骨壺屋 

内藤 亮

文字の大きさ
上 下
9 / 24

しおりを挟む
 ふと気が付くと、辺りは真っ暗だった。閉店時間はとっくに過ぎている。慌てて電気を灯し、クロ親子を呼んだ。子猫たちが尻尾を立てて走ってきた。
「御飯、遅くなってごめんね」
「そんなこと、いいのよ」
 クロの声だ! 頭の中、とかではない。寅吉といるときと同じように、明瞭な声が耳に届いた。
「寅吉さんが居なくても話せるの?」
「ええ、もちろん。尚子さんにあの人の姿が見えたり、私達の言葉が聞こえるのは何故かしらって、気になっていたものだから。貴方のことがよく分かるまでは普通のネコでいようと思ったの。彰さんとの話、きいたわ。だからなのね、貴女がそんな力を持ったのは」
「?」
「失うものもあれば、得るものもあるってことよ」
 子供たちはクロの言葉が聞こえないらしく、キャットフードをカリカリといい音をさせて夕飯を食べている。
「この子たちはまだ子供だから。私たちの話は聞こえないはずよ。念のため、おまじないをかけておいたし」
「クロさんってすごいのね」
 ふふっとクロが笑った、ような気がした。獣医師の話では、クロは二歳くらいだそうだ。最初の発情の時に身ごもったらしい。猫の歳は人とは違うが、クロは私なんかよりずっとしっかりしていて大人、だ。
「あの、お気になさらず、ご飯、たべてください」
 クロはさっきから一粒もキャットフードを食べていないのだ。
「私のことはいいのよ。ほら、涙を拭いて」
 慌てて頬に手をやると、涙で濡れて冷たくなっていた。小さな肉球が優しく涙を拭っている。柔らかくて温かい肉球が防波堤を壊してしまったようだった。もう、堪えられない。喉がひくひくしはじめた。
 キャットフードを食べ終わった子猫たちが、キョトンとした顔をしてこちらを見ている。クロがニャア、と一声かけると、子猫たちはどこかへ行ってしまった。
「さぁ、子供たちもでかけたわ」
 クロの声が契機となったかのように、私は子供の様に声をあげて泣いていた。ひとしきり泣いたら、胸のつかえが消えていた。以前に泣いたのはいつだったのだろう。こんなに思いきり泣いたのは忘れるくらい昔だ。さっぱりしたら、お腹が減っていることに気がついた。涙活、なんてバカにしていたが、案外と効果があるらしい。
「クロさん、お腹空かない?」 
「少しは落ち着いたみたいね」
「そういえば、子供たちはどこに行ったのかしら」
「今頃は、アヴァンチュールを楽しんでいるわ。あの子たちもそういう歳になったのよ。私の子育てはそろそろ終わりね」
 そういって、クロはふうっと満足げなため息をついた。私には一生、つくことの出来ないため息だ。
「尚子さん、あなたは頑張ってるわ。頑張りすぎているくらい。時には肩の力を抜いて。弱音をはいたっていいのよ。私でよければ、いつでも話をきくわ」
 クロはそういうと、キャットフードの入った皿の方にスタスタと向かっていった。安っぽい慰めの言葉なんてかけないのが、いかにも猫らしい。
「あのう、今夜はお刺身なので、一緒にどうですか」
「あら、いいわね」
 猫の表情は人とは違うけれど、表情が和らいでいるのが分かる。そんな猫離れしたクロにキャットフードだけでは申し訳ない。
「あのう、いつもキャットフードでいいんですか」
「栄養のバランスがとれているそうだから。獣医さんだって言っていたでしょう。毎日、獲物を狩るのは、ネコだって大変なのよ。キャットフードも結構美味しいし」
「それを聞いて、ちょっと安心しました」
「猫の味覚は人と違うんだから、心配しなくていいのよ」
 あったばかりの頃の、ガリガリに痩せていた親子を思い出した。チュー○を喜んで食べるのはもちろんだが、ドライフードもちゃんと食べてくれるのは助かる。賢い猫だ。
 小皿に刺身を取り分けてやると、クロは行儀よく一切れずつ堪能しながら味わっていた。
 クロはキャットフードと刺身をきれいに食べて、満足そうに身繕いしている。思いきってきいてみた。
「好きな人の子供を産むって、どんな気持ちですか」
 クロは小首をかしげ、ちょっと考えていた。
「この子たちを無事育てあげないとって。それだけよ」
「それだけ?」
「ええ、それだけ」
 クロは私の顔を覗き込むと、笑った。
「猫は、人みたいに愛している人の子供を産みたいとか、考えないの。私達は、交尾が刺激になって排卵するから、一腹の子供でも父親が違うなんてザラだし。寅吉はケンカが強かったから、あの子たちはみんな寅吉の子ですけどね」 
「はぁ、そんなものですか」
「そんなものよ。子育て中は、忙しくて、好いた惚れたなんてヒマはないし。人だってそうでしょ?」
「いやぁ、そんなことはないですよ」
 だから、悲惨な事件が起こるのだと思う。
「そうなの? 人って不思議ね。余裕があるからかしらね。野良猫は毎日、食べていくのでいっぱいいっぱいだから」 
「寅吉さんのこと、今でもやっぱり好きなんでしょう?」
「そうねぇ。いい人だったわ」 
 クロはそう言って、ふわりと笑った。

