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一限目の授業が終わり、職員室へ向かう途中、圭がいるはずの教室をさりげなく覗いてみると、彼女の席には誰も座っていなかった。教室の中にもいる気配がない。
「先生!」史江の姿を認めたのだろう、同じクラスの音楽部の生徒がとても慌てた様子で史江に駆け寄ってきた。河田という生徒だ。
「河田さん、どうしたの」
極力平静を装い、史江はその生徒に話しかけた。
「圭ちゃんが授業中に連れて行かれたんです! 何があったんですか」
「えっ、授業中に? 誰に?」
「教頭先生が授業の途中に来て、呼ばれて連れて行かれたんです。圭ちゃんはどこに行ったんですか」
そう言って、ごくりと唾を飲み込むのがわかった。彼女はどうやら何も知らないらしい。
しかし、まさか授業中にこんな動きがあることは史江も全く予想していなかった。ほんの一時間ほど前に、自分になんとかしろと言ったばかりだ。せめてもう少し時間をくれてもいいではないか。学園もなんとか騒動になる前に沈静化を図りたいのだろうが、こんなやり方は到底納得できない。
気がつくと、同じクラスの生徒たちが史江と河田の会話を遠巻きに聞いているのがわかった。どうやら既に週刊誌やテレビで情報を入れている生徒もいるようで、史江と河田の方をチラチラ見ながら、輪になって含み笑いをしているグループもいる。
「大丈夫。とにかく心配しないで。高橋さんのことで、もし何か言ってくる人がいたとしても、そんなのは全てデマだから、彼女のことを信じてあげて」
河田にそう言うと、彼女は力強い眼差しで「もちろんです」と頷いた。
圭の教室を離れ、急いで職員室へ向かう。教頭が連れて行くとすれば、恐らく校長室だろう。いったいどうすれば——
幸いにして、次の時間は担当する授業はない。少しは落ち着いて考えよう。菊池さんの事務所へ今どうなっているのか聞いてみようか。自分の机に着き、引き出しから携帯電話を取り出すと、不在着信が数件、入っていた。
電話はほとんど早瀬恵と圭太からだった。菊池からも一件入っている。恐らく今回の件のことで電話してきたのだろう。
携帯を手にして外に出て、その中からとりあえず恵に電話をしてみる。すると折り返しを待っていたように、ほとんどコールされないうちに恵が電話に出た。
「西川先生、圭ちゃんのことで何か聞きましたか」恵さんも少し焦っているようだ。
「うん。週刊誌の記事だけさっき目を通した。いったい何が起こってるの?」
「すみません。OJガールも若い人の間で最近売れ始めたばかりだし、それにあんなありえないデマ記事、誰も本気にしないと思ってたのに。それをまさか、テレビがこんな大きな騒ぎするなんて、想定外で。私も……事務所も実はすごく慌ててるところなんです。あの、圭ちゃんは学校は大丈夫でしょうか」
恵の声が震えていた。言いぶりだと、記事が出ることは知っていたのかもしれない。だから私に申し訳なくて泣いてるのかもしれない——
「まだ、記事を知ってから会ってないのよ」
「朝から事務所に何社か来てて、ひょっとしたら、そっちにもマスコミが行くかもしれません。学園に迷惑をかけたらどうしよう——」不安そうな恵の声。
「早瀬先生、落ち着いて。圭は誰にも——もちろん学園にも迷惑をかけるようなことは、何もしてないよ。だから、必ずみんなわかってくれるし、絶対あなたの責任じゃない」
ありがとうございます——消え入りそうな声で彼女は謝った。
「ところでさあ、圭太くんは今どこにいるかなあ。頼みたいことがあるんだけど」
恵と話しながら、史江はふとあることを思いついた。
「ああ、圭太は圭ちゃんが心配だから、横浜に行ってみるって、朝から電話があったんですけど、そっちに行ってないですか?」
「私もさっきまで授業だったからなあ……。来てればいいんだけど。じゃあ、この後で電話してみるわ」
そう言いながら、史江は正門が見えるところまで少し移動して目を凝らした。
——よし、やるか。
「また後でかけ直すから」と言い恵との電話を切ると、思い直したように一回気合いを入れた。
「失礼します」
ドアをノックすると同時に、中からの返事を確認もせず史江は校長室のドアを開ける。やはりそこに応接ソファに圭がひとりで座っているのが目に入った。
「に、西川先生。なんですか、いきなり入ってきて——」
校長と話していた教頭が咎めるようにきつい口調で言いかけたが、史江はそれを遮るように、「いったいどういうことですか」と言いながら、ツカツカと勢いのまま校長の前に立って腰に手を当てた。
