歳の差100歳ですが、諦めません!

遠野さつき

文字の大きさ
上 下
81 / 88
2幕 新婚旅行を満喫します!

81場 百二十年目の仇討ち②

しおりを挟む
「百二十年前、魔法学校は大きく揺れていました。モルガン戦争が起こったからです。……モルガン戦争はメルディさんもご存知ですね?」

 ヒンギスに問われ、こくりと頷く。レイたちは静かにヒンギスを見つめている。まるで授業みたいな状況に、少しだけ混乱する。

 国からの召集要請に対し、教師たちからは「断固拒否するべき」「生徒を連れてルクセンに疎開するべき」「国が滅んでは元も子もない。応じるべき」など様々な意見が出たが、結局は受け入れざるを得なかった。魔物の襲撃によってラスタ中が焦土と化し、議論している余裕がなくなったのだ。

 日々襲い来る魔物たちを迎撃し、心労と過労で倒れた校長に代わり、ヒンギスが国から受け取った召集者リストには多くの名前が記載されていた。

 戦場で生き抜く体力と魔力を兼ね揃えたもの。残酷な現実を直視しても心が折れないもの。他者を守り、導けるもの――国は魔法学校の戦力を正確に把握していた。

 レイは優秀さを買われて元々リスト入りしていたようだが、研究室の仲間の何人かは免れたものもいた。

 彼らはレイよりも強かったが、戦場には不利な性格をしていたのだ。優しすぎる、という性格を。

「なのに、実際には全員が大河を渡った。最前線に召集されると知らされたとき、仲間の何人かはひどく怯えてた。それでも国を――大事な人たちを守るために覚悟を決めたんだよ。それが仕組まれたことだとも知らずにね」

 レイが皮肉めいた口調で笑う。

「あんたの生徒には魔法学会の有力者の子弟が多かった。彼らに睨まれれば、たとえ生き延びたとしても学校の存続は難しくなる。あんたは魔法学校を――いや、自分の居場所を守るために召集者リストを改竄したんだ」
「その通りです。他の教師たちには改竄したものを渡しました。私に改竄を求めた彼らの大部分はすでにこの世にいませんが……まだ一部は生き残っていますよ。なら暴き出せるでしょう」

 正門の方から怒号に似た記者たちの声が響いた。窓の外では、生徒たちにさらに動揺が広がっているのが見える。隣のエルドラドにも。

「ヒンギス……」
「申し訳ありません。あの頃のあなたは、深い苦悩の中にいた。あれ以上、負担をかけたくなかったのです」
「馬鹿者め……」

 そう呟くエルドラドの目尻には透明な雫が光っていた。

「どうして、リストが改竄されていると気づいたのですか? 事実を知っていたのは私だけですし、戦後には散逸していたはずです。戦場ではリストを精査する余裕もなかったでしょう」
「アリア先生だよ。彼女は僕を庇って死んだんだ」

 ヒンギスが息を飲んだ。ドニもだ。呆然とした顔を向ける二人に、レイは静かに言葉を続けた。
 
 百二十年前のあの夏の日、レイは戦場で今にも力尽きようとしていた。後ろには倒れて動かなくなった仲間たち。目の前には獰猛な唸り声を上げる魔物。

 青々と晴れた空とは正反対に、周りには怒号と悲鳴と血煙が渦巻いていて、行くことも退くことも叶わなかった。体はボロボロ。目も霞む。それでも戦場は容赦しない。

 思わず体がふらついたそのとき、目の前の魔物が飛びかかってきた。もうダメだと目を閉じた瞬間、柔らかい何かに包まれて地面に押し倒された。

 目を開けると、背中から血を流したアリアが必死な形相でレイを抱きしめ、魔物の猛攻から身を挺して守っていた。

 そして、何とか魔力を振り絞って魔物を倒したレイに、アリアはなけなしの生命力で治療魔法を施してくれた。彼女はケイトと同じく、生命魔法が得意だったのだ。

 けれど、満身創痍の状態で治療魔法など使えばどうなるかは自明の理。「しっかりしてください!」と叫ぶレイにアリアは言った。譫言のようにヒンギスの名を口にしながら。

「ごめんね……。あいつのこと、許してやって……」

 頬を撫でる手が地面に落ちた瞬間、レイは悟った。自分たちを戦場に送ったのは何らかの後ろ暗い力が働いたのだと。

 アリアのローブのポケットからは血に塗れたリストの写しが二通見つかった。改竄前のものと、改竄後のものだ。

 しかし、戦後いくら探しても、誰がヒンギスに指示したのかはわからなかった。リストもアリアが死ぬと腐り落ちる魔法がかけられていたので、証拠として残せなかった。
 
「……僕が戦場に送られたのはいいんだ。あのときはラスタが滅ぶか滅ばないかの二択だったからね。理解はできる。でも……本来死ぬはずじゃなかった仲間が、つまらない欺瞞で死んだのは我慢ならなかった」

