野鍛冶

内藤 亮

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「出来たか」
 知らせを受けて、善右衛門がやって来た。
「はい」
 刀の拵えは善右衛門の希望でごく地味なものとなっている。目貫に善右衛門の干支、龍をあしらってあるのが唯一の装飾だ。
 懐紙を口に挟み、手慣れた様子で目釘を外し刀身を検めると、和紙のように白い善右衛門の顔が朱をさしたように染まった。
「銘は入れなかったのか」
「この刀には華晢かせいの銘を切りたいと思いまして」
 小春が初めて聞く名だった。
「ようやく『華晢』が出たな」
「はい」
 兼正が恭しく答えた。聞きたいことが山ほどあるが話の腰を折るのも憚られる。仕方なく黙っていると、善右衛門がやっと小春に目を向けた。
「自分だけが蚊帳の外、という顔だな。話を勝手に進めてすまなかった」
「いえ、そんな」
 小春が慌てると、善右衛門が小さく笑った。
「華晢はな、わしの祖父、兼正の二つ名だ。小春の刀は華晢の銘が相応しいと思うのだ」
 兼正の祖父は最後の華晢だった。『兼正』では、枠を超えた刀を打つ者には華晢の銘を与える慣わしがあったが、刀鍛冶を廃して以来、華晢は出ていない。
「この刀を見ていると、華に惑わされ人を切ってみたくなる」
 善右衛門は目を細め、独り言のように呟いた。
「善右衛門様、気味の悪いことをおっしやらないでください」
 玉鋼を調達した惣兵衛、拵えをつくる一流の職人達。善右衛門はもちろん、そうした者達の期待に応えなければならない。小春は兼正の名に恥じぬよう、夢中で刀を鍛えただけなのだ。
「それが華晢だ。美しい、切れ味がいい。そんなことは刀なら当たり前だ。いい仕事を見せてもらった。礼を言う。お、この刀を持って帰るわけにはいかんのだった。危ない危ない。わしも、もう華に惑わされておるわ」
 善右衛門は手にしていた刀を小春に渡した。
「銘を刻んだら知らせてくれ」
「出来上がりましたら、こちらからお持ちします」
「そうか。それは助かる。楽しみにしているぞ」
 善右衛門は小春に饅頭と心付を渡して、帰っていった。
「あの、これはお返しします」
 小春が饅頭だけはしっかり持っているのを見て、兼正の口元に微かな笑みが浮かんだ。刀を打っている時は別人のようだが、小春は小春なのだ。
「刀の料金は貰っている。饅頭もその袱紗も小春のものだ。取っておけ。それが礼儀というものだ。その金はな、華晢が貰ったのだ。精進しろよ」
 俺は俺だ。これからも兼正として鍛冶をするしかない。小春を見守ってやるのが親方の仕事なのだ。兼正はそう心を決めると、今までのわだかまりが、ゆっくりと溶けていくのがわかった。
  
「善右衛門殿、新しい脇差しですか」
 善右衛門は寄り合いの帰り道、早速、拵屋(鞘飾りや柄の修理、砥を行う。刀の売買もする)の吉兵衛に声をかけられた。
「うむ」
「見せていただいても?」
 構わんよ、と善右衛門は無造作に刀を渡した。
「ここで刀を抜くわけにはまいりません。すぐ近くに馴染みの料理屋がありまして。そこでゆっくり拝見させてもらっても?」
「そう言われると、小腹が減ってきたな。平祐へいすけの奴、湯も茶も出さずにダラダラと長話をしおって。全く気の利かん男だ」
「確かにそうですな。まだまだ親父どのには及ばない。ほら、そこの角を曲がった少し先です」
 話ながら吉兵衛は脇道を指差した。
 店は最近出来たばかりのようだった。伊津屋と染め抜かれた暖簾が新しい。
「座敷は空いているかな」
 吉兵衛が声をかけると、女将自らが出てきて「吉兵衛さんなら、何時でもお座敷は空いていますよ」と愛想よく答えた。
 案内された座敷は奥庭に面した離れだった。
「声をかけるまで、来ないでくれ」
「はい」
 人払いまでして吉兵衛は密談でもするつもりか。善右衛門は可笑しくなった。吉兵衛は小女の足音が遠ざかるの確かめると、居住まいを正した。
「では、拝見します。これは……。乱れ刃か。いや、違うな。こんな刃文は初めて見る……」
「実はな『華晢』なのだ」
 この台詞が言いたかったのだ。
「何と! 詳しい話をお聞かせねがえますか」
「兼正にな、ようやく華晢が出たのだ。名は小春。兼正の一番弟子だ」
「何と! 此度の華晢は女子ですか」 
「ああ。しかもまだ若い」
「ほう。詳しいことを伺ってもよろしいですか」
 吉兵衛の目が好奇心に輝いている。

