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第三章 翟義の乱

第二十話

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 翟義軍が再び都市を包囲した日の夜、劉縯が焚き火の傍らで折れた剣を眺めていると、若い兵士が焚き火に追加する柴を運んできた。劉縯が顔を上げて礼を言うと、兵士は口元を硬く微笑ませ、棒で火の中を掻き混ぜながら、劉縯が先の戦いで首級を二つ挙げたことを称賛した。

「たったの二つだけだ」

 劉縯は炎へ目を向けた。ご謙遜を、と兵士は先程よりも幾分か柔らかく微笑んだ。劉縯の隊で二つ以上の首級を挙げたのは、劉縯と、劉縯の弟の劉秀しかいない。

「そうだな」

 劉縯にとって意外な結果であった。劉縯の部隊は最前線で戦い続けていたので、恐らく部隊の兵士の半分ほどは戦死したろうし、生き延びた者は誰もが三つか四つは首級を挙げたに違いない、と劉縯は思っていた。しかし、実際には戦死者は一割に満たず、複数の首を得た者もいなかった。妙なものだ、と劉縯が改めて思っていると、柴を運んできた若い兵士が、自分は一つしか首を獲れなかったことを告白した。手で持ってみて、初めて人間の頭の重さに気づいたことを語った。

「こうして肩の上に乗っている時は、特に重いとは思わないんだがな」

 劉縯は掌で自らの首を叩いた。どのようにして二つも首を得たのか、兵士は劉縯に訊ねた。劉縯は自らの体験を話した。敵に囲まれた弟を助けようとした時、剣を敵に叩きつけて折ってしまったことを話すと、わかります、と兵士は相槌を打ち、剣や矛は突くものだと頭では理解しているのに、いざ敵を前にすると、突かずに振り回してしまう、と苦笑した。

 劉縯が話し終えると、今度は兵士が自らの体験を語り始めた。敵兵を倒して馬乗りになり、その喉に短刀を押し当てたが、喉を掻き切ろうとした瞬間に敵兵と目が合った、ということを話した時、不意に兵士は目元を手で押さえた。嗚咽のようなものが、兵士の口から漏れ始めた。今日はもう休むよう、劉縯は兵士に伝えた。兵士は手で目の周りを拭いながら、一礼して劉縯の前から去った。いつの間にか、焚き火が小さくなっていた。劉縯は火に柴を投げ入れた。柴に火が燃え移ると、先程のように折れた剣を見つめた。

 剣を使う時は斬らずに突け。白い衣に青銅の面の破軍に、劉縯はそう教えられた。その教えを守ることは出来ないだろう、とも言われた。破軍は正しかった。突かなければ殺せないことは理解していたはずなのに、最後まで敵を突き殺すことが出来なかった。

 なぜ敵を突き殺すことが出来なかったのか。その理由を、破軍は知っているのか。

 後ろから声をかけられた。劉縯が振り返ると、夜哨の兵士がいた。兵士は劉縯に、劉縯を訪ねてきた者がいることを伝えた。

「どこの誰だ?」

 南陽郡湖陽県の大豪族、樊氏の使いと称している、と兵士は答えた。

「連れてきてくれ」

 兵士が走り去った。間もなく人馬の足音が近づいてきた。劉縯は思わず腰を浮かせた。

「あんたは――」

「鄧公の食客の武曲です」

 黒い髪に紅炎色の瞳の、少女のような面立ちの少年が微笑んだ。馬の轡から手を離し、武曲は焚き火に近づいた。

「すみませんが、少し火を貸してもらってもよろしいでしょうか?」

「それは構わないが」

 劉縯が了承すると、武曲は赤茶色の斗篷状の外套の内側から、布の袋を取り出した。袋には無数の小石がフェルト屑と一緒に詰め込まれており、武曲は小石を全て袋の外へ出すと、手頃な長さの柴を取って一つずつ火の中へ押し込んだ。劉縯は興味を覚えて武曲の手許を覗き込んだ。

