カオルの家

内藤 亮

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 ページを繰るうちに、少年の頃の軟な心が蘇り目頭が熱くなってくる。
 参ったな。
 照れ臭さを独り言で誤魔化し、スケッチブックを勢いよく閉じると膝の上に葉書が落ちてきた。切手が貼ってある。厚手の水彩用紙を使った手製の葉書で、日付は馨が亡くなる前日の日付が記されていた。表には紅葉した木々が描かれ、裏側には近況報告と山小屋に招待する旨が記されている。
 あの夏が馨と過ごした最後の夏となった。秋になったら一緒に鬼胡桃の実を採りにいこう、という約束も反故になった。
 トラックが中央線を乗り越えて馨の軽自動車に衝突したのだ。運転手の飲酒運転だった。車はぐしゃぐしゃになったが、頚椎が折れただけの馨は、生前の姿のまま、眠っているかのように静かに目をつぶっていた。
 親族だけの葬式を慌ただしく済ませると、遺品の処理は廃品業者に一任され、山小屋はすぐに売りに出された。馨の存在を早急に消去するようなやり方だったが、子供の宥己が文句を言えるはずもなかった。
 このスケッチブックは、山小屋の新しい買い手が決まり、清掃中に見つけたとのことで、山本が送ってきたのだ。馨の死からすでに十年近く経っていて、宥己は大学受験の真っ只中だった。スケッチブックはざっと見ただけで、それきりしまい込んでいたのだ。
 葉書の絵の具が十分に乾いていなかったのだろう。葉書がスケッチブックに張り付いていたらしく、スケッチブックの方には滲んだ絵の具が版画のように反転してくっついていた。あて名は結城芳と書かれていて、住所は山小屋と同じ県内のものだった。 
 芳さんは今頃どうしているのだろう。ヨシさんか、もしかしたらカオルさんか。文面からだけでは芳が男か女かも分からない。芳は馨の死を知っているのだろうか。
 すぐにでも芳に会ってみたかったが、何しろ古い話なのだ。馨と芳がどんな関係だったのかも分からない。ひょっとしたら男と女の関係だったのかもしれないのだ。
 先方に迷惑があってはならないから、馨が亡くなったこと、葉書を見つけたので同封する旨を記したメモを同封し、大きめの封筒に葉書を入れて送ることにした。見知らぬ人物から大きな封書が届いたら先方は不審に思うだろう。差出人の名前の脇に馨の甥と付記しておいた。
 返事は思いがけなく早く届いた。手紙を投函してから数日後、芳からのメールが受信ボックスに入っていたのだ。

 初めまして。先日はお手紙をありがとうございました。 
 馨さんとは旧来からの友人です。事故のことは山本さんが教えてくださいました。
 いつもはすぐに返ってくるはずの返事がなかなかこなくて、山本さんに連絡をしたのです。突然の別れでした。
 こんな小さな電話で手紙のやり取りができるなんて。なんて素晴らしい世の中になったのでしょう!
 馨さんが自慢していた貴方にお会い出来たら嬉しく思います。
 
 芳の読み方は馨と同じ、かおる、だった。宥己は早速に会う約束をした。 
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