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第1章
第269話 愛のキューピッド
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『さて・・』
マーブル主神は、水玉柄の蝶ネクタイを整えつつ、シュンとユアナを見た。
『うむ・・とにかく、良くやってくれた』
「間に合って良かったです」
シュンは低頭した。
『あぁ、うん・・言いたい事は山のようにあるけども。あんな奴に入り込まれたボクにも多少の責任はあるからね』
マーブル主神がふわりと宙に浮かんで、シュンを見下ろす位置へと移動した。
「霊魂の核に迫られていました。危ないところでした」
『う・・うむ。そうだね。なかなか、手強い奴だったね』
今ひとつ、調子が出ない様子で、マーブル主神が宙を漂う。
オグノーズホーンは壁際に控え、輪廻の女神はマーブル主神の背後に浮かんでいる。マーブル主神が右に漂えば右へ、左へ漂えば左へ・・。
心なしか、マーブル主神の顔色がよろしくない。
『君が活躍してくれた事はもちろん理解しているし、それは称賛されるべき事なんだけど・・』
「御無事で何よりです」
『むぅ・・』
マーブル主神が腕組みをして唸った。攻め口を探す視線でシュンを軽く睨みながら宙を漂う。
『君、ボクの霊核に何か仕掛けをしてたよね?』
「霊的な迷路を構築していました」
『・・はい?』
「霊虫が入り込むことを想定し、霊魂の中核までは辿り着けないように、惑わしの迷路を設置してありました」
シュンは、霊魂を護った仕組みについて簡単に説明した。
『き、君ぃっ! それは重大な問題だよ? 使徒が主神の霊魂をいじくっちゃダメでしょ!』
マーブル主神が顔を真っ赤にして詰め寄る。
「申し訳ありません。万が一に備えて仕掛けさせて頂きました」
シュンは頭を下げた。
『万が一って・・それならそうと言ってよ! 黙ってやることないでしょ!』
「霊虫予防だと、申し上げたつもりでしたが?」
シュンは首を傾げた。
以前、はっきりと伝えたつもりだったが、言葉が足りなかったらしい。
『はい? 霊虫予防って? そんなの聴いてないよ!』
「申し訳ありません」
シュンは温和しく頭を下げた。
『・・ええと、それで・・ボクの中に入ったゾウノードは何をやってたの?』
「霊魂の核へ辿り着けず、方々へ霊毒を埋設したり、霊体を分けるなどの駆除対策をしていました。本体が非常に弱かったため、ゾウノードを仕留めるまでは簡単でしたが、霊毒を中和し、汚染を食い止める作業に時間を要しました」
毒の処理は、かなり手間の掛かる作業だった。ゴーストの利用を思い付かなければ、より深い部分にまで毒が染み込んだかもしれない。
『お、おう・・なんだか危なかったんだね』
マーブル主神が仰け反った。
「霊魂が大きく溶けて崩れたため、ゾウノードが遺した霊体を使って補修をしました。霊魂の大きさなど、従前と変わりないと思います」
『・・なに? じゃあ、ボクの霊魂にゾウノードの霊体が混ざってんの?』
マーブル主神の顔が強張った。
「本体亡き後の残滓のようなものです。すでに、主神様の魂として完全に同化をしているはずです」
『そう? まあ、変な感じはしないけどさ?』
マーブル主神が自分の体を見回しながら呟いた。
「その上で、念の為に予防をしておきたいのですが、お許し頂けますでしょうか?」
『へ? 予防って?』
「霊虫予防です」
『はぁ? もうゾウノードは滅んだんでしょ? なんでそんな事をするの?』
「大切なお体です。用心に用心を重ねておくべきだと思います」
『・・そうかなぁ? オグ爺は、どう思う?』
マーブル主神が控えているオグノーズホーンを振り返った。
「万が一に備えておくべきでしょうな」
オグノーズホーンが頷いた。