「それは、温めた小石を懐に入れているのか?」

「体を冷やさないための工夫です。冷えた体は動きが鈍りますから」

「なるほど、勉強になる。おれも後で試してみよう」

 そう言いながら、劉縯は何気なく武曲を見たが、しばらく見ている内にあることに気づいた。武曲は赤茶色の斗篷状の外套を、胸の前ではなく右肩の上で留めていた。武曲が右利きであるらしいことから考えるに、恐らくは外套を着た状態でも剣を自在に振るえるようにするための工夫であろう。思い返してみれば、破軍も白色の外套を肩の上で留めていた。強い者は衣服の着方から違うのか、と劉縯は密かに感嘆した。

 全ての小石を火の中に入れ終えると、武曲は改めて劉縯に一礼した。

「樊太公の使いで参りました」

「南陽へ帰れというのであれば、樊太公の仰せでも断る」

「そうではありません。この書簡を、劉公へ届けるよう頼まれました」

 武曲は劉縯へ簡冊を差し出した。

「読み終えられたら、こちらへお渡しください。わたしの手で確実に処分するように、と固く言いつけられていますので」

「わかった」

 劉縯は簡冊の紐を解いた。焚き火の明かりを頼りに、そこに書かれている文章を黙読した。文字を追っていた劉縯の目が、途中で止まった。焚き火が三度、小さくなりかけるくらいの時が過ぎた。火が小さくなりかけるたびに、武曲の手が柴を足した。柴を足し終えた武曲に、劉縯は簡冊を渡した。武曲は簡冊を綴じていた紐を切り、ばらけた木の札を一枚ずつ焚き火の中へ入れた。木の札に火が燃え移り、火を見ないようにしている劉縯の横顔を赤々と照らした。

「もう一つ、託されているものがあります」

 武曲が立ち上がり、馬の背から細長い荷を下ろした。荷を包んでいる布を取り去ると、鞘に収められた剣が現れた。武曲は剣を劉縯へ差し出した。

双色剣そうしょくけんです」

 双色剣、とは二つの異なる性質の金属で鋳造された剣の名称である。大漢帝国の剣は主に鉄で造られており、鉄は炭素を含ませることで硬くなるが、硬いということは弾性に乏しいということでもあり、硬くすればするほど脆く砕けやすくなる。その欠点を補うために、この剣は刃の部分を炭素含有率が高い鉄で、芯の部分を含有率が低い鉄で鋳造している。

「名匠の作ではありませんが、軍で支給されている剣よりは折れにくいはずです」

「これも、樊太公から?」

 劉縯は剣を受け取りながら訊ねた。武曲は首を横に振った。

「いいえ、これは破軍からです」

「…………え?」

 剣を鞘から引き出そうとした手を、劉縯は止めた。

「先生は、破軍と知り合いなのか?」

「はい」

「向こうは知らないと言っていた」

「説明するのが面倒だったのでしょう。あいつとは、色々とありましたから」

 赤い瞳に炎を映えさせながら、ほろ苦そうに武曲は微笑した。劉縯は改めて双色剣を鞘から引き出した。双色剣は二つの異なる性質の金属から成るため、その剣身は二色に輝くとされているが、劉縯の目には普通の剣と変わらないように見えた。

「おれのことを、気にかけてくれていたのか」

 剣を折るだろう、と破軍に言われたことを、また劉縯は思い出した。火の中に積まれていた簡冊の札の一部が崩れ落ちた。劉縯は双色剣を鞘に戻した。

「先生は、人を殺したことは?」

 双色剣を腰に佩きながら、劉縯は武曲に訊ねた。炎を見つめていた武曲の眼が、微かではあるが切なげに揺らめいた。

「無い、と言えば、嘘になります」

「おれは、この前の戦いで、初めて人を殺した」

 劉縯は折れた剣を手に取った。剣に刻まれた無数の傷の一つを指でなぞりながら、剣の使い方を破軍から教わったことを武曲に明かした。教えられた通りには剣を使えないだろうと言われ、その通りであったことを話した。

「なぜ、おれは教えられた通りに剣を使えなかったのか。先生は、おわかりになるか?」

「わかります」

「…………え?」

 予想していた以上に簡単に頷かれ、劉縯は思わず武曲を見た。武曲は二本の柴を箸のように使い、火の中へ押し込んでいた小石を外に出した。

「剣は武器、人を殺すための道具です。正しく使えば、いとも容易く人を殺せます。その剣を、正しく使えなかったということは、人を殺したくなかったということです」

「…………何だと?」

「あなたは人を殺したくなかった。だから、剣を正しく使えなかった。それが答えです」

 武曲は熱せられた小石の一つを褐屑で包み、軽く握りしめて熱の具合を確かめると、布の袋の奥へ詰めた。二個目の小石へ手を伸ばす武曲を、劉縯は呆然と見やった。武曲の言葉の意味が、すぐには理解できなかった。三個目、四個目の小石が袋に詰められた。劉縯の手から折れた剣が零れ落ちた。

