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廃妃の呪いと死の婚姻2-1
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廃妃の呪いと死の婚姻2-1
ジェネヴィエーヴとアリアはその後2日間、大聖堂のある一角で過ごすことになった。ジェネヴィエーヴがそう望んだからである。知らせを受けて飛んできたナイトリー侯爵はジェネヴィエーヴの無事を確認して胸を撫で下ろすと、いつもの冷酷な瞳に抑えきれぬ怒りの炎を灯し、ジェネヴィエーヴを守り切れなかった乳母や護衛たちを処刑しようとしたが、ジェネヴィエーヴがそれを押しとどめた。彼女が白く細い指でナイトリー侯爵の大きな手を握り締め上目遣いで懇願する様に、ナイトリー侯爵の怒りはすぐさま消し去られた。そして、アリアと一緒に神殿にお泊りしたいのとジェネヴィエーヴがいつになく甘えた顔でおねだりすると、ナイトリー侯爵は撃沈したのだった。
普段のジェネヴィエーヴは感情の乏しい娘だったから、耐性のないナイトリー侯爵は初めての娘の可愛いおねだりに、直ぐに陥落した。その為、侍女のリリーと数名の護衛騎士だけを残して、もの言いたげなクラレンス一行とナイトリー侯爵たちは去っていたのだった。
その日の夜、ジェネヴィエーヴはアリアに秘密の話を打ち明けた。
「その呪いを解く方法を見つけなければ、ジェネヴィエーヴ様は命を落としてしまうのですか?」
「そうよ。18歳になるとね」
「そんな・・・」
思いがけない告白に、アリアは口に手を当て、ショックで瞳を見開いた。ジェネヴィエーヴは皮肉気に微笑みながら
「クレメンティーンの呪いは私という器を手に入れるために、まず精神を消し去ろうとするの。今この瞬間も私の精神は呪いに蝕まれているの。だから、肉体的な死を迎えるよりも早く精神が壊れてしまうでしょうね。いつまで正気を保っていられるのかは私にもわからないのだけれど、アリアがそばにいてくれればその崩壊を遅らせることができるのじゃないかと思うのよ」
だから、あなたの協力が必要なの、そういって不安気にアリアの瞳をのぞき込めば、アリアはジェネヴィエーヴの身体をぎゅっと抱きしめた。
「勿論です!私はジェネヴィエーヴ様のお側にいます。わたしとノクターンを引き取っていただいたご恩を返すには全然足りませんけれど、私にできることならなんだってやります」
熱っぽく潤んだ瞳でジェネヴィエーヴを見つめるアリアに、お人好しなのは子供の頃から変わらないのねとジェネヴィエーヴは思った。彼女はアリアを抱きしめ返すとありがとうと礼を言ったのだが、震える声に、自分はアリアに信じてもらえるかどうかこんなに不安だったのだと感じた。自然と彼女の瞳にも涙があふれてくる。アリアの肩に顔をうずめながら、もう一度ありがとうと言ってから、ジェネヴィエーヴは顔をあげてアリアの顔を見返した。
もし今、美しい少女たちが瞳を潤ませながら、抱き合い見つめ合う姿を目にした者がいたとしたら、背徳感に頬を染め思わず視線をそらしたことだろう。
暫くしてからアリアは首をかしげながら口を開いた。
「では、今のジェネヴィエーヴ様が本当のジェネヴィエーヴ様なのですか」
アリアの問いにジェネヴィエーヴは瞬いた。
「なんていうか、これまでのジェネヴィエーヴ様は何時もどこか膜がかかっているみたいにぼんやりとしていて、見ているとどこかに消えてなくなってしまうみたいな不安な気持ちにさせられたんです。でも、今のジェネヴィエーヴ様は輪郭がはっきりとして、生き生きとなさっています」
勿論、いつも通りとてもおきれいなことに変わりはないのですが、と言いつつアリアは頬を染めた。ジェネヴィエーヴは僅かに首を傾げ、はんなりとほほ笑んだ。
「流石はアリアね。光の乙女だからかしらね。私の話を聞かなくても、違和感に気付いていたのね」
本当にすごいわといってジェネヴィエーヴが手を握り締め顔を寄せると、アリアは耳まで紅色に染めた。
「そ、そんな。大したことじゃありません」
「謙虚なのね。よかったあなたにお話しして。これからよろしくね」
ジェネヴィエーヴの安心しきった微笑みにアリアも手を握り返すとにっこりと笑った。
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
そうして、二人の少女は同じベッドの中で眠りについたのだった。
翌朝、医師からベッドを出てもよいでしょうと言われたジェネヴィエーヴは、質素な朝食を済ませるとアリアと共にとある場所へと向かった。
修道女に案内されて向かったそこは巨大な資料庫の一つだった。大聖堂では王国の各貴族達の家系図や故人の略歴、洗礼名、葬られた場所などが収められている。これはかつて王国が多神教から現在の一神教に代わった時の名残で、力を持つ貴族たちを宗教的な監視下に置く意味合いがあった。
勿論、閲覧するには正当な理由と大司教による許可が必要なのだが、ジェネヴィエーヴはナイトリー侯爵家の力によって強引に閲覧許可を得たのだった。教会側としても、修道士の関わる事故で、侯爵家の令嬢を怪我させてしまった手前、否とは言えなかった。その上ナイトリー侯爵は手厚く礼物を奉献したので、大司教も最後はにこやかに許可印を押してくれたのだった。
修道女は何かありましたらお声がけくださいと言って、扉の近くの椅子に腰かけた。
ジェネヴィエーヴはいくつかの分厚い本を棚から取り出すと、アリアの手を借りて閲覧用の机へと運んだ。
アリアは修道女から声が聞こえないように声を潜め、本とジェネヴィエーヴを交互に見ながら言った。
「何を探せばいいのでしょうか」
彼女の問いかけにジェネヴィエーヴは本の装丁をそっと指でなぞり、にやりと笑った。
「まずは敵のことを知らなければならないと思うのよ」
