二十九の星 -後漢光武帝戦記-

真崎 雅樹

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第六章 匈奴襲来

第四十話

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 烏珠留うしゅりゅう単于ぜんうに率いられた匈奴フンヌ軍が、一里(約四百メートル)の距離までしん軍に迫った。壁のように並べられた輜重を見て、進路を右へ転じた。まだ防備が整えられていない箇所を探し、新軍の周囲を駆けた。一周するも守りが薄い箇所を見つけられず、匈奴軍は突撃を中止して烏珠留単于の周りに集結した。於粟置支侯おぞくちしこうかんが烏珠留単于の前に馬を進めた。

「単于、あれは――」

「わかっている。李陵りりょう戦法だ」

 李陵戦法、とは輜重等を障害物として自軍の周りに置き、敵騎兵の突撃を防ぎながら投射兵器で応戦する戦法である。百年前のかん帝国と匈奴単于国の大戦で、漢軍の指揮官の一人、李陵が用いたことから名がついた。李陵はしん帝国の始皇帝しこうていに仕えた武将、李信りしんの子孫であり、寡兵を指揮していた時に単于が率いる大軍に遭遇し、咄嗟に輜重を周囲に並べて戦いに臨んだ。単于は六倍の兵力で包囲して猛攻を加えたが、李陵に指揮された漢軍は匈奴軍を寄せつけず、矢が尽きるまで戦い続けた。最後は降伏に追い込まれはしたが、単于は李陵を勇者と認めて礼を尽くし、一方、李陵の降伏を伝えられた漢帝国の孝武こうぶ皇帝は、激怒して李陵の家族を処刑した。

「あれに手を出せば、失う兵は千や二千では済まない。李陵の時は、八日間の戦いで一万騎が戦死したとも聞く。しかし、如何に強力であろうと、李陵戦法は守りの戦法だ。攻めることは勿論、その場から動くことも出来ない。こちらからは手を出さず、距離を置いて包囲を続ければ、やつらは食糧が尽きて動かざるを得なくなる。そこを攻めれば、勝機はある」

「然りながら――」

 咸は乾いた大地へ目を向けた。

「――この場所は、馬や羊の餌となる草が少ない。長く留まることは出来ません。新軍の食糧が尽きるまで、果たして包囲を続けられるか」

 咸の三男、かくが、北へ移動することを提案した。匈奴単于国の国土は、帝国と境を接している南部は沙漠が、北部は凍土が広がり、沙漠と凍土の間に草原が存在する。匈奴軍は現在、人と降雨が少ない沙漠で新軍を迎撃しているが、軍を北へ移動させて新軍を草原へ引き込めば、匈奴軍は長期の包囲戦が可能になる。そう角が言うと、咸は幾つかの懸念を口にした。

「戦いのことだけを考えれば、それが最善であろう。しかし、新軍を草原へ引き込めば、周辺の諸国、諸民族は、新軍が我らを退けて草原まで攻め込んだと誤解するだろう。烏桓うがんは勿論、一度は撃退した丁零テレクも再び攻めてくるだろう。これまで静観していた鮮卑せんぴ烏孫うそんも新に靡くかも知れないし、抵抗を続けている高句麗こうくりの残党も新に屈するかも知れない。草原で遊牧している牧民も、新軍が草原に到達したとなれば動揺するだろう。兵の――」

 咸は声を潜めた。

「――兵の士気も心配だ」

 咸は烏珠留単于へ目を向けた。新軍の食糧が残り少ないことに賭けるか、それとも政治情勢が悪化することを覚悟で後退するか、眼差しで単于に判断を仰いだ。数秒、黙考した後、烏珠留単于は口を開いた。

「北へ向かう」

 単于の決断が匈奴の戦士たちに伝えられた。僅かではあるが、戦士たちは表情を曇らせた。家族がいる草原へ敵を近づけることに抵抗を覚え、戦いの先行きに不安を感じた。烏珠留単于は馬首を巡らし、匈奴の戦士たちへ声を張り上げた。

