歳の差100歳ですが、諦めません!

遠野さつき

文字の大きさ
上 下
80 / 88
2幕 新婚旅行を満喫します!

80場 百二十年目の仇討ち①

しおりを挟む
「あの日、私はケイトの部屋から自室へ戻ったあと、すぐに戻し液を使いました。紙の裏に透明インクが使われていると気づいていたからです」
「あんたは昔から、生徒たちが授業中に回す手紙の検挙率高かったもんね」

 嫌味を言うレイをヒンギスが睨む。罪を認めたからか、その目から怯えの色は消えていた。

「私だけじゃありませんよ。みんなすぐにピンときたはずです。あなたもそうでしょう、ドニ」
「まあな。だから余計に箱を開ける気にならなかったんだよ。いかにもじゃねぇか。まあ、他の奴らは逆に躍起になって開けちまったけどな」

 肩をすくめるドニに、メルディは内心舌を巻いた。裏面も触ったはずなのに全然わからなかった。現役学生のエレンだって、駄目元で戻し液を使ってみただけだったのに。教師って怖い。

「先ほど校長先生にお話しした通り、戻し液を垂らした紙と羽ペンは窓の外へ飛んで行きました。けれど、私にはそれを追うことは叶わなかった」
「ケイト先生が倒れた音を聞きつけて、他の教師たちが集まってきたからだね」

 ヒンギスが沈鬱な表情で頷く。

「階下から気配が消えて、非常召集がかかるまで息を潜めてやり過ごしました。その頃には羽ペンの行方はわからなくなっていて……。元教え子を傷つけてまで手に入れた結果がこれかと情けなくなりましたよ。でも……」
「教え子が魔法書を手に、あんたの元へやってきた。そうだね?」

 ケイトが倒れた時刻、図書館の近くを歩くニールの姿が目撃されている。その直後に、彼は光魔法でヒンギスの姿を借りて図書館に入ったのだ。実技試験以降、図書館は封鎖されていた。生徒の姿では入れないから。
 
「その通りです。あの子は私のために魔法の制約を外そうとしていたのですよ。私が悩んでいる姿を見ていましたからね。小箱の開け方を伝えたかったのかもしれません」
「……逆です。小箱を開けるなと言いたかったんだと思います」