 吉兵衛は口の軽い男だ。華晢の噂はたちまち広まっていった。
 善右衛門の脇差しを打ってからというもの、次々と依頼がはいり、小春は『華晢』の名で刀ばかり鍛えている。刀が打ちあがるまで、小春でも半月はかかる。それから、鞘、柄、鍔とそれぞれの職人が作った拵えがととのって、ようやく一振の刀が仕上がるのである。刀を欲しがる人間がこれほど沢山いることに小春は驚いていた。
「戦でもないのに、刀鍛冶が流行るなんて不思議ね。そんなに人が斬りたいのかしら」
 小春は小平太に冗談めかして言った。気さくな兄弟子は何でも訊きやすいのだ。
 善右衛門の言葉が小春の胸にしこりのように残っている。刀は職人技の結集だ。自分の鍛えた刀がその中心にある。華晢として刀を打つのはやはり面白かった。このまま刀を打ち続けてもいいものなのか。ふと恐ろしくなったのである。
「泰平の世だからこそ刀が欲しいのさ。根付や掛け軸だと自慢するにしたって、何だか辛気臭いじゃねぇか。『華晢』の刀は持っているだけで格好がつくからな」
「そんなものかしら」
「小春の鍛える刀は刃文も地肌も一振り一振り全部違うだろう」
「ええ」
 蹈鞴場によって玉鋼の質は違ってくるし、依頼主の好みも様々だから、同じ刀は出来ない。小春にしてみれば、それが当たり前だった。
「刀匠はそれぞれ自分の意匠をこらすから、銘を見なくても誰が打った刀か分かる。そもそも定まった型がなければ、写しなんて作れねぇ。だが、小春の刀には型がない」
「型がないんじゃ、写しは出来ないわね」
「だからいいんじゃねぇか。自分の為だけに打って貰う刀なんてそうそうないぜ。使い勝手がいいだけじゃねぇ。俺だけの『華晢』だ、って自慢も出来る。同じような刀じゃ、詰まらないだろ」
「そう言ってもらうと嬉しいわ」
「そもそも、人を斬ったら打ち首だぞ。意匠を凝らした拵えが汚れるし、刀刃も駄目になる。大枚を払った大事な刀でそんな馬鹿をする奴なんていねぇよ」
「そうよね」
 当たり前のように言われると、小平太の言うことの方がもっともだと思えてくる。善右衛門は自分を買い被りすぎなのだ。小春は心置きなく刀を打ち続けた。
 
