貰った礼になってると良いんだけどよ」
すると仔カピバラはまた恐縮した様子で首を振った。
「充分過ぎるくらいですカピ。こちらこそ何かお礼がしたいのですカピが」
「いやいや」
なので、彼は慌てて手を振って否定する。
「こっちがもっと礼をしたいくらいだからよ。そうだな、互いがこう言ってんだから、これでおあいこって事でどうだ」
「それは、はいカピ、貴方がそれで良いのでしたらカピ」
仔カピバラは少々不満そうではあったが、そう言って頷いてくれた。
「オッケー。本当に助かったんだからよ。ありがとうな」
「はいカピ。こちらこそありがとうございましたカピ。本当に美味しかったですカピ。ご馳走さまでしたカピ」
「おう」
これでまた、明日から呪いを掛けられる前の生活に戻れる。
今回の炒飯は簡単なものとは言え久々の料理になったのだが、どうやら有難い事に腕はそう鈍っていない様だ。これならすぐにでも始められる。
「ところでお前さんは、これからどうするんだ?」
「はいカピ。旅を続けますカピ。ボクは旅をして、悪魔や呪術師などから掛けられてしまった呪いを解いているのですカピ。報酬として食事や必要な日用品などをいただいたりしているのですカピ」
「じゃあやっぱりこの飯だけじゃ少なかったんじゃ」
彼が焦ると、仔カピバラは慌てて首を振った。
「充分なのですカピ。本当に美味しかったのですからカピ! 本当に!」
仔カピバラがそう訴えるものだから、この事はこれ以上突っ込むのは止めておこう。
「あ、じゃあ解呪出来なかったら、飯食えない事もあるって事か?」
「はいカピ。お金をいただく事もあるカピですので、それで買う事もあるのですカピが、ご飯をいただく事が多いのですカピなので、食いっぱぐれてしまう事もあるのですカピ」
「じゃあさお前さん、俺と一緒に来ないか? 俺も旅してんだよ。その地その地の名物食材使って飯作って、それを売って旅してんだ。俺と一緒に来たら、解呪が必要な人にも巡り会うだろうし、食いっぱぐれる事も無いぜ。どうよ」
この仔カピバラはとても丁寧な物腰で、そしてとても良い子そうだ。人を気遣う事も出来る様だし、何より恩がある。食いっぱぐれる事があると知れば、放っておく事など出来ない。
これは妙案だと思うのだが。
すると仔カピバラは嬉しそうに顔を輝かせた。しかし。
「それは、それは本当に嬉しくて有難いお申し出なのですカピが、本当に良いのですカピか? 足手纏いなどになってしまったらカピ……」
そう言って項垂れてしまった。なので彼はそんな台詞を笑い飛ばす。
「そんな事無い無い。だからさ、良かったら行こうぜ。お前さんと一緒だったら、楽しくて飯の旨い旅になりそうだ」
「そ、そう仰っていただけるのカピなら、どうぞよろしくお願いいたしますカピ!」
仔カピバラはそう言うと、嬉しそうに眼を見開いた。
「決まりだな! あ、自己紹介がまだだったな。俺はサミエル。よろしくな!」
「ボクはマロと言いますカピ。よろしくお願いしますカピ」
こうして、ひとりと1匹での旅が決まった。
今日はもう夜も遅いので、動き出すのは明日からだ。明日は、そうだな、まずはここから1番近い街で、仕事を再開しようか。あの街の名産品はええと、確か。
そうして、屋根のある部屋で、暖かなベッドで眠りたい。勿論マロも一緒に。
ああ、明日が待ち遠しい。サミエルは逸る心を落ち着かせる様に、胸を軽く叩いた。
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