カオルの家

内藤 亮

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 引っ越しの荷をほどいたら外は真っ暗になっていた。日中は汗ばむほどだが、日が落ちると急に温度が下がる。山本が用意してくれた部屋は、以前住んでいたアパートの倍は床面積があった。持ってきた僅かばかりの家具が広い部屋の中で申し訳なさそうに収まっている。
 近所にはコンビニしかないから買出しに行くことにした。山本が教えてくれたスーパーマーケットは車で十分ほどの場所にある。今乗っている白いセダンも、使っていない社用車があるからと山本が貸してくれたものだ。
 地元の企業らしく、聞いたことのないスーパーマーケットだった。
 馨のパート先だったスパーマーケットを思い出す。古びた陳列棚に並べられた品数の少ない商品がチカチカ点滅する古びた蛍光灯に照らされていて、いかにも侘し気だった。
 覚悟をして出かけたのだが、いざ到着してみると、びっくりするほど大きなスーパーマーケットだった。広大な駐車場は客層の広さをそのまま示すように高級車から大衆車、作業用の軽トラックまで様々な車がずらりと並んでいる。宥己はようやく空きスペースを見つけて車をとめた。
 店内の一区画にはコインランドリーが設置されていて、業務用の大きな洗濯乾燥機のなかで布団がぐるぐると回っていた。ここに来れば天気が悪くても生乾きになっている洗濯ものから解放される。
 樹々に囲まれた馨の家は夏でも湿度が高いし、冬はすぐに日が落ちて、洗濯物がからり、と乾くことが滅多にない。冬は薪ストーブのある居間が洗濯物に占拠されていた。
 いつでも洗濯ができるのはありがたい。ランドリーの利用料金と使用方法をチェックしてから宥己は店内に向かった。
 大きなカートを押して店内に入ると、品数の多さに驚かされた。通路が広々としていて、商品棚には新鮮な野菜や果物、肉や魚がずらりと陳列されている。どの商品もよく吟味されていて都市部の高級食材を扱うスーパーと比べてもなんら遜色はない。調理済みの総菜も豊富で、調理しなくても食事が出来るようになっている。綺麗に盛り付けされた刺身やオードブルはそのままホームパーティーに出せそうだ。
 惣菜コーナーで根菜の煮物と焼き魚を買って食べた。レンジで温めるだけでお袋の味が楽しめる。砂糖、酒、醤油だけで味付けした素朴な味は綾の凝った料理よりもよほど口に合った。腹がくちると瞼が重くなってくる。部屋の真ん中に布団を敷いて大の字になって眠った。

