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2章 勿忘草を咲かせるために
第5話 弾けるうすいえんどう
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相川さんが姿を見せたのは、20時を回るころだった。世都はほっとする。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは。あの、先日はおかしなお話をしてしもうて、すいませんでした」
相川さんはそう言って、たおやかに頭を下げた。
「いえ、とんでもありません。こちらこそプライベートに踏み入ってしもうて」
世都が焦ると、相川さんは「いいえ」と首を振った。
「私から言い出したんですから。なんでしょうねぇ、女将さんは話しやすい雰囲気があるっちゅうか。ついつい話を聞いて欲しくなってまうんですよねぇ」
相川さんはそう言って苦笑する。こちらとしては、そういうお店作りができていると受け取ることができて、とても嬉しい。
やはりお酒を提供するお店であるならば、お客さまの緊張などをほどき、ゆったりと寛いでもらえる空間作りをしたい。口が軽やかになるのなら、きっと少しでも成功しているのだろう。
「私でよければいつでもどうぞ。ささ、お掛けください」
「はい。ありがとうございます」
相川さんは空いているカウンタ席に腰を降ろし、世都から暖かいおしぼりを受け取った。そしていつもの千利休純米酒と、お惣菜からうすいえんどうの卵とじを頼んだ。
うすいえんどうは、大阪の羽曳野市碓井にグリンピースが入ってきたのち、品種改良されて作られたお豆で、関西を中心に食べられている。和歌山県産が多く出回っている印象だ。青臭さと言われるものが控えめで、火を通せばほっくりと甘さが舌に乗る。春先から初夏にしか出回らないご馳走である。
それをみりんとお醤油でシンプルに調味したお出汁でことことと炊き、卵でとじるのだ。うすいえんどうの鮮やかな緑色と卵の可愛らしい黄色で、地味ながら見た目も良い。ふわふわなめらかな卵とうすいえんどうの旨味が合わさり、ほっと和む味になるのである。
相川さんは千利休で喉を潤したあと、添えた木製スプーンで卵とじを口に運ぶ。もぐ、と口を動かして、目尻を下げた。喜んでもらえた様だ。
ここでお酒とお料理を楽しんでくれているときだけは、大変なことを少しでも忘れて欲しい。いつでも相川さんの心を占めてはいるだろうが、ほんのわずかな時間でも。
「女将さん、お手が空いたときで大丈夫なんで、また占っていただくことってできますか?」
相川さんからそんなせりふが飛び出し、世都は目を丸くした。前回の占いでは良い結果を出すことができなかった。それは相川さんを落胆させたはずだ。なのに、なぜ。
と同時に、世都は開店前の占いの結果を思い出す。
戦車の正位置。前進、克服、成功。そんな意味を持つ。
もしかしたら今日なら、良い結果が出るかも知れない。世都は高揚する。
「実は、先日母から電話があったんです。元気か? って。久しぶりに会いたいて言われて、明日約束したんです。なんやそれで、何かが動いてる様な気がして」
虫の知らせと言うのだろうか。相川さんの口ぶりだともう何年も没交渉だった様だから、何かを感じたのだろう。
「大丈夫ですよ。あと少しだけお待ちいただけますか」
「はい。ありがとうございます」
早く占って差し上げたい。世都はあとひとつだけの注文を手早くこなすべく、フライパンを出した。
3山に分けたタロットカードをひとつにまとめる。注文の豚の生姜焼きを焼き終えた世都は迅る気持ちを抑え、落ち着きを心掛けながらカードを扱った。お酒と作り置きお惣菜の注文なら龍平くんに任せられる。
そして1枚めくり、世都は目を見開いた。ああ、何ということだ。世都はあらゆるものに感謝したくなった。
「運命の輪、正位置です」
意味は好転、変化、転機、再起など。今の相川さんにとって、とても良い結果では無いか。
「相川さんが今のまま頑張られていれば、好機が訪れますよ。運命の輪は変化を告げるカードで、正位置なのでええもんなんです。絶対にタイミングを逃さん様に。それを心掛けてください」
すると相川さんは溢れんばかりに目を丸くし、頬をほんのりと赤らめた。
「ほんまですか?」
「はい。できればぜひ信じて欲しいです」
信じるものは救われるでは無いが、そういう呼び寄せはあるのだ。日々を真剣に取り組む相川さんが報われないなんて、そんな世界は嫌だ。それは世都の感情の話ではあるが、そう信じたいのだ。
「ありがとうございます。そう言うてもらえると、何だか救われます」
相川さんは泣き笑いの様な表情になって、口角を上げた。
「なぁ、相川さんにあんなこと言うて大丈夫なん?」
高階さんの素直な疑問なのだろう。高階さんは来店頻度が高いこともあり、2週間前にも来ていたのだ。
「そう、占いで出ましたしねぇ」
世都が応えると、高階さんは「ふぅん?」と胡乱げな目を向けて来る。
「あの人、背景めっちゃ重いやん。それがどうにかなるん? 宝くじ当たるとか。奨学金完済できるほどの。それかお母さんから何かあるか」
「それもひとつの好転ですよね」
世都があっさりと言うと、高階さんは諦めた様に「せやな」と言い、グラスに口を付けた。
世都とて、例え占いの結果とは言え、無責任なことは言いたく無い。だがこれは世都の願望でもある。
相川さんがお母さまから捨てられてしまった様な形になってしまっているのは悲しいことだ。家族は必ずしも一緒に暮らすものだとは思ってはいないが、当時相川さんはまだ中学生だったのだ。充分に親御さんの庇護下にあってしかるべきだった。