記憶が戻り、この身は廃妃クレメンティーンの呪いに侵されていることを悟ったものの、肝心の呪いを解く術については皆目見当がつかなかった。そこでまずは敵を知ることから始めようと考えた。それによって解決についてのとっかかりを得ることができるのではないかと思ったのだ。
「クレメンティーンは王妃とはいえ廃位されているから、ただ単に図書館に行ったのでは大した情報は得られないと思うの。でも、大聖堂の保存庫のような特殊な場所なら、なにがしかの情報をえられるのではないかと思ったのよ」
ジェネヴィエーヴの言葉にアリアが一つ頷いた。
「なるほど」
「とはいうものの、そもそもクレメンティーンがいつ頃の王妃かわからないから、まずは王家の系譜から遡ってみようと思うの。何とか今日中に見つかればいいのだけれど、クレメンティーンという名前と姿以外には手掛かりが一切ないから、もしも何も見つからなければまた後日改めて調べに来ないといけないわね」
書面に目を落とし、名前を目で追うジェネヴィエーヴの横で、アリアは片頬に手を当てるとじっと考えこんだ。そうして、きょろきょろと視線を彷徨わせると、ある一転で目を止めて修道女の元へ歩み寄り、一言三言言葉を掛けると、ぺこりとお辞儀をして書棚の奥へと消えていった。それからしばらくして姿を現した彼女は一冊の本を抱えていた。
「ジェネヴィエーヴ様。少しよろしいですか」
アリアの言葉に顔をあげたジェネヴィエーヴに、アリアはその本の一ページを指し示した。そこには数世紀前の聖職者の姿絵が描かれている。
「この挿絵をご覧になってどう思われます?つまり描かれている修道女の衣装についてどう思われますか」
「え、修道女の衣装?」
戸惑った様子のジェネヴィエーヴに、アリアが戸口近くの修道女を指示して、
「単純な話です。あちらの修道女様と比較してみてください」
というと、
「そうねえ、ヴェールの形が随分と変わっているのね。今はもっとシンプルだもの」
ジェネヴィエーヴが入り口にいる修道女と挿絵を見比べながら、おっとりと答えると、アリアの顔がパッと明るくなった。
「そうなんです!神にお仕えする方々の服装ですら、時代によってこんなにも違うんです」
ジェネヴィエーヴの答えにアリアはぐっとこぶしを握り締める。
「そ、そうね。その通りだわ」
でも、それが何の関係があるのと言ってジェネヴィエーヴが首をかしげると、アリアは髄っとジェネヴィエーヴの方に身を乗り出した。
「ファッションに敏感な貴婦人ならなおさら変化は激しいんです。いつの時代もご婦人たちの流行はめまぐるしく変化していて、私の母の若い時代の服装ですら今とはずいぶん違っているんです。少し前まで、我が国の貴婦人たちはコルセットでぎちぎちに腰を締め付けていました。それが当然だったんです。でも、今の時代にコルセットなんてつけていたら笑いものです」
アリアの迫力に気おされるようにジェネヴィエーヴは少し身を引いた。
「つまり、こういうこと?クレメンティーンの服装から時代を推測しようということであっているかしら?」
「はい!」
ジェネヴィエーヴが訊ねるとアリアは勢い良く頷いた。
「アリアは服飾に随分と造詣が深いみたいね」
ジェネヴィエーヴが微笑んで言うと、アリアはポッと頬を赤く染めた。
「造詣が深いなんて、そんなおこがましい。ただ・・・、亡くなった母がドレスが大好きだったんです。母はちょっと有名な声楽家だったのですが、母が元気だった頃は沢山の貴族の方々のお宅に招かれてその歌声を披露していたんです。毎年、多くのパーティーに出席していたらしくて、そこで貴婦人たちが身に着けていた何百着もの素晴らしいドレスについて、特に記憶に残った素敵なドレスについて一つ一つ日記に書きとめていたんです。病床に伏すようになってからも、母は日記帳を開いてはその思い出と一緒にその素晴らしいドレスについて語ってくれました。母はあまり絵は得意ではなかったのですが、ドレスについては別で、詳細な説明と細かい挿絵が日記には記されていました。だから、その母の影響で私もドレスが大好きになったんです」
恥ずかし気に、それでも幸せそうに話すアリアを見つめながら、彼女の隠された一面にジェネヴィエーヴは目を丸くした。確かに原作でも虐げられながらも彼女は様々な工夫をして、おしゃれを楽しんでいた。それが、攻略者たちの目に留まるきっかけになったりもしていた。
「でも、どうしましょう。私はそういった方面には疎くて・・・。大聖堂には服飾史についての書籍なんてないでしょうし。私には何が何だか」
ジェネヴィエーヴが眉根を寄せて目を伏せると、長い睫が目元に影を落とした。
「うーん、それは困りましたね。・・・そうだっ、ジェネヴィエーヴ様の御屋敷には立派なギャラリーがありますよね。歴代の侯爵閣下や令夫人とお子様たちの絵がたくさん飾られている」
「え?ええ。ああ、そうね、それならわかるわ。ギャラリーにある絵を指示した先生方から、小さい頃にナイトリー侯爵家の歴史とその業績を暗記させられたものよ。勿論、その当時の国王陛下の御名とその御代の主な出来事と共にね」
意図を察したジェネヴィエーヴがそう言うと、アリアはこくこくと頷いた。
「肖像画に描かれているご婦人方は、基本的にその当時の流行を反映したドレスをお召ですからね。さあジェネヴィエーヴ様、クレメンティーンが身に着けていたのはどのようなドレスでしたか?」
クレメンティーンの服装。ジェネヴィエーヴは目をつむって腕を組むと、記憶を思い返した。ジェネヴィエーヴは呪われた王妃であるクレメンティーンが身に着けてい暗い色の服は喪服であると頭から信じ込んでいた。でも、実は違うのではないか。クレメンティーンの本体が現れる場面、彼女は常に黒い靄に覆われていたが、よくよく思い返してみると、彼女は黒っぽいドレスの他にいくつかの装身具を身に着けていた。彼女が身につけていたのはどんなドレスだった?
