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外伝2-4 帰還と決意、新たな旅立ち
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外伝2-4 帰還と決意、新たな旅立ち
数日後、予定通りヴァルトハウゼン公爵一行を載せた船が港に到着した。高貴な一行を迎えた港には、領主以下騎士団、ギルド総出で厳戒態勢が敷かれていた。
そこにアヒムの姿はなかった。前日、暗い瞳で警護に加わることはできないと伝えにきたアヒムに、ギュンターは何か察するところがあったのか、それは残念だが全力を尽くすまでさと言って笑った。
グロート男爵領は決して領地は広くないものの、国内有数の港湾を擁す、海上交通の要所であった。その港からしばらく馬車を走らせた高台に、グロート男爵のカントリーハウスは建っていた。港を一望できるその邸宅は王国内でも特に人気の高い邸宅の一つであり、先々代の国王と王妃が毎年好んで訪れた避暑地として有名だった。今でも、毎年少なくない数の貴族や準貴族、紳士階級の者たちが観光に訪れ、今回の様に海を渡ってきた国内外の要人たちの休息地としても使われていた。
ヴァルトハウゼン公爵家とグロート男爵家の関係は古く、建国以前にまで遡ることができた。長い歴史の中で、グロート男爵家はヴァルトハウゼン公爵家の忠実な家臣の一人だった。男爵が重要な港町を擁するこの土地に封じられたのも、ヴァルトハウゼン公爵の意向が色濃く反映した結果だった。そのためグロート男爵は男爵という爵位にも拘らず、高位貴族にも劣らぬ莫大な富を手にすることができた。歴代のグロート男爵は手にした富をおしげなく用いて、王国南部だけではなく外国の情報を収集し、ヴァルトハウゼン公爵家へと送った。
とにかく、長年良好な関係を築いてきたグロート男爵邸に、思いがけぬ長い船旅を終えたヴァルトハウゼン公爵一行が滞在することになったのだった。当代のグロート男爵だけではなく、引退した前男爵夫妻までが駆け付け、一族総出で主人であり恩人でもあるヴァルトハウゼン公爵一行を迎えたのである。
初めての外遊に同伴した公爵令嬢は、帰り道、船酔いに悩まされたようで馬車から降りると執事の肩にぐったりと寄りかかりながら、足早に用意された部屋へと向かった。
憂わしげに愛娘を見送ったヴァルトハウゼン公爵は、男爵から医師と治癒術師が既に部屋に待機されていると告げられ、ほっとした表情を浮かべた。公爵は令嬢が屋敷の中に姿を消したのを見届けると、グロート男爵自らが先に立って公爵を貴賓室へ案内したのだった。
「久しいな、アヒム」
家令の案内で部屋に招き入れられたアヒムは深々と頭を垂れた。
ヴァルトハウゼン公爵とエレオノーラが、グロート男爵邸に到着したのを確認したアヒムが初めに行ったのは、旧知の家令に連絡を取ることだった。アヒムの旅券の裏書をしたのは彼だったから、到着したその日の晩に彼に会うことができた。ヴァルトハウゼン公爵に目通りを申し入れたアヒムに、家令はお耳に入れておくのでいつでも連絡が取れるようにしておくようにと慎重に言った。
翌日、黒い外套を頭から足元まですっぽりと包んだアヒムは、使用人入り口からひっそりと男爵邸へ足を踏み入れた。
前室で外套を脱いだアヒムが通されたのは、男爵邸で最も眺望の良い一室だった。ヴァルトハウゼン公爵の滞在に合わせて、壁紙から絨毯、家具に至るまであらゆるものが新調された。部屋に飾られた花の一輪に至るまで、グロート男爵のヴァルトハウゼン公爵に対する細やかな心遣いを伺うことができた。
ソファを勧められたアヒムはそれを固辞すると、膝をつきこうべを垂れたまま旧主の来訪を待った。微動だにせず静かに部屋の主人の訪れを待つ姿に、控えた従僕は舌を巻いた。一刻半が過ぎたころ、ようやくヴァルトハウゼン公爵が姿を現すと、アヒムは更に深々と頭を下げた。
上座に腰かけた公爵はしばらくの間、跪くアヒムの様子をじっと見つめていた。髪は清潔で一筋の乱れもなく整えられており、服装は糊のきいた、僭越にならない程度の上等で公爵の好みに沿った上品なものを身に着けていた。靴には汚れ一つなかった。
「面をあげよ」
