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2幕 新婚旅行を満喫します!
83場 そして新たな不思議が生まれる
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「よし、こんなものでいいかな」
柱時計の奥。薄暗い小部屋の暖炉の前に宝箱を置き、両手を払う。
ここから先の仕上げは、これから戻ってくる子たちの仕事だ。学生ではないメルディと、卒業したレイにできることは、ただの肉体労働だけである。
「それにしても、みんないつ戻ってくるんだろ。飛地の新校舎の方まで行っちゃったのかな?」
「僕たちの謎を超えるものを作るって張り切ってたからねえ。グレイグは嫌々だったけど」
「あの子、賢いけど脳筋寄りなのよね。ママに似たからかなあ?」
肩を揺らして笑いながら、そばの椅子に並んで腰を下ろす。怒涛の教授選から十日が経ち、心身も周囲の状況も回復してきたとはいえ、まだまだレイの疲れは残っている。
あのあと、集まった記者たちによって百二十年前の欺瞞は全て暴かれ、教授選の顛末と共にセンセーショナルな記事が新聞の一面に載った……が、魔法学校に好意的な書き方をしてくれたのは救いだった。
ヒンギスに改竄を指示した生き残りは魔法学会を追放され、今後同じ悲劇が起こらないように、国が体制を強化するという。
長命種が多く住まうこの大陸には時効は存在しない。ヒンギスもこの一件では公文書偽造の罪に問われるそうだ。
優秀な人材を有するが上の悲劇――そう新聞には書かれていた。
とはいえ、完全に誹りを免れたわけじゃない。保護者は今すぐ子供たちを家元に戻そうと駆けつけてきたし、生徒たちも動揺を隠せなかった。
その混乱を収めたのはドニだ。校長に就任するや否や記者会見を開き、魔法学校の管理不行き届きの謝罪と、今後も魔法学校は生徒主体の学舎であり続けると堂々と宣言したのだ。
いつも破天荒な姿しか見ていなかったから、こんなにまともなことも言えるのかと、エレンと共に感動した。
その成果か、周囲の非難の声も少しずつ落ちつき、一週間が経つ頃には外出禁止令が解かれるまでになった。
そして、それを後押ししたのは、意外なことにシエラ・シエル市民だった。あれだけ魔法学校生を嫌っていたにも関わらず、『魔法学校応援キャンペーン』などを打ち出して、全面的に生徒たちを受け入れる姿勢を見せたのだ。
感動した生徒たちが騒ぎまくって、また出禁になりそうな勢いらしいが、付かず離れずでこれからも上手くやっていくだろう。彼らにとって、魔法学校生は永遠のお得意さまなのだから。
「ケイト先生、無事に目が覚めて良かったね。後遺症もないんだって?」
「本人の生命魔法だからね。回復も早いと思うよ。始業式前には復帰できるんじゃない?」
メルディたちが最果ての塔で賢者の雫を飲んでいた頃、シエラ・シエルの国立病院でケイトは目を覚ました。
本人が落ち着くのを待って警備隊が事情聴取をしたところ、レイの推理通り、小箱の解き方を尋ねてきたヒンギスにカッとなって言い争いになったのだと正式に判明した。
さらにケイトは、怪我をしたのはヒンギスのせいではなく、よろめいた弾みでこけて頭を打ったと証言した。だから、ヒンギスに重い罪を与えるのはやめてくれと。
この証言により、ヒンギスの罪状は傷害から救護義務違反と業務妨害罪に変わるそうだ。
「……あのさ、レイさん。あのとき、どうして追求するのをやめたの? 集音器を設置したのは、ヒンギス先生の退路を断つためだったんでしょ?」
できるだけ自然に聞こえるように問うと、レイは口元を緩めて頭を掻いた。
「日和ったんだよ。仇だと思っていた相手にも大切な人がいて、感情があるんだって思い出しちゃったからね。……それに、過去の遺恨を今を生きる子供たちに聞かせるのも違うかなって」
