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3章 こんがらがる慕情

第15話 告白

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「ちょお、実の妹って、どういう事なん」

「何やそれ、聞いてへんよ!」

 萩原はぎわら門脇かどわきが揃って怒気どきを含ませた声を上げる中、垣村かきむらは目と口を強く閉じ、表情を強ばらせた。しかしそれもほんの数秒。静かに目を開くと、細く息を吐いた。

「……そんなことまで調べはってるんですね。警察って凄いんですね」

 落ち着いた声だった。全てを観念した様な、そんな風にも聞こえた。

「現場に供えられとった白い花束が気になりまして。でも田渕たぶちには両親を含めて親族はおらんっちゅうことやったんで、戸籍こせきを調べてみました」

「そうですか……」

 垣村がまたうつむく。萩原と門脇はわけが解らないと言う様に狼狽うろたえていた。

「あの、刑事さん」

 垣村がぼそぼそと喋る。

「はい」

「全ては私がやったことです」

「……そうですか?」

「そうです」

 夕子ゆうこはもちろんだが、後ろに静かに控える冬暉ふゆきも、もちろんカウンタ付近に立つ春眞はるまたちも3人の共犯だと見ている。しかし垣村が自ら話してくれるのなら、まずは聞いてみようと思った。

 垣村が顔を上げた。その目はこれから人ひとりを殺したことを自供するものとは思えないほどの強さをはらみ、澄んでいた。

「通学の途中に、田渕に声を掛けられました。ずっと私を見とったって、好きやて言われました。田渕は結構イケメンやったし、私には彼氏もおらんかったから、お友だちとしてお茶ぐらいはええかなて思ったんです。それから何回かお茶とか食事に誘われました。このお店にも1度来ました。ええ雰囲気のお店があるんやって。そうやって何回か会うてる内に、ちょっと田渕のことを悪う無いなって思い始めてもて……」

 そのくだりで、垣村は悔しそうに表情を歪めた。

「そのころに画廊に連れてかれたんです。くすのき画廊。最初から絵画に興味があるって田渕が言うてたし、一緒に美術館に行った事もあったから、特に不思議に思わへんかった。そしたら田渕、その場で一目惚れしたって結構高い複製原画を契約してもたんですよ。50万ぐらいやったかな。そん時仕事でどっかの企業の課長やってるて言うてて、結構な貯金もあるからって聞いとったから、ただ凄いなーって思っただけやった」

 一気に話した垣村は一旦言葉を切り、自らを落ち着かせる様に小さく息をして、また口を開いた。

「そしたら私にもすすめて来たんです。小さい複製原画。何点かあって、ひとつ10万ぐらいやったかな。こういうんは持ってたら価値が上がるからって。10万て、学生の私には大金です。でもうちは親戚も多くて、毎年お年玉が多くて、週に何日かですけどアルバイトもしとって、10万円、すぐに出せてまうぐらいには持っとったんですよ……」

 垣村は唇を噛み締めて俯いた。だがすぐに顔を上げて、続きを告げるべく口を開いた。

「まだそん時は何も疑ってへんかったし、その小さい複製原画の中にええなって思えるもんもあって、部屋に飾ったらええやろうなって。せやから、その場で契約してもたんです」

 そこで、垣村は大きく息を吐いた。まるで自分自身に呆れているかの様に。

「もしかしたら、その時すでに自分では気付かんうちに、田渕に好意をいだいとったんかも知れません。せやから嫌われた無いって……思ってもたんかも知れません。冷静に考えたら、そんな学生にしては高額な絵を勧めて来るなんておかしいはずやのに」

 典型的なデート商法のやり口だ。好意を持たせておいて、高額なものを買わせる様におねだり、もしくは仕向ける。確かに冷静になればおかしいと思ったかも知れない。しかしそう思わせない事もマニュアル通り。異性間の好意という感情を利用するのだ。大いに卑劣ひれつだと言える。

