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3章 親子の絆
第6話 それを奇跡と呼ぶのなら
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(羨ましいカピ)
渚沙と訪れた安倍晴明神社で、仲睦まじい葛の葉と安倍晴明を見た竹子の正直な思いである。
竹子にも子どもがいる。モナと言う名の女の子だ。カピバラは1度の出産で2匹から4匹ほどを産むとされているが、竹子はなぜか1匹しか宿らなかった。だからこそ余計に可愛い可愛い、自分の子なのだ。
モナと言う名は飼育員が付けてくれたものである。竹子の名前もそうだ。そうして飼育員は他のカピバラも含め、大事に育ててくれた。もちろん竹子もモナにお乳をあげたり遊んだりと、精一杯子育てをした。
モナは病気もせずすくすくと育ってくれた。飼育員がまめに掃除をしてくれるお陰でハウスも小屋も常に清潔だった。野生なら受けられない恩恵である。
飼育されているカピバラには、確かに自由は無いのかも知れない。人間とのふれあいタイムも、カピバラによってはストレスなどで負担である。それでも竹子にとっては、それを補うものがこの飼育環境にはあった。
ごはんには困らないし、おやつだってもらえる。規格外らしいが、人間が丹精込めて育てた野菜や果物はどれも美味しかった。笹の葉だって大好物だ。屋根があるから冷たい雨にだって濡れなくて済む。冬には温かい温泉にだって入れるのだ。
何より飼われていれば、天敵に遭わない。南国の水辺で暮らすことが多い野生のカピバラはジャガーやワニ、アナコンダなどが敵である。襲われてしまえは一溜まりもない。そんな生命の危機がぐっと減るのだ。それは大きいのでは無いかと竹子は思っていた。
ハーベストの丘にいるカピバラは、とりあえず竹子がいた時には、全員そこで繁殖した個体だ。中には外での自由に憧れる個体もいたし、あまり代わり映えのしない日々ではあったが、概ねその環境に満足していた。
そんな竹子にも、やがて寿命が訪れる。竹子は長く、10年ほどを生きることができた。
平穏な毎日を過ごせ、大病も無く、愛しき子も授かった。カピバラとして悪く無い生だったと思う。それでも竹子は「死にたく無い」と足掻いてしまったのだ。
「生きたい」「死にたく無い」に理由は無い。それは生きとし生ける者の本能だと思う。竹子もそうだった。だがいちばんの大きな理由は、やはりモナを1匹にしたくなかったのだ。夫となったカピバラはすでに世を去っていた。
行きている限り、死は必ず訪れるもので、単に竹子にその順番が回って来たに過ぎない。これが自然の摂理なのだ。不老不死など夢物語なのだから。
それでも散り始める己の生命を自覚しながら、竹子は願ってしまったのだ。
まだ死にたく無い。
見苦しくもそう強く思いながら目を閉じ、次に開いた時には。
竹子はその場に2本足で立っていた。
竹子が老いて弱り始めてからは、ハウスの隅にある小屋の中でまどろんでいる時間が増えていた。心配してくれたモナが常に側にいてくれていて、その時もそうだった。
何が起こったのか。そう思った瞬間、わずかな知識が降りて来た。自分はあやかしになったのだと。そして、あやかしは悠久の時を生きるのだと。
竹子はモナを見る。モナはその場に座って、ある一点、さっきまで竹子が横たわっていたところを見つめていた。今は藁が敷かれているだけである。
「モナ」
竹子はモナに声を掛ける。だが、モナは反応しなかった。竹子は不思議に思い、モナから見える位置に移動する。だがやはりモナの視線は動かなかった。
「モナ?」
もう1度呼んでみる。しかしモナは動かなかった。
……ああ、自分はあやかしになってしまったから、生きる者からは見えなくなってしまったのだ。
そう悟った。竹子はふらつく足で小屋からハウスに出る。そこには他のカピバラがのんびりと生活をしている。3匹いた。
竹子は皆の間を縫う様に、前足を下ろして4本足で歩く。皆の顔を眺めながら。しかし誰も竹子に気付かなかった。
すると、掃除道具を手にした若い女性の飼育員がハウスに入って来た。いつもお世話をしてくれている飼育員だ。竹子は駆け寄り、縋る様に足元に纏わりつく。
