カオスネイバー(s)

ひるのあかり

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第一章

第4話 ステーション

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(こんなことになってたんだ)

 矢上蓮は、目の前で行われている作業を見ながら眉をひそめていた。
 富士山頂にある神社の前に、巨大な"鏡"が浮かんでいた。
 今、その"鏡"の中へ、移動式の寝台に乗せられた傷病者達が押し入れられていた。
 点滴がぶら下がった器具に縋るようにして歩く老人、車輪の付いた椅子を動かして"鏡"へ向かう若者、足を失った若い男なども居た。

(……本当に、ステーションで怪我や病気が治るのかな?)

 第九期の特派志願者の中で、自分の足で歩いているのは蓮だけだった。
 これが、"傷病特派"の実態なのだろう。

(昏睡したままの人がいたようだけど、本人の渡界意思は確認できたのか?)

 蓮は、"鏡"の中へ消えて行った簡易寝台と車椅子の行列を見送ってから、背広姿の中年の男の前へ行った。横に、迷彩服姿の大柄な男が情報端末を手に立っている。

「NK-09-008、レンです」

「第九期特派志願者は、君で最後だ。あの荷物は全員分の支給品になる。台車ごと押し込むから現地での活動に役立ててくれ。すべて遺棄物扱いだ。返却の必要は無い。古い品ばかりで申し訳無いが……」

 迷彩服姿の大柄な男が、"鏡"の直前にある大型の台車を指さして言った。台車の上に、袋詰めの荷が満載され、落ちないように網を被せて固定してある。
 先に入った他の志願者達の荷物を一人で持って行けということらしい。

「仕組みは分からないが……渡界する者が自分で持ち込まなければ"鏡"に没収されてしまうから、これ以上は手伝えない。だが、これは電動駆動の台車だ。この握りを手前に捻るだけで前に進む。重さはほとんど感じないはずだ。まあ、この台車もステーションに着いた時点で、何らかの障害が起きて稼働しなくなってしまうんだが……」

 男が台車の取り扱い方法を説明をしてくれた。

「ステーションで、田上という自衛官が待っている。持ち込んだ支給品の分配は、その自衛官に任せてくれ。それから、"鏡"に入って以降は探索士名で呼び合い、実名を伏せるようにした方がいい」

「分かりました」

 蓮は大きな"鏡"を見上げ、そして包囲する形で築かれた防塁を見回した。銃座があり、"鏡"に向けて多数の重機関銃が据えられている。
 大氾濫以外でも、時々モンスターが迷い出てくる。24時間体制で、自衛隊が監視し続けているのだろう。

「では、行ってきます」

 蓮は台車の把手に左手を触れ、言われた通りに黒い握りを捻ってみた。
 それだけで、荷物を満載した台車が勢いよく前進して、蓮を引きずるようにして"鏡"の中へと突入した。
 鏡面に踏み込むと、ヌルリとした液体に触れたような不思議な感覚と共に光が消え、そして再び明るくなった。
 わずか2秒ほどのことだった。
 拍子抜けするほど、あっさりと異空間に到着していた。

(ここが……ステーション?)

 レンの目の前に、神社の楼門が聳え立っていた。
 どこかの天満宮に行った時に見たような立派な造りの楼門だった。見上げると、星々が煌めく夜空が広がっていた。
 奇妙な雰囲気の空間だ。

「異界探索士NK-09-008:レン……で、合ってるかな?」

 大柄な体格の自衛官が近付いて来た。ステーションで待っているという自衛官だろう。60歳前後だろうか。迷彩戦闘服を着て、短く刈った白髪頭に丸天の迷彩帽を被っていた。

「レンです。異界探索協会、中野本部から派遣されて来ました」

 レンは、小さく頭を下げた。

「うん……俺は、陸自のタガミだ。よく来てくれた。君が装備を運んでくれたんだな。助かるよ」

 タガミと名乗った初老の自衛官が柔和な笑みを浮かべつつ、電動台車に積み上げられた荷物を見た。富士で言われた通り、電動台車が停止したまま動かなくなっている。

「ここでは、電子機器やモーター類が機能不全になるんだ」

 タガミという自衛官が、台車を掴んで人力で移動させた。

「全員分だと聞いています」

 レンは、"鏡"を潜る前に預かったと説明した。

「仕分けは、俺がやっておく。ゾーンダルク突入時刻は決めてあるか?」

 タガミがレンを見た。

「明朝、4時20分にしようと思っています」

 富士の"鏡"からの渡界者が全滅したのが、4時50分である。

「うん、大氾濫リミットの30分前だな。悪くない」

「それまで、ステーションを見て回ろうと思いますが、入ると危険な場所などありますか?」

 レンは周囲を見回した。

「いいや。ここは馬鹿みたいに安全だ。ああ……ただ、何をするにも金がかかるぞ」

「お金が? そうなんですね」

「通貨の単位は、ウィル。ここを真っ直ぐ行って右手に銀行があって口座を開設すればカードを作ってくれる。電子マネーみたいなもので、紙幣や硬貨は無いらしい。何でもかんでもカード払いだ」

