カットサロン◇タムラ

内藤 亮

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 夏休みに裕太の郷里に行くつもりだったが、納骨の予定を前倒しすることができた。遺志を尊重して海洋葬にしたが、仏様(喉仏の骨)だけは手元に残してある。
「あんな山奥の湿っぽい墓なんてお断りだね。ばあちゃんだって、好きにしていい、っていったじゃんか」
 裕太はもう、ベッドから起き上がれなくなっていたが、口調だけはいつも通りだった。
 自分に繋がる人々がいた証なのに、先祖代々の墓を無視するのもどうかと思う。知っている血縁者は母親しかいなから、ルーツの分かる裕太が羨ましかった。いま、裕太という人間がここに在るのは、過去から連なる人々がいたからだ。
「だから、ご先祖様にだって義理があるでしょ」
「ちいちゃんって、あんがい古臭いことを言うんだね」
 裕太は鼻で笑った。
「海洋葬にするって伝えたら、希恵さん、泣いていたのよ」
 裕太は震災で両親を失った。育った家だけではない。ゆかりの人々や思い出も海にのまれてしまった。当時は高校生で叔父の家に下宿していた裕太と、老人会の温泉旅行に出掛けていた祖母の希恵、結婚して既に家を出ていた姉の弘美があとに残された。
 裕太の生家は今も居住禁止区域となっている。海に還りたい、という孫の最後の願いを希恵が無下にするはずがないのだ。
「う。分かったよ。ちょっとは墓に入るよ」
 そういって、最後は裕太も折れたのだ。
 希恵は人生の大半を過ごした山間の村に戻って暮らしていた。新幹線から在来線に乗り換え、一時間に一本しかないバスに乗り換えて、さらに三十分ほどバスに揺られると、希恵の家に着く。
 希恵は夫が亡くなってもしばらくこの家に住んでいたそうだが、息子が家を建てたのを機に居を移した。両親は共働きで、幼い裕太には希恵の手助けが必要だったのだ。
 何ということはない古い民家だが、手入れは行き届いている。山の家、と呼んで長い休みは家族で別荘代わりにしていたそうだ。
 納戸には裕太と姉の弘美が使った玩具や絵本が今も置いてある。年齢に応じた、それも男女児の玩具が納戸にあったおかげで、茜里の玩具を買わないで済んだほどだった。 
 千怜は、所詮自分は当事者ではない、という遠慮があって、裕太の生まれ故郷や思い出には迂闊に踏み込まないようにしていた。プロポーズの後、裕太は何もなくなった野原に千怜を連れて行き、ここに家があった、と教えたが、生家を訪ねたのは、後にも先にもその一度きりだった。
 希恵の家が裕太の郷里であり、千怜にとっても帰る場所だった。
 希恵はバス停で待っていた。久しぶりに会う希恵は、身体が一回り小さくなっていた。
「こんにちは!」
「はい、こんにちは。すっかりお姉さんになって」
 茜里は照れ臭そうに肩をすくめた。
「千怜さんは……、ちょっと痩せた?」
「そうかも。でも、もう大丈夫。正社員としてサロンに就職しましたからね!」
 正直に認めながら、千怜は心の中で苦笑いした。裕太が病を得てからというもの、互いに鉛のような思いを抱えてきたのだ。残された者同士、今では希恵が共に戦った戦友のように思えてくる。
「あの高級住宅地のサロンに就職だなんて、すごいわ! 皆、あなたのカットを楽しみにしているわよ」
 山間のほとんど過疎のような村だが、インターネットのおかげで情報量は都市部と同じなのだ。村人、などと侮ってはいけない。
 その他大勢が押し寄せるのを嫌うような客ばかりだから、田村はホームページの類を一切作っていない。千怜が自分で撮ったサロンと田村の画像を送ったら、希恵はさっそく自慢(?)の嫁の勤め先を皆に宣伝したらしい。
「忙しくなりそう」 
 千怜はちょっと肩をすくめた。
