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廃妃の呪いと死の婚姻6-4
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廃妃の呪いと死の婚姻6-4
ヒューバードと彼の見送りに出たアリアの去った温室では、残されたジェネヴィエーヴとクラレンス、ノクターンの間で奇妙な沈黙が下りていた。
ジェネヴィエーヴとしては、アリアが暗い顔をしていたためヒューバードを送り出したのだが、彼女を待つべきか、それとも話を進めておくのがよいのだろうかと頭を悩ませた。しかし、結局は多忙なクラレンスとの有限な時間を有効に使うのが得策だろうと考え、さてどのようにして話を切り出そうかと、クラレンスとノクターンの顔を見比べた。
こうして3人だけになってみると、一体どのように場を継いだらよいのか全く思い当たらなかった。考えてみればこの面子だけが一堂に会することは初めてのことではないだろうか。これまで何度も顔を合わせる機会はあったものの、3人だけということは絶えてなかった。
礼儀上、身分の低いノクターンが率先して口を開くことはないだろう。ましてや親しくもないクラレンスとの席である。ここは自分が何か話をしなくてはなるまい、ノクターンとクラレンスの共通点は何かあっただろうかと、眉間に皺を寄せながらジェネヴィエーヴが話題を探っていると、
「ミスター・ラトクリフの亡くなった御父上は東部に領地をお持ちだったと記憶しているが、確か、準男爵でいらしたのだったね」
思いがけずクラレンスが口火を切ってくれたため、ジェネヴィエーヴは愁眉を開くことができた。しかし、その質問の意図がつかめず二人を交互に見やっていると、ノクターンも同様の疑問を抱いたのか、訝しげな表情を浮かべつつ応えた。
「はい。その通りでございます」
クラレンスはふむと一つ頷いて、上品な笑みを浮かべた。
「いずれはミス・ラトクリフか君が爵位を継ぐのだろう?一般的には年長の者が爵位を受け継ぐが、ミス・ラトクリフは姉君であるけれど、特別な能力を持つ分、彼女を準男爵に収めてしまうのは難しいだろう」
ノクターンの眉がピクリと動く。アリアは稀有な聖魔法を有する特別な人間であり、将来的には聖女とも呼ばれ得る存在である。
「左様ですね。姉が父の後を襲うとなるとかえって混乱を招く懸念もございますので、恐らく私が爵位を受け継ぐことになるでしょう。・・・いずれは」
最後の言葉を敢えて強調して口にすれば、そこに込められた意趣を読み取ったクラレンスの目がきらりと光った。彼はテーブルの上で長い手の指を組むと、笑みを深くした。
「そうはいっても、デビュタントも無事に終えたことでもあるし、継爵に早すぎるということもないと思うけれど」
どこか冷ややかな言葉に、ノクターンもまた負けず劣らず上品な笑みを浮かべた。
「若輩者故、今の私では父の爵位を継ぐなど到底考えも及びません。ナイトリー侯爵閣下のご厚意で、様々な経験を積ませていただいてはおりますが、日々勉強の毎日でございます」
「いやいや、謙遜が過ぎるのもいかがかと思うよ。先程の資料も君が用意したのだろう。説明もとても分かりやすかったし、何よりも他でもないナイトリー侯爵閣下は君の能力を随分と買っているというじゃないか。君のような前途有望な若者が未だに社会に出る目処すら立っていないなど、王国にとっても損失ではないかと危惧するよ」
ああ勿論、といって言葉を切ると、クラレンスはジェネヴィエーヴに蜂蜜のように甘い笑みを向けた。
「恩人である貴女のお力になりたいという彼の信義は十分理解しています。私が彼であってもそうしたことでしょう。ですが、出来るだけ早く社会に出て彼の能力を生かすべきだと思いませんか?ジェネヴィエーヴ嬢のお考えはいかがでしょう」
そう尋ねるクラレンスに、ジェネヴィエーヴも困惑の笑みを浮かべつつ同意した。
「そ、そうですね。ノクターンは実務的な能力もさることながら、ご両親から受け継いだ稀有な音楽の才能も持ち合わせておりますわ。社会に認められず、こうして我が家に埋もれている現状は文化的損失だと思っております。勿論、ノクターンだけではなくアリアについてもそうですが、二人とも私が独占してしまうのはとても申し訳がないほどの、素晴らしい能力と高潔な精神の持ち主ですわ。いつかはきっと必ず表舞台で活躍し、多くの皆様に認められるべきだと思っております。ですが・・・」
ジェネヴィエーヴは僅かに目を伏せると、憂いを孕んだ微笑を浮かべた。
「私の手前勝手な要望だということは重々承知しておりますし、それではいけないとも理解しているのですが、二人には能う限りできるだけ長く傍にいて欲しいと、今の様に共にひとつ屋根の下で暮らしていきたいと思ってしまうのが正直な感情ですわ。この身にかけられた呪いを解くための協力者というだけではなく、アリアもノクターンも私にとっては大切な家族ですもの。かけがえのない愛おしい存在ですわ」
そう言いながらジェネヴィエーヴはノクターンに微笑みかけた。ノクターンの白磁のような肌がサッと赤く染まった。