どこまでも優しい夫に、胸が締め付けられる心地がした。椅子を動かしてレイの隣にぴったりとつけ、体温を移すように体を寄せる。
レイは一瞬だけ泣きそうな顔をしたが、ただ黙ってメルディに寄り添ってくれた。
「……ヒンギス先生、これからどうするんだろうね」
「さあねえ。魔法学校にはもう戻れないだろうけど……。いずれどこかで教師を続けるんじゃない? 職人と同じでさ、きっと教師も死ぬまで教師なんだよ。今更逃れられるとは思わないね」
ふ、と息を吐いてレイは笑った。その目にはもう、噴き出しそうな怒りは残っていなかった。
「エル先生は大変だったね。教授選が終われば、田舎に引っ越してスローライフを送るつもりだったのに、しばらく魔法学の教師として残るんでしょ?」
「ヒンギス先生が抜けた穴を埋めなきゃいけないし、新米のドニ校長だけだと大変だしね。承知の上とはいえ、晩節を汚す形になったのは申し訳なかったよ。百二十年前に生徒たちを戦場に送り出したことも、ずっと気に病んでたみたいだしさ。八百歳越えのエルフに泣きながら頭を下げられるなんて、いたたまれないったらありゃしないよ」
全てが終わったあと、エルドラドは土下座する勢いでレイに頭を下げた。
生徒たちを守れなかったこと。ヒンギスの罪と苦悩に気付かなかったこと。託された謎を手放せずに持ち続けたこと。奔流のようにこぼれる悔恨の言葉に、メルディは溺れてしまいそうだった。
「……だけど、きっと心は軽くなったよ。あんなに生徒たちが大好きなんだもん。すぐに元気になってバリバリ教鞭振るってくれるって」
校長室が職員室のある六番路ではなく、教室のある一番路にある理由も、「生徒たちの声がよく聞こえるところにいたいから」なのだそうだ。
「知ってる。……まさか渡した謎を百二十年も持っていてくれたなんてね」
エルドラドの深い愛情に、元生徒は照れくさそうに耳を掻いた。
「メルディさん! 隠してきましたよ、七つの不思議にプレート!」
元気いっぱいに扉を開け、駆けて来たのはエレンだ。あの小部屋の一件以降、徐々に魔力が増してきたらしく、今は度のない伊達メガネをかけている。
まだまだ鎧は着られないらしいが、「ちょっと力瘤作れるようになったんですよ!」と嬉しそうに言っていた。服も夏らしい薄手のシャツに変わり、そして、ズボンの代わりにスカートを履いていた。
そう。すっかり男の子と思い込んでいたが、エレンは女の子だったのだ。教授選が終わったあとに「実は……」と告白されたときは、エイヴリーと同じ過ちを犯したことに内心血の涙を流した。
道理で、初めて「エレン君」と口にしたときにニールが変な顔をしていたはずだ。誰も否定しなかったのは、エレンが性別に言及されるのを嫌がっていると知っていたかららしい。
じゃあ、今までのグレイグの態度は何だったのかと首を傾げるメルディに、「義妹ができる日も近いかもしれないね」とレイが笑ったのは完全な余談である。
「もー、エレン。一人で先に行かないでよ。いくらお姉ちゃんのファンだからって、行動まで似なくていいんだよ」
エレンに続いて、呆れ顔のグレイグが部屋に入ってきた。その背後には所在なげに肩をすくめた一人の少年がいる。深く被ったフードから覗くのは、くすんだ金髪と緑色の瞳だ。
「あの……。僕、ここにいていいんでしょうか。謹慎処分中なのに」
「道を外れるのも若者の特権だよ。先生たちだって、多少のおイタは目を瞑ってくれるさ」
「さすが先輩。含蓄深い言葉よね、レイ」
「照れるなあ。そんなに褒めないでよ」
軽口を叩き合うメルディたちに促され、少年――ニールがおずおずと中に入ってきた。
彼はヒンギスの不正に手を貸した罪を問われ、寮で謹慎処分を受けていた。しかし、事情を考慮して進級にペナルティはつかずに済んだらしい。