『そっか。じゃあ・・その予防ってのをやって貰おうかな』
マーブル主神が言った瞬間、背後に回ったシュンが平手を大きく振りかぶって、振り下ろした。
パァァァーーン・・
『・・っだぁーーーー!』
マーブル主神が背を痛打されて悲鳴をあげた。
『なっ、なにを・・』
苦情を言おうとして、マーブル主神が何かを思い出した顔で口を噤んだ。
『こ、これ・・あの時の? なに? 霊虫予防って・・これだったの?』
「はい。今、主神様の霊魂の中核に近い場所に"惑わし"の霊道を構築致しました。これで、仮に霊魂を狙った何かが入り込んだとしても、中心部までは辿り着けません」
シュンは"惑わし"の回廊についての概要を説明した。オグノーズホーンに習った霊法を使い、夢幻の回廊に似通った空間を出現させて霊魂を囲ったのだ。
「お体は、輪廻の女神様とオグノーズホーン殿が護っています。もう、どのような存在であろうと、主神様を害することは出来ないでしょう」
『ふうん・・でもさ? 君ならどうなの?』
マーブル主神がシュンを睨んだ。
「私ですか?」
『だって、今の君、とんでもない力を持ってるよね? 君がボクを狙ったらどうなるの? 闇ちゃんやオグ爺でも防げないんじゃない? ボクの霊魂だって、操れちゃうんでしょ?』
マーブル主神の表情が硬い。
「私が主神様を害することなどありません」
シュンは静かに語りかけた。
『そんなの分からないじゃん! みんな・・神界のみんながボクを裏切ったんだよ? 嘘ばっかり言ってさ? 地上に迷宮を創った神々も、みんなして裏切ったじゃん!』
マーブル主神が拳を握って叫んだ。様々な事に不信感を募らせているようだった。
「私が主神様を害することはありません」
シュンはゆっくりと首を振った。
『だって、分かんないでしょ? いつ心変わりするか分からないじゃん!』
「私は心変わりをしません」
『なんだよっ! そんなの・・どこにも、なんにも確かな事なんて無いじゃないか! みんなボクを裏切って、馬鹿にして嗤って! 嘘ばっかり吐いて!』
マーブル主神が拳を振り回して叫んだ。
「私は主神様を害しません」
シュンは穏やかに言った。
『だからっ! そんなのどうとでも言えるじゃないか! 信じられないじゃないかっ! みんな嘘吐きなんだよ!』
「私は主神様を害しません」
シュンは、繰り返し首を振った。
『だって・・だから、そんなの口でなら何とでも言えるって・・』
『神様・・』
拳を握り締めて叫ぶマーブル主神の両肩を、背後に浮かんでいた輪廻の女神が掴んだ。
『や、闇ちゃん?』
我に返った顔で、マーブル主神が硬直する。
『神様、ご無礼をお許しください』
輪廻の女神が、宙に浮かんだマーブル主神の体を回して、自分の方へ向かせた。
『・・闇ちゃん?』
『神様・・闇はとても悲しいです』
輪廻の女神の声が悲しみに震えた。
『えっ?』
『闇は・・神様をずうっとお慕いしています。闇は神様を裏切りません。ですのに・・闇の・・この気持ちをお疑いになるのですか?』
輪廻の女神がマーブル主神を見つめた。その双眸から白い部分が消え去り、瞳が漆黒に消える。
『えっ・・いや・・ボクは闇ちゃんを疑ったことなんて無いよ』
『闇は、神様を愛しています。闇にとって、神様は幸せの全てなのです』
輪廻の女神が、マーブル主神の両肩を掴んだまま言った。
『う、うん・・』
『闇は嘘吐きですか? 闇が神様を騙していると、お疑いなのですか?』
輪廻の女神がマーブル主神を目の前に引き寄せる。
『違う・・闇ちゃんは嘘なんて吐かないよ。いつだって、ボクのために』
マーブル主神が必死の形相で首を振った。
『闇は・・闇の気持ちを疑われるくらいなら・・どうか闇を殺してください。闇に死ねとお命じ下さい。それが神様のご意志なら、闇は喜んで命を絶ちます!』
