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1幕 大団円目指して頑張ります!

31場 敗北宣言

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「じゃあ、マルクスはお師匠さんたちを連れてこの闇を潜ってくれる? 向こうには医者も待機してるから、すぐ診てくれるよ」

 空中に生まれた闇の前で、両脇にトゥールとリアンを抱えたマルクスがこくりと頷いた。

 その両腕には身体強化の魔法紋が刻まれている。リアンのナイフで刻んだものだ。あまりの痛々しさに目を逸らしそうになったが、ぐっとこらえて前に進み出る。 

「あの、マルクス……」

 話したいことは山ほどあるのだが、言葉が出てこない。レイに借りたショートローブの裾を掴んでもじもじするメルディに、マルクスは緑色に戻った瞳を優しく細めると、にっと口角を上げた。

 初めて見る、少年のような笑顔だった。

「ありがとう、メルディ。君と会えて本当に良かった」

 レイが地面に魔法紋を書く間、謝罪は十分に受けた。向こうに辿り着けば、きっとマルクスはリアンと共に拘束される。

 メルディと会う機会はもう二度とないかもしれない。だからこそ笑うのだろう。メルディの心に傷を残さないように。

「……うん。私も、あなたと会えて良かった。グレイグとフランシスさんによろしくね。レイさんとここで待ってるから」

 リアンとの戦いで消費したために、坑道内には三人を送れるほどの魔素量しか残っていなかった。

 マルクスが倒した残党たちの見張りもいるし、彼らを運ぶための人足も必要だ。だから、マルクスに先行して領主邸に戻ってもらい、グレイグたちに土砂を掘ってもらうことにしたのだ。

 懸念事項はリアンが目を覚まして暴れないかということだが、ロビンがついていけば大丈夫だろう。すぐさま動きを封じてくれるはずだ。

「ロビン、本当にごめんね。騙すような真似をして。ずっと守ってくれてたのに」

 抱き上げたロビンの顔を覗き込む。その小さな手にはセレネス鉱石を握ったままだ。

 リアンを沈黙させたあと、マルクスにも殴りかかろうとするロビンを宥めるため、マルクスの計画に乗って自らポーチに入ったのだと、すでに話していた。

 ロビンは首を横に振ると、メルディの胸を踏み台にしてリアンの体にぴょこんと飛び移った。えへんと胸を張る仕草が超絶に可愛い。

「メルディをお願いします、レイさん」
「君に言われなくても、そのつもりだよ。いいからさっさと行きな。――僕たちのことは心配しなくていいよ」

 マルクスは微笑むと、闇を潜っていった。

「……ダンジョンでのあれは本気だったんだね。君はメルディを……」
「え? 私が何?」
「いや、別に。座って待ってよっか。ちょっと眺めは悪いけどね」

 坑道の隅にはレイの木の根で拘束された残党たちが転がっている。ぴくりとも動く気配がないが、生きてはいるらしい。

 発掘作業の邪魔にならないように土砂から少し離れた場所で並んで座り、魔法紋を刻んだ金属板と、ヘッドライトから抜き出した光の魔石を利用して、レイが簡易照明を作る。

 その手際の良さに惚れ惚れする。魔法紋師って本当になんでもできるからすごい。

 あえかに光る金属板に照らし出されたレイの両腕に、改めて胸が痛くなる。

 マルクスと同じく、ナイフで刻んだのだろう。決して浅くはない傷跡には血が滲んでいた。自分を傷つけてまで、のこのこ罠に嵌ったメルディを助けに来てくれたのだ。

「……レイさん、腕痛いよね。ちょっと待って。確か傷薬も持ってきてたはず……」

 マルクスから返してもらったポーチの中を探る。その手を優しく押し留め、レイが小さく首を横に振った。その口元には、いつも通りの笑みが浮かんでいる。

「大したことないよ。百二十年前はもっと無茶したものさ。これぐらい、治療魔法ならすぐに治るしね」
「それでも、私はレイさんに傷ついてほしくないの。私を助けるためだったってわかってるけど、もうこんな無茶しないで……」
「その言葉、そっくりそのまま返すよ。僕も君には傷ついてほしくない。君がマルクスに連れ去られたとわかったとき、どんなに心配したと思う? アルティだって、グレイグだって、今にも倒れそうだったんだから。リリアナさんはガチギレしてたけど」

 脳裏に家族たちの顔がよぎって、胸が詰まった。

「今回のことは、本当にごめんなさい。私、ムキになっちゃって……。子供だって言われても仕方ないよね……」

 一つ間違えれば二度と会えなくなっていたのに。

 素直に頭を下げるメルディを、レイはしばし見つめていたが、やがてふっと息を漏らし、「僕もごめん」と続けた。

「君があの鎧を守りたいって気持ちを蔑ろにしてた。二人で作った鎧だもんね。僕のために未来に残そうとしてくれたんでしょ。百年先まで思い出せるように」

 レイはメルディの想いをわかっていたのだ。

 鼻の頭がツンとして涙がこぼれそうになる。そんなメルディの頭を、レイが優しく撫でる。

 いつもなら「子供扱いしないで!」と突っぱねていた仕草。けれど、今ばかりは甘えていたかった。

「助けに来てくれてありがとう。レイさん、ものすごく格好よかった。ママより強いんじゃない?」
「熱烈な褒め言葉、どうも。ママよりは言い過ぎだけどね。老体に鞭打って頑張った甲斐があったよ」
「またそれ。ヒト種換算だとパパより若いくせに」