だがやはり、飼育員も竹子を認識しなかったのだ。
飼育員はまっすぐに小屋に向かうと、脇に掃除道具を立て掛けて中に入って行った。そしてやがて。
「竹子! 竹子しっかり!」
飼育員の悲鳴を尻目に、竹子はハウスを飛び出した。
せっかくあやかしになれたのに。生命、では無いのかも知れないが、永らえることができたのに。誰にも気付いてもらえなかったら、何にもならないでは無いか。
最愛の娘のモナにも、可愛がってくれた飼育員にも、今の竹子は見えないのだ。そんな悲しいことがあるものか。
これからいくら長き時間をあやかしとして生きても、竹子は大切なものに触れることも、慈しみあうこともできない。きっとこの感情を「絶望」と言うのだろう。
初めて立つハウスの外。人間のお客が行き交っている。確かに自由は手に入れられたのだろう。だが代わりに失ったものが大きすぎた。
竹子はこんなことを望んでいたわけでは無い。モナがいなければ意味が無い。結局1匹にしてしまうでは無いか。
ハーベストの丘の中を、竹子はとぼとぼと歩く。これからどうしたら良いのだろう。竹子には行くところが無い。こうして彷徨うしか無いのだろうか。
このままここにいる勇気はまだ無かった。モナに気付かれぬまま側にいることは辛かった。気付かれなくとも側にいられれば、そんな達観をまだ竹子はできなかった。
すると。
「おい、あんた、あやかしか?」
竹子にそう声を掛けてくれる存在があった。声の方を見ると、そこにいたのはまるで雲の様なものだった。空中にふわふわと浮いている。
「うん、俺が見える様やな。カピバラのあやかしなんて珍しい。でもそういうこともあるんやろ。もし行くとこが無かったら、大仙陵古墳に行ったらええわ。今あそこ、あやかしの溜まり場になってるから。俺もたまにそこにおるし」
竹子と同じあやかしがいる。今の竹子はそういうところに行った方が良いのかも知れない。そしていつか立ち直ることができたら、心が上向きになったら、またモナに会いに来ることができるかも知れない。例えモナに認識されずとも、小さな痛みで済むかも知れない。
「場所分からんかったら案内したる。付いといで」
雲の様なあやかしが言ってくれるので、竹子は付いて行くことにした。
そして到着した大仙陵古墳で、茨木童子と葛の葉に出会い。
少ししてから、あやかしが見える人間である渚沙に出会い。
渚沙の家で渚沙の世話を焼きながら過ごす日々は、竹子を癒してくれた。
「竹ちゃんには私がおるで」
渚沙はいつも笑顔でそう言ってくれた。誰かが側にいてくれる。竹子に寄り添ってくれている。それは竹子の大きな励みになった。
だから、今ならモナに会いに行けると思ったのだ。
渚沙に付き添ってもらって行ったハーベストの丘は、竹子がいた時からそう変わってはいなかった。揺れる吊り橋を渡り、カピバラハウスに向かい、金網越しに恐る恐る中を見ると。
モナは元気そうだった。竹子は心の底から安堵する。まだ亡くなる様な歳では無いが、カピバラだって怪我や病気をするのだ。そんな様子も無く、モナはのんびりと過ごしていた。
側に駆けて行きたくなった。だがきっと以前の様に気付いてもらえない。竹子があやかしでいる限り。仕方が無いと解っていても、やはり切なくなるのだ。
でも渚沙が一緒にいれくれたら。だから勇気を出して、ふれあいタイムが行われているハウスに足を踏み入れたのだった。
……これは、奇跡だろうか。
モナが、こちらを見た様な気がしたのだ。顔を上げて何かを探している様にきょろきょろとしたあと、定まった視線の先は竹子だった。
気のせいかも知れない。たまたまかも知れない。竹子の向こうに何かがあったのかも知れない。それでもモナと通い合った気がして、竹子はじんわりと感動を覚えた。
竹子が手でモナを撫でてやると、モナは目を細めてまた顔をうつ伏せた。もしかしたら竹子の、母の存在を感じてくれているのだろうか。
そうだと信じたい。そうだ、それで良いでは無いか。何せあやかしになった竹子の娘なのだから、モナにも何かそういった力が眠っているかも知れない。
楽天的だと、まやかしだと言われても良い。今起こったことは、竹子にこれ以上無い幸福をもたらしたのだから。