輪廻の女神の双眸から、冷え冷えとした闇が溢れ始める。部屋全体の温度が急激に下がり始めた。
『そんなんじゃないんだ。ボクは・・闇ちゃんを疑ったことなんて一度も無い!』
『・・闇は悲しいです』
輪廻の女神が、激情に震える声で呻くように呟いた。
『違う! さっきのは、ほらっ・・言葉のあれで・・だから、違うから! ボクはちゃんと闇ちゃんを信じていてるから!』
『だって、神様が仰いました。みんな嘘吐きだって・・みんな裏切るって・・闇は悲しいです』
『違うから! あれはボクの間違いで・・つい言っちゃっただけで』
懸命に語りかけるが、マーブル主神の両肩を掴む輪廻の女神の手は揺るがない。
いや・・いきなり女神の手が離れた。
『闇は、神様だけを想って・・一度だって裏切るなんて・・思った事は無いのですっ!』
輪廻の女神が、両手で顔を覆って肩を震わせ始めた。
『あぁぁぁ・・ちょ、ちょっと闇ちゃん! ボクが悪かった! ボクが間違ってた! そんなつもりじゃないんだ。さっきのは・・なんだか苛々しちゃって、八つ当たりをしただけで・・謝る! 謝ります! 御免なさい!』
『闇はぁ・・闇はぁ・・神様を裏切るなんてぇ』
女神の黒衣から闇が噴き上がった。ビリビリ・・と部屋の空気が鳴動し、軋み音が鳴り始める。
『わ、分かってる! 疑ったことなんて、無いから! 違うから!』
マーブル主神が宥めるように声をあげつつ、助けを求める視線を壁際のオグノーズホーンへ向けようとする。
その顎先を、女神の白い指が押さえた。
『神様? どうして、闇を見て下さらないの? どうして他所を見るのですか?』
闇に染まった双眸が、マーブル主神の眼を覗き込む。
『えっ? あ、ああ・・いやぁ、ちょっと』
『闇を信じて下さらないのですか?』
『信じてるよ? 信じてるからっ!』
マーブル主神が震え声を放つ。
『・・なら、どうして? どうして、オグ爺を見ようとしたのです?』
『え? な、何を言っているんだい? ボクは・・』
『まさか・・闇が、神様に危害を加えると思ったのですか? 闇が・・闇は、そんな女だと思われているのですか?』
輪廻の女神が呆然とした面持ちで、マーブル主神からゆっくりと身を離した。
『ち、違っ・・』
マーブル主神が恐怖で喉を引き攣らせた。
その時、ユアナが動いた。
小走りに輪廻の女神に駆け寄ると、
「女神様」
小さく声を掛けて、女神の耳元に唇と近づける。そのまま小声で何やら囁きかけた。何を話したのか、輪廻の女神の表情が微かに動く。
『あ・・?』
輪廻の女神から噴き上がる負の気魂が緩み、マーブル主神が自由になった。
「さあ、主神様?」
ユアナが、マーブル主神の背中に手を当てて声を掛けた。
『え・・と?』
マーブル主神が困惑した顔でユアナを見た。
「本当のお気持ちを・・きちんとお伝えしないと伝わりませんよ?」
ユアナが微笑みかけた。
『え? 気持ちって・・』
「さあ、女神様がお待ちです」
ユアナが笑顔のままマーブル主神の背を押して前へ出す。
『ひゃ・・』
「さあ・・」
『あ・・う、うむ・・あぁ・・』
「私が居る事など、お忘れ下さい」
ユアナが微笑した。
『う・・あぁ・・ええと、闇ちゃん?』
『・・はい』
『ボクは、闇ちゃんを疑ったりしてな・・』
「主神様、そこじゃないですわ」
ユアナの手がマーブル主神の背をさらに押した。いよいよ、輪廻の女神との距離が無くなってくる。
『き、君・・』
「私なんかの事はお忘れ下さい。今は女神様です」
『うっ・・ああ、その・・闇ちゃん』
『はい』
『や、闇ちゃんの気持ちは・・』
「女神様は主神様を愛していらっしゃいます。勇気を振り絞って、そう告白なさいましたよ? 次は、主神様がお答えする番ではありませんか?」
ユアナがすかさず間に入って話を誘導する。
『い、いや・・ちょっと』
「あまり、女神様を待たせてはいけないと思います」