“愛おしい”
それが恋人や伴侶に向けられる感情ではないことを、ノクターンもクラレンスも理解していた。それでも彼女がそう表現する人物がいったい何人いるだろうか。クラレンスは灼けつくような胸の痛みを覚えた。果たして、いつか彼女からそう言ってもらえる未来が自分にもやってくるのだろうか。焦燥感に居ても立っても居られない思いがする。
――これは、どうしたことかしら。
先程よりも深く重い沈黙の降りた空間で、ジェネヴィエーヴは必死に思考を巡らせていた。何か話題を、この重苦しい空気を払拭する話題はないだろうか。今更ながら自身の話術の拙さに想到する。普段の茶会であればフォローしてくれるアリアやルネ伯爵夫人も不在の今、ジェネヴィエーヴが頼ることができるのは自分ただ一人だけであった。
何か共通の話題がないだろうか。混乱する彼女は彼女自身こそが二人の関心の的であり、希求してやまないものだとは思い至らなかった。それでも求める者にこそ救いの女神は手を差し伸べるものである。ジェネヴィエーヴはハッと顔を輝かせると、若干声を上ずらせながら口を開いた。
「で、殿下、私は参加することは叶いませんでしたが、先日のチャリティーオークションは大層盛況だったと伺いましたわ。王妃様から引き継いで初めて殿下主催のもとで開催された会でしたもの、無事に終えられたこと、お慶び申し上げます」
クラレンスはきょとんと眼を見張ったが、直ぐにクスリと笑みを浮かべ
「はい。ありがとうございます。本来であれば、王妃様の体調が万全ではない今、開催を危ぶみも致しましたが、王妃様直々に開催するようにと仰っていただいたので、無事に開催の運びとなりました。拙い指揮のもとで、あのように無事開催できたのも、多くのスタッフたちが懸命に自身の務めを果たしてくれたおかげです」
クラレンスの表情が漸く緩み、ジェネヴィエーヴはほっと息をついた。
「各家門から様々な品が出品されたとか。その中でも特に話題になったものがございましたね。興味深く新聞の記事を拝見いたしましたわ。父も私も参加は叶いませんでしたが、事前に出品リストの冊子をいただいておりましたでしょう。ですので、我が家でも代わりの者に参加させましたの」
ニコリとほほ笑むジェネヴィエーヴにクラレンスが頷く。
「そうでしたね。ナイトリー侯爵家でも何か落札してくださいましたね」
「はい。楽譜をいくつか。実は父が入札する品について私に一任してくださったのですが、どうしたらよいかと頭を悩ませていたところに、ノクターンが助言をくれましたの」
ほお、そうだったのかい、とクラレンスが目を細めて顔を向けると、ノクターンが苦笑しつつ首を振った。
「助言というほどのことではありません。ただ、珍しいものが一覧にありましたので。懐かしさについ口をさしはさんでしまったのですが、ジェネヴィエーヴ様がお気に留めてくださったのです」
「珍しくて、懐かしいものかい?」
どのような楽譜だっただろうかとクラレンスが首をかしげると、
「ドリュー僧院の聖歌を記譜したネウマ譜です」
ノクターンの返答に思い当たることのあったクラレンスがあれかと声を上げた
「ドリュー僧院というと、ウェストン男爵夫人の出品したものだね。アイバン卿が亡くなって姪のウェストン令夫人が相続したんだ。出品したのは楽譜が数点とアイバン卿の収集していた鉱物だったとおもうが、そうか、あの楽譜を手に入れられたのですね」
ジェネヴィエーヴはコクリと頷き、
「その通りですわ、流石によくお記憶されていらっしゃいますわね。リストを眺めておりますと、珍しくノクターンが目を輝かせたので、ではこれにしましょうと決めたのです。その時のノクターンの慌てようといったらありませんでしたわ」
ジェネヴィエーヴがコロコロと笑うと、ノクターンが頬を染める。
「久しぶりにネウマ譜を目にした上に、線が一つしか引かれていない譜面もあると記載されていましたので、心の高揚を抑え切れませんでした」
片手で赤くなった顔を隠す彼に、いいのよ、といってジェネヴィエーヴがにっこりと微笑みかけた。
「貴方もアリアも全然わがままを言ってくれないのだもの。殿下、お聞きくださいまし。二人とも欲しいものはないかと聞いても、いつも十分すぎるほどもらっているから不要だというばかりで張り合いがないのですわ。ですので、たまには私から贈り物をさせて欲しいといって納得させたのですわ。その代わりに、近いうちに演奏を聞かせてもらう約束ですの。あら、結局は私の我儘を押し通したことになりましたわね。結局いつもの通りということですね。お恥ずかしいことですわ」
あらあらと今度はジェネヴィエーヴが頬を染める番だった。そんな彼女を微笑ましく見つめながら、はたとクラレンスが動きを止めた。
「演奏をするというと、ミスター・ラトクリフはネウマ譜を解読できるのかい?そういえばさっきも久しぶりに目にしたと言っていたね」
クラレンスの問いにノクターンが首を振る。
「解読できるというほどではございません。幼い頃、父の元でよく目にする機会があったものですから」
