骨壺屋 

内藤 亮

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 朝の散歩で吐く息が白くなった。クロ親子はこの寒さの中でも散歩に付き合ってくれるが、最近はすぐにどこかにいなくなってしまう。とはいうものの、原因は私にある。せっかく朝の貴重な時間を割くのだから、本気で走ることにしたのだ。犬と違って、猫は長距離を走るのには付き合ってくれない。
 島崎との遠足でたくさん歩いたせいだろう。夜寝るときに、ふくらはぎがつって、翌日は筋肉痛になっていた。日頃の運動不足がもろに出てしまった。営業職のときはそれなりに歩いていたが、ここ数年はまともな運動をほとんどしていないのだ。最後まで自力で歩くためには根性だけではダメだ。
 走り始めてから一ヶ月ちょっとたった。だんだん息が切れなくなって、走る距離が伸びてくるのが嬉しい。いっそ犬も飼ってしまおうか、と近頃は半ば本気で思っている。
 店に戻ると、クロ親子が並んで座って朝ご飯を待っていた。親子に餌をやり、汗を流して自分も朝食をとってから、店の準備をする。店の暖房は、アラジンストーブだから、日々のメンテナンスが欠かせない。気流によって吸い込まれた埃を取り除き、綿の芯を丁寧に削って、説明書の写真のようなブルーフレームになるように調整する。もと家電メーカーに勤めていて、こういうのも何なのだが、エアコンの風は喉がカラカラになるから苦手だ。対流式の灯油ストーブは、部屋全体をほっこりと温めてくれる。手間が少々かかるが、やはり心地がいい。
 少しずつだが固定客もついきた。日常で使うマグカップや茶碗はうっかりぶつけて縁が欠けたり、割れたりと、アクシデントがつきものだ。引き出物の依頼を受けたことがきっかけとなって、ベーシックな器のいくつかは定番商品にして、追加購入が出来るようにした。単価は限られるが、一定数がコンスタントに売れる商品は作る側の定収入にもなる。半分道楽で始めた商売だったが、この半年でようやく店の形が出来てきたように思う。少しずつ利益も出るようになった。
 島崎は寒さが苦手だそうで、このところさっぱり店に顔を出さない。クリスマスのキラキラデコのスタンプを送ったら、既読がついたあと、ものすごく長い時間がたって、返事が返ってきた。アニメーション&音声付きの(!)スタンプだった。あの島崎が一生懸命にスタンプを送っている姿を想像するだけで、なんだか可笑しい。
 季節は巡り、日々が穏やかに過ぎていく。こうやって私は私の道をゆっくり歩いて、老いていけばいいのだ。クロのおかげなのか、道祖神にお願いしたのがよかったのか。今のところ道に迷わないですんでいる。
 骨壺と和食器の店だが、店の装飾はアドヴェントからリースを飾ってある。松ぼっくり、樅ノ木、赤いリボンという、ごくオーソドックス&クラッシックなタイプだ。近所の花屋に頼んで作ってもらった。本当の素材を使っているのでゴージャスだが、今年しか使えない。正月飾りを使いまわす人はいないのだから、クリスマスリースもそれに倣うことにしたのだ。電飾はそぐわないのでなしにした。
 クリスマスが終わったから、今日からはリースを正月飾りに変え、店先には門松を飾った。外国や商業施設はクリスマスの装飾が年明けもしてあるが、この店でそういうわけにもいかない。和の物を扱うからには、季節感にもそれ相応の心配りがいる。
 店内がほどよく温まってくるころには、ちょうど店を開く時間になる。準備万端、客を待っているのだが、正雄夫婦が年末の挨拶に顔を出したきりだ。
 十二月の売り上げは散々だった。マグカップがいくつか売れて、辛うじて赤字を免れることが出来たが、クリスマスプレゼントに骨壺はありえないし、年末年始のご挨拶に、骨壺もない。
 空には厚い雪雲が垂れ込めている。今にも降ってきそうな空模様だ。元白物家電のメンバーは、今頃は新しい会社に馴染むべく必死で働いて、新天地での忘年会に参加していることだろう。能天気に私的な忘年会に誘うわけにはいかない。
 去年まで忘年会、新年会と年末年始はスケジュールが目白押しだったが、今年からは違うのだ。年末年始は一人で何をしよう、と考えていたら、店のドアが開いた。
「やあ」
 彰だった。
「お久しぶり」
 引き出物の注文に来たのね、と祝辞でも述べて、一発かませてやろうかと思ったのだが、寒さのせいだけではなさそうな青い顔をした彰をみると、そんな気分が吹き飛んでしまった。突然、彰ががばっと頭を下げた。
「ごめん。俺、最低だ」
 いや、そんな。いきなり謝られても困る。
「ええと、ちょっと待ってて。シャッター、閉めてくる」
 
