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第8部
4話 リリアナを取り戻せ
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かつかつと軽快な音を響かせ、一人のデュラハンが王城の廊下をまっすぐに進んでいる。その身にまとっているのは、鮮やかなコバルトブルーの鎧兜だ。
さぞかし地位のあるデュラハンなのだろう。先導するヒト種の兵士の面持ちは緊張感に満ちている。まだ少年の域を脱したばかりなのか、兵士はとても小柄だった。デュラハンと並ぶと、まるで大人と子供のように見えるだろうが、その距離が縮まることはない。
今のところは。
「こちらでお待ちください」
デュラハンが通されたのは、内苑の最奥にある広めの会議室だった。ほぼ離れに近いからか、華美な装飾品は何一つない。ただ査問のための長テーブルと椅子が並べられているだけである。
わいわいと楽しく食事をするわけでもないのに、長テーブルには床まで届く白いテーブルクロスがかけられていた。
兵士は敬礼すると入り口のドアを閉めてその前に立ち――そして、大きな声を上げた。
「今です!」
アルティの号令一下、テーブルクロスの下に潜んでいたトリスタンとラドクリフが飛び出し、リリアナの体を床に押さえつけた。
いくらリリアナの力が強くとも、男性体のデュラハン二人にはかなわない。その上、相手は同じ氷属性と、弱点である火属性だ。魔法を使ったところで効き目はない。
それをわかっているのか、リリアナは暴れたりしなかった。ぎこちなく頭を動かし、駆け寄るアルティを見上げようとする。その瞳は、今度はしっかりとアルティの目を捉えていた。
「お前か。諦めの悪いやつだ。さっさと首都を出ていけばよかったものを」
「最後まで諦めないのが、俺の才能です!」
被っていた兜を投げ捨て、アルティは叫んだ。自分を鼓舞するように。
昨夜、リリアナが魔属性に取り憑かれていると結論づけたアルティたちは、まず国王のアレスに渡りをつけた。リリアナに気取られるわけにはいかないので、夜間の清掃業者に紛れて侵入し、トリスタンを介して一部始終を説明したのだ。
アレスは非常に驚いていたが、屋敷を追い出された張本人のトリスタンがいること、今回の騒動に関わった職員たちの挙動がおかしかったことから、アルティたちの話を信じ、リリアナを確実に確保できるようお膳立てを整えてくれた。
この部屋の周囲には簡易版の「聖女の結界」が張り巡らされている。魔法紋の維持のため、そして、万が一にもリリアナを逃さないように、ドアの向こうではレイとハンスが近衛騎士や魔法士たちと共に待機している。危険なので、クリフは連絡用の通信機を手に、レイの店でお留守番だ。
魔属性に取り憑かれたものは攻撃性が増す。リリアナがどうして工房を取り上げようとしたのかはわからないが――治療してから聞けばいい話だ。
床に膝をつき、リリアナの面頬を上げる。闇の中に浮かんでいるのはいつもの優しい青白い光じゃない。血のように赤い光だった。
わかっていたものの、胸が抉れそうな心地がする。この一週間、リリアナはどんなに苦しんだだろう。レイの言った通り、来てくれるのを待つのではなく、もっと早く会いにいけばよかったのだ。
「エミィちゃん、お願い!」
「うん!」
同じくテーブルクロスの中に隠れていたエスメラルダが飛び出してきた。聖属性の威力を増すため、頭にはアルティが作ったセレネス鋼製のティアラを被っている。背中に熊のぬいぐるみを背負っているのは、気持ちを落ち着かせるためだろう。聖属性の魔法を使うには、精神の安定が必要なようだから。
「おねえさま、大丈夫。すぐに治すからね」
手袋を外したエスメラルダが顔の闇に触れようとした瞬間、リリアナが笑った。今まで見たこともない、嫌な笑い方だった。
「百年経っても、まだそんな甘いこと言ってんのか」
哄笑と共に、部屋中に闇が広がった。いや、闇じゃない。赤黒く、触れるだけで嫌な気持ちがする禍々しいもの。たとえていうなら、怒り。そう、具現化した怒りだ。リリアナから吹き出したそれが、質量を持ってアルティたちに襲いかかってくる。
部屋中に響く叫び声が、自分の喉から発せられていると気づくのに時間がかかった。今まで経験したことのない感覚が、アルティの全身を駆け巡っている。不安、恐怖、怒り、憎しみ、絶望――この世の負の感情を全てごちゃ混ぜにしたような苦しみに支配され、アルティはその場にうずくまった。