 めぼしい土地は大手が買い占めてしまったから、ここしばらく大規模な新築住宅の販売はない。あったとしても古屋を建て替えくらいがせいぜいで、今のセレクトホーム市村の主な業務は仲介とリフォームだった。
 古くからの工務店だから、手がけた物件はかなりの数になる。築年数の経った物件も多いから、塗装や屋根のリフォーム、ちょっとした修繕などはしょっちゅうあった。現行法で新築の許可申請をすると古家より狭くなるケースも多いから、代替わりを機に大々的にリフォームをしたい、と申し出る客もかなりの数にのぼった。
 バブルの時代に土地を買えなかったおかげで、負債はないし、もともと社員の数も少い。セレクトホーム市村は賃貸物件の収入とリフォーム工事だけでも充分にやっていけるのだ。 
 お前がいれば外注しなくてもすむ、と言われ、建て替えの案件も数件手掛けている。今までのルーティンワークとは違って法的なこともチェックしなければならない。学生時代の教科書を久しぶりに取り出して書類を作成した。
「おはようございます」
「おお、今日も早いな。どうだ、少しは慣れたか」
「はい。最初から最後まで自分で手掛ける仕事は面白いですね! 給料をもらいながら色々勉強させてもらって。ありがとうございます」
 ゼネコン時代の仕事は流れ作業のようだった。CADで設計したデータを引き出して若干の変更を加える。億単位のマンションでもない限り、間取りは似たり寄ったりだ。バリエーションに富んだ戸建ての設計をするのは学ぶことが多かった。留学して座学で学べば学位は取れるが、日々実務で苦労して得た知識はまさに血となり肉となっている実感があった。
 やはり、ここが合っているらしい。
「評判、なかなかだぞ。宥坊のおかげで売り上げ倍増だ」
 褒めて伸ばすのが山本の教育方針だ。だから山本の評価は甘いのだ、と分かってはいるのだが、悪い気はしない。 
「そう言っていただけると嬉しいです。住むところまで用意してもらって。本当にあんな安い家賃でいいんですか」
「福利厚生で落とすからいいんだよ。あれが立派か? 建坪単価なんて大したことねえぞ。みりゃあ分かるだろ。ここらじゃあのくらいの広さは当たり前だ。実を言うとな、単身者を当て込んで建てたんだが目論見が外れてな。家族中から総攻撃をくらった。今の若者はもっと贅沢なんだとよ」
 そういって山本は苦笑した。経理は洋子が、営業は信良が担っているから、二人から怒られたのだろう。家賃をかなり下げたそうだが、まだ空き部屋が数戸残っている。管理人も兼ねて住んでくれ、と山本に言われたのだが、気兼ねをさすまいという気遣いだけではなさそうだった。
 ひと月に一度、専門の業者が掃除に来るのだが、不届きな者も多いから油断をしているとゴミ置き場がスラムのようになってしまうのだ。
「お前が越してからクレームの件数が激減したぞ。ありがとな」
「お役にたててよかったです。車まで用意していただいて。すごく助かってます」
「ボロ車ですまんがな。不動産屋は車がなけりゃあ仕事にならん。お前も、好きな車を買っていいんだぞ。ガソリン代が出るから、ほかのやつらは皆好きな車に乗って営業しとる」
「あの車で十分ですよ」
 今まで自分の車など持ったことはないのだ。
「教えて頂いたスーパーマーケット、すごいですね! もっと大きい冷蔵庫を買わないと」
「気に入ったか」
「そりゃあもう」
「物件購入を迷ってる客も、あのスーパーマーケットに連れて行けば一発で契約が成立だ」
「出来合いの物も旨いし、パン屋もデリカテッセンも洒落てますよね」
 ブルーチーズをつまみに晩酌をするのがこの頃の楽しみだ。ワインもチーズも都市のデパートと遜色のないものを揃えていて、芳の真似をしてシャンパンを用意し、フランスパンにオリーブオイルを浸して食べることもある。
「最初は別荘族をターゲットにしたそうだが、今じゃあ地元民も大喜びだよ。あのスーパーが出来たおかげで、母ちゃんを怒らせて飯を作ってもらえなくなっても平気ってわけだ」
 そう言って山本は豪快に笑った。
「お母さんに言いつけるわよ。そろそろ結城さんと会う時間でしょう?」
 洋子が分厚いファイルを持ってやってきた。
「今から行くところだ。そう急かすな」
 
「システムキッチンの色はパールホワイト、オーブンレンジつき。型番はこれでいいですね」
「素敵! これで思い切り料理が出来るわ」
 芳が顔をほころばせた。
「きょうで打ち合わせは終わりです。来週から施工に入ります」
「楽しみだわ。あのう、施工中も見に行っていいかしら?」
「ええ、勿論。ここに棚をつけて、とか図面以外にご希望があったら、棟梁と直に相談したらいいですよ」
 山本が言った。
「そんなことをしてもいいんですか」
「ご自分の家なんですから。まあ、その、お金はいただきますけれど」
 山本がそういうと、芳はクスリと笑った。
「この図面通りで大丈夫そうよ。色々とありがとうございました」
 馨の家にもう一度、こんな形で携わることになるとは思いもしなかった。馨と過ごした日々は長い間、心の奥に封印してきたのだ。図面を引いていると、波のような感情が襲ってきて、網膜に映るCAD(設計ソフト)の画面が滲んでいる。そうなるともう設計図は描けない。パソコンをシャットダウンして、部屋の中をグルグル歩き回って頭の中から馨の面影を追い出した。
 家の引き渡しが終了したら、この家の担当を代わってもらおう、と思いながら山本と会社に戻った。
 
 
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