 シャッターを閉め、店に戻っても、彰はさっきと同じ場所に突っ立っている。
「お茶、淹れるね」
 椅子をすすめると、彰は素直に腰かけた。
 お茶を淹れても、彰は俯いたままだ。膝の上に置かれた手が白くなるほど握り締められている。間がもたない。参った。仕方がないので、後で食べようと思っていたとっておきのおはぎを出すことにした。もったいない気もしたが、彰の分も皿にのせてやった。
 最近馴染みになった若夫婦が営む和菓子屋『松濤館』のおはぎが、マイブームなのだ。この地で代々続く和菓子屋で、時恵の孫娘、日菜子が店を継いだ。日菜子の婿、克己は専門学校の同級生だ。克己は老舗和菓子屋の次男坊だそうで、パートナーの選択からして、日菜子は気合が入っている。店は祖母の時恵を筆頭に三人で切り盛りしている。日菜子の父親は和菓子に一切興味がなく、公務員になった。息子にさっさと見切りをつけた時恵は、先見の明があった。
 爺さんと二人でやっていた時の全盛期のように和菓子が売れるようになった、と時恵がそっと教えてくれた。「二人が天狗になるといけないから、まだ秘密だけれど。もうすぐあの頃を超えるわよ」と時恵は嬉しそうだ。
 和菓子や赤飯は毎日完売で、昼頃には棚が空になってしまう。骨壺がそんな風に売れたら、ちょっと怖いが、商売をしている身としてはやはり羨ましい。
 クリスマスに和菓子を買うのは私くらいだろうと思って、油断していた。昼休みに店まで行ったら、棚は既にスカスカで、ようやくぼた餅ときなこ餅を買うことができたのだ。営業時間が短いうえ、連休や盆暮れはしっかり休みをとる。暫く時恵のぼた餅とはお別れなのだ。餡は小豆の風味を生かした絶妙な甘さの仕上がりで、餅は米の馥郁とした香りがして喉に詰まりそうな柔らかさだ。きなこ餅のあんには胡桃が入っていて、これがまた、香ばしくてカリカリして絶妙な組み合わせなのだ。ああ、至福の瞬間。食べようと大口を開けると、彰が言った。
「白王女は相変わらずタフだな」
「きな粉餅を食べたら、タフなわけ? 相変わらずの礼儀知らずね。ま、いいわ。一口食べてみなさい。くだらない御託なんて吹っ飛んじゃうから」
 彰は苦笑いしながら小さく首を振った。
「子供が出来た……」
「そう……」
「バカだった。遊びよって言われて、信じちゃって」
 彰は乱暴にぼた餅にかぶりついた。ぼた餅を食べながら、大粒の涙をこぼしている。泣きながら餅を食べるのは危険だ。案の定、喉でも詰まらせたらしく、彰は激しく咳き込みはじめた。
「もったいないなぁ。苦労して手に入れたんだから。味わって食べてよね」
 ティッシュペーパーの箱をポンと投げると、こらえきれなくなったのだろう。彰は両手で顔を覆った。
 しばらくして顔をあげた彰は、目元を拭い、照れくさそうな笑みを浮かべた。
「確かに旨いな、このぼた餅」
「でしょう。お茶、冷めちゃったね。淹れ直す」
「俺が淹れるよ」
 相変わらず、きれいな手をしている。彰は器用に茶を淹れると、私の前に置いた。
「ありがとう」
 きな粉餅の続きをやっと食べることができた。ほっと一息ついていたら、彰が言った。
「泊ってもいいか」
「ダメにきまってるでしょ」 
「子供は堕ろさせる。まだ間に合う」
「とうとう人殺しになるわけ? 勘弁してよ。さっさと、彼女の所に帰りなさい」
「この豪雪の中、外に出すのか」
 シャッターの閉める音を聞きつけたらしく、クロの子供たち、といっても、もう成猫なのだが、が出てきた。
「ご飯ね。さ、奥に行きましょ。じゃあね、彰君。はい、傘、あげるから」
 ビニール傘を差し出すと、彰に抱きしめられた。助けを求めようとクロに視線を送ったが、クロは知らん顔をして、家の奥に行ってしまった。他人がいるときは、あくまでも猫を貫くのだ。
「帰らない」
 低い声で彰が言った。負けてたまるか。ぐらりとしそうになったが、辛うじて持ちこたえる。
「さっさと帰りなさいよ。電車が止まったら困るでしょ」
 言い終わらないうちに、彰は唇を押し付けてきた。広い背中。高い体温。身体が彰を思い出す前に、彰を突き飛ばしていた。
「何するのよっ! 帰って!」
 彰はうなだれると、傘もささずに外に出て行った。
 アラジンストーブは燃えているはずなのに、部屋の中が深々と冷え切っている。こんな日は温かいお風呂にゆっくり入って、さっさと寝てしまうにかぎる。ストーブを消して二階に上がろうとすると、シャッターをガタガタゆする音がする。何事かと思って外に出ると、雪だらけになった彰が立っていた。
「電車、止まっちゃった」
「ウソでしょ」
「本当だよ。ほら」
 彰が嬉しそうにスマホの画面を見せた。


 
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