「な……んだ、これ。頭の中が掻き回される!」
アルティと同じく、床の上にうずくまったラドクリフが叫んだ。トリスタンも膝をついて頭を抱えている。エスメラルダはうつ伏せに床に倒れ、もう失神寸前のようだ。
聖属性は魔属性を浄化できる。しかし、それはあくまで聖属性側の力が上回っている場合だ。逆の場合、魔属性は聖属性の弱点になる。
『そうか。意気揚々と乗り込んできたのは聖女がいたからか。道理で嫌な気配がしたと思ったぜ。部屋に結界も張ってるか? 聖属性の鉱石も普及してるようだし、技術は進歩してんだなあ』
「男の声……?」
鈴の音のような声に重なって、見知らぬ男の声が聞こえてくる。深くて、冷たくて、掴みどころのない響き。まるで、夜の海のような。
まさか、鎧兜の中にいるのはリリアナじゃないのか。
戸惑うアルティを一瞥することもなく、リリアナはゆっくりと立ち上がると、エスメラルダに右手を伸ばした。
「エミィ! 逃げて!」
気づいたラドクリフが叫んだが、エスメラルダは少し顔を上げただけで、その場から動けないようだった。
リリアナの右手に集約した赤黒いもやが、エスメラルダに向かって襲いかかる。
その刹那、彼女が背負っていたぬいぐるみがひとりでに動き出し、腰の剣を抜き放って背負い紐を切り裂いたかと思うと、赤黒いもやの前に身を踊らせた。
「マーガレット!」
赤黒いもやの直撃を受け、ぬいぐるみを構成する綿が、布が、空中に舞う。エスメラルダはばらばらになったぬいぐるみに這い寄り、身体を必死に拾い集めようとしたが、それを読んでいたリリアナの第二撃であえなく昏倒させられた。
『ざまぁねぇなあ。当代の聖女さまがこんなガキだったとは。まあ、百年前は身重で駆けつけられなかったらしいから、それに比べればマシかあ?』
ストレッチするように肩を回したリリアナが、うずくまるアルティの顔を覗き込む。その赤い目は三日月のように細められていた。
『せっかくお偉いさんたちを一網打尽にしてやろうと思ったのに、とんだ計画倒れだぜ。こんなことなら、最初っからまどろっこしいことをするんじゃなかったな』
「お前……誰なんだよ! リリアナさんをどうした!」
『過去の亡霊とでも言っておこうか? 名前なんて、とうに捨てちまったしな。このお嬢ちゃんは眠ってる。相当抵抗されたけどな』
世界中から音が消えたような気がした。
つまり、男はリリアナの中にいるのだ。まるで鎧兜を着るように。
「リリアナさんを利用したのか!」
『真っ先に危険に飛び込む命知らずはいつだって格好の餌なんだぜ。それに、こいつには隙があったからな。早く仕事を終わらせてお前に会いたい――ってさ。泣けるねぇ』
全身が怒りに満ちていく。男が何者なのかはわからない。どうして、他人の中に入り込む芸当ができるのかもわからない。
しかし、今はそんなこと関係ない。
リリアナの中に男がいる。そう考えるだけで胸の中に嫌な気持ちが広がっていく。赤黒いもやの力に当てられたわけじゃない。これは、リリアナが他の職人のものを褒めたとき、他にいい人がいるんじゃないかと思ったとき、ずっと感じていたモヤモヤだからだ。
アルティの怒りに気づいたのか、リリアナが笑う。
『やきもち焼いてんのか? 可愛い坊や。この鎧兜、お前が作ったやつなんだろ? デザインはいいが、磨きが甘ぇな。俺がもっといいものを着せてやるよ』
「……ふっざけるなよ」
頭の中で堪忍袋の緒が切れる音がした。今にも床につきそうな上半身を、気力だけで無理やり起こす。
リリアナが他の鎧兜をまとうのを許せるか? 許せるわけない。
ようやく気づいた。このモヤモヤは職人としての矜持、そして男としての独占欲なのだと。
「リリアナさんが着ていいのは、俺が作った鎧兜だけだ!」
腰の後ろに回したポーチから短剣を取り出し、鞘を払う。今朝方リリアナが屋敷を出たあと、密かに乳母のマリーから受け取ったものだ。アルティがリリアナにプレゼントした、セレネス鋼の短剣。
アルティに魔法の才能はない。けれど、ものを作る技術なら誰にも負けやしない。そして、この短剣に込めた想いも。
「その体から出ていけ!」
眼前の顔の闇に向かって短剣を突き出す。ほぼゼロ距離だ。いくら体がリリアナでも、とても避けられないはずだった。
『おいおい、職人が持つのは剣じゃなくて金槌だろ?』