ただ、親御さんと兄たちには盛大に泣かれた上、人生初めての家族喧嘩となり、今は少しずつ関係を修復中なのだそうだ。
『今まで言えなかったことを言えてスッキリしました。向こうもようやく、僕のことを赤ん坊だとは思わなくなったみたいだし』
そう笑ったニールは、雲ひとつない夏空のように晴れ晴れとした顔をしていた。
「あ、宝箱に賢者の雫を入れてくださったんですね。ありがとうございます」
「私たちができるのはこれぐらいだからね。あとはグレイグとニール君お願い」
宝箱に気づいたエレンに微笑み、椅子から立ち上がる。
レイたちは暖炉の奥の隠し扉の中に宝箱を置いていたが、今度はそちらをブラフにして、暖炉の上の煙突の中に窪みを作って置き、バー穴蔵のように光魔法で隠すのだそうだ。手が込んでいる。
「はいはーい。ほら、とっとと準備しなよニール。いつミルディア先生に見つかるかわかんないんだからね」
「君に言われなくてもわかってるよ、グレイグ」
グレイグが煙突の中に宝箱を持ち上げる間に、ニールが暖炉に魔法紋を書く。最近開発された、百年持つインクらしい。時代は進歩しているものである。
「よし、できた。あとは魔石をセットするだけだよ」
「こっちもオッケー。暖炉からどくね」
グレイグが暖炉から出てきたと同時に、ニールが魔法紋の真ん中に魔石をセットした。すると、その辺り一体の風景が霞み、暖炉が何の変哲もない壁に変わった。
触ると腕が突き抜けるので空間があるとわかるが、パッと見るだけでは全然わからない。つくづく魔法ってすごい。
「ここは光が差さないから、魔石の消耗は早いよ。気をつけなね」
「はい。任せてください。五十年後の開封のときまで、僕がきっちりメンテナンスしますよ」
レイの忠告に、ニールが嬉しそうに微笑む。進路に悩んでいた彼は、将来は魔法紋の教師として魔法学校に残ることを決めたそうだ。
魔法学校の教師の職は狭き門だ。けれど、ニールならきっとなれるだろう。ヒンギスのようにわかりやすく授業をし、ドニのように生徒を愛する教師に。
「じゃあ、そんな君にこの本をあげるよ。僕のお下がりだけど、色々書き込んでるから役には立つと思う」
「え……。これって、ルミナス・セプテンバーの魔法紋理論体系? それも初版? こ、こんな貴重なもの頂けませんよ!」
アルティに頼んで首都から送ってもらった、レイの父親の形見だ。
アルティは新聞を読んで慌てて連絡をしてきたものの、いつも通りのメルディたちの態度に安心し、「寂しいから早く帰ってきて」と泣き言を一つ残して通信機を切った。
「いいんだよ。本ってのは必要としてる人のところに渡るものだからね。知ってる? ルミナス・セプテンバーってエルフの家系に生まれながら、魔力を受け継げなかったヒト種なんだよ。彼にできたんだから、君にだってできるはずさ。諦めさえしなければね」
ニールはそれでも遠慮していたが、レイが一向に引かないのを見て、恐る恐る受け取った。その頬は紅潮していて、お湯の一つや二つ沸かせそうな気配だった。
「えー、いいな。レイさんの付箋付きなんてレアものじゃん。僕もほしい」
「あんた、魔戦術の道に進むって決めたんでしょ。一冊しかないんだから、友達に譲ってあげなさいな。それにあんたは弟なんだから、いつでもレイさんに相談できるでしょ」
姉らしく諫めるメルディに、グレイグは肩をすくめた。
「違いますう。士官学校の教官になるために魔戦術を選んだだけだよ。教師になるってのを諦めたわけじゃないんだからね」
「ああ言えばこう言う……。あんたって子は、本当に口が減らないわね。口がないくせに」
「あっ、それデュラハン差別だよ! エレン、何とか言ってやってよ」
「メルディさんが正しいと思うよ、グレイグ」