その言葉にアヒムは頭をあげ、公爵の胸元へ視線を据えた。公爵は席を立ちアヒムの目の前に至ると、アヒムの顎に指をかけ、上向かせた。無礼にならぬよう僅かに公爵の眼元から視線を下げたアヒムを見つめた公爵はふっと微笑むと手をはなし、席へと戻っていった。公爵の皮肉気な笑みは、エレオノーラがアヒムを見ながら時々浮かべていたそれに酷似していた。
「いつまで跪いているつもりだ。話があるのだろう、さっさとそこへ座れ」
「はい」
一礼したアヒムはソファの横に立ち、公爵の次の言葉を待った。公爵が手を振ると、家令を残して騎士や従僕たちは部屋を後にした。
「さて、私を袖にして我がヴァルトハウゼン公爵邸を去っていった者の要件をきかせてもらおうか。近頃は大立ち回をしたり、冒険者まがいのことをしたりとずいぶんと活躍しているそうじゃないか」
町に到着してからのアヒムの動静は全て耳に入っているようだった。
アヒムは公爵からこうむった恩顧に篤く礼を述べ、非礼は重々承知ながらもどうか再度の仕官を許していただけないかと言って再度深く頭を下げた。
昨晩、ヴァルトハウゼン公爵はグロート男爵から港湾封鎖の謝罪と、魔物討伐の顛末について報告を受けていた。あらかじめギュンターからアヒムはヴァルトハウゼン公爵と縁があるようだとの情報を得ていたグロート男爵は、旅の魔法使いとしてさりげなくアヒムの名を出した。思いがけず旧臣の名前を耳にしたヴァルトハウゼン公爵は僅かに目を見開いた。公爵の顔つきや声音から、なるほど閣下と魔法使い殿は関係があるようだが、悪縁ではなさそうだと胸を撫で下ろしつつ、促されるままに詳細を伝えた。
「なんと、公爵閣下ゆかりの者だったのですか。領地柄、多くの腕自慢の冒険者や傭兵を目にして参りましたが、彼ほどの実力を持った魔法使いに出会ったのは初めてです。S級冒険者ですら歯が立たなかった魔物をいとも簡単に退けた様子に、彼の本当の実力はいかばかりのものなのかと、末恐ろしいものを感じました。彼に比肩する魔術師は大陸を探しても二人と居ますまい」
「ほう、卿がそれほど高く評価するとは珍しい。私の旧臣だからといって、お気遣いいただく必要はないのだが」
「いやいや、気遣いやお世辞などとんでもございません。実力はもちろんですが、彼は討伐の褒賞を、魔物のせいで被害を被った者たちに、被害に応じて分配するようにいったそうです。富も名誉も不要だと。彼の欠点は寡欲なことですね。あれ程の力を持ちながら表舞台に立つつもりがないとは、惜しいことです。できることなら、ここにとどまって仕えてくれれば嬉しいのですが、はっきりと断られてしまいました」
興味深げに話に耳を傾けていた公爵は、グロート男爵が退出すると、アヒムがお目通りを願っていると告げられ、にやりと笑みを浮かべたのだった。
アヒムとの短い面談を終えたヴァルトハウゼン公爵は、葉巻の吸い口を切るとゆっくりとまわしながら炎を近づけた。幼いエレオノーラを抱きしめた時、彼女がその移り香に顔をしかめて以降、滅多に嗜むことはなかったが、心を鎮めたい時などには時折、紫煙を燻らすことがあった。
「なあ、ミュラーよ。わたしはな、寡欲なところがあれの瑕疵だと考えていたんだ。欲望のない人間は例えどれほど素晴らしい能力を有していたとしても、大成することはできない。無欲な人間はしょせんは人に遣われる道具、物言う人形に過ぎないからな。だから私があれを簡単に手放したときですら、使い勝手の良い道具を惜しむ気持ちはあれ、何が何でも手元に置こうとは思わなかった。それが、ふふふ。初めて欲望を口にしたと思ったらどうだ、なんと大それたことを言うことか。我が娘を所望するとは、しばらく見ない間に随分と強欲になったものだ」
くくくと低くのどを震わせる上機嫌な主人を見つめ、家令は灰皿を差し出した。
「御前にあのような大それた望みを申し上げるとは、私の不手際でございます。申し訳ございません」
「よいよい、気にするな。グロート男爵の話が本当なら、今のアヒムが本気でエレオノーラを奪取しようとすれば、我がヴァルトハウゼン公爵家の総力を以ても防げるかどうか。どこぞの伯爵家の二の舞はごめん被る」
