小指の爪

内藤 亮

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「向こうに着いたらすぐに連絡ちょうだいよ」
「もう、文ちゃんたら。さっきからそればっかり」
 文ちゃん、本名は文子あやこ。私の母だ。父が小学一年生の頃亡くなり、それからは女手一つで私を育ててくれた。
 高校を出たらすぐ働くつもりだったが、文ちゃんが、「今時、高卒なんてダメよ」と、進学を強く勧めた。そう言う本人は高卒だ。本人の口からはっきり聞いた訳ではないが、そのせいで色々と嫌な思いをしたらしい。だからこそ、進学を勧めてくれたのだろう。
 おかげで、この春から大学に通うことになった。中堅の地方国立に何とか受かり、初めて母のもとを離れて暮らすことになったのだ。
 せめて奨学金をとって母に苦労はかけまい、と思ったのだが、残念ながら、無償の奨学金支給を受けるほど優秀ではない。凡人は普通の奨学金を取るしかない。どんな奨学金があるか調べていたら、母が苦笑した。
「あんたねぇ、簡単に言うけど。奨学金の利子を甘くみちゃダメよ。働きながら返すっていったって、そりゃ大変なんだから」
 母は小さな町工場の経理をやっていて、社長さんからも信頼されている。経理の資格は自力でとったそうだ。入社の時はすでに資格をとっていた、というのだから、恐れ入る。母は私のアバウトな性格も良く知っている。そんな母の言うことに間違いはない。
「ほら、このお金を使いなさい」
 そう言うと、母は私名義の通帳をポンッと渡した。
「でも、こんなに……」
「これが最後のお小遣いよ」
 そう言うと、母はにこりとした。
 通帳の金額はかなりの額面だったが、私立大学に四年間通うにはチトきつい。女子大生は、おしゃれしたり遊ぶお金も必要なのだ。ならば国立大学、なのだが、家から通える国立大学はやたらと偏差値が高い。高すぎる! 都落ちという手もあるが、下宿代や生活費が必いる。結局、私の偏差値では首都圏の私大しか選択肢はなさそうだった。四年間、バイトに励まなければならないのは辛いが、仕方ない。
「大学に入っても、やっぱり勉強しないとだよね」
「はい? 何かおっしゃいました?」
「ええと、何でもないです」
「相変わらずの極楽トンボね、あなたは。学生生活を楽しむのは大いに結構。だけど、いい成績をとらないと、ちゃんとした所に就職出来ないわよ。コネとかツテは我が家にはないからね」
「う、はい、分かりました」
 夏が終わり、あっという間に秋が深まって、志望校を決める時期が迫ってきた。
 三者面談の帰り道。晩秋の風がやたらと身に染みた。
「家から通える国立はやっぱり無理?」
「うー、ダメだと思う」
「そう……」
 母は深いため息をついた。
「残業、増やすしかないわねぇ」
「やっぱり働く」
「ダメよ。ちゃんと進学しなさい。もしお金が足りなくなったら、父さん基金だってあるんだから」
 父が遺したお金のことだ。あのお金に手をつけてはダメだ。父の遺産は母子家庭のいざという時の最後の頼みの綱なのだ。と言ってもたいした額じゃないのだけれど。ああ、バラ色の女子大生活よ、さようなら。
 突然、閃いた。当に天啓だ!
「おばあちゃんの家から通える大学は? 国立なら、この金額でお釣りがくるわ。下宿代もタダよ!」
 地方国立(旧二期校)なら、なんとかなりそうだ。今は受験生も減って地方国立は生徒集めに一生懸命なのだ。受験科目も多くない。ばあちゃんの家なら御飯だって食べさせてくれる。もちろん、タダで。口には出さなかったけれど。
「いざというときのばば頼み」
 節をつけてそう言うと、
「あんたねぇ」
 と、母は黙りこんでしまった。年金暮らしのばあちゃんに娘を預けるのは申し訳ない、と思うのだろう。
「私立の理系は学費が高いのよ。薬学部なんて六年間、大学に通うんだよ」
 そう言うと、母はウッという顔をした。何となくの文系で楽ちんな学生生活を送ろうと思っていたのだが、実学重視の母は、せっかく大学に行くなら、資格を取れ、と薬学部を勧めたのだ。両親を二人とも病気で早くに亡くした母は、本当は医学部に行って欲しかったらしい。私だってお医者になる頭があれば、もちろんそうしたかったが、こればかりは仕方ない。ともあれ、六年間も学生ができるなんて、願ってもない。薬学部受験に、私も諸手を挙げて賛成したのだ。
「仕方ないなあ。義母さんに相談してみるね」
 と、母も最後には折れた。
 かくして奇跡は起こらず、私は無事、ばあちゃんの家から大学に通うことになったのだった。
 


 
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