『神様?』
『ああっ、ちょっと・・ボクは、だから・・』
マーブル主神が尻込みをする。
『闇ちゃん、大好きだよ!』
『闇ちゃん、愛してる!』
『闇ちゃん、戻って来て!』
『愛してるよ、おまえ・・』
ユアナの手元で、蓄音の魔導具からマーブル主神の告白が流れる。
『君ぃっ・・』
「女神様の・・女の勇気に答えましょう?」
ユアナの微笑みに、マーブル主神がたじろいだ。
『・・神様?』
輪廻の女神が不安げに見守っている。
『や、闇ちゃん・・』
「さあ、御手を・・」
ユアナが、優しく女神の手を取り、マーブル主神の手を掴んで握り合わさせた。
『・・闇は、ずっとお慕いしておりました。その気持ちを疑われたようで、とても悲しかったのです』
輪廻の女神が打ちひしがれた様子で告白した。
『ごめん・・なんか、裏切りばっかりあって、気持ちが荒れちゃってて・・本当にごめんね? あんな事を言うつもりじゃ無かったんだ』
マーブル主神が頭を下げる。
『闇は・・神様に、相応しくありませんか?』
『う、う~ん・・いや、闇ちゃんを嫌いじゃ無いんだよ? なんだけど・・照れ臭いというか。心の整理がつかないような・・』
『・・そのお言葉だけで、闇は幸せです』
遠回しに拒絶されたと感じたのだろう。輪廻の女神が俯いた。どこか悄然とした様子で肩を落とす。
『う・・』
マーブル主神が息を呑んだ。
壁際のオグノーズホーンから、非常に厳しい眼差しを向けられていた。
『・・う』
シュンも、冷えた眼を向けていた。
『うぅ・・』
当然のように、ユアナも呆れ果てた様子で見ている。
完全なる孤立であった。
このまま終わると、色々と終わる。
それが鮮明に理解出来る空気である。
それでもなお葛藤し、相当に迷い悩んだ末に、マーブル主神が震える手を伸ばして輪廻の女神の肩を掴んだ。
『ぁ・・神様?』
『あ、あぁぁぁ・・愛してるよ、闇ちゃん! ボクと夫婦になって欲しい!』
マーブル主神が、ありったけの蛮勇をかき集めて宣言した。
マーブル主神は、水玉柄の蝶ネクタイを整えつつ、シュンとユアナを見た。
『うむ・・とにかく、良くやってくれた』
「間に合って良かったです」
シュンは低頭した。
『あぁ、うん・・言いたい事は山のようにあるけども。あんな奴に入り込まれたボクにも多少の責任はあるからね』
マーブル主神がふわりと宙に浮かんで、シュンを見下ろす位置へと移動した。
「霊魂の核に迫られていました。危ないところでした」
『う・・うむ。そうだね。なかなか、手強い奴だったね』
今ひとつ、調子が出ない様子で、マーブル主神が宙を漂う。
オグノーズホーンは壁際に控え、輪廻の女神はマーブル主神の背後に浮かんでいる。マーブル主神が右に漂えば右へ、左へ漂えば左へ・・。
心なしか、マーブル主神の顔色がよろしくない。
『君が活躍してくれた事はもちろん理解しているし、それは称賛されるべき事なんだけど・・』
「御無事で何よりです」
『むぅ・・』
マーブル主神が腕組みをして唸った。攻め口を探す視線でシュンを軽く睨みながら宙を漂う。
『君、ボクの霊核に何か仕掛けをしてたよね?』
「霊的な迷路を構築していました」
『・・はい?』
「霊虫が入り込むことを想定し、霊魂の中核までは辿り着けないように、惑わしの迷路を設置してありました」
シュンは、霊魂を護った仕組みについて簡単に説明した。
『き、君ぃっ! それは重大な問題だよ? 使徒が主神の霊魂をいじくっちゃダメでしょ!』
マーブル主神が顔を真っ赤にして詰め寄る。
「申し訳ありません。万が一に備えて仕掛けさせて頂きました」
シュンは頭を下げた。
『万が一って・・それならそうと言ってよ! 黙ってやることないでしょ!』
「霊虫予防だと、申し上げたつもりでしたが?」
シュンは首を傾げた。
以前、はっきりと伝えたつもりだったが、言葉が足りなかったらしい。
