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第1章

第246話 混沌の供物

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『・・っぐぅ』

 太陽神の口から激痛に苦鳴が漏れた。

『アスト様!』

 耳元で、光の女神の声が聞こえる。

『あぁ、トノセ・・な、なにが?』

 ぼんやりとした視界に、光の女神の美貌が映る。
 今にも泣き出しそうに顔を歪め、必死の面持ちで見つめていた。

『攻撃を受けました。全ての神力障壁が破砕され、神聖銀の防壁も・・』

『・・攻撃? 例の使徒が来たのか?』

 太陽神はしだいにはっきりとしてきた視界を周囲へ巡らせ、ふと自分の体へ向けて視線を止めた。
 両脚が潰れていた。

『申し訳ありません。私の神力では・・』

『構わないよ。この身に神力を届かせることができるのは、あの道化と凶神くらいのものだからね』

 太陽神は微笑しながら手を振って、自分の両脚を再生した。

『しかし・・これほどの・・これほどなのか。道化めの使徒は・・』

『アスト様・・』

 立ち上がった太陽神に、光の女神が不安そうに身を寄せる。
 その細腰に手を回しながら、太陽神は崩落しかかった広間の天井を見回した。

『ここも危ない』

『奥の間へ参りますか?』

『そうだな・・いや、どうやら・・そうはさせて貰えないようだ!』

 光の女神を突き飛ばし、太陽神が腰剣を抜いて前に出る。


 ギィィィーーン・・


 太陽神の手元で重たい金属音が鳴り、飛来した鋭利な棒が床に転がった。

『・・真珠の』

 太陽神が皮肉げに顔を歪める。

『首を貰い受ける』

 そう言って姿を現したのは、真珠色の鱗をした龍人だった。

『アスト様』

 光の女神が、淡く光る神弓を手に太陽神のやや後ろへ位置取る。

『龍神は討たれたのだろう? 使徒が何を求めて彷徨いている?』

『・・神となる為に』

 真珠色の龍人ブラージュが笑いを含んだ声音で答えた。

『なに?』

『私は神となる』

『なにを馬鹿な・・』

 そう吐き捨てようとした太陽神だが、すぐに表情を強張らせた。信じられぬ物を見たかのように、双眸を大きく見開く。

『ト・・トノセ!?』

 呻いて振り向こうとする太陽神の喉元を、ブラージュの槍が襲った。反射の動きで剣を合わせたものの、槍を弾くほどの力は無かった。

 龍人ブラージュの槍は、太陽神の喉を貫いていた。

『滅神槍だ・・滅びよ』

『・・な、なぜだ?・・トノセ』

 首を刺し貫かれたまま、太陽神が背後に居る光の女神に声をかけた。
 太陽神の背に、一本の棒が突き刺さっていた。
 先ほど弾き落とした先が鋭利に尖った棒である。光の女神がそれを拾い、そして背後から太陽神を突き刺したのだった。

『同胞、黒のノイジールを隷属させた技・・そのまま使わせて貰ったぞ』

 ブラージュが太陽神の首から槍穂を引き抜くと、そのまま踏み込んで、光の女神の胸を貫き徹した。

『・・どうやって・・貴様・・』

 途切れ、途切れに太陽神が呻く。

『ア、アスト・・』

『トノセ・・』

 太陽神と光の女神が互いを呼び合う。

『茶番は不要だ』

 槍を回したブラージュが、石突きで太陽神と光の女神の頭を叩き潰した。
 
 直後、重々しい震動が広間を揺らし、天井を突き破って"P号"が墜ちて来た。

『ちぃっ!』

 舌打ちをしながら、ブラージュが太陽神と光の女神の死骸を庇って、"P号"めがけて槍を叩きつけた。

 わずかな拮抗の後、"P号"が斜めに逸れる。その隙に、ブラージュは太陽神と光の女神の死骸を抱えて脱出した。

 衝撃波と熱風が吹き荒れる中を飛翔して、この海底神界の奥部に設けられた光の間へと急ぐ。
 次々に降り注ぐ"P号"をかい潜り、ブラージュが目指すのは"新生の間"と名付けられた宝物殿だ。

 幾重もの隔壁を潜って地底深くまで降りると、最深部は、まだ破壊されていなかった。

『ブラージュ様』

 宝物殿の巨大な扉の前で、黒々とした蛇身を持つ女が待っていた。腰から下が漆黒の鱗をした大蛇、上半身は豊かな胸乳を持つ年若い女の姿をしている。背には黒い鳥のような大翼があった。

『待たせたか』

『いいえ・・先ほど辿り着いたところです。なかなかに封印が厳重でしたので苦労致しました』

 蛇身の女が艶然と微笑んで見せた。長く白い髪がざわざわと意思を持つ生き物のように蠢いている。

『では・・』

『ええ、すでに解錠を済ませております』

 蛇身の女が宝物殿の巨大扉に繊手を触れた。
 途端、静かに巨扉が開き始めた。
 音も無く開いた巨扉の奥、薄暗い中に円柱状の神器が浮き上がって見える。

『・・あれか?』

『はい、あれこそが"終末の神器"・・この世に混沌と絶望をもたらす物』

『すでに、この上なく、混沌と絶望が渦巻いているがな』

 ブラージュが苦笑する。

『うふふ・・御存じでしょう? この混沌を引き起こした者・・そして、鎮める事ができる者が居ることを』

『奴か・・』

『誰の手にも負えぬからこそ混沌は美しいのです。お気付きでしょう? 彼の者を斃さずして、新しい世界を創ることは虚しいだけ。すぐにお人形が現れて打ち壊されてしまいます』

 蛇身の女が、ブラージュに身を寄せて囁くように言う。

『・・うむ』

『異界の機械神も何やら愉快な遊びを企んでいるようですが・・どうせならば、我々も愉しみましょう』

『そうだな。神籍などどうでも良いが、今の争乱に参加をせぬのはつまらん』

 ブラージュは、"終末の神器"を見上げた。

 明かりの灯った広間の中央、円形の台座の上に聳え立つ、大きな円筒形の構造物・・。
 つるりとして凹凸の無い円筒で、全体が鏡面になっていて周囲を写し込んでいる。

『本来は、生き物を死滅させる機械人形を生み出す装置・・ですが、それでは異界の機械神が持ち込んだ物と代わり映えがしませぬ』

『ふむ?』

『ですので、もっと面白い物に変えてしまいましょう』

 蛇身の女が、ひっそりと笑みを浮かべた。白い髪が長々と伸びて"終末の神器"を包み込むと、蛇身の女が全身から赤黒い光を放った。

『あぁ・・愉しいですわ。こんな遊び場を与えて下さるなんて・・』

 愉悦に美貌を歪め、蛇身の女が歌うように叫ぶ。
 その様を、ブラージュは無言で見守っていた。かつては敵対し、駆逐する対象であった魔界と称される異界の住人・・。
 ブラージュは、太古の悪魔と手を結んだ。
 かつて、幾度となく刃を交えてきた相手だ。その邪悪さも、狡猾さも良く知っている。

『私の武をくれてやる。思う存分、遊ぶが良い』

 ブラージュもまた笑っていた。


 ブウゥゥゥゥーーーーン・・


 漆黒の蛇身をした妖女と真珠色の龍人が見守る先で、"終末の神器"が低い作動音を鳴らす。妖女の白い髪に包まれたまま、鏡面が黒々と染まって色を変え、黒い粒子を噴き上げ始めた。

『さあ・・混沌を始めましょう』

 笑みを浮かべた蛇身の女が、ブラージュから太陽神と光の女神の死骸を受け取った。

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