胸の下まで垂れさがる長い真珠の首飾りに、金や銀糸で装飾された、首の詰まったドレス。首の周りには白いレースのふち飾りがあった。
「ウエストやドレスの裾はどんな感じでしたか。母の子ども時代にはローブ・アラ・ポロネーズ、つまり足首を出す型のスカートが流行っていました。ウエストはコルセットでぎゅっと締め付けるものでしたし、寄せてあげて胸を強調したドレスでした。それが変わったのは、今上陛下が即位してからしばらく経った頃からです。国王陛下の王妃様に対する御寵愛の深さは国民誰もが知るところですが、陛下は王妃様の安楽のためならどんな慣例も覆してこられた方でもあります。王妃様はお労しいことに何度も流産されていらっしゃって、5度目の流産でお子様は望めないお体になってしまい、何年も悲嘆にくれられました。その内2回の流産の理由は転倒と転落によるものでしたが、王室医師団の一人が王妃様の流産の原因はきついコルセットの弊害によるものだと奏上したのです。国王陛下はすぐさまコルセットの追放を命じられました。結果的に国王夫妻の愛情が不自然で窮屈なコルセットから、全ての女性を解放したのです。打倒フェティシズム、というわけですね。王妃様も国王陛下の想いに答えられて、率先してコルセットに代わるドレススタイルを確立なさいました。少し前に流行したドレスはシュミーズドレスなどと揶揄されもしましたが、王室の方々が率先して身に付けられたこともあり、なにより苦痛を伴わずとも美しいドレスは令嬢達の心をつかみました。今はハイウエストのエンパイアスドレスが人気です。最近になって保温性が高くて発色性に優れたモスリン生地が取り入れられたことで、白いドレスが多かったシュミーズドレスよりも、多くの色や柄を選べるようになりました」
アリアは瞳をキラキラと輝かせながら立て板の如く語り上げた。静かに耳を傾けていたジェネヴィエーヴはアリアの言葉が途切れると、
「そうね、クレメンティーンのスカートの裾は長くて足元は隠れていたし、ウエストはとても細く絞られていたわ。いいえ、ウエストがというよりは身体全体がほっそりとしていて、クレメンティーンがそういう体型なのだと思っていたたけれど、考えてみるとあれはコルセットで敢えて胸をつぶしていたのじゃないかしら。クレメンティーンの登場場面はいつも薄暗かったから、黒だと思っていたドレスの色も実は違う色合いなのかもしれないわ」
ジェネヴィエーヴが描き出したクレメンティーンの姿を頷きながら聞いていたアリアは、暫くはぶつぶつと反復していたが、そのうちぱっと顔を上げた。
「リナッシメント!」
何かの呪文かしらと首を傾げたジェネヴィエーヴの手を、興奮した様子のアリアが握りしめて、
「リナッシメント時代のスタイルに違いありません。あの時代は暗色は道徳的だという宗教的倫理観が流行したんです。だから、ドレスも黒っぽい色が多くて、その分装飾は金や銀、白や赤を使うとっても豪華なものだったらしいです。細身の体が美しいとして、コルセットで上半身をきつく締め付けていて、なにより、ジェネヴィエーヴがご覧になったという詰まった首元!この襟元こそがあの時代の最大の特徴です。襟は、どんな襟でしたか、まるで襟巻みたいに立ち上がっていませんでしたか、その大きさは?」
というように幾つもの質問を繰り出し、ジェネヴィエーヴは目を白黒させながらそれに答えた。
「ええっと、それほど大きくはなかったと思うわ」
「身体全体がほっそりとしていたと仰いましたね、つまりスカートは大きく膨らんでいなかったということであってますか。リナッシメントの後期になると襟はより大きく、スカートもどんどん横に大きくなっていきました。当時の貴婦人たちは扉を通り抜けるのに一苦労したと聞いています」
アリアは身振り手振りで、ドレスの形を説明してみせた。情熱的に話し続ける彼女の様子を、ジェネヴィエーヴは目を丸くして見つめた。
「つまり、クレメンティーンはリナッシメント時代のそれも中期に王妃になった方だということです」
はあはあと肩で息をしながら言い切ったアリアに、ジェネヴィエーヴは思わず拍手を送った。
「まあ、アリア、素晴らしいわ。ドレス一つでここまで推理できるなんて。アリアあなたって頭がいいだけではなくて推理も得意なのね」
ジェネヴィエーヴの称賛に、ハッと我に返ったアリアは顔を真っ赤に染めた。
「申し訳ありません。私ったらまたやらかしてしまいました。ああああ、ノクターンにも気を付けるようにってあれほど言われていたのに…!!!」
顔を両手で覆い、机に突っ伏したアリアを、ジェネヴィエーヴは生暖かい微笑みでみつめた。
「でもこれで随分と絞り込めるわね。つまり、クレメンティーンは200年程前に王妃だった女性ということになるもの。該当する国王陛下は・・・」
ジェネヴィエーヴは王室分脈系譜大系を開くと、該当する歴代国王の妃達の名前を追った。
「これだわ。クレメンティーン、嫁ぐ前の姓はオルティス。オルティス公爵家の長女。当時の王太子に嫁ぎ、即位に伴い王妃に冊立。――年廃位」
記されているクレメンティーンの名とその略歴に、ジェネヴィエーヴはほうっと深いため息をついた。
本当にクレメンティーンという王妃がいたことが証明されたのだ。それも記憶の通り彼女は廃妃されていた。ジェネヴィエーヴは自分の記憶が正しかったことを改めて認識したのだった。