小部屋の中に、ひまわりみたいな明るい笑顔がいくつも咲いた。
百二十年前も、レイたちはこうして笑い合っていたのだろうか。そう思うと、ちょっとだけ切ない気持ちになる。
「よし、じゃあ、最後の仕上げだ。みんな杖を出して」
レイに従って、グレイグ、エレン、ニールがそれぞれローブのポケットから杖を取り出す。エレンの杖はもう折れてはいない。メルディが丹精込めて新しく作ったから。
柄に施した繊細な薔薇の意匠は、今のエレンによく似合っていた。
「杖の先端を重ね合わせて……。そうそう。その状態で、誓いたいことを唱えるんだ。それが魔法使いの誓いだよ」
杖を重ね合わせた三人は、顔を見合わせて同時に頷いた。
『僕たちは、五十年後にここで再会し、賢者の雫を口にすることを誓います』
その瞬間、杖の先から万華鏡の中身をばらまいたような光が放たれ、すぐに消えていった。強い想いによりお互いの魔力が一瞬だけ可視化される現象だと教えてもらったが、メルディにはよくわからなかった。
ともあれ、ここに誓いは成立し、新たな八不思議が生まれたのだ。五十年後にどれだけ賢者の雫が減っているかは、そのときのお楽しみである。
「飲めるのは五十年後か。どんな味がするんだろうね」
「レイさんのはどうだったの?」
「それは夫婦の秘密よ、グレイグ。未成年には教えてあげません」
「何だよ、それ。仲直りしたからってさあ」
やいやい言い合いながら小部屋の廊下を抜け、玄関ホールに戻る。さっきまで薄暗いところにいたので、天窓から差し込む光が目に眩しい。
そのとき、六番路の奥から駆けてくる足音が聞こえた。ミルディアだ。両脇にフィーとアズロを従えている。
「こら、あなたたち何やってるの! そこはまだ立ち入り禁止だって言ったでしょ!」
「やばい、見つかった!」
「逃げましょう、メルディさん! レイ先輩も!」
エレンに促されたレイが眉を下げる。
「ちょっと待ってよ。僕はもう歳なんだって」
「仕方ないなあ。僕が担ぐよ。ニールも乗っけてあげようか?」
「お断りだよ、グレイグ。君の手は借りない」
手に手を取って、揃って駆け出す。
弾けるような笑い声が、玄関ホールに響いた。
柱時計の奥。薄暗い小部屋の暖炉の前に宝箱を置き、両手を払う。
ここから先の仕上げは、これから戻ってくる子たちの仕事だ。学生ではないメルディと、卒業したレイにできることは、ただの肉体労働だけである。
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「僕たちの謎を超えるものを作るって張り切ってたからねえ。グレイグは嫌々だったけど」
「あの子、賢いけど脳筋寄りなのよね。ママに似たからかなあ?」
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ヒンギスに改竄を指示した生き残りは魔法学会を追放され、今後同じ悲劇が起こらないように、国が体制を強化するという。
長命種が多く住まうこの大陸には時効は存在しない。ヒンギスもこの一件では公文書偽造の罪に問われるそうだ。
優秀な人材を有するが上の悲劇――そう新聞には書かれていた。
とはいえ、完全に誹りを免れたわけじゃない。保護者は今すぐ子供たちを家元に戻そうと駆けつけてきたし、生徒たちも動揺を隠せなかった。
その混乱を収めたのはドニだ。校長に就任するや否や記者会見を開き、魔法学校の管理不行き届きの謝罪と、今後も魔法学校は生徒主体の学舎であり続けると堂々と宣言したのだ。
いつも破天荒な姿しか見ていなかったから、こんなにまともなことも言えるのかと、エレンと共に感動した。
その成果か、周囲の非難の声も少しずつ落ちつき、一週間が経つ頃には外出禁止令が解かれるまでになった。
