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第1章

第121話 涙のチョコレート

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「あっ、ユアナさん!」

 ユアナが商工ギルドに戻るなり、羽根妖精の少年が飛んで来た。

「ギルド長がお呼びです! 一緒に来て貰えませんか?」

「私だけ?」

 ユアナは怪訝そうに羽根妖精を見た。

「ユアさん、ユナさんでも良いそうですが・・」

「ふうん、分かったわ。案内して」

 ユアナは小さく頷いた。飛び出すように出かけてきた手前、このままホームに帰るのはちょっと気まずい。商工ギルドのムジェリに呼ばれていたと言えば、少し格好がつくような気がした。

 羽根妖精の少年に案内され、商工ギルド奥の応接室へ通されると、商工ギルドのムジェリの他に、黒服ムジェリが待っていた。

「ムーちゃん、どうしたの?」

 ユアナはムジェリ達と拳を合わせた。ムジェリ式の挨拶である。

「頼まれた品を届けに来たね」

 黒服ムジェリが大きな木箱をテーブルに置きながら言った。

「何か頼んでたっけ?」

「依頼主はボスさんね。会おうとしたら、衰弱してて歩けなかったね」

「うん・・魔神との戦いが終わってから、ずっとああなの。ムーちゃん、あれが何か知ってる?」

 ユアナは不安顔のまま訊ねた。

「あれは、ラグカル病ね。悪い病気じゃないね」

「・・そうなの!?」

「治るまで90日くらいかかるね。でも、ボスさんだからね。15日くらいで完治するね」

 黒服ムジェリが淡々とした口調で言った。基本的に、ムジェリの声は抑揚が乏しい。

「本当っ!? 15日・・あと3日くらい?」

 ユアナは机に身を乗り出した。

「ラグカル病は、怪我でも病気でも無いね。体が酔った状態ね。酔っ払いね」

 商工ムジェリが説明する。

「酔った?」

「強すぎる力に酔ったんだね。体の限界を超えかけたね。体がふらふらね」

「ちゃんと治るよね? シュンさん大丈夫だよね?」

 ユアナは念を押して訊いた。

「大丈夫ね。ボスさん、心が酔ってないね。体だけラグカル病ね。すぐに良くなるね。ムジェリは嘘を言わないね」

 黒服ムジェリが手を差し出した。

「・・良かったぁ」

 ユアナは黒服ムジェリと拳を合わせながら安堵の息をついた。冷んやりとしたムジェリの手が、なんだかとても温かく感じる。

「心配いらないね。体もすぐに戻るね。ボスさん、状態異常の耐性がとても高いからね」

「ありがとう、ムーちゃん・・」

「呼んだのは別の用事ね。これは、ボスさんに頼まれていた品ね。神様の道具ほどじゃないけど、離れていても会話ができる道具ね」

 黒服ムジェリが木箱を開けて中身を見せた。
 ランドセルのような背負い鞄が3つと、手持ちマイクのような小さな棒が30本並べて収められている。

「ムーちゃん、これは?」

「魔力をちょっと使うね。500メートル離れても会話ができるね」

 "護耳"の代用品のような物らしい。

「凄い! ムーちゃん、凄いよ!」

「ムジェリは凄いね。神様には敵わないけどね」

 商工ムジェリが丸いお腹を反らした。

「これ、シュンさんが注文したの?」

「そうだね。この前ムジェリの里に来た時に注文して帰ったね」

「シュンさん、いつの間に」

 ユアナは笑みを浮かべつつ、目尻にこぼれた涙を拭った。

「その・・シュンさん、本当に大丈夫なんだよね?」

「ムジェリを信じるね。ムジェリは嘘をつかないね」

「うん、それは知ってるんだけど、なんだか不安で・・だって、あんなに弱っているシュンさん、初めてなの」

 ユアナはすがるような思いでムジェリ達を見た。