「ここで刀が手に入ると聞いて参ったのだが」
 兼正の本業は刀鍛冶ではないから、武士の客は滅多に来ない。珍しい来客に、皆が手を止め、仕事場が急に静かになった。己が注目を集めているのに気がついた武士が慌てて言いたした。
「申し遅れた。拙者は佐竹丈之助と申す者。刀が一振欲しいのだ。その、手持ちがあまりないのだが……」 
 佐竹は最後の一言をもごもごと付け加えた。
「新しい刀を拵えるとなると、値も張ります。他所でお求めになっては如何でしょうか。よろしければ、店を紹介しますよ」 
 兼正が遠慮がちに言った。外は木枯らしが吹いているというのに、佐竹が着ているのは洗いざらした単衣だけだ。寒さのせいで青白い顔をして、痩せた身体を震わせている。腰の刀はおそらく竹光だろう。
「二分も払って刀を買ったのだが、あの刀のせいで危うく命を落とすところだった。とりあえず使っても折れない刀が欲しいのだ」
 二分では安刀がせいぜいだ。拵えを新しくすれば、買い得の刀に見えるから直ぐに買い手がつく。二束三文の刀を高く売り付ける拵屋の常套手段なのだ。
「そう言われましても……」
 二本差に、面と向かって金がないなら帰ってくれとは言えない。兼正は口を濁した。
「古鉄を鍛えた刀ならお安くなりますよ」
「小春、」
 大根ではあるまいし。華晢の名に傷がつく。兼正は小春の口を塞ぎたくなった。
「ほう。小春殿、それはまことか」
 丈之助の顔が輝いている。
「はい。拵えに凝らなければ値が抑えられます。そうですよね、師匠?」
「う、うむ」
 兼正は頷くしかなかった。
「どのような刀をご所望ですか」 
「太刀を一振り、願いたい」
「太刀、ですか……」
「そなたは太刀が打てぬのか」
「脇差しは鍛えたことがあるのですが、太刀は鍛えたことがないのです。師匠、この方の刀を打っていただけますか」
「いやいや、それは困る。兼正殿の刀となると、わしには到底手が出せぬ。無銘の刀でよいのだ」
 佐竹は慌てて手を振った。佐竹は小春が華晢とは知らないのだ。太刀は武士しか持てないから、なかなか打つ機会がない。これは小春に太刀を打たせるいい機会かもしれない、と兼正は考え直した。
「小春、打って差し上げろ。佐竹様、本当に銘がなくてもよろしいのですか」
「無論」
「では用度を詰めていきましょう」 
 兼正が諸掛かりを記した勘定書きを見せると佐竹の顔が曇った。
「割賦でもいいか」 
「前勘定でお願いします」
「むう。分かった。少し待ってくれ。工面しよう」
 初めての客は前金が常識だ。佐竹は常識のある武士らしい。果たして五日後、佐竹が金を携えてやって来た。
「確かに、承りました」
「して、いつ頃刀は出来る」
 佐竹の顔に焦りの色が見えた。差し迫った事情があるのだろう。
「お急ぎですか」
 兼正は淡々と商談を進めた。刀鍛冶が客の事情をいちいち忖度していては、商売にならない。
「なるべく早く頼む」 
「小春、どのくらいかかりそうだ?」
 兼正が後ろに控えている小春を振り返った。小春の商談は、兼正が表に立つことにしている。小春に『兼正』を継がせるのは損得勘定が出来るようになってからだ。こちらの修行はまだまだ時間がかかりそうだった。
「一月程かと」
「うむ、相槌は俺が務めよう」
「恩に着る」
 佐竹はほっとした顔をして帰っていった。
 裏の納屋には錆びだらけになった鉄具が雑多に積まれている。この中から自分で玉鋼を作り出すのだ。小春は錆びの少ない固そうな鉄具を選び、大八に積んだ。
 元鍬や釘、鉈とおぼしき鉄の塊を一つ一つ鍛練して皮鉄と心鉄とに分けていくのだが、玉鋼と違って不純物が多い。だからといって焦って鍛練したら、僅かな鋼が砕け散ってしまう。小春はゆっくりと鉄を熱し、慎重に叩いていった。
 出来上がった刀は心鉄が厚く刃渡りが広めの無骨な作りとなった。佐竹の体格を考慮して太刀としては若干短めに仕上げてある。厚い心鉄は刀を折れずらくし、広い刃渡りは衝撃を分散させるのに役立つ。
「流石、華晢」 
 小春が振り返ると、兼正の笑顔があった。
「華晢の刀は千差万別だな。用の美とも言うべきか。これはこれで味がある」
 刀を手にとり、軽く振った兼正の目と口がぽかんと開いた。
「軽いな」
「でしょう。ほら、ここ。ここが刀の重心です。だから軽いんです」
 ずっと昔、からくり仕掛けの鯉を見せた時の小春と同じ顔だ。小春には人を震撼させる刀を作る刀匠と無邪気な童子が同居しているのだ。小春の創るものには、見栄えよく作ろうという風な色気がない。あるのは用の美だけだ。やはり俺の目に狂いはなかった。兼正は改めてそう思うのだった。
 佐竹が刀を取りに来た。
「無銘なのが惜しいくらいだな」
 刀を検めた佐竹が嘆息した。
「では、銘を入れますか?」
 兼正が戯れに言うと、佐竹は慌てて手を振った。
「いやいや、このままで結構。小春殿、恩に着る」
 小春がにこりとして、佐竹に頭を下げた。

 
 
 



 
 
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