そして、それを後押ししたのは、意外なことにシエラ・シエル市民だった。あれだけ魔法学校生を嫌っていたにも関わらず、『魔法学校応援キャンペーン』などを打ち出して、全面的に生徒たちを受け入れる姿勢を見せたのだ。
感動した生徒たちが騒ぎまくって、また出禁になりそうな勢いらしいが、付かず離れずでこれからも上手くやっていくだろう。彼らにとって、魔法学校生は永遠のお得意さまなのだから。
「ケイト先生、無事に目が覚めて良かったね。後遺症もないんだって?」
「本人の生命魔法だからね。回復も早いと思うよ。始業式前には復帰できるんじゃない?」
メルディたちが最果ての塔で賢者の雫を飲んでいた頃、シエラ・シエルの国立病院でケイトは目を覚ました。
本人が落ち着くのを待って警備隊が事情聴取をしたところ、レイの推理通り、小箱の解き方を尋ねてきたヒンギスにカッとなって言い争いになったのだと正式に判明した。
さらにケイトは、怪我をしたのはヒンギスのせいではなく、よろめいた弾みでこけて頭を打ったと証言した。だから、ヒンギスに重い罪を与えるのはやめてくれと。
この証言により、ヒンギスの罪状は傷害から救護義務違反と業務妨害罪に変わるそうだ。
「……あのさ、レイさん。あのとき、どうして追求するのをやめたの? 集音器を設置したのは、ヒンギス先生の退路を断つためだったんでしょ?」
できるだけ自然に聞こえるように問うと、レイは口元を緩めて頭を掻いた。
「日和ったんだよ。仇だと思っていた相手にも大切な人がいて、感情があるんだって思い出しちゃったからね。……それに、過去の遺恨を今を生きる子供たちに聞かせるのも違うかなって」
どこまでも優しい夫に、胸が締め付けられる心地がした。椅子を動かしてレイの隣にぴったりとつけ、体温を移すように体を寄せる。
レイは一瞬だけ泣きそうな顔をしたが、ただ黙ってメルディに寄り添ってくれた。
「……ヒンギス先生、これからどうするんだろうね」
「さあねえ。魔法学校にはもう戻れないだろうけど……。いずれどこかで教師を続けるんじゃない? 職人と同じでさ、きっと教師も死ぬまで教師なんだよ。今更逃れられるとは思わないね」
ふ、と息を吐いてレイは笑った。その目にはもう、噴き出しそうな怒りは残っていなかった。
「エル先生は大変だったね。教授選が終われば、田舎に引っ越してスローライフを送るつもりだったのに、しばらく魔法学の教師として残るんでしょ?」
「ヒンギス先生が抜けた穴を埋めなきゃいけないし、新米のドニ校長だけだと大変だしね。承知の上とはいえ、晩節を汚す形になったのは申し訳なかったよ。百二十年前に生徒たちを戦場に送り出したことも、ずっと気に病んでたみたいだしさ。八百歳越えのエルフに泣きながら頭を下げられるなんて、いたたまれないったらありゃしないよ」
全てが終わったあと、エルドラドは土下座する勢いでレイに頭を下げた。
生徒たちを守れなかったこと。ヒンギスの罪と苦悩に気付かなかったこと。託された謎を手放せずに持ち続けたこと。奔流のようにこぼれる悔恨の言葉に、メルディは溺れてしまいそうだった。
「……だけど、きっと心は軽くなったよ。あんなに生徒たちが大好きなんだもん。すぐに元気になってバリバリ教鞭振るってくれるって」
校長室が職員室のある六番路ではなく、教室のある一番路にある理由も、「生徒たちの声がよく聞こえるところにいたいから」なのだそうだ。
「知ってる。……まさか渡した謎を百二十年も持っていてくれたなんてね」
エルドラドの深い愛情に、元生徒は照れくさそうに耳を掻いた。
「メルディさん! 隠してきましたよ、七つの不思議にプレート!」
元気いっぱいに扉を開け、駆けて来たのはエレンだ。あの小部屋の一件以降、徐々に魔力が増してきたらしく、今は度のない伊達メガネをかけている。
