日本酒バー「はなやぎ」のおみちびき

山いい奈

文字の大きさ
上 下
10 / 46
1章 ばら色の日々

第9話 白くにごる心

しおりを挟む
 それから何事も無く1週間が経った。結城ゆうきさんのことが気に掛かりつつも、いつも通り「はなやぎ」を開店していたのだが。

 その日の口開けのお客さまは高階たかしなさんで、サマーゴッデスのハイボールをおともに、肉団子ときのこのトマト煮込みを食べている。

 肉団子の挽き肉は牛と豚の合挽きを使い、みじん切りにした玉ねぎ、卵、つなぎにお豆腐を使い、ヘルシーに仕上げている。お豆腐の量はそう多くは無いので、お肉の味を邪魔しないのだ。

 使っているきのこはしめじとマッシュルーム、エリンギである。きのこ類は掛け合わせれば掛け合わせるほど旨味が出るなんて言われている。これを和の煮物にするなら、椎茸やえのき、舞茸などをたっぷりと使いたいところだ。

 仕上げにバターも落としていて少し重めのメニューではあるが、だからこそすっきりとした日本酒ハイボールに良く合うのである。

 今日の開店前の占い結果は「ソードの5の正位置」だった。意味は卑怯な戦い、罠にはめる、策略など。見たとき、あまりにも不穏な内容に世都せとは思わず息を飲んだ。

 この「はなやぎ」をおとしめようとしたりする意思が、どこかにあるのだろうか。

 今はまだお客さまは高階さんだけだ。今日ばかりはトラブルの種になる様な、それこそ初見のお客さまが来なければ良い、なんて、経営者らしからぬことを思ってしまう。

 世都は占いにたずさわる者ではあるが、それは目安のひとつだと自覚もしている。それでもよく無い結果は心に影を落としてしまうものだ。世都は今日の平穏をひたすらに願っている。

 がらり、と開き戸が開く。世都が見ると、入って来たのは不機嫌な様子の結城さんだった。笑顔が多い結城さんのそんな表情は珍しく、世都は一瞬戸惑った。だがそれを顔に出さない様に努め、微笑みを作った。

「いらっしゃいませ」

「こんばんは。女将おかみさん聞いてくださいよ~」

 結城さんは怒りすら滲ませつつ、椅子に掛ける。世都は常温のおしぼりを渡した。

「ありがとうございます。あ、今日は獺祭だっさいのスパークリングください。むしゃくしゃするから贅沢すんねん!」

 獺祭純米大吟醸にごりスパークリングは、山口県のあさひ酒造さんがかもすスパークリング日本酒である。製造量が少なく、店舗によってはプレミア価格になってしまう人気の日本酒獺祭シリーズのひとつで、お米の甘みの中にスパークリングのドライさが重なり、深く爽やかな味わいになるのだ。

 「はなやぎ」では長島ながしま酒店で正規価格で仕入れてもらっているので、過剰にお高い値段設定では無い。だが他のスパークリングに比べたら、少し贅沢品になってしまうのである。

 世都はワイングラスに獺祭にごりスパークリングを注ぎ、結城さんに出した。

「はい、お待たせしました」

「ありがとうございます」

 結城さんはワイングラスの中身を半分ほど喉に流し込む。世都は念のためにとチェイサーにお水も用意した。

「ありがとうございます。あの、女将さん、元カレ、酷い男やったんです! 女将さんに占ってもろてほんまに良かったです」

「何かあったんですか?」

 すると結城さんは目一杯顔をしかめ、吐き捨てた。

「今日、この前言うてた元カレと共通の友だちから連絡もろたんですけど、元カレ、結婚するんですって」

「……あら、ほな、もしかして」

 世都が目を丸くすると、結城さんは「そうなんですよ!」とカウンタの上で悔しげにこぶしを震わした。

「多分私と付き合うてるときから二股掛けとって、向こうと結婚が決まったから私を振ったんですよ。最悪ですよ!」

 それは、確かに最悪である。結城さんはすっかりと憤慨ふんがいしてしまっている。今日のいつ知ったのかは分からないが、ここに来るまで怒りで心がざわついたことだろう。

 と同時に、開店前の占いの結果に合点がいってしまった。

「友だちが言うには、結婚する、ああ、確かもう入籍したって聞きましたね、それも相手が妊娠したからですって。で、今までみたいに遊べんくなるからマリッジブルーになってるって。せやから手っ取り早く遊び相手確保しようとして、元カノに連絡取りまくってるから気ぃ付けてって」

 絵に描いた様な最低男である。世都は唖然としてしまう。結城さんは「あー腹立つ!」とすっかりおかんむりである。

 しかしそれだと、なおさらあのときタロットカードは正しい選択をしてくれたのだ。今の結城さんには辛いだろうが、もし元恋人のもとに戻ってしまっていたら、もっと悲惨なことになっていただろう。

 確かに同棲相手がいながら元恋人との間で揺れ動いてしまった結城さんは褒められたものでは無いだろうが、そんな仕打ちを受ける筋合いは無いのである。

「良かったですね、現状維持を選ばれて」

「ほんまにそうです。女将さんがいてはれへんかったら、まだうだうだ悩んどったかも知れんし、もしかしたらふらふら戻ってしもてたかも知れへんし。たっくんとの関係がなかなか進まんかられてしもたんですけど、早まったことせんで良かったです」

 世都などからしてみたら、交際から1ヶ月ほどで同棲に進展する方がよほど素早い動きなのだが。思わず苦笑を浮かべてしまう。

「せやから今日は、お礼て言うんも変ですけど、もう1杯いただきますね。同じの、獺祭のスパークリングください」

 気付けば結城さんのワイングラスはすっかりと空になっていた。

「はい、お待ちくださいね」

 世都はにっこりと笑い、業務用冷蔵庫から獺祭にごりスパークリングの瓶を取り出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

憧れの先輩とイケナイ状況に!?

暗黒神ゼブラ
恋愛
今日私は憧れの先輩とご飯を食べに行くことになっちゃった!?

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

性転のへきれき

廣瀬純一
ファンタジー
高校生の男女の入れ替わり

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

日給二万円の週末魔法少女 ~夏木聖那と三人の少女~

海獺屋ぼの
ライト文芸
ある日、女子校に通う夏木聖那は『魔法少女募集』という奇妙な求人広告を見つけた。 そして彼女はその求人の日当二万円という金額に目がくらんで週末限定の『魔法少女』をすることを決意する。 そんな普通の女子高生が魔法少女のアルバイトを通して大人へと成長していく物語。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

処理中です...