「皆、心配するな。我らには、天から贈られた瑞獣、鷲馬ヒポグリフがいることを忘れたか」

 鷲馬、と戦士の一人が呟いた。烏珠留単于は続けた。

「我らには、鷲馬がいる。鷲馬が、我らを勝たせてくれる。右骨都侯うこつとこうが丁零に勝利したように、我らも勝利する。勝利して、鷲馬のように大地に立とう」

 匈奴に勝利を、と戦士の一人が叫んだ。匈奴に勝利を、と別の戦士が叫んだ。匈奴に勝利を、と叫ぶ声と共に、数百の拳が炎のように空へ突き上げられた。烏珠留単于は大きく頷くと、傍らの咸に小声で命じた。

「百騎を率いて辺りに潜み、新軍が移動したら、右屠耆王うしょきおうらの遺体を回収してくれ」

「わかりました」

「あの兄妹が命懸けで庇わなければ、おれは鷲馬を瑞獣ではなく、呪われた仔馬にしていた」

輿の仇は、必ず討ちましょう」

 咸は径路刀アキナスを鞘から引き出した。烏珠留単于も径路刀を抜いた。戦死者へ弔意を示すために、共に径路刀の刃を自らの頬に当てようとした。

 新軍の歩兵の一隊が左右に分かれ、一騎の人馬が奥から走り出てきたことに、咸は気づいた。

「単于」

 咸は烏珠留単于に報せた。烏珠留単于は手を止め、走り出てきた一騎を顧みた。一騎は半里(約二百メートル)の距離まで匈奴軍に近づくと、新軍の指揮官が匈奴軍の指揮官との会談を望んでいることを、匈奴単于国の公用語で伝えた。こちらの要望に応じてくれるのなら、捕虜を解放するとも話した。

「捕虜だと」

 烏珠留単于は新軍の戦列に目を凝らした。

 左右に分かれた歩兵の間を、両腕を縛られた輿が歩かされている様が見えた。

賈覧からん、来い」

 烏珠留単于は径路刀を鞘に納めた。漢語を解せる少年、賈覧を伴い、新軍の方へ馬を走らせた。補佐官の竇融とうゆうと共に、輜重の陰から匈奴軍の様子を見ていた立国りっこく将軍孫建そんけんが、烏珠留単于の姿を見て驚いた。

嚢知牙斯のうちがしではないか」

「嚢知牙斯?」

「匈奴の今の単于だ。こいつは、とんでもない大物が出てきたな」

 捕虜を解放せよ、と孫建は命じた。輿の両腕を縛めていた縄が解かれた。先程、輿と死闘を演じた歩兵が、馬上弓、空の矢箙、径路刀を輿に返した。同じく輿と死闘を繰り広げた弓弩兵が、行け、と手振りで輿に伝えた。輿は無言で歩き出した。乾いた土、乾いた草を踏み、新軍の通訳の前で待つ烏珠留単于の方へ歩いた。咸が輿のために馬を用意し、烏珠留単于の近くまで連れてきた。青空の彼方で風が鳴り、輿が歩いてきた。馬前で足を止めた輿に、烏珠留単于は声をかけた。

「よくぞ生きていた」

「おれ以外は、一人残らず、死にました。皆、最期まで勇敢に戦い、冒頓ぼくとつ単于の許に召されました。おれだけが、卑怯者のように生き延びた」

「生き延びたことを恥じるな。戦場で死すことが戦士の誉れなら、生き延びて次の戦いに臨むことは――」

王昭君おうしょうくんの子だから、生かされました」

 不意に輿の声が激した。

「王昭君の子だから、おれは名誉の戦死を遂げられませんでした。王昭君の子だから、おれは冒頓単于の許に召されませんでした。おれは――」

 数秒、輿は声を詰まらせた。

「――おれは、本当に、匈奴の戦士なのでしょうか」

「その問いに――」

 突き放すように、烏珠留単于は表情を険しくした。

「――答えるべきは、おれではない」

 馬に乗れ、と烏珠留単于は目で命じた。輿は俯き、咸が連れてきた馬へ近づいた。輿が馬に乗ると、咸は馬首を巡らし、匈奴軍の方へ駆けた。咸に続いて輿が駆け去り、烏珠留単于と賈覧、新軍側の通訳の三騎が、その場に残された。立国将軍孫建が馬に乗り、林のように立つ新軍の黄旗の下から単騎で駆け出た。馬蹄の響きが烏珠留単于に近づいた。近づくに連れ、馬蹄の音の速さが段々と遅くなり、停止した。十数歩の距離を隔て、烏珠留単于と孫建は対峙した。荒野の風が両者の周りを流れ、両軍の旗幟が揺れた。