 静かな坑道内にくすくすと笑い声が響く。二人の間の空気は、いつもと変わらぬ穏やかなものに変わっていた。

「それにしても、どうして私の居場所がわかったの? さすがにエルフの勘じゃないよね? 移動してるのも知ってたみたいだし」

 小首を傾げて問うと、レイの肩がぴくりと跳ねた。あの最中で漏らした言葉を覚えていたことに、珍しく動揺してるらしい。

 また誤魔化されたくはない。レイに体を寄せ、「ねえ、教えてよ」と甘えるように見上げる。

 言うまで絶対に引かないと悟ったのか、レイはガリガリと頭を掻くと、メルディから目を逸らして呟くように言った。

「……君にあげたぬいぐるみには僕の魔力が込められてる。遠く離れたら無理だけど、同じ市内なら居場所がわかるようになってるんだよ」
「えっ、それってストーカー……」
「違っ……! 君がまだ小さいとき、すぐにフラフラいなくなって危ないってリリアナさんに相談されて作ったんだよ! 普段は探知しないようにしてるし、まさかその歳になっても持ってると思わないじゃないか。今さら言い出せなくて……」

 顔を真っ赤にして慌てるレイに思わず吹き出した。

「わかってる。冗談だって。探知できたから、何度迷子になっても迎えに来てくれたのね。首都を出ようとしてるのに気づいたのも、ぬいぐるみを持って行ったから?」
「そうだよ。君が居酒屋で情報収集してるって近所の職人連中から聞いて、嫌な予感がしてたからね。念の為に探知してみたらあれだよ。エルフの勘ってのも、あながち嘘じゃないんだ」

 どうして知ってるんだろうとは思ってたが、まさか見られていたとは。知り合いがいない居酒屋を狙ったつもりなのに。職人ネットワーク怖い。

「馬宿で動くぬいぐるみにロビンって名付けたのには驚いたな。その熊のぬいぐるみも、冒険物語のロビンを参考にしたんだよ。君はマーガレットがモデルだって思ってたみたいだけどね」
「覚えていてくれたの……」
「当たり前でしょ。どれだけ読み聞かせしたと思ってんの」

 目を細めて笑うレイに胸がきゅんとした。

 もう駄目だ。この気持ちを抑えることなんて出来やしない。ラインを越えるべき時は今だ。心の中で目一杯の助走をつける。

「ねえ、レイさん。私、やっぱりあなたが好き。子供でも、大人でも関係ない。百年後、二百年後の未来まで、あなたの記憶に残り続けたいの。私を、あなたの行く先を照らす太陽にさせてください」

 いつもと同じ、しかし、いつもとは違う愛の告白。それに気づいたのかどうか、レイはぎゅっと眉を寄せると、俯いて唇を噛んだ。

 また拒絶されるだろうか。うるさい心臓の音を抑えようと胸に両手を当てたとき、俯いていたレイがゆっくりと顔を上げた。

 泣き笑いみたいな表情だった。

「――負けたよ」

 メルディの頬をレイの両手が包んだと同時に、唇に柔らかいものが重なった。それがレイの唇なのだと気づいたときには、口の中に生暖かいものが入ってきて息ができなくなっていた。

 まさか一足飛びで大人のキスをされるなんて。吐息の合間に色気のないうめき声がもれる。苦しくて、どうしたらいいのかわからない。

 メルディが混乱していることに気づいたらしい。レイは一際大きなリップ音を響かせると、唇を離し、殴られた傷に触らぬようにメルディの口元をそっと指で拭った。

「レ、レイさん……?」
「君はいつだって僕の想像を超えていく。百年後も、二百年後も、忘れられるわけないじゃないか。だから、君を遠ざけようとした。君があっという間に大人になっていくのが怖くて、現実から目を逸らしたんだ。僕は臆病者だ。君を傷つけて、本当にごめん」

 レイの口から「怖い」という言葉が出たのは初めてだった。二人の寿命に触れたのも、本当の気持ちを曝け出してくれたのも。

 メルディの頬を包む両手が震えている。翡翠色の瞳が今にも泣き出しそうに揺らいでいる。まるで暗闇に一人取り残されたみたいに。

 その体を抱きしめ、力を込める。体温が伝わるように、強く強く。

「そう簡単には傷つかないわ。私のハートはセレネス鋼みたいに硬いのよ。たとえこの身が土に還っても、あなたのそばにいる。約束したでしょ」

 歌うように耳元で囁く。レイは一度だけ鼻を啜ると、メルディを超えるほどの力で抱きしめ返してくれた。

「メルディ。僕の小さな太陽。ずっと先の未来まで、僕と一緒に歩いてくれる?」
「はい!」
「即答? 本当に君はブレないなあ」

 体を離したレイが眉をハの字にして、再びメルディの頬に手を当てた。

「好きだよ。……目を閉じて」

 柔らかい感触が唇に降りる。

 この瞬間、メルディはついにラインを越えたのだ。
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