「・・・ジェネヴィエーヴ様」
戸惑いを孕んだアリアの声に、初めてジェネヴィエーヴは自分が涙を流していることに気付いた。
クレメンティーンは実在の王妃だった。私の記憶は間違っていなかった。
ジェネヴィエーヴは自分が思っていた以上に不安だった。あの記憶が間違いであったらどうしよう、実は既に自分は狂っているのではないかという恐怖が常に彼女を苦しめ続けていた。胸の奥深く救った懊悩が漸く一つ取り除かれた思いだった。
「大丈夫です。ジェネヴィエーヴ様、見つかりました。ほら、廃妃クレメンティーンとこんなにしっかりと書かれています。だから、呪いを解く手掛かりだってきっと見つかります、絶対に大丈夫です」
戸惑いながらもジェネヴィエーヴの手にそっとてを重ねて、アリアが優しく微笑んだ。慈母の如き微笑みに、ジェネヴィエーヴもまた微笑みを返したのだった。
そうしてしばらく見つめ合っていた彼女たちは、更なる手掛かりを求めて書棚の海へと飛び込んでいったのだった。
クレメンティーンの実家であるオルティス公爵家は既に断絶していた。失われた一族の系譜を見つけ出すのには大層骨が折れる仕事だった。午前中いっぱい探したが見つからず、ようやく見つけたのは太陽が中天を随分と過ぎた頃、ナイトリー侯爵家からの迎えの馬車の到着まで半時を切った頃だった。
「ありました、ジェネヴィエーヴ様!」
頭に大きな綿埃を付けたアリアがページを開いたままの本を胸の前に掲げながら、ジェネヴィエーヴに駈け寄ってきた。
「オルティス公爵家、これだわ」
「時間がありません、早速、中を確かめましょう」
頷き合ったジェネヴィエーヴとアリアは顔を寄せ合って、オルティス公爵家の歴史を紐解いていった。
結果としてクレメンティーンの名前はすぐに見つかった。しかし、ジェネヴィエーヴたちの求めているような情報を得ることはできなかった。そうであるならばとクレメンティーンの家族の項目に彼女たちは目を剥けた。何か手掛かりはないかとページをめくった彼女たちは直ぐに愕然とした。
「なんてこと・・・」
クレメンティーンには5人の兄弟姉妹がいた。ジェネヴィエーヴとアリアが注目したのは、クレメンティーンと並んで記されていた姉妹のひとりだった。クレメンティーンと彼女は生誕日から見て、双子だった。ジェネヴィエーヴとアリアはクレメンティーンの双子の妹の略歴を目にして言葉を失った。
クリスティーン(――年誕生、――年薨去)
オルティス公爵の二女。誕生の翌年、〇〇にて洗礼を受ける。――年、ナイトリー侯爵の長子ジョージに嫁ぎ、3子を産む。〇〇ホールにて薨去。37歳。
なんという運命のいたずらなのか。クレメンティーンの双子の妹であるクリスティーンはナイトリー侯爵夫人だった。ジェネヴィエーヴと廃妃クレメンティーンは母方の血筋でつながっていたのである。ジェネヴィエーヴとアリアは急いでナイトリー侯爵家の記事を引っ張り出した。
そうして、ジェネヴィエーヴはようやく腑に落ちた思いだった。なぜ、ジェネヴィエーヴがクレメンティーンのの器に選ばれたのか。双子の妹の末裔であるジェネヴィエーヴ程、クリスティーンの器にふさわしいものはいなかったのである。
「大丈夫ですか、ジェネヴィエーヴ様」
ぼんやりと系図を眺めるジェネヴィエーヴに、アリアがおずおずと話しかけた。
「ええ・・・、大丈夫よ。少し驚いてしまっただけ」
上の空で返事をしたジェネヴィエーヴを気遣って、アリアは、
「では私はもっと手掛かりがないか調べてみますね」
といって、本に視線を落とした。
ジェネヴィエーヴは窓の外を見やりながら、屋敷に帰ったらお父様にお願いして侯爵夫人たちの古い記録を調べさせてもらわなければいけないわと考えていた。
それで何か見つかればいいのだけれど。ああ、そうだわ。屋敷に戻ればまた呪いの影響が強くなるかもしれない。アリアの部屋をもっと近くに移して、一緒に過ごす時間を増やさなければ。聖水もこれから忘れずに飲む必要がある。後は、クラレンス殿下との婚約については、王家との約束だからそう簡単に解消することはできないだろう。でも、クラレンス殿下はジェネヴィエーヴのことを何とも思っていないし、どちらかというと疎んじているはずだから、こちらが辞を低くして頼めばきっと婚約を白紙に戻すことは難しくないだろう。
ふう、と小さく息をつくとジェネヴィエーヴは必死に資料を読み漁るアリアに視線を戻した。
クレメンティーンの双子の妹で、ナイトリー侯爵令夫人となったクリスティーン。ジェネヴィエーヴはこの名前を胸に刻み込んだのだった。
ジェネヴィエーヴとアリアはその後2日間、大聖堂のある一角で過ごすことになった。ジェネヴィエーヴがそう望んだからである。知らせを受けて飛んできたナイトリー侯爵はジェネヴィエーヴの無事を確認して胸を撫で下ろすと、いつもの冷酷な瞳に抑えきれぬ怒りの炎を灯し、ジェネヴィエーヴを守り切れなかった乳母や護衛たちを処刑しようとしたが、ジェネヴィエーヴがそれを押しとどめた。彼女が白く細い指でナイトリー侯爵の大きな手を握り締め上目遣いで懇願する様に、ナイトリー侯爵の怒りはすぐさま消し去られた。そして、アリアと一緒に神殿にお泊りしたいのとジェネヴィエーヴがいつになく甘えた顔でおねだりすると、ナイトリー侯爵は撃沈したのだった。
