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音
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「パーン」という迫力のある音が部室に響いた。ミオが畳の上のかるたを払った音だ。
5月に入り、県大会へ向けてますますかるたにのめり込む風花だったが、自分がかるたを払うときの畳の「音」が、ミオや先輩たちと明らかに違うということに気がついていた。
しかも、一緒にかるたを始めた孝太が、ときどきとてもよい音を響かせることがあるのだ。
「音かあ。そうそう、京都の嵐山にあるかるたの殿堂の畳が、これがまたいい音がするのよ——っていう話じゃないよね。たぶん、孝太には迷いがないからね」
「迷い?」
「うん。孝太はためらってないんだよ。体全体を使って敵陣まで腕を振り抜いてるからさ。それが孝太の1番の長所で、まだ今は短所でもあるんだけど」
「短所って?」
「お手つきがめっちゃ多いでしょ? 相手はラッキーだよね」
広島市内でフラワーフェスティバルという大規模イベントが開催されるこの時期、たいがい1日は雨が降ることが多いのだが、今年のゴールデンウィークは快晴が続いていた。
そんな連休の初め、部活帰りに「かるさわ」のアイスを防波堤のベンチで食べながら、ミオがそういった。
「うん、確かにお手つきは多いかな。じゃあ、まあいいか」と風花は自分を納得させるように言う。
「いや、いいとは言ってない」ミオが即座に言った。「孝太はまだ百首を覚えきってないからお手つきが多いけど、迷いがないって本当は長所なのよ」
「でもさ、でもさ、札を送られるんだから、当たり前だけどお手つきをしたら相手が有利でしょ?」
「そうよ。でもね、特に初心者はお手つきを恐れてたらかるたは勝てないよ。風花は敵陣へ攻め込めてないから、孝太のペースで試合してるかな」
確かにそうだった。風花は、一緒にかるたを始めた孝太と、最近は対戦練習を始めたが、なかなか勝ち越せないことも悩みのひとつだ。百首の暗記は、明らかに風花の方が早いにもかかわらず、だ。
「攻め込めてないかなあ」
風花は2、3度座ったまま素振りをする。
「孝太はねえ……」ミオが少し言い淀んだ。「気を悪くしないでね。孝太はたぶん、風花が相手だからまだ遠慮してると思うよ」
海の階段の方に座っている孝太に聞こえないようにだろう、ミオが小声でささやいた。
言葉につられて風花はチラッと孝太を見た。頭にタオルを載せて、のんびりとアイスモナカをかじっている。
「遠慮って……まさか。じゃあ、私が相手じゃなかったら、孝太君はもっと強いってわけ?」
風花はミオの言い方に、少しだけ納得いかなかった。
「だから、勝ち負けだけの話じゃなくて、何ていうかなあ。孝太は風花の下段への飛び込みを遠慮してるっていうか。もちろん、本気を出せば出すほど今はお手つきも増えるから、かえって試合は負けるかもしれないけど、初心者のうちはそれくらいじゃないと。攻めをためらうって、癖になっちゃうんだよね。それじゃ上のクラスにはいつまでもあがれないよ」
「じゃあ、孝太君だって遠慮してるってことは、そうってことじゃん」やっぱり納得いかない。
「だからね、孝太は意図的に攻めてない。でも、風花は——無意識に自分でブレーキをかけて飛び込めてないと思う。わかるかなあ」
ミオが少し首を傾げた。潮風にポニーテールが揺れている。
言おうとしていることは、なんとなくわかった。わかったが——
「じゃあさ、なんで孝太君は私に遠慮してるの」
そこが全然納得できない。ちゃんと理由を説明をしてもらおうじゃないの。
するとミオはポカーンと口を開けて風花を見つめ、
「ごめん、マジで言ってる?」
とあきれたように言った。
「マジで言ってるって……。どういう意味よ」
チラッと孝太に目をやると、孝太は1人でぼーっと海を見てた。
するとミオは最初クックックと笑いを押し殺していたが、そのうち大声で笑い出した。やがて、呆気にとられる風花を尻目にひとしきり笑うと、風花の問いには答えず、「ねえ、そろそろ帰ろうか」と孝太に大声で言いながらベンチから立ち上がった。
風花はちょっとモヤモヤしていた。ミオは孝太のことをなんでもわかってるみたいな言い方をしてる。今までだってそうだよね。幼馴染とかなんとか言っちゃってさ、ほんとはミオったら。
——つき合ってないよ。
ミオがバスの中で言ったこと、絶対にあれは嘘だ。
風花はこの日、そう確信した。
中堂先輩が、大会用のTシャツを作ろうという。ほとんどの高校が、動きやすいジャージの下とTシャツらしい。せっかくなので、背中のデザインをみんなで考えることになった。
生地の色は、海潮高校にちなんで海の青とすることは全員一致で決まった。問題は背中の文字だが、高校の名前を入れるだけというのも味気ない。
「序歌を入れるとこ、結構あるよね」とミオがいう。
序歌とは競技かるたの試合で、百首より先に読まれて試合開始を告げる歌だ。決まりがあるわけではないが、難波津の歌が有名だ。
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり
いまを春べと 咲くやこの花
かるたをする人には、とても有名な歌だが、それだけ他の高校が使っている確率も高い。かぶらない歌をと考えたが、いいアイデアが浮かばない。
「よし、ここは尾道。林芙美子先生で」