隣国の伯爵家と魔法使いの恋愛沙汰は、先年、社交界を大いに賑わせたニュースの一つだった。旅の護衛を務めていた魔塔所属の魔法使いが、伯爵令嬢と恋仲になったものの、激怒した伯爵が二人を引き裂き、その上傷物になった娘を悪名高い40も年上の男爵の後妻にしようとした。恋人の魔法使いは魔塔の中でも指折りの実力者だったらしく、令嬢の危機に逆上した魔法使いは、伯爵家に乗り込むと騎士たちを蹴散らし館を半壊させ、伯爵とその息子を城門に吊るしあげたという。魔塔に娘の護衛を依頼できるほどの権力を有していた伯爵の名声は地に落ち、魔塔からも顰蹙を買った結果、財産の大部分も失ったという。
「魔法使いは数が少ないうえ、その特性によっては一人で一個師団以上の力を備えている。全く厄介な存在だが、一人でも実力のある魔法使いを手に入れられればこの上ない武器となるだろう。その点、アヒムはどうかな?使い方次第では大いに役立ってくれるだろう。特に大きな欲望を抱いている者は、望みをかなえるためならば実力以上の力を示すものだ」
「では、アヒムの望みをお許しなるのでございましょうか」
「ふむ、さてどうしたものか」
公爵はにやりと笑うと、机上にあった新聞一面のトップの記事に目を止めた。
「どれほどの実力があろうとも、今のアヒムの身分でエレオノーラとの婚姻を望むなど雲をつかむようなもの。グロート男爵は随分とアヒムを高く評価していたな。私は名誉と実力を重んじるヴァルトハウゼン公爵家の当主だ。アヒムには機会をやるとしよう。それを生かすも殺すもあれ次第、せっかく投げられた機会を掴めぬのであれば、それまでの者だったということ」
そうしてニヤリと獰猛な笑みを浮かべたヴァルトハウゼン公爵は、葉巻を置くと、ペンを執ったのだった。
お前も発破をかけてやれ、そう言って手紙を渡された家令はその夜、再びアヒムの宿を訪ねたのだった。
「グリゴース討伐に加われということですか」
家令のミュラーは重々しく頷いた。
「グリゴースは魔物が猖獗を極める不毛の地。我が王国の長年の汚点であり、王室の恥。王宮所属の魔法使いだけではなく、魔塔からも多くの魔法使いが派遣されているが、これといった成果もあげられず、今でも魔物の支配地は徐々に広がってきている。現国王陛下の御代になってから今回で9度目の討伐隊が派遣されたばかりだが、戦況は芳しくなく総帥である第2王子からは増援要請が矢の催促と届くありさま。公爵閣下はここで貴方の実力を示すようにと仰せです」
公爵の手紙は総帥である第2王子に当てた推薦状だった。アヒムはその手紙を食い入るように見つめた。
「あなたもご存知の通り、お嬢様には星の数ほどの縁談が申し込まれています。公爵閣下は身分や血筋よりも、能力を重視されるお方です。そのお心の内を推察することすら僭越というものですが、ご養子に迎えられたアロイス様を筆頭に、閣下の中では既に幾名かの紳士方が候補として挙げられているご様子。ここだけの話ですが、候補の中には今回の討伐の総帥である第2王子殿下や、増援部隊に神官として加わることが決まっている、教皇猊下のご子息アナスタージウス・リヒター卿も入っているとか」
エレオノーラの婚約者。
今の自分ではエレオノーラの隣に立つ資格すらないにもかかわらず、彼らは生まれながらにして、高い身分と優れた血筋を備えているという理由で、既にエレオノーラの隣に立つ資格を有していた。
嫉妬の炎が急速にアヒムの生まれたばかりの恋情を塗りつぶしてゆく。ヴァルトハウゼン公爵一行がグロート男爵邸に到着したあの日、船酔いのためにぐったりと、若い執事と新しい侍女に抱きかかえられるようにして屋敷の中へ消えていったエレオノーラ。その時ですら彼女の隣に立つのが自分でないことに、胸が灼かれるかと思うほどの焦燥感を覚えたものだった。だから、感じているこの黒々とした感情に戸惑うことはなかった。
「招集期限は3日後です。明朝にもここを立つのがよいでしょう。次に貴方と顔を合わせる時には、貴方が高貴な方々と比肩する名誉と身分を得ていることを祈っていますよ。おっと、これは私としたことが少し話が過ぎましたね。貴方には期待していますよ」
同じく平民出身の成り上がり者同士、私は貴方のことがそれなりに気に入っているのです。ミュラー氏はそう言い残して、宿屋を後にした。
一人になった部屋で、エレオノーラに対する執着の深さと、己の業の深さを改めて胸に刻み込みながら、アヒムはじっと虚空を見つめ続けていた。
翌朝、アヒムはギュンターに突然の出立を詫びる短い手紙を残し、一路王都へ向かったのだった。
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