切先が届くよりも早く、リリアナの腕が文字通りアルティの顔に伸びる。
『大人しくおねんねしてな。ちびすけ二号』
さぞかし地位のあるデュラハンなのだろう。先導するヒト種の兵士の面持ちは緊張感に満ちている。まだ少年の域を脱したばかりなのか、兵士はとても小柄だった。デュラハンと並ぶと、まるで大人と子供のように見えるだろうが、その距離が縮まることはない。
今のところは。
「こちらでお待ちください」
デュラハンが通されたのは、内苑の最奥にある広めの会議室だった。ほぼ離れに近いからか、華美な装飾品は何一つない。ただ査問のための長テーブルと椅子が並べられているだけである。
わいわいと楽しく食事をするわけでもないのに、長テーブルには床まで届く白いテーブルクロスがかけられていた。
兵士は敬礼すると入り口のドアを閉めてその前に立ち――そして、大きな声を上げた。
「今です!」
アルティの号令一下、テーブルクロスの下に潜んでいたトリスタンとラドクリフが飛び出し、リリアナの体を床に押さえつけた。
いくらリリアナの力が強くとも、男性体のデュラハン二人にはかなわない。その上、相手は同じ氷属性と、弱点である火属性だ。魔法を使ったところで効き目はない。
それをわかっているのか、リリアナは暴れたりしなかった。ぎこちなく頭を動かし、駆け寄るアルティを見上げようとする。その瞳は、今度はしっかりとアルティの目を捉えていた。
「お前か。諦めの悪いやつだ。さっさと首都を出ていけばよかったものを」
「最後まで諦めないのが、俺の才能です!」
被っていた兜を投げ捨て、アルティは叫んだ。自分を鼓舞するように。
昨夜、リリアナが魔属性に取り憑かれていると結論づけたアルティたちは、まず国王のアレスに渡りをつけた。リリアナに気取られるわけにはいかないので、夜間の清掃業者に紛れて侵入し、トリスタンを介して一部始終を説明したのだ。
アレスは非常に驚いていたが、屋敷を追い出された張本人のトリスタンがいること、今回の騒動に関わった職員たちの挙動がおかしかったことから、アルティたちの話を信じ、リリアナを確実に確保できるようお膳立てを整えてくれた。
この部屋の周囲には簡易版の「聖女の結界」が張り巡らされている。魔法紋の維持のため、そして、万が一にもリリアナを逃さないように、ドアの向こうではレイとハンスが近衛騎士や魔法士たちと共に待機している。危険なので、クリフは連絡用の通信機を手に、レイの店でお留守番だ。
魔属性に取り憑かれたものは攻撃性が増す。リリアナがどうして工房を取り上げようとしたのかはわからないが――治療してから聞けばいい話だ。
床に膝をつき、リリアナの面頬を上げる。闇の中に浮かんでいるのはいつもの優しい青白い光じゃない。血のように赤い光だった。
わかっていたものの、胸が抉れそうな心地がする。この一週間、リリアナはどんなに苦しんだだろう。レイの言った通り、来てくれるのを待つのではなく、もっと早く会いにいけばよかったのだ。
「エミィちゃん、お願い!」
「うん!」
同じくテーブルクロスの中に隠れていたエスメラルダが飛び出してきた。聖属性の威力を増すため、頭にはアルティが作ったセレネス鋼製のティアラを被っている。背中に熊のぬいぐるみを背負っているのは、気持ちを落ち着かせるためだろう。聖属性の魔法を使うには、精神の安定が必要なようだから。
「おねえさま、大丈夫。すぐに治すからね」
手袋を外したエスメラルダが顔の闇に触れようとした瞬間、リリアナが笑った。今まで見たこともない、嫌な笑い方だった。
「百年経っても、まだそんな甘いこと言ってんのか」
哄笑と共に、部屋中に闇が広がった。いや、闇じゃない。赤黒く、触れるだけで嫌な気持ちがする禍々しいもの。たとえていうなら、怒り。そう、具現化した怒りだ。リリアナから吹き出したそれが、質量を持ってアルティたちに襲いかかってくる。
部屋中に響く叫び声が、自分の喉から発せられていると気づくのに時間がかかった。今まで経験したことのない感覚が、アルティの全身を駆け巡っている。不安、恐怖、怒り、憎しみ、絶望――この世の負の感情を全てごちゃ混ぜにしたような苦しみに支配され、アルティはその場にうずくまった。
「な……んだ、これ。頭の中が掻き回される!」
アルティと同じく、床の上にうずくまったラドクリフが叫んだ。トリスタンも膝をついて頭を抱えている。エスメラルダはうつ伏せに床に倒れ、もう失神寸前のようだ。
