海を奔る竜

内藤 亮

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薩摩隼人

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 ふと気が付くと、啓綜達は遥か前方を歩いている。慌てて追いかけようとしたら、 
「与那嶺道場の方ですか」
 と呼び止められた。
「はい」
 頭に巻いたままの鉢巻には、警察部の紋章が刺繍されている。
「こんなことになってるなんて全然知らなくて……。申し訳ありませんでした」
 呼び止めたほうの男が、首が折れんばかりの勢いで頭を下げた。後ろに立っていた男も静かに頭を下げた。
「ご丁寧に、どうも」
 今更謝られても勝負の結果が覆されるわけではない。啓恭が最低限の挨拶をして皆の方に行きかけると、相手が慌てて言った。
「申し遅れました。僕は倉津尚昭くらつなおあきと申します」 
有里佳純ありさとかすみです」
 相手が名乗ったのだから自分も名乗らないわけにはいかないだろう。
「与那嶺啓恭です」
「では、与那嶺道場の……」 
「はい。啓綜は父です」
 二人は驚いたような顔をした。泊手の稽古にはとてもではないが、ついていかれないから、道場に顔を出したことはない。父の名は有名だが、息子がいることを知る者は少ないのだ。
 佳純が尚昭を促して帰ろうとした。
「これから平杓堂で祝宴を開くのですが。よろしかったら一緒にいかがです」
 率直な尚昭にふと興味をひかれた。薩摩隼人と話をするまたとない機会だ。思いがけない申し出に佳純は戸惑っているようだったが、
「面白そうだな。行ってみようよ。皆に出掛けると伝えてくる。うまい言い訳を考えるから、心配はいらないよ」
 尚昭がにこりとして言った。今まで緊張していたのだろう。浅黒い顔から白い歯がちらりとこぼれて、急に人懐こい顔になった。 
「まったく。あいつはこういう時だけ急に賢くなる」
 あっという間に走り去っていく尚昭を見ながら、佳純がため息をついた。
「僕らが行って、本当にいいのかな」
「もちろん、大歓迎です」
 先を歩いていた千遥が戻ってきた。
「皆が待ってるわよ」
「いま行くよ」
「そちらのお方は?」
 警察部の紋章に気が付いた千遥の声が硬くなる。
「今日の哈日のことで謝罪にみえたんだよ。せっかくだから皆にも紹介しようと思って」
「大丈夫かしら」
「祝宴はお爺様とお婆様もいらっしゃるんだろう。大丈夫さ」
 千遥の祖父母は客家ハッカで、手広く商売をしていて人の扱いに長けているし、門下生の信頼も厚い。
「そうかしら」
 千遥は不安そうにつぶやいた。
「待たせてすみません」
 走ってきたらしく、尚昭は息を切らせ大汗をかいている。千遥に気が付くと、顔を赤らめ慌てて頭を下げた。

 薩摩隼人を宴に招くとは……。さすがの啓綜も驚いたが、会ってみると二人とも気持ちの良い青年だ。
 大人しく飲み食いをしている門下生を眺めまわし、啓綜はほっと息をついた。念のため、亨江と祐輔を血の気の多い者の傍に座らせてある。
「で、わざわざ謝りに来たのか」
 啓綜が酒を注いでやると、恐縮して盃を承けながら尚昭が答えた。
「はい。あの、こちらへ招いてくださってありがとうございます」
「まあ、あの舟の連中もいろいろ事情があったんじゃろう」
 千遥の祖父、榮徳がのんびりと言った。
「おい宗太、こっちへ来い」
 啓綜に呼ばれ、宗太が渋々やって来た。
「どうぞ」
 佳純が酒を注ぐと、宗太は渋々盃を受けた。それを見て榮徳がにやりとした。
「すぐに仲良くなれとは言わんがの。まあ、互いをよく知ることは大切だぞ」
「はい」
 前日から千諒が仕込みをした料理はどれも素晴らしい出来栄えで、箸が進むうちに、皆自然と笑顔になる。早くも酔いが回って唄いだすものもいた。
 一通り料理が行き渡ったのを見て、千諒が言った。
「私たちも頂きましょうか。啓恭を呼んできて」
「はい」
 さっきまで一緒に料理を運んでいた啓恭の姿が見えない。千遥は急ぎ足で水屋に向かった。
「兄さん?」
 啓恭が胸を抱え込むようにして土間の隅でうずくまっている。
「母さん、呼んでくる」
 啓恭は慌てて千遥の袖をつかんだが、血流が減少した手は痺れて力が入らない。指先が爪まで白くなっていた。
「いつもの発作だ。大したことはない」
「でも」
「せっかくの宴なんだ。早く戻れ」
「薬は飲んだの?」
 啓恭は黙ったまま頷いた。もう声を出すことはできない。鋭い痛みが胸をはしる。声が漏れないよう身体を丸め歯を食いしばった。千遥が手を握っている。感覚の鈍った掌に温かい体温が伝わってきた。
 ようやく薬が効いて、息が継げるようになった。目を開けると目に涙を浮かべた千遥が、力を込めて手を握り返してきた。
 
「二人とも、遅いわね」
 水屋から戻って来たのは千遥だけだ。
「また倒れたのか」
「もう落ち着いたわ」
 啓綜と千諒はほっと息をついた。
「宴に参加できずに申し訳ないと、兄が申しておりました」
「どうしたのですか」
「この時期はどうも調子が悪いようだ。すまなかったな」
「いえ、そんな。啓恭君と一手お願いしたいのですが。他流試合、宜しいでしょうか。いつでもかまいません。泊手をぜひこの目で見たいのです」 
 尚昭が言った。
「流派は?」
 啓恭はあの身体だ。啓綜は即答を避けた。
「示現流です」
「ほう」
 示現流は薩摩で発祥した刀派である。生活に根付いた武道で、泊手との共通点も多い。木刀を握っている間は命をかけた戦いと同じという観点から、稽古は平服で行い、欠礼も許される。実戦を重んじる荒っぽい流派である。
「私が相手ではいけませんか」
 千遥が尚昭を真っ直ぐに見据えている。
女子おなごと試合はしません」
「女子ではいけませんか」
 千遥は、即座に言い返した。
 客家は女も男と同じように働き、教育を受ける。旧来、纏足の習慣がないのは、女も共に生活を築く働き手という考えがあるからだ。客家の母に育てられた千遥が女を蔑視する者を嫌うのも無理はない。
 薩摩は男尊女卑がいまだに残っている土地柄だ。はっきりと物を言う千遥に尚昭は目を剥いた。
「ええ、いけません」
「父さん、試おうて宜しいですね」
 尚昭の顔を見ようともしない。こうなると、千遥は後へ引かないのだ。
「ああ、かまわんぞ」
 千遥にも幼い頃から泊手の稽古をつけている。尚昭となら力は互角だろう。
 啓綜は、愛娘の申し出をあっさりと了承した。娘を見る啓綜は、いまにも蕩けそうな顔をしている。
 驚いたのは尚昭である。返事に詰まっていると、
「臆しましたか」
 千遥が追い打ちをかけた。
「まさか。申し出、お受けします」
 試合は十日後と決まった。


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