「違う」

 劉縯は頭を振った。

「違う。そんなはずはない。おれは、大漢帝国に命を捧げる覚悟でいる」

「国に命を捧げる覚悟と、敵を殺す覚悟は、似ているようで、全く違うものです」

「敵を殺す覚悟とは何だ。そんなものが無くても、人は殺せるだろう」

「殺せる者もいます。わたしと破軍がそうです。殺せない者もいます。劉公、あなたがそうです」

「そんなわけがあるか。おれは乱暴な男だ。舂陵では、たくさんの悪事を働いた。親兄弟にも手を上げた」

「しかし、自らの手で人を殺したのは、この前の戦いが初めてだった」

「それは――」

「人を殺せないことを、恥じる必要はありません」

 全ての小石と褐屑を詰め終え、武曲は袋の口を紐で縛った。

「先程も申し上げた通り、国に命を捧げる覚悟と、敵を殺す覚悟は、全く違うものです。それに、孔子は言っています。父母、之を生む。續くこと、焉より大なるは莫し」

 親が子を生み、子が親となり、また新たな子を生む。その命の営みが、世界が創られてから絶えることなく続き、今の自分に至る。その奇跡よりも大いなることはない、という意味である。

「あなたが人を殺すことを厭うのは、奇跡の果てに生まれた命の貴さを知っているからです。なぜ命の貴さを知っているのか。それは、あなたもまた、奇跡の果てに生まれた命だからです。孔子はこうも言っています。天地の性、人を貴しと為す。人は、人の貴さを知るがゆえに人であり、人であるがゆえに貴いのです」

「人は、人の貴さを知るがゆえに、人」

 劉縯は自らの足許へ目を向けた。竦むような感覚を、手足の先に覚えた。

「そうか。そういうことか」

 今、ここに自分がいること。それが奇跡であることを、劉縯は初めて自覚した。気が遠くなるような古い時代から今の自分に至るまで、糸を紡ぐように命を繋ぎ続けた大勢の男女の存在を感じた。その数え切れない数の男女の、誰か一人が欠けても、ここに自分はいない。劉縯という人間は生まれていない。

「おれは、何て愚かなんだ。天地の性、人を貴しと為す。何度も見て、何度も聞いたはずなのに、おれは何も、何一つ――」

 劉縯は目を瞑り、下を向いた。火に照らされて赤く光るものが、劉縯の瞼の隙間から石清水のように漏れ出た。傷だらけの折れた剣の上に、石清水のように漏れ出たものが幾粒も滴り落ちた。

「だが――」

 劉縯は叫んだ。頬を濡らすものを拭わず、目を開き、顔を上げ、武曲を見た。

「――孔子が尊敬していた周公は、国のために管叔を殺した。その周公の兄の武王は、民のために紂王を斃した。それに比べて、孔子はどうだ。孔子は人を殺さず、人を敬い、人を教え育てたが、国を救えず、民を救えず、流浪の果てに死んだ。命が失われることを恐れたからだ。命が失われることを恐れては、世の歪みは正せない。何も踏まずに、前へ進むことは出来ないんだ」

「そこが――」

 武曲の紅炎色の瞳が、また一瞬だけ揺らめいた。

「――難しいところですね。難しくて、辛くて、悲しくて、苦しくて、悩ましい」

「命が貴いものだということは、よくわかる。今、この場所におれがいて、おれの目の前に人がいる。それがどれほど大きなことなのかということも、よくわかる。だが、おれは高祖の子孫だ。高祖がいたから、おれは今、ここにいる。だから、おれは高祖のために戦わなくてはいけない。高祖が興した大漢帝国を守らなくてはいけない。だから――」