「先代のサー・ラトクリフは音楽家だったと聞いているが、楽譜の歴史にも造詣が深かったのだね」
「在野の音楽家の好奇心といったものでしょうか。いかんせん、幼少期の記憶によりますので詳しいことは分りませんが、父の書斎にはいくつもの古いネウマ譜を収めたキャビネットがありました。中には譜線の引かれていないような古いものもあって、父はそれを所有するだけではなく、古い文献や現在伝わっている聖歌などをもとに実際に演奏しようと試みていました。幼い私に事細かに説明しながら試演してくれたものですから、私も自然とネウマ譜を読むことができるようになったのです」
なるほどとクラレンスが頷いた。
「殿下もネウマ譜をご覧になりまして?私は実際に楽譜を見ながら説明してもらったのですけれど、昔の方々はよくこれで歌唱したり演奏したりできたものだと感心してしまいましたわ」
ジェネヴィエーヴが眉根を寄せると、クラレンスも首を振って同意を示した。
「確かにジェネヴィエーヴ嬢の仰る通りですね。ネウマ譜が出品されると知り、私もさわりだけ学びましたが、特に初期のものからは正確な音程を指示しているとは思えませんでした。どうやら、初期のネウマは歌い手に一定の旋律を想起させるための記号だったようです。時代を経て四角音符のネウマへと体系が整備されていったといいます。四角音符は今でも神殿では〇〇聖歌を記譜するために目にすることができますよ」
クラレンスの話にジェネヴィエーヴが相槌をうちながら
「楽譜の歴史も奥深いものですわね。譜線一つを引くのにも歴史ありということですわ。そのネウマ譜も今ではすっかり五線譜が主流になってしまって、特別な場合を除いて目にすることはほどんどありません。やはり使い勝手がよろしくなかったのでしょうか」
首をかしげつつノクターンを見やると、ノクターンは心得たように口を開いた。
「おそらく、古くは宗教音楽や民間の楽曲では楽譜というか記譜自体がそれほど重要視されてこなかったのでしょう。口伝で十分だったのではないかと思います。ですが、これは宗教史ともかかわってくることで、聖歌だけに限定したことではありませんが、神殿の勢力が拡大するのに比例して、口伝だけでは国ごと地域ごとに僅かずつ、祈りを捧げる方法にも差異が生じるようになりました。聖歌にも同じ現象が起こりました。本来であれば同様であるはずの聖歌も地域ごとに少しずつ異なってきてしまったのです。それが不都合だと考えた方々が、祈りの方法を統一する過程で聖歌についても、口伝ではなく、統一的な記譜が必要だと考えるようになったのだと思います。そうしてネウマが生まれました。しかし、殿下の仰られた〇〇聖歌のように単旋律・無伴奏のものは四角音符のネウマで記譜することが可能ですが、聖歌が単旋律から多声音楽に発展すると、複数の歌い手が別々のパートを歌唱したり、演奏したりするようになります。そのように、奏者が合わせて演奏する必要が出てくると、音程だけではなく音価、つまり音の長さについても確実な取り決めが必要になってきます。そのため、音程と音価を備える現在の記譜法が生まれ、自然とネウマ譜は淘汰されていく結果となったのでしょう」
興味深くノクターンの話に耳を傾けていたクラレンスは、ノクターンが言葉を切ると口を開いた。
「ではネウマが生まれるずっと以前には、人々は一体どのように歌や音楽を伝えていったのだろう。やはり口伝によったのだろうか」
ノクターンはクラレンスの顔を見据えると頷いた。
「古代帝国の崩壊以降は殿下の仰る通りであろうと思います。古代帝国の時代には独自の記譜法がありましたが、帝国の瓦解以後は、神殿は厳かに歌われる口伝以外の記譜法を必要としませんでした。古代帝国の崩壊後、各国は神殿を保護しつつ、互いに手を取り合って統治を行いましたが、前時代の王国や神殿の記録を読み返すと、帝国が崩壊するきっかけとなった、奢侈や堕落をもたらしたと思われる様々な文化を取捨選択していきました。不幸なことに、どうやら音楽もまた人心を惑乱させるものだと位置づけられていたようです。その過程で、古代帝国の記譜法は失われてしまいました」
ジェネヴィエーヴはくの字に曲げた人差し指を唇に当てながら、軽く首をかしげた。
「古代帝国の記譜法の方が優れていると風に聞こえるわね」
彼女の疑問に、クラレンスは首を振った。
「記譜法の優秀性といった点に絞れば、古代帝国の記譜法の方がネウマよりもずっと優れていると思います。彼らの用いていた方法では少なくとも音程と音価を記録することが可能でしたから。数少ない史料から見る限り、古代帝国では歌詞の上に音程をアルファベットで示し、更にその上に音価を表した記号を付すという手法を取っていました。これは音の高さだけで音の長さの表示のないネウマよりも優れた記譜法だといえます。国の衰退と次代の王朝における文明文化の解体は必須のものなのでしょうが、歴史を振り返るたびに文化の散逸や、意図的な喪失には胸の痛む思いが致します」
ノクターンの言葉にじっと耳を傾けていたクラレンスはほぅと賛嘆の吐息を漏らした。