 食堂で聞いたアデリアたちの話をすると、ヒンギスは納得したように頷いた。今にも泣きそうな顔で。

 あの日、食堂を出たあと、ニールは飛ぶように寮に戻った。箱を開けてはいけないと、なんとかヒンギスに伝えようと思ったのだろう。

 しかし、相手はレイとミルディアたちが連日体を酷使しながら仕上げた複雑な魔法だ。いくら自室の本をひっくり返しても、解く方法は思いつかない。

 だから、ニールは図書館に一縷の望みをかけた。調べたところで解けるかどうかは別として、恩師のために少しでも何かしたくて。

 本を調べている最中、ニールは最果ての塔の小川を越えて羽ペンと紙が飛んでくるのに気づいた。窓を開けて手にした紙に書かれた文字が、何を意味しているのかにも。

 ニールは図書委員だ。禁書庫の開け方も知っている。ナダルが図書室を出たタイミングを見計らって魔法書を手に入れ、ローブのポケットに隠した。

 そして、みんなが順番に事情聴取を受けている隙をついて、ヒンギスに魔法書を手渡したのだ。恩師の犯した罪と誤りには目を瞑って。

「……きっと、あの子は思い詰めたのでしょうね。私が罪を犯して、軽率に箱を開けてしまったから」

 そこでヒンギスは口を閉じた。

 ここまで全て、柱時計の奥の小部屋でニールに聞いていた通りだ。ヒンギスはもう嘘をついていない。

 ニールを凶行に駆り立てたのは、ヒト種の自分に対するコンプレックス。しかし、その引き金を引いたのは、ひとえに恩師の役に立ちたいと言う純粋な気持ちだった。

「僕にもっと力があれば、ヒンギス先生を止められたのに」

 あの薄暗い小部屋で、そうニールは泣いた。

「……どうして、あの子が魔法書を持ってきた時点で自首しなかったの?」

 押し殺すようなレイの声に、ヒンギスは少しだけ間を置いて、お腹の前あたりで両手を組んだ。まるで懺悔するように。
 
「……怖かったんです。ここを出るのが。私にはもう、ここにしか居場所がないから」

 レイがふーっと重苦しいため息をついた。
 
「あんたの罪は三つだって言ったけど、訂正するよ。四つめの罪は生徒を守らなかったことだ。……あんたが保身に走らなきゃ、あの子はあんなに傷つかずに済んだんだよ!」

 びりびりと空気が震える。それは、純粋な怒りというには激しすぎた。

 たとえて言うなら、溶けた鉄のように粘性のある怒りだ。全てを飲み込み、焼き尽くすような。

 ヒンギスの言葉で、ずっと心の奥底に沈んでいたものが一気に吹き出した――メルディにはそう感じた。
 
「あなたのおっしゃる通りです。私は自分の居場所を守るために、生徒を犠牲にした。……百二十年前と変わっていませんね」

 レイの長い耳がぴくりと動く。その眉間には渓谷みたいな皺が刻まれている。
 
「それは今ここでする話じゃない。本筋には関係ないからね」
「そうでしょうか? 教授選のタイミングであなたがやって来たのは、百二十年前の復讐ではないのですか。私はずっとそう思っていましたよ」 
「……違うよ。ただ単に、親友に頼まれて義弟の様子を見に来ただけさ。奥さんとの新婚旅行を兼ねてね」
「なら、何故その球体地図を集音器に改造したのですか。メルディさんが回した瞬間から、我々の話は外に筒抜けなのでしょう?」

 思わず「えっ」と声を上げて球体地図に目を落とす。次いでレイを、ドニを、エルドラドを見る。

 彼らは誰もメルディと目を合わせてくれなかった。三人とも、これが集音器だと最初から知っていたのだ。

 メルディは何も聞かされていなかった。ただ、正体を明かすときに回してくれと言われただけだ。それを合図に校長室に飛び込むからと。

 どんな魔法なのか、球体地図はまだ回り続けている。何も知らないメルディを嘲笑うかのように。

「レイ、どういうこと? これが集音器って本当なの?」
「それは……」
「本当ですよ。窓の外に生徒たちが集まっているのがその証拠です。彼らはいつも忙しいですからね。いくら教授選の行方が気になっていても、興味を惹かれる話が耳に入らない限り、わざわざ様子を見に来たりしません。正門には記者たちも詰めかけている。今頃、夕刊の差し替え準備に追われているでしょうね」

 口ごもるレイの代わりに淡々と話すヒンギスの顔を見てはっと気づいた。そういえば、彼はずっとニールの名を出さなかった。レイもだ。

 事情を知る人間にはすぐに誰だかわかるだろうが、最後の一線は守ったのだ。ニールの未来のために。
 
「ごめん、メルディ。君を騙す形になって」
「……あとでちゃんと説明してよね。もう夫婦喧嘩なんてごめんよ、私」

 真剣な顔でレイが頷く。それを見たヒンギスが小さく笑みを漏らす。
  
「レイ、あなた丸くなりましたね。昔のあなたなら容赦なくこの場で私を責め立てたでしょうに。家庭を持ったからでしょうか。これだから他種族は……ヒト種は苦手ですよ。簡単に相手を変えてしまう。心の壁なんて最初からないようにね」
「……おい、ヒンギス。レイに聞いたが、本当にそうなのか? 本当にのか? 嘘だと否定するなら今だぜ。なあ!」

 それは懇願に近い響きだった。まさかの言葉に絶句するメルディをちらりと見て、ヒンギスは穏やかな声で続けた。
 
「大きな声を出すのはおやめなさい。メルディさんがびっくりしてしまいますよ。……長々と話して申し訳ありませんが、もう少しだけ昔話をしましょうか。安心してください。いくらエルフでも日を跨いだりはしませんから」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