 レイの顔が歪む。

「何度も自分に言い聞かせたよ。あれはもう過ぎたこと。今さら騒ぎ立てても仕方ないこと。そのうちに何も感じなくなって、実際ここに来るまではもう平気だと思ってた。だから親友の頼みを聞いたんだ。……でも、ダメだった。懐かしい光景を見るたびに思い出すんだ。どうしても、みんなの顔を。過ぎ去ったあの日々を。たとえアリア先生の最期の頼みだろうと――あんたは、僕たちの仇なんだ!」

 絶叫し、くしゃくしゃと髪を掻きむしる。そんなレイを見たのは初めてだった。

 今、メルディの目の前にいるのは夫のレイ・アグニスではない。百二十年前にここにいた生徒のレイ・アグニスなのだ。

「レイ……!」

 レイに駆け寄り、その体を抱きしめる。夏なのに、まるで氷のように冷たい。レイも震える両腕でメルディを抱きしめ返してくれた。その翡翠色の瞳に涙をたたえて。

 そんな二人を前に、ヒンギスは細く長く息を吐くと、大机にもたれかかって天井を仰いだ。空を眺めるように。

「……言い訳のしようもありません。今こそ百二十年前の精算をしましょう。ケイトとあの子を傷つけた償いもね。ドアの外に警備隊も控えているのではないですか」

 ヒンギスが告げた途端、校長室のドアが開いた。

 揃いの防具に身を包み、腰に剣を佩いた男たちが今にも飛び込まんといった様子でこちらを睨んでいる。その先頭には隊長格らしい男が立ち、細かい字がびっしりと書かれた紙を手にしていた。

「さすが魔法学校の先生だ。察しが良くて助かりますよ。この通り、ケイト女史への傷害容疑であなたに令状が出ています。我々と共に来ていただけますね」
「参りましょう。私も大河を越えるときが来たのです。――いささか、遅過ぎましたがね」

 縄を打たれたヒンギスが粛々と校長室を後にする。しかし、唇を噛み締めたドニのそばを通り過ぎる瞬間、その場に立ち止まり、彼の目をまっすぐに見つめた。

「ああ、ドニ。そういえば、質問に答えてもらっていませんでしたね。連れ去られたと聞きましたが、あれは本当ですか?」
「……いや? 俺は夜通し生徒の相談に乗ってただけだよ。校長が早合点して勘違いしたんじゃねぇのか」

 窓の外でニールが声を上げようとした……が、エレンに口を塞がれた上、グレイグの肩に担がれてどこかに回収されて行った。チームワークが良くなって何よりである。
 
「そうですよね。安心しました。あの子のことは、君に託しましたよ。くれぐれも危ない実験に巻き込まないでくださいね」
「いい加減に過保護から卒業しろや。……アリアだって、生きてりゃ今頃はしっかりしてたさ」
「ヒト種はそこまで生きられませんよ。……でも、見たかったですね。おばあちゃんになったアリア」

 ふふ、と笑い、今度こそヒンギスは校長室を出て行った。その背中は、まるで大河の向こうを見据えるかのようにまっすぐに伸びていた。

 静寂が戻った校長室の中で、鼻を啜ったレイがメルディの腕を解き、球体地図に近付いていく。

 その顔は若干赤らんでいたが、美しい翡翠色の瞳にはいつもの冷静で穏やかな輝きを取り戻していた。

「……おい、一つだけいいか」

 ヒンギスの背中を見送り、力無く椅子に腰掛けるエルドラドを支えながら、ドニが静かに告げる。

「ヒンギスは確かに大河を越えるのをビビってたけどな。引率の教師を決めるときは、お前たちの盾になるつもりで真っ先に手を挙げたんだぜ。それを阻止したのは……アリアだよ。あいつ、眠りの魔法がうまかったからな。勉強のために睡眠時間を削る馬鹿野郎がそばにいたから――」

 それ以上は続けず、ドニはエルドラドを連れて校長室を出て行った。

 そのときようやく、ヒンギスとアリアのローブが同じ色だと思い至った。もしレイが戦場に行くとなれば、メルディはどうするだろう?

 ひょっとしたら、アリアは百二十年前に想いを遂げ、愛しい人の罪に気付いたのかもしれない。眠るヒンギスの横で。

 わあっと、窓の外で大きな声がした。警備隊に囲まれたヒンギスが正門へ向かっていく姿が見える。

 生徒たちは彼らの後を追おうとしたが、近くで様子を見守っていたらしいミルディアやアルフレッドたちによって解散させられた。

「……さよなら、先生」

 そう呟き、レイが球体地図に指を伸ばす。

 からからと回っていた球体地図は、時を止めるようにゆっくりと静止した。その場に残ったものは、レイとメルディの震える吐息だけ。

 これでもう、何もかも終わったのだ。教授選も、百二十年目の仇討ちも。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

追放された悪役令嬢はシングルマザー

ララ
恋愛
神様の手違いで死んでしまった主人公。第二の人生を幸せに生きてほしいと言われ転生するも何と転生先は悪役令嬢。 断罪回避に奮闘するも失敗。 国外追放先で国王の子を孕んでいることに気がつく。 この子は私の子よ!守ってみせるわ。 1人、子を育てる決心をする。 そんな彼女を暖かく見守る人たち。彼女を愛するもの。 さまざまな思惑が蠢く中彼女の掴み取る未来はいかに‥‥ ーーーー 完結確約 9話完結です。 短編のくくりですが10000字ちょっとで少し短いです。

