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上り日ど拝みゆる(あがりてだとおがみゆる)
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伸びあがって沖合を眺めながら、千遥が大声を出した。
「あ、戻って来たわ!」
双眼鏡で海を見ていた千遥はさすがに目が早い。
一位は太一の舟、その後を警察部の舟が追い上げていた。啓綜の舟は遥か後方だ。
すべての舟が港に帰って来た。空砲が二度鳴り、競漕が終了した。啓綜の舟に駆け寄った三人は思わず息をのんだ。皆、頭からずぶ濡れになり、黙りこくっている。
「くそっ。あいつらわざとだ」
宗太が頭から鉢巻をむしり取ると、地面にたたきつけた。怒りで目が吊り上がっている。
「あいつら?」
「まっしぐらに俺たちの舟に向かってきやがった。そんなに薩摩が大事なのかよ」
宗太が吐き捨てるように言った。審査係に、と言いかけた啓恭は口をつぐんだ。審査係の男が警察部の所長とさも親し気に話しているのが目に入ったからである。
「まあ、そういうわけだ。俺達にはどうしようもない。怪我人が出なくて良かった」
亨江が淡々と言った。
「太一さんの舟が優勝したのよ。今夜は平杓堂で祝賀会ですよ」
とりなすように、千諒が皆に声をかけた。
与那嶺道場の者だけでなく、太一や漁師仲間も肩を落として歩いている。薩摩に負けたことよりも、同郷人が薩摩に加担したことが皆を打ちのめしていた。
「またか……」
頬を腫らしている啓恭を見て、普猷は顔をしかめた。
「今何枚だ」
「三枚」
仏頂面のまま、啓恭は答えた。
方言札のことだ。方言札はもとはフランスの軍隊に端を発するのだという。標準語の使用を徹底させるため、方言を使うと罰として木札を首からかける。黒々と『方言札』と書かれた札を首からぶら下げるのは大変な不名誉だとされていた。札を外すためには方言を使っている者を見つけ、その者に札をかけるしかない。相互の監視によって方言撲滅をはかる巧妙な制度だ。札を外すために、わざと足を踏んだり急に殴りつけて、あが(痛い、の意)と言わせたりする。札をかけられるのはいつも弱い生徒だった。
長年、普猷の薫陶を受けてきた啓恭は、琉球の文化に誇りを持っていた。元々独自の文化や風習を持ち、国家への帰属意識が希薄だった沖縄で、何よりも重視されたのが初等教育の普及だった。本土の学生に追いつけ追い越せ、というのがウチナーの教師たちの至上目的だ。札を自ら掛けるようになったのは、弱い者いじめになりかねないこの制度が気に食わなかったせいもあるが、ヤマトゥに尻尾を振り闇雲に方言禁止を押し付ける教師に心底腹が立ったからだ。
平気な顔をして何枚もの札をぶら下げている啓恭は扱いづらい問題児だった。体罰を受けても、
「先生、非暴力、不服従ってご存知ですか」
などと平然としてうそぶく。普猷の薫陶を受けてなまじ弁が立つだけに始末が悪い。しかも、こういうときは、教師よりも淀みのない標準語で滔々と持論を述べるのだ。
身体のことを知って捨て鉢になっていた頃だから、啓恭は教師を恐れなかった。少々の体罰を加えても全く意に介さない生徒に、教師はほとほと手を焼いていた。
「気持ちは分からなくもないが……。もう少し巧くやれんのか」
「先生を見習っているだけです。巧くやったら意味がありません。僕は間違ったことはしていません」
啓恭は傲然と顔を上げ、言い放った。
普猷自身、中学生の頃に校長排斥のストライキを起こし退学になった強者なのだ。普猷は困惑した顔をして頭をかいた。
「ほどほどにしろ。万一のことがあったらどうする」
先週は終礼後にさんざん校庭を走らされたらしく、啓恭は図書館に辿り着いた途端、卒倒したのだ。
「沖縄のこんな俚諺を知っているかい」
沖縄の言葉で、普猷は二つの俚諺を暗唱した。
上り日ど拝みゆる、下がり日や拝まぬ
食を与ふる者は我が主也(ものくゐすどわーおしゆう)
昔から主を平気で変える娼妓主義が骨の髄までしみ込んでいる。沖縄人はそうやって生きるしかなかったんだよ……。
そう言って、普猷は寂しそうに笑った。
あの頃は鬱積した気持ちの矛先が欲しかっただけなのかもしれない。普猷の話は教師を弁護する詭弁のようにしか思えず、ふて腐れたまま家に帰ったのを覚えている。普猷は単に沖縄人の悲劇を嘆いたのではない。そうした県民性を培った社会を憂いていたのだ。