 生き物の営みを一つ手放してしまった。あの日から、弱みを見せてたまるか、負けてたまるかと、そんなことばかり思いながら生きてきた。たわいなくじゃれ合っている親子を見ていると、こうやって生きていくのもありかな、と、思えてくる。あの時、彰に言葉をぶつけてしまったことを後悔した。
 空が急に高くなって、池の周りの木々が色づいてきた。隣接した公園では子供たちが歓声をあげて紅葉や銀杏、色々な形をしたドングリを拾っている。
 今日の最初の客は老夫婦だった。静かに話をしながらゆっくりと器を吟味している。それとなく二人の会話に耳を傾けると、飯茶碗か何かを選んでいるらしい。
「これじゃあ、大きいかしら」
「大は小を兼ねるっていうじゃないか」
「それもそうねえ」
 夫人はクツクツと笑っている。
「これ、お願いします」
 老夫婦がカウンターに並べたのは骨壺だった。それも三つだ。生の延長に死がある。いつか吹く風に耳を澄ませながら日々を過ごしたい。偉そうにそんなことを思ってこの仕事を始めたのだが、老齢の夫婦に骨壺を三つもカウンターに並べられると、さすがに焦る。ぎゅっと胃が縮んで塊がせりあがってきた。一家心中なんてことはない、ですよね?
「はい。少々お待ちください」
 エコ包装を掲げているから、化粧箱は有料だ。ほとんどの客は簡易包装を希望する。夫婦も簡易包装を希望した。骨壺を贈答用にする客は、多分いないだろう。背中を向けて壺を包みながら、夫婦に分からないように深呼吸をした。
「ビックリなさったんでしょ。爺《じじい》と婆《ばばあ》が三つも骨壺を買うから」
「いえ、そんな」
 こくり、と唾を飲み込みながら返事をした。骨壺屋の主がこれしきの事で動揺してどうする。
「こちら、お品物です」
「ありがとう。あのう、少し、お喋りしてもいいかしら」
「まあ、いいじゃないか。帰ろうよ」
 夫がたしなめた。
「宜しければ、ぜひ。お話を聞かせてください」 
 こういう時、もと居酒屋の店舗は便利なのだ。長いカウンターも水回りもそのまま残してあるから、茶を淹れるくらいわけない。バックヤードから椅子を持ってくると、夫婦のほうがビックリした。
 湯呑や茶碗、ぐい呑み。島崎は頓着なく、処分しちゃって、と言っていたが、菊水庵の器はどれも味があっていい器だった。処分するなんて、とんでもない。かなりの数、手元に残してある。茶は上等の緑茶にした。ほうじ茶や玄米茶は、この夫婦には似合わないような気がしたのだ。
「どうぞ」
「いただきます」
 喉を潤すと、夫人があら、美味しいと、意外そうに目を丸くした。夫も、ほう、と感心している。
「私たち夫婦と、もう一つは、亡くなった娘の分なんです」
 見合いをして一緒になった。やがて子供が生まれた。早産だった。栄恵《さかえ》と名付けたが、赤ん坊は3日間の命だった。産後の肥立ちも悪く、夫人は子供の生めない身体になった。
「石女、って分かります?」
 私は黙って頷いた。
「昔は、子供が生めないことが立派な離縁の理由になったんですよ。実家に帰る覚悟をしていたら、この人が、」
 そういって夫に目を遣ると、当の本人は、照れ臭そうにそっぽをむいた。
「跡継ぎは幾らでも見つかるが、この人は一人しかいないって。親族全員を敵に回しても構わないって勢いで。まあ、その凛々しいことといったら」
 あの子の話をするつもりが、この人の話になっちゃったわ、と夫人は上品に笑った。
「あの子のことは頭から離れたことはありません。でもね、女の仕事はそれだけじゃあ、ありませんから。この人ったら料理も掃除も何にもできないんですよ。これからはそういうことも教えないとですからね」
「あんまり厳しい指導は困るよ。こっちは初心者なんだから」
「はいはい」
 夫人はクスクスと笑いながら答えた。
「跡継ぎは無事に見つかって。今はその子が店を引き継いでます。僕なんかよりずっと立派な経営者でしてね。おかげで心置きなく引退できました。これからは娘ことをゆっくり思い出してやれます」