「高橋圭さんがなぜここにいるんですか? しかも授業中に連れ出したらしいじゃないですか。この子が何をしたと言うんです?」
史江は本気で怒っていた。その気迫に校長と教頭がたじろいだ。
「朝、私は言いましたよね。あれは全くのデマだって。だから、私になんとかしなさいと。それなのに、なんでわざわざ授業中に連れ出してまでこの子をここに座らせているのか、私が納得できるように説明してください!」
「ああ、いや、まあ、高橋さんがいろいろ噂されて、教室に居づらいんじゃないかと校長先生が心配されて、それでねえ……」
教頭がしどろもどろになりながら、言い訳を探している。
「この子が教室にいたくないとでも言ったんですか?」史江は教頭を睨みつけた。「もし教室に居づらいとこの子が言うのなら、指導すべきはこの子じゃなくて、つまらない週刊誌のデマに振り回されてる生徒たちでしょう? それが教育じゃないんですか? それなのに何もしてないこの子の方がなんで隠れなきゃいけないんですか」
グイッと一歩踏み出すと、校長たちは青くなって黙り込んだ。
「今日はこの子は早退させます。もちろんいいですよね」
返事がない。
「ねっ!」
もう一度史江が強く押し込むと、「も、もちろん。ああ、そうだな。今日はそうした方が」と視線を逸らしながら校長が言う。
「しかし、西川先生は授業が——」
横合いから教頭が口を出したのを、
「誰が私が連れて帰るって言いました? もう人を呼んでいますので、気になさらないでください」
と、ぴしゃりと遮ると、「圭、行くよ」と優しく声をかけ、その腕に手をかけて、呆気に取られている校長たちを尻目に、そのまま校長室から圭を連れ出した。
「どこに行くの?」
不安げな圭に、「いいからついてきて」といい正門まで連れて行くと、そこには圭太車の前で所在なげに立っていた。
「やっぱり来てたね。さっき見えたような気がしたんだよね」
史江が言うと、
「どうやって連れ出そうか、困ってたんです。先生、助かりました」
と、ペコリと圭太は頭を下げた。
「後は頼むからね。今、この子のことを任せられるのはあなたしかいない。絶対に助けてあげて」と史江が言うと、「わかりました」と言いながら、もう一度圭太は頭を下げたのだった。
「先生!」史江の姿を認めたのだろう、同じクラスの音楽部の生徒がとても慌てた様子で史江に駆け寄ってきた。河田という生徒だ。
「河田さん、どうしたの」
極力平静を装い、史江はその生徒に話しかけた。
「圭ちゃんが授業中に連れて行かれたんです! 何があったんですか」
「えっ、授業中に? 誰に?」
「教頭先生が授業の途中に来て、呼ばれて連れて行かれたんです。圭ちゃんはどこに行ったんですか」
そう言って、ごくりと唾を飲み込むのがわかった。彼女はどうやら何も知らないらしい。
しかし、まさか授業中にこんな動きがあることは史江も全く予想していなかった。ほんの一時間ほど前に、自分になんとかしろと言ったばかりだ。せめてもう少し時間をくれてもいいではないか。学園もなんとか騒動になる前に沈静化を図りたいのだろうが、こんなやり方は到底納得できない。
気がつくと、同じクラスの生徒たちが史江と河田の会話を遠巻きに聞いているのがわかった。どうやら既に週刊誌やテレビで情報を入れている生徒もいるようで、史江と河田の方をチラチラ見ながら、輪になって含み笑いをしているグループもいる。
「大丈夫。とにかく心配しないで。高橋さんのことで、もし何か言ってくる人がいたとしても、そんなのは全てデマだから、彼女のことを信じてあげて」
河田にそう言うと、彼女は力強い眼差しで「もちろんです」と頷いた。
圭の教室を離れ、急いで職員室へ向かう。教頭が連れて行くとすれば、恐らく校長室だろう。いったいどうすれば——
幸いにして、次の時間は担当する授業はない。少しは落ち着いて考えよう。菊池さんの事務所へ今どうなっているのか聞いてみようか。自分の机に着き、引き出しから携帯電話を取り出すと、不在着信が数件、入っていた。
電話はほとんど早瀬恵と圭太からだった。菊池からも一件入っている。恐らく今回の件のことで電話してきたのだろう。
携帯を手にして外に出て、その中からとりあえず恵に電話をしてみる。すると折り返しを待っていたように、ほとんどコールされないうちに恵が電話に出た。
「西川先生、圭ちゃんのことで何か聞きましたか」恵さんも少し焦っているようだ。