「単于」

 孫建が烏珠留単于に漢語で話しかけた。

「久しぶりだな。おれを憶えているか?」

 賈覧が孫建の言葉を匈奴語に訳して烏珠留単于に伝えた。烏珠留単于は頷いた。

「孫建。昔、西域都護さいいきとごをしていた孫建だ」

 西域都護、とは漢帝国、及び新帝国のタリム盆地駐留軍の司令官である。新軍側の通訳が烏珠留単于の言葉を漢語に訳すと、孫建は顔を笑ませた。

「今は大新帝国の四大将軍の一人、立国将軍だ」

「捕虜を返してくれたこと、まずは感謝する」

「右屠耆王輿は、大新帝国に対して敵意ある男だ。しかし、輿の父母は漢と匈奴の和親に努めた。その徳に報いるために、生かして帰した。次に捕らえたら、もう容赦はしない」

「おれに話があるらしいな、将軍」

「おまえの通訳は随分と若いな、単于」

 賈覧が孫建の言葉を匈奴語に訳そうとして、眉を寄せた。聞き違えたかと訝る賈覧の顔を、じろじろと孫建は観察した。

「顔立ちを見るに、どうやら胡人のようだが、その若さで単于の通訳を務めるとは大したものだ。名は何という? 出身は? どこで漢語を学んだ?」

 孫建は賈覧に訊ねた。賈覧は戸惑い、孫建に質問攻めにされていることを烏珠留単于に伝えた。烏珠留単于は眉を顰めたが、或いは雑談で場の緊張を解そうとしているのかと思い、答えてやるよう賈覧に命じた。賈覧は孫建の方へ顔を向け直した。

「我が名は賈覧。去胡来きょこらいより出で、単于に仕える者である」

「去胡来?」

「わたしが幼い頃、去胡来は侵略を受けた。去胡来の王は漢軍に助けを求めたが、漢軍は去胡来を助けず、窮した王は民を連れて匈奴の地へ逃れた。民を守るために、我らの王はそうした。それなのに、おまえたちの皇帝は我らの王を捕らえ、殺した」

 賈覧は漢語で孫建に話した。賈覧が話している間、烏珠留単于は地平線へ目を向けた。十年以上前に見た光景が脳裏に浮かんだ。民を連れて匈奴単于国へ逃げ込んできた去胡来の王を、処刑するから引き渡せと漢帝国は烏珠留単于に要求した。烏珠留単于は帝国の横暴に怒りを覚えたが、結局は逆らうことが出来ず、去胡来の王を漢軍に引き渡した。去胡来の王は烏珠留単于を恨まず、単于が民を受け入れたことに感謝し、漢軍の檻車に乗り込んだ。檻車が馬に牽かれて動き出すと、王は檻車の格子を手で掴み、民を頼みます、と烏珠留単于へ叫んだ。民を頼みます、民を頼みます、と何度も繰り返した。檻車の横を歩いていた漢軍の兵士が、大人しくしろ、と格子を掴んでいる王の手を矛の柄で叩いた。

「わたしが漢語を学んだのは、王の仇を討つためだ」

 賈覧の眼が赤く潤んだ。

「狼を狩るには、狼のことを知らねばならない。わたしは、漢人のことを知るために、漢語を学んだ」

「なるほどな。おまえの怒りは正当だ。漢帝国には、不正と怠慢が溢れていた。だから、おれは新都しんと侯を支持し、仮皇帝かこうていを支持した。歪んだ帝国を正せるのは、あの御方しかいない。おれは今も――」