【完結】物置小屋の魔法使いの娘~父の再婚相手と義妹に家を追い出され、婚約者には捨てられた。でも、私は……

buchi
恋愛
大公爵家の父が再婚して新しくやって来たのは、義母と義妹。当たり前のようにダーナの部屋を取り上げ、義妹のマチルダのものに。そして社交界への出入りを禁止し、館の隣の物置小屋に移動するよう命じた。ダーナは亡くなった母の血を受け継いで魔法が使えた。これまでは使う必要がなかった。だけど、汚い小屋に閉じ込められた時は、使用人がいるので自粛していた魔法力を存分に使った。魔法力のことは、母と母と同じ国から嫁いできた王妃様だけが知る秘密だった。 みすぼらしい物置小屋はパラダイスに。だけど、ある晩、王太子殿下のフィルがダーナを心配になってやって来て……

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜

川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。 前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。 恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。 だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。 そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。 「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」 レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。 実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。 女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。 過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。 二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。

【完結】勘当されたい悪役は自由に生きる

雨野
恋愛
 難病に罹り、15歳で人生を終えた私。  だが気がつくと、生前読んだ漫画の貴族で悪役に転生していた!?タイトルは忘れてしまったし、ラストまで読むことは出来なかったけど…確かこのキャラは、家を勘当され追放されたんじゃなかったっけ?  でも…手足は自由に動くし、ご飯は美味しく食べられる。すうっと深呼吸することだって出来る!!追放ったって殺される訳でもなし、貴族じゃなくなっても問題ないよね?むしろ私、庶民の生活のほうが大歓迎!!  ただ…私が転生したこのキャラ、セレスタン・ラサーニュ。悪役令息、男だったよね?どこからどう見ても女の身体なんですが。上に無いはずのモノがあり、下にあるはずのアレが無いんですが!?どうなってんのよ!!?  1話目はシリアスな感じですが、最終的にはほのぼの目指します。  ずっと病弱だったが故に、目に映る全てのものが輝いて見えるセレスタン。自分が変われば世界も変わる、私は…自由だ!!!  主人公は最初のうちは卑屈だったりしますが、次第に前向きに成長します。それまで見守っていただければと!  愛され主人公のつもりですが、逆ハーレムはありません。逆ハー風味はある。男装主人公なので、側から見るとBLカップルです。  予告なく痛々しい、残酷な描写あり。  サブタイトルに◼️が付いている話はシリアスになりがち。  小説家になろうさんでも掲載しております。そっちのほうが先行公開中。後書きなんかで、ちょいちょいネタ挟んでます。よろしければご覧ください。  こちらでは僅かに加筆&話が増えてたりします。  本編完結。番外編を順次公開していきます。  最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

せっかく家の借金を返したのに、妹に婚約者を奪われて追放されました。でも、気にしなくていいみたいです。私には頼れる公爵様がいらっしゃいますから

甘海そら
恋愛
ヤルス伯爵家の長女、セリアには商才があった。 であれば、ヤルス家の借金を見事に返済し、いよいよ婚礼を間近にする。 だが、 「セリア。君には悪いと思っているが、私は運命の人を見つけたのだよ」  婚約者であるはずのクワイフからそう告げられる。  そのクワイフの隣には、妹であるヨカが目を細めて笑っていた。    気がつけば、セリアは全てを失っていた。  今までの功績は何故か妹のものになり、婚約者もまた妹のものとなった。  さらには、あらぬ悪名を着せられ、屋敷から追放される憂き目にも会う。  失意のどん底に陥ることになる。  ただ、そんな時だった。  セリアの目の前に、かつての親友が現れた。    大国シュリナの雄。  ユーガルド公爵家が当主、ケネス・トルゴー。  彼が仏頂面で手を差し伸べてくれば、彼女の運命は大きく変化していく。

踏み台令嬢はへこたれない

三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」  公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。  春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。  そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?  これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。 「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」  ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。  なろうでも投稿しています。

筆頭婚約者候補は「一抜け」を叫んでさっさと逃げ出した

基本二度寝
恋愛
王太子には婚約者候補が二十名ほどいた。 その中でも筆頭にいたのは、顔よし頭良し、すべての条件を持っていた公爵家の令嬢。 王太子を立てることも忘れない彼女に、ひとつだけ不満があった。

ある王国の王室の物語

朝山みどり
恋愛
平和が続くある王国の一室で婚約者破棄を宣言された少女がいた。カップを持ったまま下を向いて無言の彼女を国王夫妻、侯爵夫妻、王太子、異母妹がじっと見つめた。 顔をあげた彼女はカップを皿に置くと、レモンパイに手を伸ばすと皿に取った。 それから 「承知しました」とだけ言った。 ゆっくりレモンパイを食べるとお茶のおかわりを注ぐように侍女に合図をした。 それからバウンドケーキに手を伸ばした。 カクヨムで公開したものに手を入れたものです。

処理中です...