 タガミが楼門の奥を指さした。

「カード?」

「まだ説明書きを読んでいなかったのか? こっちでの身分証と財布を兼ねたカードだ。エーテル・バンク・カードという名称だ。詳しい仕組みは分からないが……ほれ!」

 タガミが掌を上に向けると、どこからともなく免許証くらいの金属板が浮かび上がった。全体に薄緑色をしていて、表面中央に、『E・B・C』と文字が浮き彫りになっていた。

「これが、カード?」

 目を凝らすと、向こう側が透けて見える。不思議なカードだった。

「こうして見えているだけで、他人が触れることはできないんだ。銀行のお姉ちゃんは、血に宿らせるんだとか気味の悪いことを言っていたが、まあ……慣れてしまえば便利な物だぞ」

「僕は、あまりお金が無いので……」

 あまりどころか、小銭で数百円しか持っていない。カードを作る意味は無さそうだ。

「みんな無いさ。ここでは、地球のお金は無価値だからな」

 タガミが笑顔で言った。

「そうなんですか?」

「口座開設は無料。カードを作るのも無料。で……何か欲しければ、カードで借金して買うしか無い。今日のところはな」

「借金……」

 レンは顔をしかめた。

「ははは……まあ、ゾーンダルクに行って、モンスターを仕留めると討伐ポイントというのがカウントされる。そのポイントを銀行で換金するんだ」

「ポイントですか?」

「色々な種類のポイントがあってな……政府の研究チームの発表じゃ、ゾーンダルクでの行動を評価して数字化したもの……とか何とか言っていたが、実際の仕組みはよく分かっていない。まあ、ここは"ゲームのような世界"らしいからな。そういうやつじゃないか?」

 タガミが苦笑した。

「そうなんですね」

 レンは頷いた。その辺のことは、貰った資料を読めば書いてあるのだろう。なんとなく、理解は難しくなさそうだった。

「だが……ゲームと違って死ぬとそれまでだ。無理はするなよ」

 タガミが釘を刺すように言った。

「はい」

「討伐ポイントは、ゾーンダルクからステーションへ戻るために、5ポイント必要になる。さらに、ステーションから地球へ帰るために10ポイント必要だ。ただじゃ帰れない仕組みになっている」

 地球から渡界する時には無料だったのに、地球へ帰る時には"討伐ポイント"というものが必要になるらしい。
 ちなみに、"ステーション"での治療費は、どんな傷病でも一律 5,000ポイント。
 治療を目的で入った者達は、まず 5,000ポイントのマイナスからのスタートになるから、ゾーンダルクへ渡ったら、借り入れたポイントに加えて、帰還に必要な15ポイントを稼がなければいけないことになるそうだ。

「君は、ゾーンダルクへ行く前に、眼の治療をしておかないのか?」

 タガミが、レンの眼を見た。義眼であることは事前情報として伝えられているのだろう。
 マーニャが言っていた擬似神経のおかげか、焦点調整が驚くほど速くなり、手元から遠くまで視界がクリアだった。

「特に困ってないから、このままで良いかなって思っています」

 ポイントを稼げるかどうかも分からないのに、いきなり治療をしてマイナスポイントでスタートするというのは精神的に辛い。ポイントを稼いで無事にステーションに戻って来れたら、その時に眼の治療を受ければ良いだろう。

「ふむ。そうだな。こっちでは、そういうことも含めて自分で考えて、自分で決めるしかないからな」

 タガミが頷いた。

「とにかくモンスターを斃してポイントを稼がないと帰れないんですね」

「そういうことだ。このままステーションに居座っていても、日本には永遠に戻れない」

 ステーションで治療だけして日本へ帰ることはできず、ゾーンダルクへ渡って討伐ポイントを稼げないといけない。

「なるほど……」

 レンは、背後を振り返った。
 そこに富士から潜ってきた"鏡"の鏡面が聳え立っていた。
 水銀のような色をした鏡面の上辺に、【0】の文字が浮かんでいる。あれは、ゾーンダルクに渡界中の生存者数を表す数字だった。このまま、レン達がステーションに居続ければ、"鏡"の向こう側でモンスターの大氾濫が起きる。

「ちなみに、ここの従業員というか、住人みたいなのは……なかなか面白いぞ」

 タガミが意味ありげな笑みを浮かべる。

「ステーションの住人ですか?」

 レンは、ライトアップされている煌びやかな楼門へ眼を向けた。

「色々と行ってきたらどうだ? 口座の開設だけは、さっさと済ませておくべきだと思うが……ここから先は、すべてが君の自由だからな」

「そうですね。時間まで見て回ります。あ、この資料だけもらって行きますね」

 レンは荷物の山に挟んでおいたゾーンダルクについての調査資料ファイルを抜き取った。
 こちらへ来る時は慌ただしかったが、今なら時間がたっぷりある。しっかりと読み込んでおきたい。

