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第1章
第215話 神殺し
しおりを挟む見覚えのある黒々とした杭が突き立っていた。
夢幻の女神らしい女がうつ伏せに倒れている。黒杭に背中から串刺しにされて、床に縫い止められていた。長い時間足掻いたのだろう、手の指先が引き裂け、爪先の辺りなど床が削れていた。
この女神は、マーブル主神を嫌っていたが、同時に太陽神も嫌っていた。ましてや、異界神など論外である。
女神の神力は強かった。前の主神に匹敵する神格をもっていた。だが、それだけだった。
月神によって言葉巧みに籠絡され、隠れ潜んでいた狭間の空間から誘き出された挙句、凶神の呪瘴槍だという黒い杭で串刺しにされた。
さすがに、他の女神のように一瞬で食い尽くされはしなかったが・・。
そして、月神は脅した。
手を貸せと・・。
現主神の使徒を殺すことができれば、開放してやると・・。
月神の誤算は、追い詰められた女神の恐怖心が夢幻回廊を生み出したことだ。元々、女神が死滅を感じた時に顕現する特異な能力である。月神はそれを知らなかった。
夢幻の回廊は、月神と使徒を巻き込んだ。
予想外の事態だった。月神は怒り狂って、女神を口汚く罵り、蹴りつけ、踏みにじった。
夢幻回廊は女神が死滅しても消えることは無い。月神は凶神の力を当てにしていたが、神格だけなら凶神より夢幻の女神の方が上なのだ。脱出は簡単では無い。
不測の事態に、月神はもう一つの目的である、現主神の使徒を殺すことを優先した。閉じた空間からの脱出には、かなりの時間と膨大な神力を必要とするからだ。
凶神の呪瘴槍に吸わせた女神の力を借りて、回廊内に封じの空間を生み出し、現主神が与えた能力や道具を封じてしまえば負けることは無い。
そのはずだった。無力化され、狼狽えて慌てふためく主神の使徒を一方的に嬲るはずだった。
しかし・・。
「これが、月神か?」
シュンは、月神の使徒に訊ねた。
薔薇の蔓に拘束されたまま、使徒の女がわずかに頷いたようだった。
拘束したまま回廊を渡って来たのだ。
月神は、美麗な面貌をした青年の姿をしていたが、すでに手足や腹部、胸からも薔薇の蔓が生え伸びて、仰向けに転がっていた。女神が串刺しにされている場所まで数歩の距離だ。
「生きているな?」
『殺します?』
「情報が欲しい」
『ふふふ・・またやるのですか?』
テロスローサが微笑して離れた。
「必要なら何日でもやる」
シュンは微弱に身動ぎしている月神から、黒い杭に刺し貫かれた夢幻の女神へ視線を移動した。
すぐに左手からテンタクル・ウィップを伸ばして、杭を引き抜くと、うつ伏せに倒れて動かない女神を引き摺り寄せた。すでに、マーブル主神から与えられた恩恵全てを取り戻している。
「ボスが拷問執行官に」
「拷問統括?」
ユアとユナがヒソヒソと囁き合っているが、幽霊だの骸骨だのを前にした時のように怯えた様子はない。どんな傷も治せるから、そこまで怖くないらしい。
「無理に見なくて良いぞ」
一応、声を掛けるが・・。
「拷問には医者が必要」
「聖女の魔法は神にも効く」
2人はしゃがんで背中を向けたまま動かない。
シュンは、先に夢幻の女神を見た。生きていると言って良いのかどうか・・。凶神の黒い杭が刺さっていた部分を中心に、肌が黒紫のシミに覆われて、粉を吹いている。全身に血の管が浮かび、赤い光を放っていた。
「・・片方で十分だな」
シュンは月神をへ眼を向けた。事情を知っているのは、月神の方だろう。夢幻の女神から訊き出せる情報に意味は無さそうだ。シュンの視線を受けて、テロスローサが微笑を浮かべながら大剣へと姿を変え、シュンの右手へ収まった。
シュンは"魔神殺しの呪薔薇"を振りかぶると、夢幻の女神めがけて振り下ろした。
「ん?」
剣身に感じた違和感に、シュンはわずかに身を引いて、"魔神殺しの呪薔薇"を顔の前にかざした。
ジャイィィィーーーン・・
奇妙な金属音が鳴り、"魔神殺しの呪薔薇"に衝撃が爆ぜた。
間髪を入れずに横殴りに振り抜いた"魔神殺しの呪薔薇"が、何か重たい物を斬った。しかし浅かったようだ。