普段のジェネヴィエーヴは感情の乏しい娘だったから、耐性のないナイトリー侯爵は初めての娘の可愛いおねだりに、直ぐに陥落した。その為、侍女のリリーと数名の護衛騎士だけを残して、もの言いたげなクラレンス一行とナイトリー侯爵たちは去っていたのだった。
その日の夜、ジェネヴィエーヴはアリアに秘密の話を打ち明けた。
「その呪いを解く方法を見つけなければ、ジェネヴィエーヴ様は命を落としてしまうのですか?」
「そうよ。18歳になるとね」
「そんな・・・」
思いがけない告白に、アリアは口に手を当て、ショックで瞳を見開いた。ジェネヴィエーヴは皮肉気に微笑みながら
「クレメンティーンの呪いは私という器を手に入れるために、まず精神を消し去ろうとするの。今この瞬間も私の精神は呪いに蝕まれているの。だから、肉体的な死を迎えるよりも早く精神が壊れてしまうでしょうね。いつまで正気を保っていられるのかは私にもわからないのだけれど、アリアがそばにいてくれればその崩壊を遅らせることができるのじゃないかと思うのよ」
だから、あなたの協力が必要なの、そういって不安気にアリアの瞳をのぞき込めば、アリアはジェネヴィエーヴの身体をぎゅっと抱きしめた。
「勿論です!私はジェネヴィエーヴ様のお側にいます。わたしとノクターンを引き取っていただいたご恩を返すには全然足りませんけれど、私にできることならなんだってやります」
熱っぽく潤んだ瞳でジェネヴィエーヴを見つめるアリアに、お人好しなのは子供の頃から変わらないのねとジェネヴィエーヴは思った。彼女はアリアを抱きしめ返すとありがとうと礼を言ったのだが、震える声に、自分はアリアに信じてもらえるかどうかこんなに不安だったのだと感じた。自然と彼女の瞳にも涙があふれてくる。アリアの肩に顔をうずめながら、もう一度ありがとうと言ってから、ジェネヴィエーヴは顔をあげてアリアの顔を見返した。
もし今、美しい少女たちが瞳を潤ませながら、抱き合い見つめ合う姿を目にした者がいたとしたら、背徳感に頬を染め思わず視線をそらしたことだろう。
暫くしてからアリアは首をかしげながら口を開いた。
「では、今のジェネヴィエーヴ様が本当のジェネヴィエーヴ様なのですか」
アリアの問いにジェネヴィエーヴは瞬いた。
「なんていうか、これまでのジェネヴィエーヴ様は何時もどこか膜がかかっているみたいにぼんやりとしていて、見ているとどこかに消えてなくなってしまうみたいな不安な気持ちにさせられたんです。でも、今のジェネヴィエーヴ様は輪郭がはっきりとして、生き生きとなさっています」
勿論、いつも通りとてもおきれいなことに変わりはないのですが、と言いつつアリアは頬を染めた。ジェネヴィエーヴは僅かに首を傾げ、はんなりとほほ笑んだ。
「流石はアリアね。光の乙女だからかしらね。私の話を聞かなくても、違和感に気付いていたのね」
本当にすごいわといってジェネヴィエーヴが手を握り締め顔を寄せると、アリアは耳まで紅色に染めた。
「そ、そんな。大したことじゃありません」
「謙虚なのね。よかったあなたにお話しして。これからよろしくね」
ジェネヴィエーヴの安心しきった微笑みにアリアも手を握り返すとにっこりと笑った。
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
そうして、二人の少女は同じベッドの中で眠りについたのだった。
翌朝、医師からベッドを出てもよいでしょうと言われたジェネヴィエーヴは、質素な朝食を済ませるとアリアと共にとある場所へと向かった。
修道女に案内されて向かったそこは巨大な資料庫の一つだった。大聖堂では王国の各貴族達の家系図や故人の略歴、洗礼名、葬られた場所などが収められている。これはかつて王国が多神教から現在の一神教に代わった時の名残で、力を持つ貴族たちを宗教的な監視下に置く意味合いがあった。
勿論、閲覧するには正当な理由と大司教による許可が必要なのだが、ジェネヴィエーヴはナイトリー侯爵家の力によって強引に閲覧許可を得たのだった。教会側としても、修道士の関わる事故で、侯爵家の令嬢を怪我させてしまった手前、否とは言えなかった。その上ナイトリー侯爵は手厚く礼物を奉献したので、大司教も最後はにこやかに許可印を押してくれたのだった。
修道女は何かありましたらお声がけくださいと言って、扉の近くの椅子に腰かけた。
ジェネヴィエーヴはいくつかの分厚い本を棚から取り出すと、アリアの手を借りて閲覧用の机へと運んだ。
アリアは修道女から声が聞こえないように声を潜め、本とジェネヴィエーヴを交互に見ながら言った。
「何を探せばいいのでしょうか」
彼女の問いかけにジェネヴィエーヴは本の装丁をそっと指でなぞり、にやりと笑った。
「まずは敵のことを知らなければならないと思うのよ」
記憶が戻り、この身は廃妃クレメンティーンの呪いに侵されていることを悟ったものの、肝心の呪いを解く術については皆目見当がつかなかった。そこでまずは敵を知ることから始めようと考えた。それによって解決についてのとっかかりを得ることができるのではないかと思ったのだ。
「クレメンティーンは王妃とはいえ廃位されているから、ただ単に図書館に行ったのでは大した情報は得られないと思うの。でも、大聖堂の保存庫のような特殊な場所なら、なにがしかの情報をえられるのではないかと思ったのよ」