まだまだ鎧は着られないらしいが、「ちょっと力瘤作れるようになったんですよ!」と嬉しそうに言っていた。服も夏らしい薄手のシャツに変わり、そして、ズボンの代わりにスカートを履いていた。
そう。すっかり男の子と思い込んでいたが、エレンは女の子だったのだ。教授選が終わったあとに「実は……」と告白されたときは、エイヴリーと同じ過ちを犯したことに内心血の涙を流した。
道理で、初めて「エレン君」と口にしたときにニールが変な顔をしていたはずだ。誰も否定しなかったのは、エレンが性別に言及されるのを嫌がっていると知っていたかららしい。
じゃあ、今までのグレイグの態度は何だったのかと首を傾げるメルディに、「義妹ができる日も近いかもしれないね」とレイが笑ったのは完全な余談である。
「もー、エレン。一人で先に行かないでよ。いくらお姉ちゃんのファンだからって、行動まで似なくていいんだよ」
エレンに続いて、呆れ顔のグレイグが部屋に入ってきた。その背後には所在なげに肩をすくめた一人の少年がいる。深く被ったフードから覗くのは、くすんだ金髪と緑色の瞳だ。
「あの……。僕、ここにいていいんでしょうか。謹慎処分中なのに」
「道を外れるのも若者の特権だよ。先生たちだって、多少のおイタは目を瞑ってくれるさ」
「さすが先輩。含蓄深い言葉よね、レイ」
「照れるなあ。そんなに褒めないでよ」
軽口を叩き合うメルディたちに促され、少年――ニールがおずおずと中に入ってきた。
彼はヒンギスの不正に手を貸した罪を問われ、寮で謹慎処分を受けていた。しかし、事情を考慮して進級にペナルティはつかずに済んだらしい。
ただ、親御さんと兄たちには盛大に泣かれた上、人生初めての家族喧嘩となり、今は少しずつ関係を修復中なのだそうだ。
『今まで言えなかったことを言えてスッキリしました。向こうもようやく、僕のことを赤ん坊だとは思わなくなったみたいだし』
そう笑ったニールは、雲ひとつない夏空のように晴れ晴れとした顔をしていた。
「あ、宝箱に賢者の雫を入れてくださったんですね。ありがとうございます」
「私たちができるのはこれぐらいだからね。あとはグレイグとニール君お願い」
宝箱に気づいたエレンに微笑み、椅子から立ち上がる。
レイたちは暖炉の奥の隠し扉の中に宝箱を置いていたが、今度はそちらをブラフにして、暖炉の上の煙突の中に窪みを作って置き、バー穴蔵のように光魔法で隠すのだそうだ。手が込んでいる。
「はいはーい。ほら、とっとと準備しなよニール。いつミルディア先生に見つかるかわかんないんだからね」
「君に言われなくてもわかってるよ、グレイグ」
グレイグが煙突の中に宝箱を持ち上げる間に、ニールが暖炉に魔法紋を書く。最近開発された、百年持つインクらしい。時代は進歩しているものである。
「よし、できた。あとは魔石をセットするだけだよ」
「こっちもオッケー。暖炉からどくね」
グレイグが暖炉から出てきたと同時に、ニールが魔法紋の真ん中に魔石をセットした。すると、その辺り一体の風景が霞み、暖炉が何の変哲もない壁に変わった。
触ると腕が突き抜けるので空間があるとわかるが、パッと見るだけでは全然わからない。つくづく魔法ってすごい。
「ここは光が差さないから、魔石の消耗は早いよ。気をつけなね」
「はい。任せてください。五十年後の開封のときまで、僕がきっちりメンテナンスしますよ」
レイの忠告に、ニールが嬉しそうに微笑む。進路に悩んでいた彼は、将来は魔法紋の教師として魔法学校に残ることを決めたそうだ。
魔法学校の教師の職は狭き門だ。けれど、ニールならきっとなれるだろう。ヒンギスのようにわかりやすく授業をし、ドニのように生徒を愛する教師に。
「じゃあ、そんな君にこの本をあげるよ。僕のお下がりだけど、色々書き込んでるから役には立つと思う」