 劉縯は武曲の方へ身を乗り出した。

「――教えてくれ。人を殺すことを覚悟するには、どうすればいいんだ。どうすれば、おれは周公や武王になれるんだ。どうすれば――」

「その答えは、既に破軍から教えられているはずです」

「あいつは、そこまでは教えてくれなかった。予備の剣を用意しろとだけで、それ以外は何も――」

「それが答えです」

 温めた小石を詰めた袋を、武曲は懐に収めた。

「人を殺す覚悟、と言いましたが、それは言葉の綾です。人を殺す覚悟など、人には出来ません。人に出来るのは、慣れることだけです」

「慣れる?」

「孔子は言っています。学びて時に之を習う」

 学んだことを決して忘れないよう、日に何度も復習して心身に覚え込ませる、という意味である。

「剣もまた然りです。剣を折って折って、屍と鉄屑の山を築いて、それで初めて剣を正しく使えるようになる。破軍が伝えようとしたのは、そういうことです」

「そうか」

 劉縯は地面に座り直した。目を焚き火へ向け直した。

「近道は、無いのか」

「貴いものを殺すのです。手間が掛かるのは、当然のことではないでしょうか」

「それでも、人は慣れるものなのか」

「そこが人の優れたところであり、恐ろしいところでもあります」

 武曲は立ち上がった。

「それでは、わたしはこれで」

「感謝する。先生のお蔭で、何と言うか、こう、もやもやしていたものが少し晴れた」

「役に立てたのなら何よりです」

 武曲は微笑して外套を翻し、馬に近づいて轡を掴んだ。

「そうだ。最後に一つだけ、よろしいですか?」

「何だ?」

「戦場に身を置いていれば、いつかはわたしたちの同類に、初めから慣れている者に出会うこともあるかと思います。その時は、あまり怖がらないであげてください。最後の一線を踏み越えようとした時に、余計な声が聞こえない。確かに便利ではありますが、便利なだけではありませんから」

「先生、それは、まさか――」

「それでは、無事に志を果たされんことを」

 ぺこりと武曲は頭を下げた。頭を上げ、劉縯に背を向け、馬を引いて歩き出した。蹄が地面を打つ音が暗闇の向こうへ消えた。劉縯は傍らに積まれている柴の山へ手を伸ばし、柴を一本、炎の中へ投げ入れた。去り際の武曲の言葉を、小さな声で反芻した。

「初めから慣れている者」

 思い当たる人間が、身近なところに一人いた。初陣であるにも関わらず、剣で的確に敵の急所を突き、些かも躊躇うことなく首を落としていた。

「秀」

 劉縯は立ち上がった。なぜかはよくわからないが、すぐに弟に会わなければ、という気持ちになった。弟を捜して暗闇の中を走った。兵士たちが囲んでいる火の近くにはいなかった。布張りの兵舎にもいなかった。一体どこに、と松明を片手に白い息を吐いて走っていると、不意に声をかけられた。

「兄上」

 劉縯は立ち止まり、声の方へ松明を向けた。灰褐色の斗篷状の外套を肩に羽織った劉秀が、暗闇から駆けてきた。

「どうしたのですか? 何か異変でもありましたか?」

「いや――」

 劉縯は安堵した。

「――その、何だ。こんなところで、何をしていたんだ?」

「星を見ていました」

「星?」

 劉縯は星空を見上げた。劉秀は星空の一角を指した。

「あそこに、大きな星が七つ、柄杓の形に並んでいるのがわかりますか?」

「わかるような、わからんような」

「あの七つの星は、北斗七星。死を司るとも、帝王を守護するとも言われている星です。その北斗七星が、柄杓の口を向けている先に、もう一つ、大きな星があります。それが紫微。帝王の星とされていて、常に北の空の中心で輝いています。他の全ての星は、あの星を軸にして空を巡ります」

