野鍛冶

内藤 亮

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 夢を見た。小春の身体の奥には、まだ疼くような痛みが残っている。
 月足らずで流れた子は、水子として供養した。あの日のことは記憶の底に沈めはずなのに、身体は執拗に回想を繰り返している。
 隣で眠っている末吉は安らかな寝息をたてている。小春は末吉の布団をかけ直し、もう一度眠ろうと目を閉じたが、無駄だった。何度も寝返りを繰り返すうちに、障子が明るくなってきた。もうすぐ夜が明ける。小春は眠るのを諦め、朝餉の支度を始めた。
 東庵の手当てが良かったのだろう。末吉は、トンボを切るのはさすがに無理だが、走ったり歩いたり日頃の生活には何ら支障がなくなった。
 小春は天気さえよければ町に出て、得意先を回る。その間、末吉は寺子屋に通わせることにした。
「字なんて読めなくたって生きていけらぁ」
 末吉とって、小さな子供たちと一緒に平仮名のいろはから習うのは屈辱なのだ。
「鍛冶屋といえど、読み書き算盤ができなければ、覚え書きや手間賃をごまかされたりして、痛い目にあうのよ」
 そう説明すると、当初は強がりを言っていた末吉も寺子屋に通うようになった。一度寺子屋に通い出すと、勝気な性格が幸いして、末吉は小春が何も言わなくとも、夕餉もそこそこにその日に習ったことをさらっている。 
 漢詩や古典の素読ばかりでは息が詰まるだろうと思い、小春は御伽草子を借りてやった。堅苦しい教本と違って、こちらは挿絵もあるし、漢字には送り仮名がついている。内容も化け物退治や幽霊話など、子供が喜びそうな物ばかりだ。案の定、末吉は夢中になって御伽草子を読んでいる。
「そろそろ寝なさい。油がもったいないわ」
「もう少し」
 夢中になっている末吉を見ていると、灯を消すのも忍びない。小春は行灯の油をそっと継ぎ足した。
「油がなくなったら、寝なさいよ」
「はい、師匠」
 末吉は滅多とない、いい返事をした。
 かいあって、末吉は瞬く間に読本まで読めるようになった。こちらは絵は少ないが、中国文学の翻訳物や小説を主とする娯楽本で、これまた末吉は夢中になっている。あとは算盤の基本を覚えたら寺子屋通いは終了だ。
 屑鉄を溶かしたり、鋳物を作ったりと、簡単な仕事は手伝わせてきたから、鉄の扱いも上手くなった。そろそろ本格的に鍛冶仕事を教えてもいいだろう。
 今朝も屑鉄を溶かしていたら、末吉が言った。
「俺、鍋とか釜を作るのは飽きちまったよ。太刀とは言わねぇけど、せめて脇差しくらい鍛えてみたいな」
「天下太平の世で刀なんて作っても食べていけないわよ」
「まぁ、そうだけど」
 末吉は口を尖らせたままだ。
 鉄は熱いうちに型に流し込まなければ、今までの工程が全て無駄になってしまう。木炭の材料は共有地の山から採ってきて、小春が作ったものだが、鍛冶屋だからといって小春の取り分が増える訳ではない。仕事は無駄なく手早く、が鉄則だ。失敗は許されない。
「ほら、手が止まってる! 鋳型に流し込むわよ」
「あっ、そうだった」
 末吉が素早く動いて鋳型の置き石をずらした。溶けた鉄が火花をちらしながら鋳型に流れ込んでいく。
「綺麗だね」
「鉄石から作る時の火花はもっと綺麗よ」 
 屑鉄の流れ込む様を一心に見ていた末吉が目をあげた。
「そろそろ打刀を作ってみましょうか」
「やった!」
「先ずは切り出し(刃だけ打ち出してある簡易な小刀)からね」
「脇差しは?」
「まだまだ先」
「ちえっ。つまんねぇの」
「太刀も切り出しも、鍛え方の基本は同じよ」
 そう言うと、小春は懐から小さな切り出しを取り出して、末吉の手のひらにのせた。
「これ、師匠が?」
「ええ。初めて鍛えた切り出しよ」
 末吉は手の中の切り出しをじっと見つめ、すげぇや、とため息をついた。
 小春の切り出しは、たった今鍛え終わったかのように、末吉の手の中で鈍く光っていた。
 