煮詰まった頃、中堂先輩がそう言った。
海が見えた。海が見える。
尾道海潮高校
胸に海潮高校の校章をあしらうこととした。もちろん誰も依存はなかった。
5月に入り、県大会へ向けてますますかるたにのめり込む風花だったが、自分がかるたを払うときの畳の「音」が、ミオや先輩たちと明らかに違うということに気がついていた。
しかも、一緒にかるたを始めた孝太が、ときどきとてもよい音を響かせることがあるのだ。
「音かあ。そうそう、京都の嵐山にあるかるたの殿堂の畳が、これがまたいい音がするのよ——っていう話じゃないよね。たぶん、孝太には迷いがないからね」
「迷い?」
「うん。孝太はためらってないんだよ。体全体を使って敵陣まで腕を振り抜いてるからさ。それが孝太の1番の長所で、まだ今は短所でもあるんだけど」
「短所って?」
「お手つきがめっちゃ多いでしょ? 相手はラッキーだよね」
広島市内でフラワーフェスティバルという大規模イベントが開催されるこの時期、たいがい1日は雨が降ることが多いのだが、今年のゴールデンウィークは快晴が続いていた。
そんな連休の初め、部活帰りに「かるさわ」のアイスを防波堤のベンチで食べながら、ミオがそういった。
「うん、確かにお手つきは多いかな。じゃあ、まあいいか」と風花は自分を納得させるように言う。
「いや、いいとは言ってない」ミオが即座に言った。「孝太はまだ百首を覚えきってないからお手つきが多いけど、迷いがないって本当は長所なのよ」
「でもさ、でもさ、札を送られるんだから、当たり前だけどお手つきをしたら相手が有利でしょ?」
「そうよ。でもね、特に初心者はお手つきを恐れてたらかるたは勝てないよ。風花は敵陣へ攻め込めてないから、孝太のペースで試合してるかな」
確かにそうだった。風花は、一緒にかるたを始めた孝太と、最近は対戦練習を始めたが、なかなか勝ち越せないことも悩みのひとつだ。百首の暗記は、明らかに風花の方が早いにもかかわらず、だ。
「攻め込めてないかなあ」
風花は2、3度座ったまま素振りをする。
「孝太はねえ……」ミオが少し言い淀んだ。「気を悪くしないでね。孝太はたぶん、風花が相手だからまだ遠慮してると思うよ」
海の階段の方に座っている孝太に聞こえないようにだろう、ミオが小声でささやいた。
言葉につられて風花はチラッと孝太を見た。頭にタオルを載せて、のんびりとアイスモナカをかじっている。
「遠慮って……まさか。じゃあ、私が相手じゃなかったら、孝太君はもっと強いってわけ?」
風花はミオの言い方に、少しだけ納得いかなかった。
「だから、勝ち負けだけの話じゃなくて、何ていうかなあ。孝太は風花の下段への飛び込みを遠慮してるっていうか。もちろん、本気を出せば出すほど今はお手つきも増えるから、かえって試合は負けるかもしれないけど、初心者のうちはそれくらいじゃないと。攻めをためらうって、癖になっちゃうんだよね。それじゃ上のクラスにはいつまでもあがれないよ」
「じゃあ、孝太君だって遠慮してるってことは、そうってことじゃん」やっぱり納得いかない。
「だからね、孝太は意図的に攻めてない。でも、風花は——無意識に自分でブレーキをかけて飛び込めてないと思う。わかるかなあ」
ミオが少し首を傾げた。潮風にポニーテールが揺れている。
言おうとしていることは、なんとなくわかった。わかったが——
「じゃあさ、なんで孝太君は私に遠慮してるの」
そこが全然納得できない。ちゃんと理由を説明をしてもらおうじゃないの。
するとミオはポカーンと口を開けて風花を見つめ、
「ごめん、マジで言ってる?」
とあきれたように言った。
「マジで言ってるって……。どういう意味よ」
チラッと孝太に目をやると、孝太は1人でぼーっと海を見てた。
するとミオは最初クックックと笑いを押し殺していたが、そのうち大声で笑い出した。やがて、呆気にとられる風花を尻目にひとしきり笑うと、風花の問いには答えず、「ねえ、そろそろ帰ろうか」と孝太に大声で言いながらベンチから立ち上がった。
風花はちょっとモヤモヤしていた。ミオは孝太のことをなんでもわかってるみたいな言い方をしてる。今までだってそうだよね。幼馴染とかなんとか言っちゃってさ、ほんとはミオったら。
——つき合ってないよ。
ミオがバスの中で言ったこと、絶対にあれは嘘だ。
風花はこの日、そう確信した。
中堂先輩が、大会用のTシャツを作ろうという。ほとんどの高校が、動きやすいジャージの下とTシャツらしい。せっかくなので、背中のデザインをみんなで考えることになった。
生地の色は、海潮高校にちなんで海の青とすることは全員一致で決まった。問題は背中の文字だが、高校の名前を入れるだけというのも味気ない。
「序歌を入れるとこ、結構あるよね」とミオがいう。
序歌とは競技かるたの試合で、百首より先に読まれて試合開始を告げる歌だ。決まりがあるわけではないが、難波津の歌が有名だ。
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり
いまを春べと 咲くやこの花
かるたをする人には、とても有名な歌だが、それだけ他の高校が使っている確率も高い。かぶらない歌をと考えたが、いいアイデアが浮かばない。
「よし、ここは尾道。林芙美子先生で」
煮詰まった頃、中堂先輩がそう言った。
海が見えた。海が見える。
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