「え……。これって、ルミナス・セプテンバーの魔法紋理論体系? それも初版? こ、こんな貴重なもの頂けませんよ!」
アルティに頼んで首都から送ってもらった、レイの父親の形見だ。
アルティは新聞を読んで慌てて連絡をしてきたものの、いつも通りのメルディたちの態度に安心し、「寂しいから早く帰ってきて」と泣き言を一つ残して通信機を切った。
「いいんだよ。本ってのは必要としてる人のところに渡るものだからね。知ってる? ルミナス・セプテンバーってエルフの家系に生まれながら、魔力を受け継げなかったヒト種なんだよ。彼にできたんだから、君にだってできるはずさ。諦めさえしなければね」
ニールはそれでも遠慮していたが、レイが一向に引かないのを見て、恐る恐る受け取った。その頬は紅潮していて、お湯の一つや二つ沸かせそうな気配だった。
「えー、いいな。レイさんの付箋付きなんてレアものじゃん。僕もほしい」
「あんた、魔戦術の道に進むって決めたんでしょ。一冊しかないんだから、友達に譲ってあげなさいな。それにあんたは弟なんだから、いつでもレイさんに相談できるでしょ」
姉らしく諫めるメルディに、グレイグは肩をすくめた。
「違いますう。士官学校の教官になるために魔戦術を選んだだけだよ。教師になるってのを諦めたわけじゃないんだからね」
「ああ言えばこう言う……。あんたって子は、本当に口が減らないわね。口がないくせに」
「あっ、それデュラハン差別だよ! エレン、何とか言ってやってよ」
「メルディさんが正しいと思うよ、グレイグ」
小部屋の中に、ひまわりみたいな明るい笑顔がいくつも咲いた。
百二十年前も、レイたちはこうして笑い合っていたのだろうか。そう思うと、ちょっとだけ切ない気持ちになる。
「よし、じゃあ、最後の仕上げだ。みんな杖を出して」
レイに従って、グレイグ、エレン、ニールがそれぞれローブのポケットから杖を取り出す。エレンの杖はもう折れてはいない。メルディが丹精込めて新しく作ったから。
柄に施した繊細な薔薇の意匠は、今のエレンによく似合っていた。
「杖の先端を重ね合わせて……。そうそう。その状態で、誓いたいことを唱えるんだ。それが魔法使いの誓いだよ」
杖を重ね合わせた三人は、顔を見合わせて同時に頷いた。
『僕たちは、五十年後にここで再会し、賢者の雫を口にすることを誓います』
その瞬間、杖の先から万華鏡の中身をばらまいたような光が放たれ、すぐに消えていった。強い想いによりお互いの魔力が一瞬だけ可視化される現象だと教えてもらったが、メルディにはよくわからなかった。
ともあれ、ここに誓いは成立し、新たな八不思議が生まれたのだ。五十年後にどれだけ賢者の雫が減っているかは、そのときのお楽しみである。
「飲めるのは五十年後か。どんな味がするんだろうね」
「レイさんのはどうだったの?」
「それは夫婦の秘密よ、グレイグ。未成年には教えてあげません」
「何だよ、それ。仲直りしたからってさあ」
やいやい言い合いながら小部屋の廊下を抜け、玄関ホールに戻る。さっきまで薄暗いところにいたので、天窓から差し込む光が目に眩しい。
そのとき、六番路の奥から駆けてくる足音が聞こえた。ミルディアだ。両脇にフィーとアズロを従えている。
「こら、あなたたち何やってるの! そこはまだ立ち入り禁止だって言ったでしょ!」
「やばい、見つかった!」
「逃げましょう、メルディさん! レイ先輩も!」
エレンに促されたレイが眉を下げる。
「ちょっと待ってよ。僕はもう歳なんだって」
「仕方ないなあ。僕が担ぐよ。ニールも乗っけてあげようか?」
「お断りだよ、グレイグ。君の手は借りない」
手に手を取って、揃って駆け出す。
弾けるような笑い声が、玄関ホールに響いた。
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