「ボスさん、体の変調だけね。治るのは時間の問題ね」

「変調ってどうなるの?」

「自分の手足をどうやって動かしていたか忘れるね。手を動かすつもりで足が動くね。だんだん心がおかしくなるね」

「・・でも、シュンさん、生活はできてるよ?」

 ユアナの感じでは、シュンは日常生活には苦労していない。多少、動きがぎこちなかったりするくらいだ。

「ボスさんは水霊を持ってるね。水霊を使って、外から自分を操作してるね」

「どういうこと?」

 ユアナは首を傾げた。

「人形劇みたいね。水霊を使役して、水霊糸で手を持ち上げたり足を伸ばしたりするね」

 黒服ムジェリがずんぐりとした手足を動かして身振りで、糸で操る人形のように動いてみせる。

「じゃあ、シュンさんはまだ自分で身体を動かせないの?」

「まだ動かせないね。そもそも、普通は動かせないことも分からないね。心も変調してなにもかも分からなくなるね。でも、ボスさんは心が強いからね。変調してもすぐに戻ったね」

 通常、ラグカル病というものは、体と心が変調して、ゆっくりとした時間をかけて自然に治癒するものらしい。自我を保って生活していること自体がありえないそうだ。

「シュンさん、普通に喋ってたよ?」

「口も舌も全部水霊で操ってるね。 ボスさん、頭がおかしいね。たぶん、脳味噌が一つじゃないね」

「もう、ほとんど治ってるね。完治に3日もかからないね」

 黒服ムジェリと商工ムジェリが断言した。どうやら、本当に大丈夫そうだ。あと数日もすれば元通りの元気なシュンさんに戻るらしい。そう思っただけで、ユアナの双眸から大粒の涙が溢れてくる。

「・・ムーちゃん、異世界のお菓子は嫌いなんだっけ?」

 ユアナはハンカチを取り出して溢れる涙を拭いながら訊いた。

「お菓子ね? 人間の食べ物は味が分からないね」

 黒服ムジェリと商工ムジェリが互いに顔を見合わせた。

「チョコレートも?」

「ちょこ・・食べたことないね」

「試しに食べてみて。とっても美味しいから、でも口に合わなかったら残してね」

 ユアナはニホンでは有名な海外ブランドのチョコレートを2つ取り出して、黒服ムジェリと商工ムジェリに渡した。

「色が危険ね?」

「食べ物ね?」

 黒服ムジェリと商工ムジェリがずんぐりとした手の先に楕円形のチョコレートを乗せて観察している。

「最初は、ほろ苦い感じがして・・とっても甘いの」

 ユアナは同じ物を取り出して口に入れて見せる。
 それを見た黒服ムジェリと商工ムジェリがそれぞれチョコレートを口へ入れた。

「むうっ! 苦いね!」

「むうっ! 甘いね!」

 ムジェリ達が跳び上がるようにして声をあげた。

美味うまいね!」

「美味しいね!」

 黒服ムジェリと商工ムジェリが、ぽってりと膨れた体を震わせる。水滴が震えるように体が震動していた。

「良かった。ムーちゃんの口に合うようなら・・これはラグカル病のことを教えてくれた御礼です」

 ユアナは、大きな箱に入った高級チョコレートの詰め合わせをテーブルに置いた。

「凄いね! これはとんだお宝ね!」

「大変ね! とんでもない品ね!」

 大騒ぎをしているムジェリを見ながら、ユアナは泣き笑いに相好を崩して頭を下げた。

「本当にありがとう。とっても楽になったよ」

「なんね? なにか言ったね?」

 チョコレートの箱が2段重ねになっていたと大騒ぎをしていたムジェリがユアナを振り返った。

「ううん、何でも無い。気に入ってくれたなら、また差し入れるよ。ムーちゃん達にはお世話になってるからね」

 頬を濡らす涙をそのままに、ユアナは笑顔を見せた。
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