「これは驚いたな。ミスター・ラトクリフがこれほど博学だとは。いや、誤解しないでくれ、気を悪くさせようという意図があるわけではないんだ。国史、宗教史、音楽史を俯瞰しつつこのような見解を述べることができる人物に出会うことができたことが純粋に嬉しくてね」
クラレンスの手放しの讃辞に、ノクターンは目を見張った。すっと彼の頬に朱が射す。
「殿下にそのようにおっしゃっていただき、誠に光栄でございす」
ジェネヴィエーヴはそんな二人の様子を驚きつつも微笑ましく見つめていた。クラレンスは彼女の視線に気づくと苦笑して、そういえばと話題を転じた。
「古代の記譜で思い出したのだけれど、先般アイヴァルク近郊で古代の遺跡が発掘されてね、そこで見つかった墓石に古代帝国の楽譜が刻まれていたんだ。何とか旋律を復元できないかと学者たちが頭を寄せ合っているよ」
なんと時宜にかなった話題だろうか、ジェネヴィエーヴはにっこりと笑みを浮かべて、声を上げた。
「まあ、古代の音色を再現しようだなんて、とても素敵なことですわね。これも殿下が王妃様から引き継がれた事業のおひとつでよろしかったでしょうか」
クラレンスが頷くと、ジェネヴィエーヴは目をきらりと光らせた。
「王家直々にご支援されているとは素晴らしいことですわ。こうして文化事業に惜しみなく支援していただけるのも、国家が安泰であればこそですもの。戦時においては文化芸術は打ち捨てられ犠牲になるものですから。今の国王陛下の御代になってからは内政に力をお入れになって、特に王妃様とのご成婚後には教育や文化、医療にも積極的に支援の手を差し伸べられるようになったと父侯爵から聞き及んでおります。我が国の文化的・教育的水準が大幅に向上し、近隣諸国に比較しても抜きんでた存在感を示しているのは確かですわ」
「そうですね。王妃様が大切にされてきた事業を受け継いだ身として、今後一層尽力して参りたいと思っています」
そう答えるクラレンスの瞳は責任感と使命感に満ちていた。
「ところで、アイヴァルクというと国境沿いの町でしたわね。川を隔ててすぐ隣国でしたでしょう。そのようなところでも遺跡の調査がされていたのですね。あの辺りにある古代遺跡というと、――世紀頃のものでしょうか。歴史で一通り習いましたがあまり詳しくはないのでお恥ずかしいですわ」
ジェネヴィエーヴが恥ずかしげに言うと、クラレンスは笑みを浮かべた。
「私もジェネヴィエーヴ嬢と同じく授業で習った程度の知識しかありませんよ。ですが、今回見つかった墓石は相当古いもので、学者の話によると――世紀から――世紀にかけてのものだということです」
ジェネヴィエーヴはまあ、と声を上げた。
「――世紀から――世紀にかけての遺跡ですか?なんて偶然なんでしょう。実は、先日近い親戚から手紙が届いたのですが、グレイ夫人と仰る方なのですが、夫人の領地にはいくつもの遺跡が残されていますの。古いものでは――世紀頃のものだろうというお話で、中には先程殿下のお話にあった様に、文字の刻まれた墓石や柱などもあるそうですわ。亡くなられた御夫君のミスター・グレイは熱心な方で、専門家に援助を惜しまなかっただけではなくご自身でも進んで遺跡の調査を行っていたらしいのです。ですが、隣接している遺跡どうしが関連の深いものが多く、一つの遺跡の調査で全てが完結するというわけにはまいらないそうなのです。その上、遺跡群の中にはグレイ家所属のものだけではなく、王家所管の遺跡も少なくなく、そうした事情もあって中々調査が進まなかったそうです」
ジェネヴィエーヴはそこまで言うと言葉を切って、目を伏せた。
「その中の一つが私が幼い頃迷い込んだ場所なのです」
ポツリとこぼされた台詞に、クラレンスはハッとして顔をこわばらせた。
「では、その場所が・・・」
ぐっと言葉を飲み込んだクラレンスに、ジェネヴィエーヴは苦い笑みを浮かべて頷いた。
「私は恐らくその場所で呪いを宿したのだろうと推測しております。そして、その遺跡こそがクレメンティーンの葬られた場所であると考えております」
憂いを帯びたジェネヴィエーヴの顔を見つめて、クラレンスはきゅっと唇を噛みしめた。
「その場所は立ち入りが禁じられているのでしょうか」
ジェネヴィエーヴは首を振った。
「いいえ、詳しいことは。ですが、不祥の場所と疎まれ、近在住民も避けて通るような場所だとか。特に、幼い子どもが迷い込んでからというもの、どのように尾鰭がついたのか、今ではその場所について語ることも忌諱するほどだと聞いておりますわ」
クラレンスはぐっとこぶしを握ると、少しの間の後に口を開いた。
「私の力がご入用の際は遠慮なく仰ってください」
未調査の王家所管の遺跡でしたら、お力になれることもあるでしょう。幼い子どもに被害が及ぶ恐れがあるとなれば、なおさら探査と適宜措置を講じる必要があるでしょうから。
そう言葉を続けたクラレンスの、真摯な眼差しを受け止めて、ジェネヴィエーヴは満足そうに目を細めた。
「なんて頼もしいお言葉でしょう。殿下がお力になってくださるとあれば、これほど心強いことはありませんわ」