追放された悪役令嬢はシングルマザー

ララ
恋愛
神様の手違いで死んでしまった主人公。第二の人生を幸せに生きてほしいと言われ転生するも何と転生先は悪役令嬢。 断罪回避に奮闘するも失敗。 国外追放先で国王の子を孕んでいることに気がつく。 この子は私の子よ!守ってみせるわ。 1人、子を育てる決心をする。 そんな彼女を暖かく見守る人たち。彼女を愛するもの。 さまざまな思惑が蠢く中彼女の掴み取る未来はいかに‥‥ ーーーー 完結確約 9話完結です。 短編のくくりですが10000字ちょっとで少し短いです。

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜

川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。 前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。 恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。 だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。 そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。 「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」 レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。 実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。 女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。 過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。 二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。

【完結】勘当されたい悪役は自由に生きる

雨野
恋愛
 難病に罹り、15歳で人生を終えた私。  だが気がつくと、生前読んだ漫画の貴族で悪役に転生していた!?タイトルは忘れてしまったし、ラストまで読むことは出来なかったけど…確かこのキャラは、家を勘当され追放されたんじゃなかったっけ?  でも…手足は自由に動くし、ご飯は美味しく食べられる。すうっと深呼吸することだって出来る!!追放ったって殺される訳でもなし、貴族じゃなくなっても問題ないよね?むしろ私、庶民の生活のほうが大歓迎!!  ただ…私が転生したこのキャラ、セレスタン・ラサーニュ。悪役令息、男だったよね?どこからどう見ても女の身体なんですが。上に無いはずのモノがあり、下にあるはずのアレが無いんですが!?どうなってんのよ!!?  1話目はシリアスな感じですが、最終的にはほのぼの目指します。  ずっと病弱だったが故に、目に映る全てのものが輝いて見えるセレスタン。自分が変われば世界も変わる、私は…自由だ!!!  主人公は最初のうちは卑屈だったりしますが、次第に前向きに成長します。それまで見守っていただければと!  愛され主人公のつもりですが、逆ハーレムはありません。逆ハー風味はある。男装主人公なので、側から見るとBLカップルです。  予告なく痛々しい、残酷な描写あり。  サブタイトルに◼️が付いている話はシリアスになりがち。  小説家になろうさんでも掲載しております。そっちのほうが先行公開中。後書きなんかで、ちょいちょいネタ挟んでます。よろしければご覧ください。  こちらでは僅かに加筆&話が増えてたりします。  本編完結。番外編を順次公開していきます。  最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

今日結婚した夫から2年経ったら出ていけと言われました

四折 柊
恋愛
 子爵令嬢であるコーデリアは高位貴族である公爵家から是非にと望まれ結婚した。美しくもなく身分の低い自分が何故? 理由は分からないが自分にひどい扱いをする実家を出て幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱く。ところがそこには思惑があり……。公爵は本当に愛する女性を妻にするためにコーデリアを利用したのだ。夫となった男は言った。「お前と本当の夫婦になるつもりはない。2年後には公爵邸から国外へ出ていってもらう。そして二度と戻ってくるな」と。(いいんですか? それは私にとって……ご褒美です!)

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

踏み台令嬢はへこたれない

三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」  公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。  春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。  そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?  これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。 「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」  ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。  なろうでも投稿しています。

筆頭婚約者候補は「一抜け」を叫んでさっさと逃げ出した

基本二度寝
恋愛
王太子には婚約者候補が二十名ほどいた。 その中でも筆頭にいたのは、顔よし頭良し、すべての条件を持っていた公爵家の令嬢。 王太子を立てることも忘れない彼女に、ひとつだけ不満があった。

ある王国の王室の物語

朝山みどり
恋愛
平和が続くある王国の一室で婚約者破棄を宣言された少女がいた。カップを持ったまま下を向いて無言の彼女を国王夫妻、侯爵夫妻、王太子、異母妹がじっと見つめた。 顔をあげた彼女はカップを皿に置くと、レモンパイに手を伸ばすと皿に取った。 それから 「承知しました」とだけ言った。 ゆっくりレモンパイを食べるとお茶のおかわりを注ぐように侍女に合図をした。 それからバウンドケーキに手を伸ばした。 カクヨムで公開したものに手を入れたものです。

処理中です...