聖属性は魔属性を浄化できる。しかし、それはあくまで聖属性側の力が上回っている場合だ。逆の場合、魔属性は聖属性の弱点になる。
『そうか。意気揚々と乗り込んできたのは聖女がいたからか。道理で嫌な気配がしたと思ったぜ。部屋に結界も張ってるか? 聖属性の鉱石も普及してるようだし、技術は進歩してんだなあ』
「男の声……?」
鈴の音のような声に重なって、見知らぬ男の声が聞こえてくる。深くて、冷たくて、掴みどころのない響き。まるで、夜の海のような。
まさか、鎧兜の中にいるのはリリアナじゃないのか。
戸惑うアルティを一瞥することもなく、リリアナはゆっくりと立ち上がると、エスメラルダに右手を伸ばした。
「エミィ! 逃げて!」
気づいたラドクリフが叫んだが、エスメラルダは少し顔を上げただけで、その場から動けないようだった。
リリアナの右手に集約した赤黒いもやが、エスメラルダに向かって襲いかかる。
その刹那、彼女が背負っていたぬいぐるみがひとりでに動き出し、腰の剣を抜き放って背負い紐を切り裂いたかと思うと、赤黒いもやの前に身を踊らせた。
「マーガレット!」
赤黒いもやの直撃を受け、ぬいぐるみを構成する綿が、布が、空中に舞う。エスメラルダはばらばらになったぬいぐるみに這い寄り、身体を必死に拾い集めようとしたが、それを読んでいたリリアナの第二撃であえなく昏倒させられた。
『ざまぁねぇなあ。当代の聖女さまがこんなガキだったとは。まあ、百年前は身重で駆けつけられなかったらしいから、それに比べればマシかあ?』
ストレッチするように肩を回したリリアナが、うずくまるアルティの顔を覗き込む。その赤い目は三日月のように細められていた。
『せっかくお偉いさんたちを一網打尽にしてやろうと思ったのに、とんだ計画倒れだぜ。こんなことなら、最初っからまどろっこしいことをするんじゃなかったな』
「お前……誰なんだよ! リリアナさんをどうした!」
『過去の亡霊とでも言っておこうか? 名前なんて、とうに捨てちまったしな。このお嬢ちゃんは眠ってる。相当抵抗されたけどな』
世界中から音が消えたような気がした。
つまり、男はリリアナの中にいるのだ。まるで鎧兜を着るように。
「リリアナさんを利用したのか!」
『真っ先に危険に飛び込む命知らずはいつだって格好の餌なんだぜ。それに、こいつには隙があったからな。早く仕事を終わらせてお前に会いたい――ってさ。泣けるねぇ』
全身が怒りに満ちていく。男が何者なのかはわからない。どうして、他人の中に入り込む芸当ができるのかもわからない。
しかし、今はそんなこと関係ない。
リリアナの中に男がいる。そう考えるだけで胸の中に嫌な気持ちが広がっていく。赤黒いもやの力に当てられたわけじゃない。これは、リリアナが他の職人のものを褒めたとき、他にいい人がいるんじゃないかと思ったとき、ずっと感じていたモヤモヤだからだ。
アルティの怒りに気づいたのか、リリアナが笑う。
『やきもち焼いてんのか? 可愛い坊や。この鎧兜、お前が作ったやつなんだろ? デザインはいいが、磨きが甘ぇな。俺がもっといいものを着せてやるよ』
「……ふっざけるなよ」
頭の中で堪忍袋の緒が切れる音がした。今にも床につきそうな上半身を、気力だけで無理やり起こす。
リリアナが他の鎧兜をまとうのを許せるか? 許せるわけない。
ようやく気づいた。このモヤモヤは職人としての矜持、そして男としての独占欲なのだと。
「リリアナさんが着ていいのは、俺が作った鎧兜だけだ!」
腰の後ろに回したポーチから短剣を取り出し、鞘を払う。今朝方リリアナが屋敷を出たあと、密かに乳母のマリーから受け取ったものだ。アルティがリリアナにプレゼントした、セレネス鋼の短剣。
アルティに魔法の才能はない。けれど、ものを作る技術なら誰にも負けやしない。そして、この短剣に込めた想いも。
「その体から出ていけ!」
眼前の顔の闇に向かって短剣を突き出す。ほぼゼロ距離だ。いくら体がリリアナでも、とても避けられないはずだった。
『おいおい、職人が持つのは剣じゃなくて金槌だろ?』
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『大人しくおねんねしてな。ちびすけ二号』
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