ジェネヴィエーヴの言葉にアリアが一つ頷いた。
「なるほど」
「とはいうものの、そもそもクレメンティーンがいつ頃の王妃かわからないから、まずは王家の系譜から遡ってみようと思うの。何とか今日中に見つかればいいのだけれど、クレメンティーンという名前と姿以外には手掛かりが一切ないから、もしも何も見つからなければまた後日改めて調べに来ないといけないわね」
書面に目を落とし、名前を目で追うジェネヴィエーヴの横で、アリアは片頬に手を当てるとじっと考えこんだ。そうして、きょろきょろと視線を彷徨わせると、ある一転で目を止めて修道女の元へ歩み寄り、一言三言言葉を掛けると、ぺこりとお辞儀をして書棚の奥へと消えていった。それからしばらくして姿を現した彼女は一冊の本を抱えていた。
「ジェネヴィエーヴ様。少しよろしいですか」
アリアの言葉に顔をあげたジェネヴィエーヴに、アリアはその本の一ページを指し示した。そこには数世紀前の聖職者の姿絵が描かれている。
「この挿絵をご覧になってどう思われます?つまり描かれている修道女の衣装についてどう思われますか」
「え、修道女の衣装?」
戸惑った様子のジェネヴィエーヴに、アリアが戸口近くの修道女を指示して、
「単純な話です。あちらの修道女様と比較してみてください」
というと、
「そうねえ、ヴェールの形が随分と変わっているのね。今はもっとシンプルだもの」
ジェネヴィエーヴが入り口にいる修道女と挿絵を見比べながら、おっとりと答えると、アリアの顔がパッと明るくなった。
「そうなんです!神にお仕えする方々の服装ですら、時代によってこんなにも違うんです」
ジェネヴィエーヴの答えにアリアはぐっとこぶしを握り締める。
「そ、そうね。その通りだわ」
でも、それが何の関係があるのと言ってジェネヴィエーヴが首をかしげると、アリアは髄っとジェネヴィエーヴの方に身を乗り出した。
「ファッションに敏感な貴婦人ならなおさら変化は激しいんです。いつの時代もご婦人たちの流行はめまぐるしく変化していて、私の母の若い時代の服装ですら今とはずいぶん違っているんです。少し前まで、我が国の貴婦人たちはコルセットでぎちぎちに腰を締め付けていました。それが当然だったんです。でも、今の時代にコルセットなんてつけていたら笑いものです」
アリアの迫力に気おされるようにジェネヴィエーヴは少し身を引いた。
「つまり、こういうこと?クレメンティーンの服装から時代を推測しようということであっているかしら?」
「はい!」
ジェネヴィエーヴが訊ねるとアリアは勢い良く頷いた。
「アリアは服飾に随分と造詣が深いみたいね」
ジェネヴィエーヴが微笑んで言うと、アリアはポッと頬を赤く染めた。
「造詣が深いなんて、そんなおこがましい。ただ・・・、亡くなった母がドレスが大好きだったんです。母はちょっと有名な声楽家だったのですが、母が元気だった頃は沢山の貴族の方々のお宅に招かれてその歌声を披露していたんです。毎年、多くのパーティーに出席していたらしくて、そこで貴婦人たちが身に着けていた何百着もの素晴らしいドレスについて、特に記憶に残った素敵なドレスについて一つ一つ日記に書きとめていたんです。病床に伏すようになってからも、母は日記帳を開いてはその思い出と一緒にその素晴らしいドレスについて語ってくれました。母はあまり絵は得意ではなかったのですが、ドレスについては別で、詳細な説明と細かい挿絵が日記には記されていました。だから、その母の影響で私もドレスが大好きになったんです」
恥ずかし気に、それでも幸せそうに話すアリアを見つめながら、彼女の隠された一面にジェネヴィエーヴは目を丸くした。確かに原作でも虐げられながらも彼女は様々な工夫をして、おしゃれを楽しんでいた。それが、攻略者たちの目に留まるきっかけになったりもしていた。
「でも、どうしましょう。私はそういった方面には疎くて・・・。大聖堂には服飾史についての書籍なんてないでしょうし。私には何が何だか」
ジェネヴィエーヴが眉根を寄せて目を伏せると、長い睫が目元に影を落とした。
「うーん、それは困りましたね。・・・そうだっ、ジェネヴィエーヴ様の御屋敷には立派なギャラリーがありますよね。歴代の侯爵閣下や令夫人とお子様たちの絵がたくさん飾られている」
「え?ええ。ああ、そうね、それならわかるわ。ギャラリーにある絵を指示した先生方から、小さい頃にナイトリー侯爵家の歴史とその業績を暗記させられたものよ。勿論、その当時の国王陛下の御名とその御代の主な出来事と共にね」
意図を察したジェネヴィエーヴがそう言うと、アリアはこくこくと頷いた。
「肖像画に描かれているご婦人方は、基本的にその当時の流行を反映したドレスをお召ですからね。さあジェネヴィエーヴ様、クレメンティーンが身に着けていたのはどのようなドレスでしたか?」
クレメンティーンの服装。ジェネヴィエーヴは目をつむって腕を組むと、記憶を思い返した。ジェネヴィエーヴは呪われた王妃であるクレメンティーンが身に着けてい暗い色の服は喪服であると頭から信じ込んでいた。でも、実は違うのではないか。クレメンティーンの本体が現れる場面、彼女は常に黒い靄に覆われていたが、よくよく思い返してみると、彼女は黒っぽいドレスの他にいくつかの装身具を身に着けていた。彼女が身につけていたのはどんなドレスだった?