お母さまが何を思って相川さんにコンタクトを取ったのかは分からない。実業家と結婚しているとのことだし、占いの結果から見ても、まさかお金の無心なんてことは無いだろう。お母さまが相川さんの足かせになるようなことになってはいけないのだ。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは。あの、先日はおかしなお話をしてしもうて、すいませんでした」
相川さんはそう言って、たおやかに頭を下げた。
「いえ、とんでもありません。こちらこそプライベートに踏み入ってしもうて」
世都が焦ると、相川さんは「いいえ」と首を振った。
「私から言い出したんですから。なんでしょうねぇ、女将さんは話しやすい雰囲気があるっちゅうか。ついつい話を聞いて欲しくなってまうんですよねぇ」
相川さんはそう言って苦笑する。こちらとしては、そういうお店作りができていると受け取ることができて、とても嬉しい。
やはりお酒を提供するお店であるならば、お客さまの緊張などをほどき、ゆったりと寛いでもらえる空間作りをしたい。口が軽やかになるのなら、きっと少しでも成功しているのだろう。
「私でよければいつでもどうぞ。ささ、お掛けください」
「はい。ありがとうございます」
相川さんは空いているカウンタ席に腰を降ろし、世都から暖かいおしぼりを受け取った。そしていつもの千利休純米酒と、お惣菜からうすいえんどうの卵とじを頼んだ。
うすいえんどうは、大阪の羽曳野市碓井にグリンピースが入ってきたのち、品種改良されて作られたお豆で、関西を中心に食べられている。和歌山県産が多く出回っている印象だ。青臭さと言われるものが控えめで、火を通せばほっくりと甘さが舌に乗る。春先から初夏にしか出回らないご馳走である。
それをみりんとお醤油でシンプルに調味したお出汁でことことと炊き、卵でとじるのだ。うすいえんどうの鮮やかな緑色と卵の可愛らしい黄色で、地味ながら見た目も良い。ふわふわなめらかな卵とうすいえんどうの旨味が合わさり、ほっと和む味になるのである。
相川さんは千利休で喉を潤したあと、添えた木製スプーンで卵とじを口に運ぶ。もぐ、と口を動かして、目尻を下げた。喜んでもらえた様だ。
ここでお酒とお料理を楽しんでくれているときだけは、大変なことを少しでも忘れて欲しい。いつでも相川さんの心を占めてはいるだろうが、ほんのわずかな時間でも。
「女将さん、お手が空いたときで大丈夫なんで、また占っていただくことってできますか?」
相川さんからそんなせりふが飛び出し、世都は目を丸くした。前回の占いでは良い結果を出すことができなかった。それは相川さんを落胆させたはずだ。なのに、なぜ。
と同時に、世都は開店前の占いの結果を思い出す。
戦車の正位置。前進、克服、成功。そんな意味を持つ。
もしかしたら今日なら、良い結果が出るかも知れない。世都は高揚する。
「実は、先日母から電話があったんです。元気か? って。久しぶりに会いたいて言われて、明日約束したんです。なんやそれで、何かが動いてる様な気がして」
虫の知らせと言うのだろうか。相川さんの口ぶりだともう何年も没交渉だった様だから、何かを感じたのだろう。
「大丈夫ですよ。あと少しだけお待ちいただけますか」
「はい。ありがとうございます」
早く占って差し上げたい。世都はあとひとつだけの注文を手早くこなすべく、フライパンを出した。
3山に分けたタロットカードをひとつにまとめる。注文の豚の生姜焼きを焼き終えた世都は迅る気持ちを抑え、落ち着きを心掛けながらカードを扱った。お酒と作り置きお惣菜の注文なら龍平くんに任せられる。
そして1枚めくり、世都は目を見開いた。ああ、何ということだ。世都はあらゆるものに感謝したくなった。
「運命の輪、正位置です」
意味は好転、変化、転機、再起など。今の相川さんにとって、とても良い結果では無いか。
「相川さんが今のまま頑張られていれば、好機が訪れますよ。運命の輪は変化を告げるカードで、正位置なのでええもんなんです。絶対にタイミングを逃さん様に。それを心掛けてください」
すると相川さんは溢れんばかりに目を丸くし、頬をほんのりと赤らめた。
「ほんまですか?」
「はい。できればぜひ信じて欲しいです」
信じるものは救われるでは無いが、そういう呼び寄せはあるのだ。日々を真剣に取り組む相川さんが報われないなんて、そんな世界は嫌だ。それは世都の感情の話ではあるが、そう信じたいのだ。
「ありがとうございます。そう言うてもらえると、何だか救われます」
相川さんは泣き笑いの様な表情になって、口角を上げた。
「なぁ、相川さんにあんなこと言うて大丈夫なん?」
高階さんの素直な疑問なのだろう。高階さんは来店頻度が高いこともあり、2週間前にも来ていたのだ。
「そう、占いで出ましたしねぇ」
世都が応えると、高階さんは「ふぅん?」と胡乱げな目を向けて来る。
「あの人、背景めっちゃ重いやん。それがどうにかなるん? 宝くじ当たるとか。奨学金完済できるほどの。それかお母さんから何かあるか」
「それもひとつの好転ですよね」
世都があっさりと言うと、高階さんは諦めた様に「せやな」と言い、グラスに口を付けた。
世都とて、例え占いの結果とは言え、無責任なことは言いたく無い。だがこれは世都の願望でもある。
相川さんがお母さまから捨てられてしまった様な形になってしまっているのは悲しいことだ。家族は必ずしも一緒に暮らすものだとは思ってはいないが、当時相川さんはまだ中学生だったのだ。充分に親御さんの庇護下にあってしかるべきだった。
お母さまが何を思って相川さんにコンタクトを取ったのかは分からない。実業家と結婚しているとのことだし、占いの結果から見ても、まさかお金の無心なんてことは無いだろう。お母さまが相川さんの足かせになるようなことになってはいけないのだ。
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