「おう! 行け、行け! 仕分けの邪魔だ」

 タガミが笑いながら、レンを追い払うように手を振った。

(……ステーションか)

 楼門を潜った先には石段があり、上った所に屋根のある掲示板が立っていた。

(富士山ステーション案内図……)

 正面に見える拝殿らしき建物は、クエスト案内所。

 右手にある社務所のような建物が、ゾーンダルク中央銀行・富士山支店。

 左手に見える建物は、銃砲刀取り扱い店。

 その奥にあるのは、治療院。

 拝殿を潜った先の瑞垣で囲まれた建物は、ゾーンダルクへ移動する転移門。

 拝殿脇にある狛犬に触れると、ホテルゾーンに入るらしい。

(本当にゲームみたいだ)

 レンは、おおよその配置を頭に入れてから、ゾーンダルク中央銀行・富士山支店へ向かった。
 木格子の引き戸を開けると、仄かなお香の香りと共に、清涼な空気が流れ出してきた。

『いらっしゃいませ』

 緋色の袴を穿いた巫女風の女性が笑顔で出迎えた。長い金色の髪を背で束ねた美しい女性である。

(耳っ!?)

 レンは少し固まった。

『お客様?』

 女が小首を傾げて見せる。

「あ、いえ……えっと」

 レンは狼狽えつつ、女の頭から眼を逸らした。女の髪の間から、三角の獣耳が生えていたのだ。

「口座を開きたいのですが……」

 レンは、動揺を隠すために建物の中を見回した。
 フロア内は、銀行のカウンターというより、半個室が並んだカウンセリング・センターといった様相である。

(なんだ、これ……)

 他の人も頭に獣耳が生えていた。

『ご案内致します。こちらへどうぞ』

 獣耳の女性が先に立って歩き始めた。

(タガミさん、これ知ってて教えなかったな)

 レンは、ちらと初老の自衛官の顔を思い出しつつ、巫女の恰好をした店員についていった。

 最初のインパクトはともかく、銀行についてやポイント換金の仕組みなどの説明は淡々としたものだった。
 タガミが言っていたように、エーテル・バンク・カード(EBC)という物は、所有者固有の物で複製などは不可能という説明だった。キャッシュレスカードとしての役割と、身分証明を兼ねていて、ステーション内ではもちろん、ゾーンダルク内でも使用できるということだった。
 本日の換金レートは、1ポイントが、100.3 wil らしい。

『ご利用ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております』

 巫女服姿の店員さんに見送られて銀行を出ると、次は銃砲刀を取り扱っているという"トリガーハッピー"へ向かった。

『ふん……初顔だな』

 固太りをした老人がカウンターの奥で腕組みをして座っていた。

「えっと……銃弾はいくらくらいですか?」

『口径は?』

 腕組みをしたまま老人が訊いてくる。

「ああ……いえ、まだ分からないんですけど」

 まだ、どんな物を支給されたのか知らなかった。品揃えを見るために入ったのだが、店内には何も陳列されてない。

『分からないなら、せめて実物を持ってこい。同じ物を売ってやる』

「はい……銃も買えるんですよね?」

『何が欲しい?』

「それも、まだ何も決めてないんですけど……」

『欲しい物を決めてから来い。金があるなら売ってやる』

「……はい。お邪魔しました」

 レンは店を後にした。

(次は……)

 レンは、クエスト案内所を見て回ってから、ホテルゾーンに行ってみた。

 シングルルームが、一泊8,000 Wil。デイユースで、1,500 Wil。

 レンは、値段を聞いて即退散した。
 そのまま、クエスト案内所の裏にある灯籠の下へ座って調査資料を読み始めた。お金が無いので、他にやることが無かった。

(異界神の所在、異界神と対話する方法、異界神の目的、鏡の破壊方法……)

 配布の資料には自衛隊の派遣目的が列挙してあったが、どの項目にも"不明"としか書かれていなかった。調査方法や過程が記載されていないから、何の参考にもならない。

(異界神って呼んでるんだ?)

 日本政府は、啓示の動画に出てくる青年のことを"異界神"と呼称しているらしい。有識者会議の結果を受けて、動画に出てくる青年を"神"とは認めないという公式見解が発表されたはずだったが、その辺の整合性はどうなっているのだろう。

(何も指示は無かったから、自由にしていいよな?)

 期待されている役割は、次の部隊派遣まで生存し続けて、大氾濫を防ぐことだけだろう。

(僕達の前に渡界した部隊は、何があって全滅したんだろう? 何に気をつければ良いのかな?)

 レンは、調査資料を床に置いて小さく息を吐いた。






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レンは、異世界に銀行口座を開いた!

レンは、生まれて初めて本物の獣人に会った!
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