胸の下まで垂れさがる長い真珠の首飾りに、金や銀糸で装飾された、首の詰まったドレス。首の周りには白いレースのふち飾りがあった。
「ウエストやドレスの裾はどんな感じでしたか。母の子ども時代にはローブ・アラ・ポロネーズ、つまり足首を出す型のスカートが流行っていました。ウエストはコルセットでぎゅっと締め付けるものでしたし、寄せてあげて胸を強調したドレスでした。それが変わったのは、今上陛下が即位してからしばらく経った頃からです。国王陛下の王妃様に対する御寵愛の深さは国民誰もが知るところですが、陛下は王妃様の安楽のためならどんな慣例も覆してこられた方でもあります。王妃様はお労しいことに何度も流産されていらっしゃって、5度目の流産でお子様は望めないお体になってしまい、何年も悲嘆にくれられました。その内2回の流産の理由は転倒と転落によるものでしたが、王室医師団の一人が王妃様の流産の原因はきついコルセットの弊害によるものだと奏上したのです。国王陛下はすぐさまコルセットの追放を命じられました。結果的に国王夫妻の愛情が不自然で窮屈なコルセットから、全ての女性を解放したのです。打倒フェティシズム、というわけですね。王妃様も国王陛下の想いに答えられて、率先してコルセットに代わるドレススタイルを確立なさいました。少し前に流行したドレスはシュミーズドレスなどと揶揄されもしましたが、王室の方々が率先して身に付けられたこともあり、なにより苦痛を伴わずとも美しいドレスは令嬢達の心をつかみました。今はハイウエストのエンパイアスドレスが人気です。最近になって保温性が高くて発色性に優れたモスリン生地が取り入れられたことで、白いドレスが多かったシュミーズドレスよりも、多くの色や柄を選べるようになりました」
アリアは瞳をキラキラと輝かせながら立て板の如く語り上げた。静かに耳を傾けていたジェネヴィエーヴはアリアの言葉が途切れると、
「そうね、クレメンティーンのスカートの裾は長くて足元は隠れていたし、ウエストはとても細く絞られていたわ。いいえ、ウエストがというよりは身体全体がほっそりとしていて、クレメンティーンがそういう体型なのだと思っていたたけれど、考えてみるとあれはコルセットで敢えて胸をつぶしていたのじゃないかしら。クレメンティーンの登場場面はいつも薄暗かったから、黒だと思っていたドレスの色も実は違う色合いなのかもしれないわ」
ジェネヴィエーヴが描き出したクレメンティーンの姿を頷きながら聞いていたアリアは、暫くはぶつぶつと反復していたが、そのうちぱっと顔を上げた。
「リナッシメント!」
何かの呪文かしらと首を傾げたジェネヴィエーヴの手を、興奮した様子のアリアが握りしめて、
「リナッシメント時代のスタイルに違いありません。あの時代は暗色は道徳的だという宗教的倫理観が流行したんです。だから、ドレスも黒っぽい色が多くて、その分装飾は金や銀、白や赤を使うとっても豪華なものだったらしいです。細身の体が美しいとして、コルセットで上半身をきつく締め付けていて、なにより、ジェネヴィエーヴがご覧になったという詰まった首元!この襟元こそがあの時代の最大の特徴です。襟は、どんな襟でしたか、まるで襟巻みたいに立ち上がっていませんでしたか、その大きさは?」
というように幾つもの質問を繰り出し、ジェネヴィエーヴは目を白黒させながらそれに答えた。
「ええっと、それほど大きくはなかったと思うわ」
「身体全体がほっそりとしていたと仰いましたね、つまりスカートは大きく膨らんでいなかったということであってますか。リナッシメントの後期になると襟はより大きく、スカートもどんどん横に大きくなっていきました。当時の貴婦人たちは扉を通り抜けるのに一苦労したと聞いています」
アリアは身振り手振りで、ドレスの形を説明してみせた。情熱的に話し続ける彼女の様子を、ジェネヴィエーヴは目を丸くして見つめた。
「つまり、クレメンティーンはリナッシメント時代のそれも中期に王妃になった方だということです」
はあはあと肩で息をしながら言い切ったアリアに、ジェネヴィエーヴは思わず拍手を送った。
「まあ、アリア、素晴らしいわ。ドレス一つでここまで推理できるなんて。アリアあなたって頭がいいだけではなくて推理も得意なのね」
ジェネヴィエーヴの称賛に、ハッと我に返ったアリアは顔を真っ赤に染めた。
「申し訳ありません。私ったらまたやらかしてしまいました。ああああ、ノクターンにも気を付けるようにってあれほど言われていたのに…!!!」
顔を両手で覆い、机に突っ伏したアリアを、ジェネヴィエーヴは生暖かい微笑みでみつめた。
「でもこれで随分と絞り込めるわね。つまり、クレメンティーンは200年程前に王妃だった女性ということになるもの。該当する国王陛下は・・・」
ジェネヴィエーヴは王室分脈系譜大系を開くと、該当する歴代国王の妃達の名前を追った。
「これだわ。クレメンティーン、嫁ぐ前の姓はオルティス。オルティス公爵家の長女。当時の王太子に嫁ぎ、即位に伴い王妃に冊立。――年廃位」