「将軍」

 もうよいだろう、と烏珠留単于は孫建へ目を戻した。本題に入るよう目で促した。孫建は苦笑した。くだらないことを話した、と自嘲した。本題に入るために、新軍の方を顧みた。風に翻る無数の黄旗を指し、舞台の上の役者のように声を張り上げた。

「見ろ、単于。あれが、おれが率いる軍だ。どうだ、強そうだろう」

 孫建の言葉を、賈覧が目の縁を拳で拭いながら匈奴語に訳した。

「おまえたちに、あの堅陣は破れない。何千、何万と騎兵を集めようとも、おれたちには勝てない。そうだろう、単于」

「ほざくな。あれは所詮、守りの戦法だ。守るだけでは、匈奴には勝てない。そうではないか、将軍」

「その通りだ。おれたちは、おまえたちに勝てない。おまえたちも、おれたちには勝てない。この戦いは、この荒野よりも不毛だ。何の意味もありはしない」

「何が言いたい」

 孫建が言わんとしていることを察しながらも、敢えて烏珠留単于は孫建に質した。孫建は烏珠留単于の顔を見た。

「兵を退け、単于。この戦争は無意味だ。早く終わらせるべきだ」

「今さら何を言うか。おまえたちは、してはならないことをした」

「おれが皇帝を説得する」

「何?」

「金印の字を旧に復すよう、おれが皇帝を説得する。だから、一年でよい、一年だけ時をくれ」

「おまえたちに、何かを与えるつもりはない」

「単于」

「話は終わりだ」

 烏珠留単于は馬首を巡らした。馬蹄が地を打つ音が響き、単于の馬の影が孫建から離れた。孫建は烏珠留単于の背に叫んだ。

「今を逃せば、戦争が長引くぞ。戦争が長引けば、大新と匈奴は共倒れになる。それでよいのか。匈奴の誇りを守ることが単于の務めなら、民の安寧を守ることも単于の務めではないのか。少なくとも、おまえの父はそう考えていたはずだ。違うか、嚢知牙斯」

 馬蹄の音が止んだ。

 匈奴単于国を二分した内戦を鎮めるために、漢帝国の孝宣こうせん皇帝に跪く父の背中を、烏珠留単于は思い出した。民を頼みます、と繰り返し叫ぶ去胡来の王の声を思い出した。歴代の単于に墓に詣でる道中、乾酪を食べさせてくれた老婆の顔を思い出した。

「嚢知牙斯」

 孫建は烏珠留単于の背に呼びかけた。喉が裂けんばかりの声で、嚢知牙斯、と繰り返した。烏珠留単于は手綱を強く握りしめた。

「一年だけ待つ」

 烏珠留単于は馬を前へ進めた。

 翻る鷲獅子グリフィンの旗を背に、於粟置支侯咸が烏珠留単于を出迎えた。帝国と一年だけ停戦することを、烏珠留単于は咸に伝えた。改めて戦死者の遺体の回収を咸に命じ、軍を北へ移動させた。咸と百騎、通訳の賈覧、そして、遺体の回収作業に志願した右屠耆王輿が、その場に残された。烏珠留単于と三千数百騎が地平線の彼方に去ると、新軍が防御陣形を解いて輜重に荷を積み始めた。輿と死闘を繰り広げた弓弩兵と歩兵が、何かを抱えて賈覧の方へ歩いてきた。何の用かと賈覧が漢語で訊ねると、弓弩兵が答えた。