「うん。週刊誌の記事だけさっき目を通した。いったい何が起こってるの?」
「すみません。OJガールも若い人の間で最近売れ始めたばかりだし、それにあんなありえないデマ記事、誰も本気にしないと思ってたのに。それをまさか、テレビがこんな大きな騒ぎするなんて、想定外で。私も……事務所も実はすごく慌ててるところなんです。あの、圭ちゃんは学校は大丈夫でしょうか」
恵の声が震えていた。言いぶりだと、記事が出ることは知っていたのかもしれない。だから私に申し訳なくて泣いてるのかもしれない——
「まだ、記事を知ってから会ってないのよ」
「朝から事務所に何社か来てて、ひょっとしたら、そっちにもマスコミが行くかもしれません。学園に迷惑をかけたらどうしよう——」不安そうな恵の声。
「早瀬先生、落ち着いて。圭は誰にも——もちろん学園にも迷惑をかけるようなことは、何もしてないよ。だから、必ずみんなわかってくれるし、絶対あなたの責任じゃない」
ありがとうございます——消え入りそうな声で彼女は謝った。
「ところでさあ、圭太くんは今どこにいるかなあ。頼みたいことがあるんだけど」
恵と話しながら、史江はふとあることを思いついた。
「ああ、圭太は圭ちゃんが心配だから、横浜に行ってみるって、朝から電話があったんですけど、そっちに行ってないですか?」
「私もさっきまで授業だったからなあ……。来てればいいんだけど。じゃあ、この後で電話してみるわ」
そう言いながら、史江は正門が見えるところまで少し移動して目を凝らした。
——よし、やるか。
「また後でかけ直すから」と言い恵との電話を切ると、思い直したように一回気合いを入れた。
「失礼します」
ドアをノックすると同時に、中からの返事を確認もせず史江は校長室のドアを開ける。やはりそこに応接ソファに圭がひとりで座っているのが目に入った。
「に、西川先生。なんですか、いきなり入ってきて——」
校長と話していた教頭が咎めるようにきつい口調で言いかけたが、史江はそれを遮るように、「いったいどういうことですか」と言いながら、ツカツカと勢いのまま校長の前に立って腰に手を当てた。
「高橋圭さんがなぜここにいるんですか? しかも授業中に連れ出したらしいじゃないですか。この子が何をしたと言うんです?」
史江は本気で怒っていた。その気迫に校長と教頭がたじろいだ。
「朝、私は言いましたよね。あれは全くのデマだって。だから、私になんとかしなさいと。それなのに、なんでわざわざ授業中に連れ出してまでこの子をここに座らせているのか、私が納得できるように説明してください!」
「ああ、いや、まあ、高橋さんがいろいろ噂されて、教室に居づらいんじゃないかと校長先生が心配されて、それでねえ……」
教頭がしどろもどろになりながら、言い訳を探している。
「この子が教室にいたくないとでも言ったんですか?」史江は教頭を睨みつけた。「もし教室に居づらいとこの子が言うのなら、指導すべきはこの子じゃなくて、つまらない週刊誌のデマに振り回されてる生徒たちでしょう? それが教育じゃないんですか? それなのに何もしてないこの子の方がなんで隠れなきゃいけないんですか」
グイッと一歩踏み出すと、校長たちは青くなって黙り込んだ。
「今日はこの子は早退させます。もちろんいいですよね」
返事がない。
「ねっ!」
もう一度史江が強く押し込むと、「も、もちろん。ああ、そうだな。今日はそうした方が」と視線を逸らしながら校長が言う。
「しかし、西川先生は授業が——」
横合いから教頭が口を出したのを、
「誰が私が連れて帰るって言いました? もう人を呼んでいますので、気になさらないでください」
と、ぴしゃりと遮ると、「圭、行くよ」と優しく声をかけ、その腕に手をかけて、呆気に取られている校長たちを尻目に、そのまま校長室から圭を連れ出した。
「どこに行くの?」
不安げな圭に、「いいからついてきて」といい正門まで連れて行くと、そこには圭太車の前で所在なげに立っていた。
「やっぱり来てたね。さっき見えたような気がしたんだよね」
史江が言うと、
「どうやって連れ出そうか、困ってたんです。先生、助かりました」
と、ペコリと圭太は頭を下げた。
「後は頼むからね。今、この子のことを任せられるのはあなたしかいない。絶対に助けてあげて」と史江が言うと、「わかりました」と言いながら、もう一度圭太は頭を下げたのだった。
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