薩摩から金を貰って舟を漕ぐ。あの男たちは何を思っていたのだろう。
ふと気が付くと、啓綜達は遥か前方を歩いている。慌てて追いかけようとしたら、
「与那嶺道場の方ですか」
と呼び止められた。
「あ、戻って来たわ!」
双眼鏡で海を見ていた千遥はさすがに目が早い。
一位は太一の舟、その後を警察部の舟が追い上げていた。啓綜の舟は遥か後方だ。
すべての舟が港に帰って来た。空砲が二度鳴り、競漕が終了した。啓綜の舟に駆け寄った三人は思わず息をのんだ。皆、頭からずぶ濡れになり、黙りこくっている。
「くそっ。あいつらわざとだ」
宗太が頭から鉢巻をむしり取ると、地面にたたきつけた。怒りで目が吊り上がっている。
「あいつら?」
「まっしぐらに俺たちの舟に向かってきやがった。そんなに薩摩が大事なのかよ」
宗太が吐き捨てるように言った。審査係に、と言いかけた啓恭は口をつぐんだ。審査係の男が警察部の所長とさも親し気に話しているのが目に入ったからである。
「まあ、そういうわけだ。俺達にはどうしようもない。怪我人が出なくて良かった」
亨江が淡々と言った。
「太一さんの舟が優勝したのよ。今夜は平杓堂で祝賀会ですよ」
とりなすように、千諒が皆に声をかけた。
与那嶺道場の者だけでなく、太一や漁師仲間も肩を落として歩いている。薩摩に負けたことよりも、同郷人が薩摩に加担したことが皆を打ちのめしていた。
「またか……」
頬を腫らしている啓恭を見て、普猷は顔をしかめた。
「今何枚だ」
「三枚」
仏頂面のまま、啓恭は答えた。
方言札のことだ。方言札はもとはフランスの軍隊に端を発するのだという。標準語の使用を徹底させるため、方言を使うと罰として木札を首からかける。黒々と『方言札』と書かれた札を首からぶら下げるのは大変な不名誉だとされていた。札を外すためには方言を使っている者を見つけ、その者に札をかけるしかない。相互の監視によって方言撲滅をはかる巧妙な制度だ。札を外すために、わざと足を踏んだり急に殴りつけて、あが(痛い、の意)と言わせたりする。札をかけられるのはいつも弱い生徒だった。
長年、普猷の薫陶を受けてきた啓恭は、琉球の文化に誇りを持っていた。元々独自の文化や風習を持ち、国家への帰属意識が希薄だった沖縄で、何よりも重視されたのが初等教育の普及だった。本土の学生に追いつけ追い越せ、というのがウチナーの教師たちの至上目的だ。札を自ら掛けるようになったのは、弱い者いじめになりかねないこの制度が気に食わなかったせいもあるが、ヤマトゥに尻尾を振り闇雲に方言禁止を押し付ける教師に心底腹が立ったからだ。
平気な顔をして何枚もの札をぶら下げている啓恭は扱いづらい問題児だった。体罰を受けても、
「先生、非暴力、不服従ってご存知ですか」
などと平然としてうそぶく。普猷の薫陶を受けてなまじ弁が立つだけに始末が悪い。しかも、こういうときは、教師よりも淀みのない標準語で滔々と持論を述べるのだ。
身体のことを知って捨て鉢になっていた頃だから、啓恭は教師を恐れなかった。少々の体罰を加えても全く意に介さない生徒に、教師はほとほと手を焼いていた。
「気持ちは分からなくもないが……。もう少し巧くやれんのか」
「先生を見習っているだけです。巧くやったら意味がありません。僕は間違ったことはしていません」
啓恭は傲然と顔を上げ、言い放った。
普猷自身、中学生の頃に校長排斥のストライキを起こし退学になった強者なのだ。普猷は困惑した顔をして頭をかいた。
「ほどほどにしろ。万一のことがあったらどうする」
先週は終礼後にさんざん校庭を走らされたらしく、啓恭は図書館に辿り着いた途端、卒倒したのだ。
「沖縄のこんな俚諺を知っているかい」
沖縄の言葉で、普猷は二つの俚諺を暗唱した。
上り日ど拝みゆる、下がり日や拝まぬ
食を与ふる者は我が主也(ものくゐすどわーおしゆう)
昔から主を平気で変える娼妓主義が骨の髄までしみ込んでいる。沖縄人はそうやって生きるしかなかったんだよ……。
そう言って、普猷は寂しそうに笑った。
あの頃は鬱積した気持ちの矛先が欲しかっただけなのかもしれない。普猷の話は教師を弁護する詭弁のようにしか思えず、ふて腐れたまま家に帰ったのを覚えている。普猷は単に沖縄人の悲劇を嘆いたのではない。そうした県民性を培った社会を憂いていたのだ。
薩摩から金を貰って舟を漕ぐ。あの男たちは何を思っていたのだろう。
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