その際には是非ともよろしくお願い致しますね、といってジェネヴィエーヴは深い笑みを浮かべたのだった。
ヒューバードと彼の見送りに出たアリアの去った温室では、残されたジェネヴィエーヴとクラレンス、ノクターンの間で奇妙な沈黙が下りていた。
ジェネヴィエーヴとしては、アリアが暗い顔をしていたためヒューバードを送り出したのだが、彼女を待つべきか、それとも話を進めておくのがよいのだろうかと頭を悩ませた。しかし、結局は多忙なクラレンスとの有限な時間を有効に使うのが得策だろうと考え、さてどのようにして話を切り出そうかと、クラレンスとノクターンの顔を見比べた。
こうして3人だけになってみると、一体どのように場を継いだらよいのか全く思い当たらなかった。考えてみればこの面子だけが一堂に会することは初めてのことではないだろうか。これまで何度も顔を合わせる機会はあったものの、3人だけということは絶えてなかった。
礼儀上、身分の低いノクターンが率先して口を開くことはないだろう。ましてや親しくもないクラレンスとの席である。ここは自分が何か話をしなくてはなるまい、ノクターンとクラレンスの共通点は何かあっただろうかと、眉間に皺を寄せながらジェネヴィエーヴが話題を探っていると、
「ミスター・ラトクリフの亡くなった御父上は東部に領地をお持ちだったと記憶しているが、確か、準男爵でいらしたのだったね」
思いがけずクラレンスが口火を切ってくれたため、ジェネヴィエーヴは愁眉を開くことができた。しかし、その質問の意図がつかめず二人を交互に見やっていると、ノクターンも同様の疑問を抱いたのか、訝しげな表情を浮かべつつ応えた。
「はい。その通りでございます」
クラレンスはふむと一つ頷いて、上品な笑みを浮かべた。
「いずれはミス・ラトクリフか君が爵位を継ぐのだろう?一般的には年長の者が爵位を受け継ぐが、ミス・ラトクリフは姉君であるけれど、特別な能力を持つ分、彼女を準男爵に収めてしまうのは難しいだろう」
ノクターンの眉がピクリと動く。アリアは稀有な聖魔法を有する特別な人間であり、将来的には聖女とも呼ばれ得る存在である。
「左様ですね。姉が父の後を襲うとなるとかえって混乱を招く懸念もございますので、恐らく私が爵位を受け継ぐことになるでしょう。・・・いずれは」
最後の言葉を敢えて強調して口にすれば、そこに込められた意趣を読み取ったクラレンスの目がきらりと光った。彼はテーブルの上で長い手の指を組むと、笑みを深くした。
「そうはいっても、デビュタントも無事に終えたことでもあるし、継爵に早すぎるということもないと思うけれど」
どこか冷ややかな言葉に、ノクターンもまた負けず劣らず上品な笑みを浮かべた。
「若輩者故、今の私では父の爵位を継ぐなど到底考えも及びません。ナイトリー侯爵閣下のご厚意で、様々な経験を積ませていただいてはおりますが、日々勉強の毎日でございます」
「いやいや、謙遜が過ぎるのもいかがかと思うよ。先程の資料も君が用意したのだろう。説明もとても分かりやすかったし、何よりも他でもないナイトリー侯爵閣下は君の能力を随分と買っているというじゃないか。君のような前途有望な若者が未だに社会に出る目処すら立っていないなど、王国にとっても損失ではないかと危惧するよ」
ああ勿論、といって言葉を切ると、クラレンスはジェネヴィエーヴに蜂蜜のように甘い笑みを向けた。
「恩人である貴女のお力になりたいという彼の信義は十分理解しています。私が彼であってもそうしたことでしょう。ですが、出来るだけ早く社会に出て彼の能力を生かすべきだと思いませんか?ジェネヴィエーヴ嬢のお考えはいかがでしょう」
そう尋ねるクラレンスに、ジェネヴィエーヴも困惑の笑みを浮かべつつ同意した。
「そ、そうですね。ノクターンは実務的な能力もさることながら、ご両親から受け継いだ稀有な音楽の才能も持ち合わせておりますわ。社会に認められず、こうして我が家に埋もれている現状は文化的損失だと思っております。勿論、ノクターンだけではなくアリアについてもそうですが、二人とも私が独占してしまうのはとても申し訳がないほどの、素晴らしい能力と高潔な精神の持ち主ですわ。いつかはきっと必ず表舞台で活躍し、多くの皆様に認められるべきだと思っております。ですが・・・」
ジェネヴィエーヴは僅かに目を伏せると、憂いを孕んだ微笑を浮かべた。
「私の手前勝手な要望だということは重々承知しておりますし、それではいけないとも理解しているのですが、二人には能う限りできるだけ長く傍にいて欲しいと、今の様に共にひとつ屋根の下で暮らしていきたいと思ってしまうのが正直な感情ですわ。この身にかけられた呪いを解くための協力者というだけではなく、アリアもノクターンも私にとっては大切な家族ですもの。かけがえのない愛おしい存在ですわ」
そう言いながらジェネヴィエーヴはノクターンに微笑みかけた。ノクターンの白磁のような肌がサッと赤く染まった。
“愛おしい”