『はい? 霊虫予防って? そんなの聴いてないよ!』
「申し訳ありません」
シュンは温和しく頭を下げた。
『・・ええと、それで・・ボクの中に入ったゾウノードは何をやってたの?』
「霊魂の核へ辿り着けず、方々へ霊毒を埋設したり、霊体を分けるなどの駆除対策をしていました。本体が非常に弱かったため、ゾウノードを仕留めるまでは簡単でしたが、霊毒を中和し、汚染を食い止める作業に時間を要しました」
毒の処理は、かなり手間の掛かる作業だった。ゴーストの利用を思い付かなければ、より深い部分にまで毒が染み込んだかもしれない。
『お、おう・・なんだか危なかったんだね』
マーブル主神が仰け反った。
「霊魂が大きく溶けて崩れたため、ゾウノードが遺した霊体を使って補修をしました。霊魂の大きさなど、従前と変わりないと思います」
『・・なに? じゃあ、ボクの霊魂にゾウノードの霊体が混ざってんの?』
マーブル主神の顔が強張った。
「本体亡き後の残滓のようなものです。すでに、主神様の魂として完全に同化をしているはずです」
『そう? まあ、変な感じはしないけどさ?』
マーブル主神が自分の体を見回しながら呟いた。
「その上で、念の為に予防をしておきたいのですが、お許し頂けますでしょうか?」
『へ? 予防って?』
「霊虫予防です」
『はぁ? もうゾウノードは滅んだんでしょ? なんでそんな事をするの?』
「大切なお体です。用心に用心を重ねておくべきだと思います」
『・・そうかなぁ? オグ爺は、どう思う?』
マーブル主神が控えているオグノーズホーンを振り返った。
「万が一に備えておくべきでしょうな」
オグノーズホーンが頷いた。
『そっか。じゃあ・・その予防ってのをやって貰おうかな』
マーブル主神が言った瞬間、背後に回ったシュンが平手を大きく振りかぶって、振り下ろした。
パァァァーーン・・
『・・っだぁーーーー!』
マーブル主神が背を痛打されて悲鳴をあげた。
『なっ、なにを・・』
苦情を言おうとして、マーブル主神が何かを思い出した顔で口を噤んだ。
『こ、これ・・あの時の? なに? 霊虫予防って・・これだったの?』
「はい。今、主神様の霊魂の中核に近い場所に"惑わし"の霊道を構築致しました。これで、仮に霊魂を狙った何かが入り込んだとしても、中心部までは辿り着けません」
シュンは"惑わし"の回廊についての概要を説明した。オグノーズホーンに習った霊法を使い、夢幻の回廊に似通った空間を出現させて霊魂を囲ったのだ。
「お体は、輪廻の女神様とオグノーズホーン殿が護っています。もう、どのような存在であろうと、主神様を害することは出来ないでしょう」
『ふうん・・でもさ? 君ならどうなの?』
マーブル主神がシュンを睨んだ。
「私ですか?」
『だって、今の君、とんでもない力を持ってるよね? 君がボクを狙ったらどうなるの? 闇ちゃんやオグ爺でも防げないんじゃない? ボクの霊魂だって、操れちゃうんでしょ?』
マーブル主神の表情が硬い。
「私が主神様を害することなどありません」
シュンは静かに語りかけた。
『そんなの分からないじゃん! みんな・・神界のみんながボクを裏切ったんだよ? 嘘ばっかり言ってさ? 地上に迷宮を創った神々も、みんなして裏切ったじゃん!』
マーブル主神が拳を握って叫んだ。様々な事に不信感を募らせているようだった。
「私が主神様を害することはありません」
シュンはゆっくりと首を振った。
『だって、分かんないでしょ? いつ心変わりするか分からないじゃん!』
「私は心変わりをしません」
『なんだよっ! そんなの・・どこにも、なんにも確かな事なんて無いじゃないか! みんなボクを裏切って、馬鹿にして嗤って! 嘘ばっかり吐いて!』
マーブル主神が拳を振り回して叫んだ。
「私は主神様を害しません」