恥ずかしくて、決して誰にも言えないけれど。
渚沙と訪れた安倍晴明神社で、仲睦まじい葛の葉と安倍晴明を見た竹子の正直な思いである。
竹子にも子どもがいる。モナと言う名の女の子だ。カピバラは1度の出産で2匹から4匹ほどを産むとされているが、竹子はなぜか1匹しか宿らなかった。だからこそ余計に可愛い可愛い、自分の子なのだ。
モナと言う名は飼育員が付けてくれたものである。竹子の名前もそうだ。そうして飼育員は他のカピバラも含め、大事に育ててくれた。もちろん竹子もモナにお乳をあげたり遊んだりと、精一杯子育てをした。
モナは病気もせずすくすくと育ってくれた。飼育員がまめに掃除をしてくれるお陰でハウスも小屋も常に清潔だった。野生なら受けられない恩恵である。
飼育されているカピバラには、確かに自由は無いのかも知れない。人間とのふれあいタイムも、カピバラによってはストレスなどで負担である。それでも竹子にとっては、それを補うものがこの飼育環境にはあった。
ごはんには困らないし、おやつだってもらえる。規格外らしいが、人間が丹精込めて育てた野菜や果物はどれも美味しかった。笹の葉だって大好物だ。屋根があるから冷たい雨にだって濡れなくて済む。冬には温かい温泉にだって入れるのだ。
何より飼われていれば、天敵に遭わない。南国の水辺で暮らすことが多い野生のカピバラはジャガーやワニ、アナコンダなどが敵である。襲われてしまえは一溜まりもない。そんな生命の危機がぐっと減るのだ。それは大きいのでは無いかと竹子は思っていた。
ハーベストの丘にいるカピバラは、とりあえず竹子がいた時には、全員そこで繁殖した個体だ。中には外での自由に憧れる個体もいたし、あまり代わり映えのしない日々ではあったが、概ねその環境に満足していた。
そんな竹子にも、やがて寿命が訪れる。竹子は長く、10年ほどを生きることができた。
平穏な毎日を過ごせ、大病も無く、愛しき子も授かった。カピバラとして悪く無い生だったと思う。それでも竹子は「死にたく無い」と足掻いてしまったのだ。
「生きたい」「死にたく無い」に理由は無い。それは生きとし生ける者の本能だと思う。竹子もそうだった。だがいちばんの大きな理由は、やはりモナを1匹にしたくなかったのだ。夫となったカピバラはすでに世を去っていた。
行きている限り、死は必ず訪れるもので、単に竹子にその順番が回って来たに過ぎない。これが自然の摂理なのだ。不老不死など夢物語なのだから。
それでも散り始める己の生命を自覚しながら、竹子は願ってしまったのだ。
まだ死にたく無い。
見苦しくもそう強く思いながら目を閉じ、次に開いた時には。
竹子はその場に2本足で立っていた。
竹子が老いて弱り始めてからは、ハウスの隅にある小屋の中でまどろんでいる時間が増えていた。心配してくれたモナが常に側にいてくれていて、その時もそうだった。
何が起こったのか。そう思った瞬間、わずかな知識が降りて来た。自分はあやかしになったのだと。そして、あやかしは悠久の時を生きるのだと。
竹子はモナを見る。モナはその場に座って、ある一点、さっきまで竹子が横たわっていたところを見つめていた。今は藁が敷かれているだけである。
「モナ」
竹子はモナに声を掛ける。だが、モナは反応しなかった。竹子は不思議に思い、モナから見える位置に移動する。だがやはりモナの視線は動かなかった。
「モナ?」
もう1度呼んでみる。しかしモナは動かなかった。
……ああ、自分はあやかしになってしまったから、生きる者からは見えなくなってしまったのだ。
そう悟った。竹子はふらつく足で小屋からハウスに出る。そこには他のカピバラがのんびりと生活をしている。3匹いた。
竹子は皆の間を縫う様に、前足を下ろして4本足で歩く。皆の顔を眺めながら。しかし誰も竹子に気付かなかった。
すると、掃除道具を手にした若い女性の飼育員がハウスに入って来た。いつもお世話をしてくれている飼育員だ。竹子は駆け寄り、縋る様に足元に纏わりつく。
だがやはり、飼育員も竹子を認識しなかったのだ。
飼育員はまっすぐに小屋に向かうと、脇に掃除道具を立て掛けて中に入って行った。そしてやがて。