「お話してくださって、ありがとうございました」
 婦人が心の中を見ず知らずの私にさらけ出してくれた。この器たちの持つ力なのだろうか。思いの込められたモノには魂が宿るという。付喪神は
本当にいるのかもしれない。
 帰り際、夫人が言った。
「この紙袋、うちの商品なんですよ。毎度ごひいきに」
 そういって夫婦が頭を下げた。
「えっ。あの、こちらこそよろしくお願いします」
「また来るわね」
「お待ちしています」
 菊水庵で使っているのは老舗の文房具屋のオリジナル商品だ。簡易包装にした代わりに、袋だけは奮発したのだ。都内の一等地にある本社を知らない人はいないいないだろう。あの地味な御主人が社長だったのだ。夫婦が帰った後、急いでタブレットを取り出して、購読している経済紙の紙面を探した。あった! 確かに社長はあのご主人だった。記事は、新しく就任した社長の紹介と、先代の社長は経営から一切手を引く旨が記されていた。 
 骨壺を三つ並べて夫婦はどんな話をするのだろう。二人でこれまで歩んできた旅路を語り合うのだろうか。
 一人で老いていく。耳が遠くなり、目がかすみ、この手が染みだらけになっても私は一人なのだ。クロがいるのは心強いが、猫の寿命は人とは違う。でも、と思い直す。今、目の前にある4つの命を守るのは私なのだ。それに、島崎もいる。まだまだ一緒に島﨑と一緒にご飯を食べたい。遠くをみてばかりいると、心許ない。今は足元だけをみて、暮らしていくことにしよう。
「尚子さん、そろそろご飯にしましょうよ」
 クロの声で、我に返った。
「あのね、ネットサイトで猫のおうち御飯っていうレシピをみつけたの。今夜はそれを作ってみようと思って」
「まあ、楽しみ!」 
 クロがそそくさと台所についてきた。 
 鳥肉を少量のバターで炒めておく。鳥の骨のスープで煮た野菜に取り置いてあった肉を加えて、ひと煮立ちすれば出来上がりだ。私の分は野菜を大きめに切って、塩コショウした。
「たまには女二人の夕飯もいいわねぇ」 
「ですね」 
 同じ物を食べていると、種の違いなんて忘れてしまう。子猫たちが帰ってきたら、もう一度スープを温めてやろう。外は冷たい風が吹いている。
 
 
 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

カオルの家

内藤 亮
大衆娯楽
 出されなかった貴方の手紙。 僕が届けました。  宥己は、伯母の馨に幼い頃から可愛がってもらった。馨は小学生の頃に事故で亡くなって、馨との思い出はそこで途絶えている。  ある日、宥己が部屋の掃除をしていると、伯母が出そうとしていた葉書をみつけた。  宛名は芳。  芳は馨の古くからの友人で、伯母のことを良く知っているらしい。  思い出に導かれるように、宥己は芳に会いに行く。 約90000文字で完結します。 エブリスタ、ヒューマン部門にて最高二位。

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

夫の浮気

廣瀬純一
大衆娯楽
浮気癖のある夫と妻の体が入れ替わる話

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

夫の妊娠

廣瀬純一
大衆娯楽
妊娠した妻と体が入れ替わった夫が妊娠して出産をする話

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

ああ、本気さ!19歳も年が離れている会社の女子社員と浮気する旦那はいつまでもロマンチストで嫌になる…

白崎アイド
大衆娯楽
19歳も年の差のある会社の女子社員と浮気をしている旦那。 娘ほど離れているその浮気相手への本気度を聞いてみると、かなり本気だと言う。 なら、私は消えてさしあげましょう…

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

処理中です...