シュンは穏やかに言った。
『だからっ! そんなのどうとでも言えるじゃないか! 信じられないじゃないかっ! みんな嘘吐きなんだよ!』
「私は主神様を害しません」
シュンは、繰り返し首を振った。
『だって・・だから、そんなの口でなら何とでも言えるって・・』
『神様・・』
拳を握り締めて叫ぶマーブル主神の両肩を、背後に浮かんでいた輪廻の女神が掴んだ。
『や、闇ちゃん?』
我に返った顔で、マーブル主神が硬直する。
『神様、ご無礼をお許しください』
輪廻の女神が、宙に浮かんだマーブル主神の体を回して、自分の方へ向かせた。
『・・闇ちゃん?』
『神様・・闇はとても悲しいです』
輪廻の女神の声が悲しみに震えた。
『えっ?』
『闇は・・神様をずうっとお慕いしています。闇は神様を裏切りません。ですのに・・闇の・・この気持ちをお疑いになるのですか?』
輪廻の女神がマーブル主神を見つめた。その双眸から白い部分が消え去り、瞳が漆黒に消える。
『えっ・・いや・・ボクは闇ちゃんを疑ったことなんて無いよ』
『闇は、神様を愛しています。闇にとって、神様は幸せの全てなのです』
輪廻の女神が、マーブル主神の両肩を掴んだまま言った。
『う、うん・・』
『闇は嘘吐きですか? 闇が神様を騙していると、お疑いなのですか?』
輪廻の女神がマーブル主神を目の前に引き寄せる。
『違う・・闇ちゃんは嘘なんて吐かないよ。いつだって、ボクのために』
マーブル主神が必死の形相で首を振った。
『闇は・・闇の気持ちを疑われるくらいなら・・どうか闇を殺してください。闇に死ねとお命じ下さい。それが神様のご意志なら、闇は喜んで命を絶ちます!』
輪廻の女神の双眸から、冷え冷えとした闇が溢れ始める。部屋全体の温度が急激に下がり始めた。
『そんなんじゃないんだ。ボクは・・闇ちゃんを疑ったことなんて一度も無い!』
『・・闇は悲しいです』
輪廻の女神が、激情に震える声で呻くように呟いた。
『違う! さっきのは、ほらっ・・言葉のあれで・・だから、違うから! ボクはちゃんと闇ちゃんを信じていてるから!』
『だって、神様が仰いました。みんな嘘吐きだって・・みんな裏切るって・・闇は悲しいです』
『違うから! あれはボクの間違いで・・つい言っちゃっただけで』
懸命に語りかけるが、マーブル主神の両肩を掴む輪廻の女神の手は揺るがない。
いや・・いきなり女神の手が離れた。
『闇は、神様だけを想って・・一度だって裏切るなんて・・思った事は無いのですっ!』
輪廻の女神が、両手で顔を覆って肩を震わせ始めた。
『あぁぁぁ・・ちょ、ちょっと闇ちゃん! ボクが悪かった! ボクが間違ってた! そんなつもりじゃないんだ。さっきのは・・なんだか苛々しちゃって、八つ当たりをしただけで・・謝る! 謝ります! 御免なさい!』
『闇はぁ・・闇はぁ・・神様を裏切るなんてぇ』
女神の黒衣から闇が噴き上がった。ビリビリ・・と部屋の空気が鳴動し、軋み音が鳴り始める。
『わ、分かってる! 疑ったことなんて、無いから! 違うから!』
マーブル主神が宥めるように声をあげつつ、助けを求める視線を壁際のオグノーズホーンへ向けようとする。
その顎先を、女神の白い指が押さえた。
『神様? どうして、闇を見て下さらないの? どうして他所を見るのですか?』
闇に染まった双眸が、マーブル主神の眼を覗き込む。
『えっ? あ、ああ・・いやぁ、ちょっと』
『闇を信じて下さらないのですか?』
『信じてるよ? 信じてるからっ!』
マーブル主神が震え声を放つ。
『・・なら、どうして? どうして、オグ爺を見ようとしたのです?』
『え? な、何を言っているんだい? ボクは・・』
『まさか・・闇が、神様に危害を加えると思ったのですか? 闇が・・闇は、そんな女だと思われているのですか?』