 吉野の姓になって間もなくの頃だ。希恵のカットをしたら、何処でカットをしたのか、と婦人会中の話題になって、それ以降、帰省するたびに仕事をすることになった。
 最初は、裕太も千怜と一緒に住民のカットをしていたのだが、流行最先端のカットをしても少しも喜ばれない。マイダーリンというひいき目を差し引いても、各々に似合っていて悪くないと思うのだが、いつもと違うカットにだれも馴染めなかった。おまけに村中の住民は、悪ガキだった子供の頃から裕太を知っている。青山のサロンというブランドも全く効力がなくなって、どうしても評価の点数が辛くなるのだ。
「だめだ、ちいちゃん。後は頼むよ」
 裕太は早々に降参して、茜里と遊ぶ係りになった。
「荷物、届いているわよ。いつも通り、和室に置いてあるから」
「ありがとう、希恵さん」 
 届いた荷物の中には、染色液やパーマ液が入っている。各々の顔立ちや色の好みを考えて用意するから、かなりの重量だ。一人ではとても運びきれない。 
 婦人会の面々には、親子共々が世話になっているから、当初はパーマや染色液の実費だけをもらうつもりだった。婦人会長をしている佐和にそう言ったら、きちんと料金を取るのが皆への礼儀だし、タダ同然では逆にカットを頼みずらくなる、と怒られてしまった。
 考えてみれば、佐和の言うことは尤もだった。住民も知っているチェーン店と同じくらいの料金設定にしたら、手ごろな料金で垢ぬけたカットをしてもらえる、と評判となり、今では帰省している子供や孫のカットまで頼まれるようになった。
「茜里ちゃんの部屋、二階に用意しておいたから。見ていらっしゃい。向かって左、角の部屋よ」
 茜里は顔をぱっと輝かせて、二階へ駆け上がっていった。
「頑張って稼がないとなぁ。そろそろ個室が欲しい年ごろだろうし」
 一部屋しかないアパートに二段ベッドを設置し、小さな座卓で食事も勉強も済ませる、という人口密度の高い生活をしているから、茜里は自分専用のスペースを与えられたことが嬉しくて仕方がないのだ。
「それ以上、頑張らないでちょうだいよ」
「焦っちゃうんです。教育費とか色々考えると」
「お金を掛けなくても、学力って身に着くんじゃないの? 私の時代の話だけれど」
「今のほうが、無料で学べる環境が整っているくらいですよ。でも、つい、ね。苦学はさせたくないなって」
「分からなくもないけれど。そろそろ自分の事も考えなさいよ」
「はいはい」
「また、そんな返事をして」
「あの、これ……。裕太の仏様です」
 希恵は香箱に入った裕太をおしいただき、両の掌でそっと包んだ。皺の目立つ眼元からみるみるうちに涙が溢れてきた。
「本人の了承、ちゃんともらってますから」
 涙をためたまま希恵は頷いた。
 二階からパタパタと軽い足音がして、勢いよくドアが開いた。
「素敵な部屋! おばあちゃん、ありがとう!」
「どういたしまして」
 慌てて涙を拭った希恵が掠れた声で答えた。
「亜希子ちゃん、来てる?」
 隣家の老夫婦の孫、亜希子ちゃんは、今、五年生だ。下に弟がいて、小さな子供の扱いも上手いし、山や川遊びのノウハウを豊富に知っているから、茜里にとって格好の遊び相手だった。
「ええ。連休中はずっとこっちですって」
「遊びにいっていい?」
 目を輝かせた茜里は、亜希子ちゃんのことで頭が一杯で、希恵の涙には気が付かない。
「もう? いま着いたばっかりなのに」
「早く会いたいんだもの。ね、いいでしょう?」
「夕飯の時間までには帰ってきなさいよ」
 千怜はやたらと瞬きをしている希恵の代わりに答えた。あっという間に外へと駆け出していく後姿を見ながら、希恵はほっとため息をついた。
「子供は元気ねえ」
「本当」
 希恵と目が合って、どちらからともなく、笑みがこぼれた。
 
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