「竹子! 竹子しっかり!」
飼育員の悲鳴を尻目に、竹子はハウスを飛び出した。
せっかくあやかしになれたのに。生命、では無いのかも知れないが、永らえることができたのに。誰にも気付いてもらえなかったら、何にもならないでは無いか。
最愛の娘のモナにも、可愛がってくれた飼育員にも、今の竹子は見えないのだ。そんな悲しいことがあるものか。
これからいくら長き時間をあやかしとして生きても、竹子は大切なものに触れることも、慈しみあうこともできない。きっとこの感情を「絶望」と言うのだろう。
初めて立つハウスの外。人間のお客が行き交っている。確かに自由は手に入れられたのだろう。だが代わりに失ったものが大きすぎた。
竹子はこんなことを望んでいたわけでは無い。モナがいなければ意味が無い。結局1匹にしてしまうでは無いか。
ハーベストの丘の中を、竹子はとぼとぼと歩く。これからどうしたら良いのだろう。竹子には行くところが無い。こうして彷徨うしか無いのだろうか。
このままここにいる勇気はまだ無かった。モナに気付かれぬまま側にいることは辛かった。気付かれなくとも側にいられれば、そんな達観をまだ竹子はできなかった。
すると。
「おい、あんた、あやかしか?」
竹子にそう声を掛けてくれる存在があった。声の方を見ると、そこにいたのはまるで雲の様なものだった。空中にふわふわと浮いている。
「うん、俺が見える様やな。カピバラのあやかしなんて珍しい。でもそういうこともあるんやろ。もし行くとこが無かったら、大仙陵古墳に行ったらええわ。今あそこ、あやかしの溜まり場になってるから。俺もたまにそこにおるし」
竹子と同じあやかしがいる。今の竹子はそういうところに行った方が良いのかも知れない。そしていつか立ち直ることができたら、心が上向きになったら、またモナに会いに来ることができるかも知れない。例えモナに認識されずとも、小さな痛みで済むかも知れない。
「場所分からんかったら案内したる。付いといで」
雲の様なあやかしが言ってくれるので、竹子は付いて行くことにした。
そして到着した大仙陵古墳で、茨木童子と葛の葉に出会い。
少ししてから、あやかしが見える人間である渚沙に出会い。
渚沙の家で渚沙の世話を焼きながら過ごす日々は、竹子を癒してくれた。
「竹ちゃんには私がおるで」
渚沙はいつも笑顔でそう言ってくれた。誰かが側にいてくれる。竹子に寄り添ってくれている。それは竹子の大きな励みになった。
だから、今ならモナに会いに行けると思ったのだ。
渚沙に付き添ってもらって行ったハーベストの丘は、竹子がいた時からそう変わってはいなかった。揺れる吊り橋を渡り、カピバラハウスに向かい、金網越しに恐る恐る中を見ると。
モナは元気そうだった。竹子は心の底から安堵する。まだ亡くなる様な歳では無いが、カピバラだって怪我や病気をするのだ。そんな様子も無く、モナはのんびりと過ごしていた。
側に駆けて行きたくなった。だがきっと以前の様に気付いてもらえない。竹子があやかしでいる限り。仕方が無いと解っていても、やはり切なくなるのだ。
でも渚沙が一緒にいれくれたら。だから勇気を出して、ふれあいタイムが行われているハウスに足を踏み入れたのだった。
……これは、奇跡だろうか。
モナが、こちらを見た様な気がしたのだ。顔を上げて何かを探している様にきょろきょろとしたあと、定まった視線の先は竹子だった。
気のせいかも知れない。たまたまかも知れない。竹子の向こうに何かがあったのかも知れない。それでもモナと通い合った気がして、竹子はじんわりと感動を覚えた。
竹子が手でモナを撫でてやると、モナは目を細めてまた顔をうつ伏せた。もしかしたら竹子の、母の存在を感じてくれているのだろうか。
そうだと信じたい。そうだ、それで良いでは無いか。何せあやかしになった竹子の娘なのだから、モナにも何かそういった力が眠っているかも知れない。
楽天的だと、まやかしだと言われても良い。今起こったことは、竹子にこれ以上無い幸福をもたらしたのだから。
恥ずかしくて、決して誰にも言えないけれど。
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