輪廻の女神が呆然とした面持ちで、マーブル主神からゆっくりと身を離した。
『ち、違っ・・』
マーブル主神が恐怖で喉を引き攣らせた。
その時、ユアナが動いた。
小走りに輪廻の女神に駆け寄ると、
「女神様」
小さく声を掛けて、女神の耳元に唇と近づける。そのまま小声で何やら囁きかけた。何を話したのか、輪廻の女神の表情が微かに動く。
『あ・・?』
輪廻の女神から噴き上がる負の気魂が緩み、マーブル主神が自由になった。
「さあ、主神様?」
ユアナが、マーブル主神の背中に手を当てて声を掛けた。
『え・・と?』
マーブル主神が困惑した顔でユアナを見た。
「本当のお気持ちを・・きちんとお伝えしないと伝わりませんよ?」
ユアナが微笑みかけた。
『え? 気持ちって・・』
「さあ、女神様がお待ちです」
ユアナが笑顔のままマーブル主神の背を押して前へ出す。
『ひゃ・・』
「さあ・・」
『あ・・う、うむ・・あぁ・・』
「私が居る事など、お忘れ下さい」
ユアナが微笑した。
『う・・あぁ・・ええと、闇ちゃん?』
『・・はい』
『ボクは、闇ちゃんを疑ったりしてな・・』
「主神様、そこじゃないですわ」
ユアナの手がマーブル主神の背をさらに押した。いよいよ、輪廻の女神との距離が無くなってくる。
『き、君・・』
「私なんかの事はお忘れ下さい。今は女神様です」
『うっ・・ああ、その・・闇ちゃん』
『はい』
『や、闇ちゃんの気持ちは・・』
「女神様は主神様を愛していらっしゃいます。勇気を振り絞って、そう告白なさいましたよ? 次は、主神様がお答えする番ではありませんか?」
ユアナがすかさず間に入って話を誘導する。
『い、いや・・ちょっと』
「あまり、女神様を待たせてはいけないと思います」
『神様?』
『ああっ、ちょっと・・ボクは、だから・・』
マーブル主神が尻込みをする。
『闇ちゃん、大好きだよ!』
『闇ちゃん、愛してる!』
『闇ちゃん、戻って来て!』
『愛してるよ、おまえ・・』
ユアナの手元で、蓄音の魔導具からマーブル主神の告白が流れる。
『君ぃっ・・』
「女神様の・・女の勇気に答えましょう?」
ユアナの微笑みに、マーブル主神がたじろいだ。
『・・神様?』
輪廻の女神が不安げに見守っている。
『や、闇ちゃん・・』
「さあ、御手を・・」
ユアナが、優しく女神の手を取り、マーブル主神の手を掴んで握り合わさせた。
『・・闇は、ずっとお慕いしておりました。その気持ちを疑われたようで、とても悲しかったのです』
輪廻の女神が打ちひしがれた様子で告白した。
『ごめん・・なんか、裏切りばっかりあって、気持ちが荒れちゃってて・・本当にごめんね? あんな事を言うつもりじゃ無かったんだ』
マーブル主神が頭を下げる。
『闇は・・神様に、相応しくありませんか?』
『う、う~ん・・いや、闇ちゃんを嫌いじゃ無いんだよ? なんだけど・・照れ臭いというか。心の整理がつかないような・・』
『・・そのお言葉だけで、闇は幸せです』
遠回しに拒絶されたと感じたのだろう。輪廻の女神が俯いた。どこか悄然とした様子で肩を落とす。
『う・・』
マーブル主神が息を呑んだ。
壁際のオグノーズホーンから、非常に厳しい眼差しを向けられていた。
『・・う』
シュンも、冷えた眼を向けていた。
『うぅ・・』
当然のように、ユアナも呆れ果てた様子で見ている。
完全なる孤立であった。
このまま終わると、色々と終わる。
それが鮮明に理解出来る空気である。
それでもなお葛藤し、相当に迷い悩んだ末に、マーブル主神が震える手を伸ばして輪廻の女神の肩を掴んだ。
『ぁ・・神様?』
『あ、あぁぁぁ・・愛してるよ、闇ちゃん! ボクと夫婦になって欲しい!』
マーブル主神が、ありったけの蛮勇をかき集めて宣言した。
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