「孫将軍から、おまえに贈り物だ」

 抱えていた数巻の簡冊を、弓弩兵と歩兵は賈覧の馬の前に下ろした。

孫子そんしだ」

 孫子、とは風林火山の教えで知られる古代の軍事思想家、孫武そんぶが著した軍事の専門書である。

「これを読んで、漢人の戦争を学べと、孫将軍は仰せられた」

「漢人の施しは受けない」

「これを見ろ」

 弓弩兵は簡冊の一つを手に取り、紐を解いて広げた。簡冊に書かれている文章の一つを指し、馬上の賈覧に見せた。賈覧は文章を声に出して読み上げた。

「彼を知り、己を知れば、百戦してあやうからず」

「狼を狩るには、狼のことを知るだけでは駄目だ。狼を狩ろうとしている自分のことも知らねば、狼は狩れない。そういう意味の言葉だ」

「自分のことも知る」

「孫武の教えは、この文章の後も更に続く。どう続くのか、知りたいと思わないのなら、この沙漠に捨て置くとよい」

 弓弩兵は簡冊を閉じて戻した。逡巡する賈覧に背を向け、新軍の方へ戻ろうとした弓弩兵と歩兵に、輿が馬を近づけた。歩兵が輿に気づき、弓弩兵を守るために前へ出ようとした。弓弩兵は片腕を上げ、前へ出ようとした歩兵を制した。

「王昭君の子か。おれたちに何か用か?」

「賈覧」

 輿は賈覧を一瞥した。

「こいつらに名を訊いてくれ」

 賈覧は弓弩兵と歩兵に名を訊ねた。弓弩兵は答えた。

「姓はほう、名はちょう、字は伯通はくつう。後ろは弟分のだ」

 前の男は彭、後ろの男は呉、と賈覧は輿に伝えた。輿は軽く頷いた。

「彭と呉か。次に戦場で会うことがあれば、一度だけ見逃してやる」

 賈覧は輿の言葉を漢語に訳して弓弩兵に伝えた。弓弩兵は本気にせず、肩を竦めて一笑した。

 輜重に荷を積み終え、新軍は南へ引き返した。万里の長城へ戻る途中、沙漠の過酷な環境が老体に堪えたか、立国将軍孫建が発病した。新軍は孫建を輜重に寝かせて長城へ急いだ。陽が西に沈み、東から登る毎に、孫建の体は衰弱した。補佐官の竇融が孫建の手を握り、苦しげに息をする孫建を励ました。

「孫将軍、生きてください。あなたが死んだら、大新帝国はどうなりますか。長城はすぐそこです。もう少しだけ、耐えてください」

「心配するな。おれは生きる。生きて、常安に帰る」

 数日後、万里の長城を目前にして孫建は死んだ。

 孫建の死と前後して、皇帝の従弟である安新あんしん王舜おうしゅんが死んだ。王舜は皇帝と志を同じくしていた男で、新都侯から安漢あんかん公、安漢公から宰衡さいこう、仮皇帝へと位を進める皇帝を支えたが、大新帝国成立後は胸を患い、病床に臥していた。死の数日前、皇帝が病床の王舜を見舞うと、王舜は朦朧とした眼で譫言を繰り返した。

「新都侯、あなたは大漢帝国を、どこへ連れていこうとしているのですか。どこへ連れていこうとしているのですか。答えてください、新都侯。答えてください、新都侯」

 そして、王舜の死の数日後、太皇太后王政君おうせいくん定安ていあん太后に看取られて死んだ。臨終の間際、王政君は掠れた声で呟いた。

「兄上。聖上。……うん

 一年後、烏珠留単于に率いられた匈奴軍が、再び万里の長城と対峙した。烏珠留単于の左右には右骨都侯須卜当と右屠耆王輿がいた。烏珠留単于が率いる五千騎の中には、於粟置支侯咸、咸の三男の角、高祖こうそ劉邦りゅうほうの子孫を自称する盧芳ろほう、去胡来の遺民の賈覧がいた。烏珠留単于は五千騎の戦士を前に拳を空へ突き上げた。

「戦場で死すは戦士の誉れ。生き延びて次の戦いに臨むは戦士の務め。戦士たちよ、務めを果たせ。誉れを掴む、その時まで」

 務めを果たせ、と右骨都侯須卜当が叫んだ。誉れを掴め、と右屠耆王輿が叫んだ。務めを果たせ、誉れを掴め、と五千の拳が空を突いた。烏珠留単于は馬首を巡らし、万里の長城の方を向いた。

「長城を越えろ」

 烏珠留単于は馬を駆けさせた。馬蹄の轟きが烏珠留単于の後に続いた。鷲獅子の戦旗を翻し、匈奴軍は再び長城を越えて大新帝国へ侵入した。

 劉秀が帝都の太学に進学したのは、そのような時であった。
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