記されているクレメンティーンの名とその略歴に、ジェネヴィエーヴはほうっと深いため息をついた。
本当にクレメンティーンという王妃がいたことが証明されたのだ。それも記憶の通り彼女は廃妃されていた。ジェネヴィエーヴは自分の記憶が正しかったことを改めて認識したのだった。
「・・・ジェネヴィエーヴ様」
戸惑いを孕んだアリアの声に、初めてジェネヴィエーヴは自分が涙を流していることに気付いた。
クレメンティーンは実在の王妃だった。私の記憶は間違っていなかった。
ジェネヴィエーヴは自分が思っていた以上に不安だった。あの記憶が間違いであったらどうしよう、実は既に自分は狂っているのではないかという恐怖が常に彼女を苦しめ続けていた。胸の奥深く救った懊悩が漸く一つ取り除かれた思いだった。
「大丈夫です。ジェネヴィエーヴ様、見つかりました。ほら、廃妃クレメンティーンとこんなにしっかりと書かれています。だから、呪いを解く手掛かりだってきっと見つかります、絶対に大丈夫です」
戸惑いながらもジェネヴィエーヴの手にそっとてを重ねて、アリアが優しく微笑んだ。慈母の如き微笑みに、ジェネヴィエーヴもまた微笑みを返したのだった。
そうしてしばらく見つめ合っていた彼女たちは、更なる手掛かりを求めて書棚の海へと飛び込んでいったのだった。
クレメンティーンの実家であるオルティス公爵家は既に断絶していた。失われた一族の系譜を見つけ出すのには大層骨が折れる仕事だった。午前中いっぱい探したが見つからず、ようやく見つけたのは太陽が中天を随分と過ぎた頃、ナイトリー侯爵家からの迎えの馬車の到着まで半時を切った頃だった。
「ありました、ジェネヴィエーヴ様!」
頭に大きな綿埃を付けたアリアがページを開いたままの本を胸の前に掲げながら、ジェネヴィエーヴに駈け寄ってきた。
「オルティス公爵家、これだわ」
「時間がありません、早速、中を確かめましょう」
頷き合ったジェネヴィエーヴとアリアは顔を寄せ合って、オルティス公爵家の歴史を紐解いていった。
結果としてクレメンティーンの名前はすぐに見つかった。しかし、ジェネヴィエーヴたちの求めているような情報を得ることはできなかった。そうであるならばとクレメンティーンの家族の項目に彼女たちは目を剥けた。何か手掛かりはないかとページをめくった彼女たちは直ぐに愕然とした。
「なんてこと・・・」
クレメンティーンには5人の兄弟姉妹がいた。ジェネヴィエーヴとアリアが注目したのは、クレメンティーンと並んで記されていた姉妹のひとりだった。クレメンティーンと彼女は生誕日から見て、双子だった。ジェネヴィエーヴとアリアはクレメンティーンの双子の妹の略歴を目にして言葉を失った。
クリスティーン(――年誕生、――年薨去)
オルティス公爵の二女。誕生の翌年、〇〇にて洗礼を受ける。――年、ナイトリー侯爵の長子ジョージに嫁ぎ、3子を産む。〇〇ホールにて薨去。37歳。
なんという運命のいたずらなのか。クレメンティーンの双子の妹であるクリスティーンはナイトリー侯爵夫人だった。ジェネヴィエーヴと廃妃クレメンティーンは母方の血筋でつながっていたのである。ジェネヴィエーヴとアリアは急いでナイトリー侯爵家の記事を引っ張り出した。
そうして、ジェネヴィエーヴはようやく腑に落ちた思いだった。なぜ、ジェネヴィエーヴがクレメンティーンのの器に選ばれたのか。双子の妹の末裔であるジェネヴィエーヴ程、クリスティーンの器にふさわしいものはいなかったのである。
「大丈夫ですか、ジェネヴィエーヴ様」
ぼんやりと系図を眺めるジェネヴィエーヴに、アリアがおずおずと話しかけた。
「ええ・・・、大丈夫よ。少し驚いてしまっただけ」
上の空で返事をしたジェネヴィエーヴを気遣って、アリアは、
「では私はもっと手掛かりがないか調べてみますね」
といって、本に視線を落とした。
ジェネヴィエーヴは窓の外を見やりながら、屋敷に帰ったらお父様にお願いして侯爵夫人たちの古い記録を調べさせてもらわなければいけないわと考えていた。
それで何か見つかればいいのだけれど。ああ、そうだわ。屋敷に戻ればまた呪いの影響が強くなるかもしれない。アリアの部屋をもっと近くに移して、一緒に過ごす時間を増やさなければ。聖水もこれから忘れずに飲む必要がある。後は、クラレンス殿下との婚約については、王家との約束だからそう簡単に解消することはできないだろう。でも、クラレンス殿下はジェネヴィエーヴのことを何とも思っていないし、どちらかというと疎んじているはずだから、こちらが辞を低くして頼めばきっと婚約を白紙に戻すことは難しくないだろう。
ふう、と小さく息をつくとジェネヴィエーヴは必死に資料を読み漁るアリアに視線を戻した。
クレメンティーンの双子の妹で、ナイトリー侯爵令夫人となったクリスティーン。ジェネヴィエーヴはこの名前を胸に刻み込んだのだった。
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