 日長一日、鍛冶仕事を見ている小春に声をかけ、弟子入りさせたのは親方の兼正だった。
 どんな木も、ノコやノミやカンナで自分の思うままに形を変えることが出来る。小春の父親は腕のいい大工だったが、小春は父親の腕前よりも使っている道具に感心した。父親の使っている道具はすべて兼正の作ったものだったのだ。
「えらい熱心じゃねぇか。弟子入りするか?」 
 仕事場は筋骨逞しい男ばかりだし、あの頃は、女の鍛冶屋もいるとは知らなかったから、小春はまさか声をかけて貰えるとは思わなかった。
「本当にいいの?」
「ああ。いつでも来い」
 兼正に弟子入りしたものの、当初、小春は自分は飯炊き係として雇われたのでは、と疑っていた。が、兼正は弟子入りした翌日から鍛冶仕事の手ほどきをしたのである。
「飯炊き洗濯から修行が始まると思っていたわ」
「そんな修行は必要ねぇよ。それよりも早く仕事を覚えろ」
 兼正は小春が以前作った絡繰り箱を見せた。
「親父さんは跡を継がせたかったようだがな。ま、分からなくもねぇ。こんな物を見せられたらな。だがな、一番大切なのは本人の気持ちだ。小春は今日から『兼正』の職人だぞ」
 そう言うと、兼正は勝ち誇ったように笑った。
 兼正は連れ合いを早くに亡くしたのだが、鉄を鍛えるのが何よりも好き、という男で、後添えは取らずに今に至っている。飯炊きは当番制で、仕事が忙しいときは外で済ませるから、飯炊き係を雇う必要はない。それよりも、兼正には鍛冶職人が必要だった。農閑期や藪入りで職人が休みになると、兼正の仕事場は、修理を頼まれた様々な道具で溢れ返る。猫の手も借りたい、とはこのことだった。
 錆びたり曲がったりした道具も、火で赤くなるまで熱し叩いてやれば、再び命が宿る。屑鉄も溶かして不純物を除けば再び生き返る。どろどろとした溶鉄が自在に形を変える様は見ていて飽きなかった。
 ある日のことだ。
「俺たちは、ちょっと出掛けてくる。駄賃をやるから、小春も楽しんでこい」
「皆さん何方どちらへ?」
「ええと、まぁ、何だ」
 兼正がモニャモニャと口ごもった。小春が来るまでは、大きな仕事が終わると、兼正や兄弟子は大手を振って飲みに行ったり岡場所に繰り出していたのである。
 皆が何となくそわそわして、申し訳ないという顔をしているので、小春にも薄々行き先が分かった。
 父も大きな仕事を終えると、夜遅くに赤い顔をして帰ってきたものだった。酒臭い息を吐きながら、上機嫌で母や子供たちに土産を配るのだ。
「お金はいりません。その代わり、屑鉄を少し分けてもらえますか」
「そんなものでいいのか?」
「はい。試しに作ってみたい物があって。仕事場を使ってもいいですか?」
「もちろんだ。帰りは遅くなる」
「はい。留守番は任せてください」
 遅いどころか皆が帰るのは朝方だろう。男はそうした場所に行くものらしい。そうしたことは、すぐ上の兄弟子、小平太から教わった。
「おめぇ、そんなことも知らねぇのか?」
 卑猥な冗談が全く通じない小春に呆れた小平太が、面白がつて懇切丁寧な説明をしたのである。
 皆が留守の間、自由に仕事場を使えるのだ。小春が機嫌のいい返事をすると、皆が一様にホッとした顔をした。
「じゃ、出掛けてくる。戸締まり火の元、気をつけろよ」
 がやがやとした男達の声が遠ざかっていくのを耳にしながら、小春は早速屑鉄を溶かし始めた。
 盆暮れもそっちのけで鉄をいじっている小春を見かねて、兼正が言った。
「たまには親父さんに顔を見せてやれ。ここしばらく家に帰ってねぇだろう」
「でも、この鱗がもう少しで仕上がるんです」
「何を作っているんだ?」
「鯉です。ほら、こうやって指を口に入れて引っ張ると、口が閉じるの。でね、こうやると胴体も動くのよ」
 夢中になると、言葉遣いが途端に子供に戻る小春である。
「ほう。こいつは良く出来てる」
 兼正が頭を軽くふると、まるで生きているかのように鉄の鯉が身をくねらせた。
「留め具は使ってないんだな」
 鯉の口を覗き込みながら兼正が言った。
「ええ。甲冑師の芳兵衛さんに組み方を教わったの」
「なるほど。小春は鉄が好きか」
「ええ、とっても」
 答える小春の頬に笑窪が浮かんだ。

「教えることはもうねぇ。好きなようにやってみな」
 弟子入りして五年。小春は十七になっていた。
「親方、出来ました」
 小春は震える手で切り出しを差し出した。
 夢中になって鋼を鍛えているうちに、手が勝手に動いて、いつの間にか切り出しが出来上がっていた。鍛造している時は、ずっと熱に浮かされているようで、兼正から教わったことなど、どこかへ吹き飛んでいた。いざ、切り出しが出来上がってみると、これでよかったのか、と心配ばかり募ってくる。
「うむ。良く頑張ったな」
 兼正が鷹揚な笑顔で小春の労をねぎらった。
 小春の切り出しで試し切りをした兼正の手がそのまま固まった。それから異形のものでも見るように、青い顔をして小春を見つめている。
「あの、」
 長い沈黙に耐えかねて、小春が恐る恐る尋ねた。
「鍋釜を作るのは終いだ。お前は今日から打刀だけを拵えろ」
「はぁ」
「不満があるのか」 
「い、いいえ」
 刀では食べていかれない、と最初に言ったのは兼正本人ではなかったのか。小春の不満そうな顔に気がついた兼正が苦笑した。
「人を切るやっとうだけが打刀じゃねえ。鍬や鎌、鋸、鉋、釘も打刀の仲間だ。医者の使う小刀も打刀だ。俺の知っていることは全部お前に伝える。次の兼正はお前だ」
 兼正は一息にそう言うと、ふうっ、と息を継いだ。
 小春が返事に詰まっていると、古株の職人、喜一が真顔で応じた。
「むさい親方より、小春ちゃんが表に出た方が客にも受けがいいに決まってる。俺は親方の意見に賛成だ」 
 皆がどっと笑った。兼正も笑っている。重責に押しつぶされそうになっている小春に、兄弟子の省吾が笑顔をむけた。
「まぁ、気負わずやれ。俺たちがついている」
 ここで作られた鉄の品々には必ず兼正の銘がついているが、全ての道具を兼正が作るわけではない。兼正の銘は、品質を保証する証なのだ。工房を支えているのは兼正だけではない。職人一人ひとりの手腕が兼正の銘を支えているのである。
「は、い」
 小春はやっと声を出すことが出来た。
 あの時、小春の眼前には眩いほどの前途が広がっていたのだ。
 
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