それが恋人や伴侶に向けられる感情ではないことを、ノクターンもクラレンスも理解していた。それでも彼女がそう表現する人物がいったい何人いるだろうか。クラレンスは灼けつくような胸の痛みを覚えた。果たして、いつか彼女からそう言ってもらえる未来が自分にもやってくるのだろうか。焦燥感に居ても立っても居られない思いがする。
――これは、どうしたことかしら。
先程よりも深く重い沈黙の降りた空間で、ジェネヴィエーヴは必死に思考を巡らせていた。何か話題を、この重苦しい空気を払拭する話題はないだろうか。今更ながら自身の話術の拙さに想到する。普段の茶会であればフォローしてくれるアリアやルネ伯爵夫人も不在の今、ジェネヴィエーヴが頼ることができるのは自分ただ一人だけであった。
何か共通の話題がないだろうか。混乱する彼女は彼女自身こそが二人の関心の的であり、希求してやまないものだとは思い至らなかった。それでも求める者にこそ救いの女神は手を差し伸べるものである。ジェネヴィエーヴはハッと顔を輝かせると、若干声を上ずらせながら口を開いた。
「で、殿下、私は参加することは叶いませんでしたが、先日のチャリティーオークションは大層盛況だったと伺いましたわ。王妃様から引き継いで初めて殿下主催のもとで開催された会でしたもの、無事に終えられたこと、お慶び申し上げます」
クラレンスはきょとんと眼を見張ったが、直ぐにクスリと笑みを浮かべ
「はい。ありがとうございます。本来であれば、王妃様の体調が万全ではない今、開催を危ぶみも致しましたが、王妃様直々に開催するようにと仰っていただいたので、無事に開催の運びとなりました。拙い指揮のもとで、あのように無事開催できたのも、多くのスタッフたちが懸命に自身の務めを果たしてくれたおかげです」
クラレンスの表情が漸く緩み、ジェネヴィエーヴはほっと息をついた。
「各家門から様々な品が出品されたとか。その中でも特に話題になったものがございましたね。興味深く新聞の記事を拝見いたしましたわ。父も私も参加は叶いませんでしたが、事前に出品リストの冊子をいただいておりましたでしょう。ですので、我が家でも代わりの者に参加させましたの」
ニコリとほほ笑むジェネヴィエーヴにクラレンスが頷く。
「そうでしたね。ナイトリー侯爵家でも何か落札してくださいましたね」
「はい。楽譜をいくつか。実は父が入札する品について私に一任してくださったのですが、どうしたらよいかと頭を悩ませていたところに、ノクターンが助言をくれましたの」
ほお、そうだったのかい、とクラレンスが目を細めて顔を向けると、ノクターンが苦笑しつつ首を振った。
「助言というほどのことではありません。ただ、珍しいものが一覧にありましたので。懐かしさについ口をさしはさんでしまったのですが、ジェネヴィエーヴ様がお気に留めてくださったのです」
「珍しくて、懐かしいものかい?」
どのような楽譜だっただろうかとクラレンスが首をかしげると、
「ドリュー僧院の聖歌を記譜したネウマ譜です」
ノクターンの返答に思い当たることのあったクラレンスがあれかと声を上げた
「ドリュー僧院というと、ウェストン男爵夫人の出品したものだね。アイバン卿が亡くなって姪のウェストン令夫人が相続したんだ。出品したのは楽譜が数点とアイバン卿の収集していた鉱物だったとおもうが、そうか、あの楽譜を手に入れられたのですね」
ジェネヴィエーヴはコクリと頷き、
「その通りですわ、流石によくお記憶されていらっしゃいますわね。リストを眺めておりますと、珍しくノクターンが目を輝かせたので、ではこれにしましょうと決めたのです。その時のノクターンの慌てようといったらありませんでしたわ」
ジェネヴィエーヴがコロコロと笑うと、ノクターンが頬を染める。
「久しぶりにネウマ譜を目にした上に、線が一つしか引かれていない譜面もあると記載されていましたので、心の高揚を抑え切れませんでした」
片手で赤くなった顔を隠す彼に、いいのよ、といってジェネヴィエーヴがにっこりと微笑みかけた。
「貴方もアリアも全然わがままを言ってくれないのだもの。殿下、お聞きくださいまし。二人とも欲しいものはないかと聞いても、いつも十分すぎるほどもらっているから不要だというばかりで張り合いがないのですわ。ですので、たまには私から贈り物をさせて欲しいといって納得させたのですわ。その代わりに、近いうちに演奏を聞かせてもらう約束ですの。あら、結局は私の我儘を押し通したことになりましたわね。結局いつもの通りということですね。お恥ずかしいことですわ」
あらあらと今度はジェネヴィエーヴが頬を染める番だった。そんな彼女を微笑ましく見つめながら、はたとクラレンスが動きを止めた。
「演奏をするというと、ミスター・ラトクリフはネウマ譜を解読できるのかい?そういえばさっきも久しぶりに目にしたと言っていたね」
クラレンスの問いにノクターンが首を振る。
「解読できるというほどではございません。幼い頃、父の元でよく目にする機会があったものですから」
「先代のサー・ラトクリフは音楽家だったと聞いているが、楽譜の歴史にも造詣が深かったのだね」