「それからも、何回か田渕と会いました。また楠画廊にも連れてかれた……。そん時はあまり勧められへんかったんですけど、ある日……」

 それまで表情は微かに歪めながらも淡々と語っていた垣村の声が、わずかに上った。

「お茶を飲みながら言うたんです。実は自分には私と同じ年ごろの妹がおるんやって。生き分かれたって。名前は覚えてへんて言うてました。でも結構裕福な家に養女に行ったんやって。私その時自分が特別養子縁組で垣村家に引き取られた事をあらためて思い出して、元の家に兄がいた事も思い出したんです。……浩志ひろしって名前の」

 ほぼ息を吐く間も無く言い、そこでようやく垣村は大きく息を吐いた。

「そうでした。なんで私、田渕浩志って名前を聞いて思い出せへんかったんやろ。垣村の両親から聞いてました。元の苗字が田渕で、兄の名前も。両親は……垣村の両親は私を実の子の様に大事に育ててくれたんで、自分が養子やって事、普段はすっかり忘れてしまってたんです」

 垣村は目を伏せる。自分の迂闊うかつさを呪う様に。

「田渕に聞いてみました。もし、その生き別れた妹に会えたらどうするか、って。そしたらあいつ、こう答えたんですよ。家が裕福なんやから、実の兄の俺かて恩恵おんけいを受けてもええはずや、こっちは妹を譲ってやったんやから。だからタカリにでも行こうかな、って」

 途中から垣村の声は震えていた。

「冗談みたいに軽い口調でした。私が田渕を軽蔑する様な目で見ると、慌てて冗談やって言うてた。でも私には解ってしもたんです。田渕はそういう事をするやつやって。そこそこ親しくなったつもりで、油断して本性がつるっと出てもたんでしょう。私が垣村の家に行ったんは、多分生まれて間も無くで、一緒に生活した記憶なんて何も無い。せやから田渕がほんまはどんな人間かなんて判らへん。でも、それでも兄妹やからなんでしょうか……解っちゃったんですよ……。だって普通、冗談でもそんなこと言わんでしょ? 人格を疑われる様なこと」

 垣村はすっかりと俯いてしまう。顔を上げる事もしないまま、告白は続く。

「買うた複製原画、それを毎日見るんが嬉しかった。好きな絵やったから。でもその日から何だか見るんが嫌んなった。でも買うてから7日以上経ってもてたからクーリング・オフもできひんで、でも持ってるんも嫌んなって、そこでやっと両親に相談したんです」

 そこでまた大きく息を吐く垣村。上げた顔、その目元が微かにうるんでいる様に見えた。

「気付いたんは、両親にその絵を見した時でした。買うた時の流れを聞いて、おかしいて思ったみたいで、調べてくれたんです。そしたら複製原画に付いているシリアルナンバーが、本来なら無いはずの番号やったりで、すぐに偽物て判った。両親は警察に届け出ようて言いました。でも私は待ってくれて言いました。画廊に聞いてみるからって。両親は危ないから止せって言いましたが、私、腹が立ってもて」

 垣村は微かに口角を上げる。苦笑、もしくは嘲笑。自分自身に対するものか。

「田渕を問い詰めるか、画廊に乗り込むか……。でもその前に情報を集めよう思て、思い切って裏サイトとか闇サイトを覗いてみたんです。楠画廊で検索すると、いろいろスレッドが出て来ました。それらをざっと読んどったら、田渕の名前を見付けたんです。画廊の社員やったんですね。一般企業の課長やなんて大嘘やった。それでデート商法やて判りました。詐欺は詐欺やったけど、ダブルでやられたんやなぁって。で、そのスレッド見たら、復讐の話が出とって、それに乗ることにしたんです。放っといたらまた被害者が出る、それももちろんありましたけど、私が妹やてばれたら、両親に何するか判らん。考え過ぎやて思いますか? でも平気で詐欺をする様なやつですよ。興信所とかに依頼されたらすぐに知られてまう。それだけは絶対に避けたかった……!」

 垣村の声が辛そうにかすれ、膝の上で震えたこぶしがきつく握られた。

「何よりも、ご両親を護りたかったんですか?」

 夕子が優しく訊くと、垣村は小さく頷いた。

「騙されたこともほんまに悔しかった。でも私のこと気付かれたく無かった、両親に近付けさせたく無かった。せやから私」

「田渕に毒を盛りましたか?」

 垣村は躊躇ためらいながらも、ゆっくりと頷いた。
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