「詳しいな」

 どれがどれだかよくわからない、と思いながらも、劉縯は理解できている振りをして劉秀を見た。劉秀は星空を見上げながら、少し照れたように微笑んだ。

「どんなに遠い場所へ来ても、空を見上げた時に見えるものだけは、南陽と変わりない。そう思うと、ほんの少しだけ、心が楽になります」

「沛で――」

 沛で暮らしていた時も、そんな風に星を見ていたのか。

 劉縯の右手の松明の炎が風で揺れた。炎に照らされている劉秀の横顔から、劉縯は目を逸らした。

「秀、話がある」

「何でしょうか」

 劉秀は兄を仰ぎ見た。劉縯は暗闇を眺めやり、少しの間、考えると、敵が籠城している都市の方を目で示した。

「前に、そこを囲んだ時、おまえは、味方に当てまいとするから矢が外れる、と言った。憶えているか?」

「はい」

「あれは、間違っていた」

「え……?」

 劉秀は目を瞬かせた。弟の眼差しを避けるように、劉縯は視線を星空へ泳がせた。

「矢が外れたのは、味方に当てないようにしていたからじゃない。敵を狙っていなかったからだ」

「狙っていなかった?」

「どの兵も、敵を殺したくなくて、当たらないように矢を射ていた」

「殺したくない? 敵なのに?」

 信じられない、という表情で劉秀は兄の言葉を繰り返した。劉縯は弟の方を見ずに頷いた。

「敵といえども、人であることに変わりはないからな」

「兄上も、殺したくないのですか?」

「そんなことはない。おれは、王莽を殺したい。高祖の敵、大漢帝国の敵を、皆殺しにしたい。心から、そう思っている。だが――」

 松明を持つ右手へ、劉縯は目を向けた。

「――おれが、この手で敵の首を落とそうとした時、急に腕が震え出した。信じたくはないが、多分、そういうことなんだろう」

 また松明の炎が風で揺れた。炎に照らされている兄の右手を、劉秀は目を大きくして見つめた。どんな時も震えず、淡々と殺し続けた自らの両手を見た。晩秋の夜風の音が、どこか物悲しく鳴り響いた。劉秀は目を細め、顔を微笑ませた。

「変だとは、思っていました」

 劉秀の黒い瞳に映り込んでいる松明の炎が、震えるように揺らめいた。

「僕の周りには、僕よりも勇敢に戦っている人がたくさんいました。僕は何度も命を助けられました。でも、斃した敵の数は、僕が最も多かった。その理由が、ようやくわかりました。僕だけだったんですね。僕だけが、殺すつもりで引き金を引いていた」

 劉秀は下を向いた。劉秀の頬を、炎色に光るものが一粒、流れ落ちた。

「僕は、違うんですね。僕は――」

 僕はまた、仲間外れなんですね。

 ごう、と松明の炎が風に煽られ、劉縯と劉秀の影が揺れた。炎色に光るものが二粒、劉縯の顎の先から滴り落ちた。劉秀の足許の地面に二つ、黒い点が出来た。間を置かず、黒い点は三つに増えた。

「秀」

 劉縯の右手が、ぐ、と松明を強く握りしめた。

「一つだけ訊かせろ。おまえは、何のために戦っている?」

「それは――」

 劉秀は一瞬だけ言葉を詰まらせた。目の周りを手の甲で拭い、顔を上げて兄を見た。

「――大漢帝国のため。高祖から託された使命を、兄上と共に果たすためです」

「なら、何も気にすることはない」

 劉縯は星空を仰いだ。

「周の武王は、民のために紂王を斃した。武王の弟の周公は、国のために管叔を殺した。武王も周公も、世を正すためにそうした。おれたちと同じだ」

 空を満たす星々の中から、柄杓の形に並んだ七つの星を、劉縯は見つけた。大切な何かを守ろうとしているかのように、七つの星は強く大きく輝いていた。

「おれたちは、同じだ。おれたちは高祖の子孫で、高祖が開いた大漢帝国を守るために剣を取り、今、同じ星を見ている。そうだよな? おれたちは、同じ星を見ているよな?」

 星を見上げる劉縯の横顔を、松明の炎が赤く照らした。十里ほど離れた闇の中では、武曲が方角を確かめるために星を振り仰いでいた。別の場所では、破軍が青銅白髭の翁面を外し、星に陶笛を聴かせていた。帝都長安の宮殿では、王莽が身を削るような激務の合間に、中庭へ出て星を眺めていた。

「はい」

 劉秀は頷いた。

「僕は、星を見ています。兄上が見ている星と、同じ星です」

 劉秀は北斗七星を見上げた。劉秀の黒い瞳の中に星の海が広がり、松明の炎の揺らめきが劉秀の瞳の端に映り込んだ。不意に劉秀の瞳の中の星空が大きく歪んだ。松明に照らされている劉秀の頬を、炎色に光るものが幾筋も流れ落ちた。
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