「在野の音楽家の好奇心といったものでしょうか。いかんせん、幼少期の記憶によりますので詳しいことは分りませんが、父の書斎にはいくつもの古いネウマ譜を収めたキャビネットがありました。中には譜線の引かれていないような古いものもあって、父はそれを所有するだけではなく、古い文献や現在伝わっている聖歌などをもとに実際に演奏しようと試みていました。幼い私に事細かに説明しながら試演してくれたものですから、私も自然とネウマ譜を読むことができるようになったのです」
なるほどとクラレンスが頷いた。
「殿下もネウマ譜をご覧になりまして?私は実際に楽譜を見ながら説明してもらったのですけれど、昔の方々はよくこれで歌唱したり演奏したりできたものだと感心してしまいましたわ」
ジェネヴィエーヴが眉根を寄せると、クラレンスも首を振って同意を示した。
「確かにジェネヴィエーヴ嬢の仰る通りですね。ネウマ譜が出品されると知り、私もさわりだけ学びましたが、特に初期のものからは正確な音程を指示しているとは思えませんでした。どうやら、初期のネウマは歌い手に一定の旋律を想起させるための記号だったようです。時代を経て四角音符のネウマへと体系が整備されていったといいます。四角音符は今でも神殿では〇〇聖歌を記譜するために目にすることができますよ」
クラレンスの話にジェネヴィエーヴが相槌をうちながら
「楽譜の歴史も奥深いものですわね。譜線一つを引くのにも歴史ありということですわ。そのネウマ譜も今ではすっかり五線譜が主流になってしまって、特別な場合を除いて目にすることはほどんどありません。やはり使い勝手がよろしくなかったのでしょうか」
首をかしげつつノクターンを見やると、ノクターンは心得たように口を開いた。
「おそらく、古くは宗教音楽や民間の楽曲では楽譜というか記譜自体がそれほど重要視されてこなかったのでしょう。口伝で十分だったのではないかと思います。ですが、これは宗教史ともかかわってくることで、聖歌だけに限定したことではありませんが、神殿の勢力が拡大するのに比例して、口伝だけでは国ごと地域ごとに僅かずつ、祈りを捧げる方法にも差異が生じるようになりました。聖歌にも同じ現象が起こりました。本来であれば同様であるはずの聖歌も地域ごとに少しずつ異なってきてしまったのです。それが不都合だと考えた方々が、祈りの方法を統一する過程で聖歌についても、口伝ではなく、統一的な記譜が必要だと考えるようになったのだと思います。そうしてネウマが生まれました。しかし、殿下の仰られた〇〇聖歌のように単旋律・無伴奏のものは四角音符のネウマで記譜することが可能ですが、聖歌が単旋律から多声音楽に発展すると、複数の歌い手が別々のパートを歌唱したり、演奏したりするようになります。そのように、奏者が合わせて演奏する必要が出てくると、音程だけではなく音価、つまり音の長さについても確実な取り決めが必要になってきます。そのため、音程と音価を備える現在の記譜法が生まれ、自然とネウマ譜は淘汰されていく結果となったのでしょう」
興味深くノクターンの話に耳を傾けていたクラレンスは、ノクターンが言葉を切ると口を開いた。
「ではネウマが生まれるずっと以前には、人々は一体どのように歌や音楽を伝えていったのだろう。やはり口伝によったのだろうか」
ノクターンはクラレンスの顔を見据えると頷いた。
「古代帝国の崩壊以降は殿下の仰る通りであろうと思います。古代帝国の時代には独自の記譜法がありましたが、帝国の瓦解以後は、神殿は厳かに歌われる口伝以外の記譜法を必要としませんでした。古代帝国の崩壊後、各国は神殿を保護しつつ、互いに手を取り合って統治を行いましたが、前時代の王国や神殿の記録を読み返すと、帝国が崩壊するきっかけとなった、奢侈や堕落をもたらしたと思われる様々な文化を取捨選択していきました。不幸なことに、どうやら音楽もまた人心を惑乱させるものだと位置づけられていたようです。その過程で、古代帝国の記譜法は失われてしまいました」
ジェネヴィエーヴはくの字に曲げた人差し指を唇に当てながら、軽く首をかしげた。
「古代帝国の記譜法の方が優れていると風に聞こえるわね」
彼女の疑問に、クラレンスは首を振った。
「記譜法の優秀性といった点に絞れば、古代帝国の記譜法の方がネウマよりもずっと優れていると思います。彼らの用いていた方法では少なくとも音程と音価を記録することが可能でしたから。数少ない史料から見る限り、古代帝国では歌詞の上に音程をアルファベットで示し、更にその上に音価を表した記号を付すという手法を取っていました。これは音の高さだけで音の長さの表示のないネウマよりも優れた記譜法だといえます。国の衰退と次代の王朝における文明文化の解体は必須のものなのでしょうが、歴史を振り返るたびに文化の散逸や、意図的な喪失には胸の痛む思いが致します」
ノクターンの言葉にじっと耳を傾けていたクラレンスはほぅと賛嘆の吐息を漏らした。
「これは驚いたな。ミスター・ラトクリフがこれほど博学だとは。いや、誤解しないでくれ、気を悪くさせようという意図があるわけではないんだ。国史、宗教史、音楽史を俯瞰しつつこのような見解を述べることができる人物に出会うことができたことが純粋に嬉しくてね」