白い髪と金色の瞳をした女が大きく飛び退って宙へ逃れていた。姿態そのものは、人のそれだが、全身が黒い獣の毛に覆われていて、背には蝙蝠のような黒い翼が生えている。夢幻の女神とは似ても似つかない姿だった。
「女神・・では無いな」
刹那の出来事だったが、シュンが斬った女神の体から抜け出したように見えた。霊体が抜け出るように肉体から離れたのだが・・。
『馬鹿な女神が死んだおかげで、やっと外に出られたわ』
言い放った女の頭部めがけて、シュンは"魔神殺しの呪薔薇"を振り下ろした。
ゴシッ・・
重い音が鳴り、小さく破片らしき物が飛び散る。女の手首から肘にかけて、骨のような物が突き出して、"魔神殺しの呪薔薇"を受け止めていた。とびちったのは、削れた骨の破片だ。
『ちぃっ・・』
女が左手を軽く振りながら舌打ちをする。
間髪を入れず、テンタクル・ウィップが背後から、上方から、足下から・・忍び寄って女を襲った。
『・・面倒な技を使うわね』
顔をしかめた女の全身から針のように獣毛が伸びて、黒い触手を弾いた。
その顔に、VSSの銃弾が撃ち込まれる。
数発は命中したが、すぐに見えない何かに阻まれて当たらなくなった。
『ふうん・・今世の使徒はずいぶんとやるのね。驚いたわ・・っと!』
呟く女の背後に瞬間移動したシュンが"魔神殺しの呪薔薇"で斬りつけた。咄嗟に振り向いて、受け止めようとした女だったが、わずかに間に合わず、"魔神殺しの呪薔薇"が肩口を深々と斬り割っていた。
さらに、シュンが前に出て女の顔をめがけて刺突を繰り出す。
腕で顔を庇おうとする女の動きを見て、シュンは刺突の向きを変化させた。"魔神殺しの呪薔薇"が腹部を捉える。
しかし、切っ先が肉を浅く抉ったところで、女の姿が掻き消えていた。
瞬間移動か、それに類する技だ。
シュンは、自分の死角を庇うように視線を周囲へ巡らせた。
だが、女が狙ったのは、シュンでは無く、後方で顔を覆ってしゃがんでいたユアとユナだった。シュンが手強いと感じ、隙がある方・・弱そうな方を先に狙う。判断としては間違っていない。
女が両手から鉤爪のような物を伸ばして、しゃがんでいるユアとユナに襲いかかる。
これを見たシュンがとった行動は・・。
「水楯っ!」
水の防護壁の多重展張だった。
直後、
ドオォォォーーーン・・
腹腔を揺るがす轟音が鳴り響き、黄金光が辺り一帯を呑み込んだ。
「ド~~ン!」
「ドド~ン!」
凄まじい神聖光の爆発の中、しゃがんでいたユアとユナが跳び上がって両手両脚を広げている。
ヒール・デトネーション・・2人がそう名付けた技だった。
おそらく、跳び上がる仕草にも、掛け声にも何の意味も無いと思われる技だったが、神聖光の大爆発が起こったことは事実だ。マーブル主神や輪廻の女神であれば、恐れる必要が無い神聖な光・・。
しかし、
ギィィアアァァァァァーーーーー
背に蝙蝠の羽根を生やした女が、神聖光の爆発を浴びて絶叫をあげながら跳ね飛ばされ、全身から白煙を噴いて床の上をのたうち回った。
「愚か者め」
「不埒者め」
ユアとユナが黒い棍棒を振りかざして、苦鳴をあげて暴れる女を2度、3度叩くと後ろへさがった。
「ミリオン・フィアー」
シュンがVSSを構えて呟いた。
ほぼ同時に、テンタクル・ウィップが生え伸びて、床で転がる女の手足を拘束する。
苦悶する女が為す術無く、銀色をした球状の檻に閉じ込められた。
『おのれっ! 出せぇっ!』
女が檻の中で怒鳴った瞬間、檻が淡い銀光に包まれ、万単位のダメージポイントが飛び散り始めた。
ギャァァァァァーーーーーー
女の悲鳴が響いた。
そこへ、上空から小さな蚊の大群が舞い降りてきた。たちまち、檻の中の女の体が真っ黒に覆い尽くされる。何とか逃れようと暴れる女だが、神聖光で衰弱している上に、手足をテンタクル・ウィップで拘束されている。
ややあって、蚊が吸い上げた力が大量に流れ込んできた事を感じてから、シュンは静かにVSSの引き金を絞った。
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