クラレンスの手放しの讃辞に、ノクターンは目を見張った。すっと彼の頬に朱が射す。
「殿下にそのようにおっしゃっていただき、誠に光栄でございす」
ジェネヴィエーヴはそんな二人の様子を驚きつつも微笑ましく見つめていた。クラレンスは彼女の視線に気づくと苦笑して、そういえばと話題を転じた。
「古代の記譜で思い出したのだけれど、先般アイヴァルク近郊で古代の遺跡が発掘されてね、そこで見つかった墓石に古代帝国の楽譜が刻まれていたんだ。何とか旋律を復元できないかと学者たちが頭を寄せ合っているよ」
なんと時宜にかなった話題だろうか、ジェネヴィエーヴはにっこりと笑みを浮かべて、声を上げた。
「まあ、古代の音色を再現しようだなんて、とても素敵なことですわね。これも殿下が王妃様から引き継がれた事業のおひとつでよろしかったでしょうか」
クラレンスが頷くと、ジェネヴィエーヴは目をきらりと光らせた。
「王家直々にご支援されているとは素晴らしいことですわ。こうして文化事業に惜しみなく支援していただけるのも、国家が安泰であればこそですもの。戦時においては文化芸術は打ち捨てられ犠牲になるものですから。今の国王陛下の御代になってからは内政に力をお入れになって、特に王妃様とのご成婚後には教育や文化、医療にも積極的に支援の手を差し伸べられるようになったと父侯爵から聞き及んでおります。我が国の文化的・教育的水準が大幅に向上し、近隣諸国に比較しても抜きんでた存在感を示しているのは確かですわ」
「そうですね。王妃様が大切にされてきた事業を受け継いだ身として、今後一層尽力して参りたいと思っています」
そう答えるクラレンスの瞳は責任感と使命感に満ちていた。
「ところで、アイヴァルクというと国境沿いの町でしたわね。川を隔ててすぐ隣国でしたでしょう。そのようなところでも遺跡の調査がされていたのですね。あの辺りにある古代遺跡というと、――世紀頃のものでしょうか。歴史で一通り習いましたがあまり詳しくはないのでお恥ずかしいですわ」
ジェネヴィエーヴが恥ずかしげに言うと、クラレンスは笑みを浮かべた。
「私もジェネヴィエーヴ嬢と同じく授業で習った程度の知識しかありませんよ。ですが、今回見つかった墓石は相当古いもので、学者の話によると――世紀から――世紀にかけてのものだということです」
ジェネヴィエーヴはまあ、と声を上げた。
「――世紀から――世紀にかけての遺跡ですか?なんて偶然なんでしょう。実は、先日近い親戚から手紙が届いたのですが、グレイ夫人と仰る方なのですが、夫人の領地にはいくつもの遺跡が残されていますの。古いものでは――世紀頃のものだろうというお話で、中には先程殿下のお話にあった様に、文字の刻まれた墓石や柱などもあるそうですわ。亡くなられた御夫君のミスター・グレイは熱心な方で、専門家に援助を惜しまなかっただけではなくご自身でも進んで遺跡の調査を行っていたらしいのです。ですが、隣接している遺跡どうしが関連の深いものが多く、一つの遺跡の調査で全てが完結するというわけにはまいらないそうなのです。その上、遺跡群の中にはグレイ家所属のものだけではなく、王家所管の遺跡も少なくなく、そうした事情もあって中々調査が進まなかったそうです」
ジェネヴィエーヴはそこまで言うと言葉を切って、目を伏せた。
「その中の一つが私が幼い頃迷い込んだ場所なのです」
ポツリとこぼされた台詞に、クラレンスはハッとして顔をこわばらせた。
「では、その場所が・・・」
ぐっと言葉を飲み込んだクラレンスに、ジェネヴィエーヴは苦い笑みを浮かべて頷いた。
「私は恐らくその場所で呪いを宿したのだろうと推測しております。そして、その遺跡こそがクレメンティーンの葬られた場所であると考えております」
憂いを帯びたジェネヴィエーヴの顔を見つめて、クラレンスはきゅっと唇を噛みしめた。
「その場所は立ち入りが禁じられているのでしょうか」
ジェネヴィエーヴは首を振った。
「いいえ、詳しいことは。ですが、不祥の場所と疎まれ、近在住民も避けて通るような場所だとか。特に、幼い子どもが迷い込んでからというもの、どのように尾鰭がついたのか、今ではその場所について語ることも忌諱するほどだと聞いておりますわ」
クラレンスはぐっとこぶしを握ると、少しの間の後に口を開いた。
「私の力がご入用の際は遠慮なく仰ってください」
未調査の王家所管の遺跡でしたら、お力になれることもあるでしょう。幼い子どもに被害が及ぶ恐れがあるとなれば、なおさら探査と適宜措置を講じる必要があるでしょうから。
そう言葉を続けたクラレンスの、真摯な眼差しを受け止めて、ジェネヴィエーヴは満足そうに目を細めた。
「なんて頼もしいお言葉でしょう。殿下がお力になってくださるとあれば、これほど心強いことはありませんわ」
その際には是非ともよろしくお願い致しますね、といってジェネヴィエーヴは深い笑みを浮かべたのだった。
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