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第一章 重瞳の人
第一話
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王莽が父を亡くしたのは、十三歳の時である。
父は大漢帝国の皇太后の弟、つまり皇帝の外戚で、健康な体に生まれていれば将来の栄達が約束されていた。しかし、そうでない体に生まれたせいで帝国政府に仕官できず、それでも生きてさえいれば諸侯になれたが、爵位と領地を授けられる前に病死した。死の前日、王莽が兄と共に父を看病していると、父は窓の夕陽を虚ろな目で眺めながら、自分は何のために生きたのか、と呟いた。
父の遺体は、庶民から見ればそれなりに立派な、しかし、皇帝の外戚としては慎ましすぎる墓に葬られた。父の墓前で、王莽は兄に言われた。
偉くなろう。それが父への、何よりの孝行になる。
父の死後の生活は、経済的には決して苦しくはなかった。王莽の兄は既に帝国政府に仕官しており、一家を餓えさせず、且つ子弟に高等教育を受けさせられるだけの収入を得ていた。しかし、贅沢は出来なかった。そして、諸侯に封じられた叔父たちは、その立場を利用して不当に財を蓄え、ある者は皇帝の宮殿を模した豪邸を造り、また別の者は帝都の城壁を無断で穿ち、そこから河川の水を引き入れて舟遊びに興じるなど、贅沢三昧の日々を送っていた。
父の墓は、あんなにも小さいのに、なぜ叔父たちの邸は、こんなにも大きいのか。叔父たちの邸の前を通るたびに、王莽は邸の門を見上げ、虚しい自問を繰り返した。
父の死から六年後、兄が死んだ。叔父たちに早く追いつこうと、父譲りの体で無理を重ねたことが命を縮めた。同年、叔父たちが爵位を列侯爵へ進めた。列侯爵は漢帝国の臣民に許される最高位の爵位であり、叔父と従兄弟たちは一門の栄華に喜び浮かれ、叙爵を祝う宴を何日も開いた。その賑やかな物音が、自宅で兄の喪に服している王莽の耳にも届いた。王莽は唇を噛んで壁に向かい続けた。時に涙が出そうになると、偉くなるために学んでいる書物の文章を、上を向いて諳んじた。
「子曰く、天地の性、人を貴しと為す。人の行いは、孝より大なるは莫し。孝は父を厳ぶより大なるは莫し。父を厳ぶは天に配するより大なるは莫し。則ち周公は其の人なり」
兄の死から五年後、未だ世に出られずにいた王莽に転機が訪れた。大漢帝国の大司馬、すなわち軍務長官として王氏一門の権勢を支えていた伯父が病に倒れた。王莽が伯父を見舞うために大司馬の公邸を訪ねると、既に伯父の病床の周りには高貴な叔父たちが群れ集い、病の長兄を案じて目に涙を溜めていた。無位無官の王莽は伯父の視界に入ることすら出来ず、遠くから快癒を祈願したのみで邸を辞した。
数日後、皇帝が大司馬の枕頭へ使者を遣わした。皇帝の使者は病が篤くなる一方の大司馬に対し、もし大司馬の身に万一のことがあれば、大司馬の弟たちの中から次の大司馬を選ぶつもりであるが、大司馬はそれで構わないか、という皇帝の問いを伝えた。大司馬は細い息を懸命に振り絞り、皇帝の問いに答えた。
あの愚弟どもを、大司馬にしてはならない。
王莽の伯父――大漢帝国の軍務長官という要職を十年以上も占め、その間、一門の不祥事の揉み消しに奔走させられた男は、己の弟たちが如何に強欲で驕慢であるかを使者に説明した。あの者たちを重用すれば国政が乱れる、と断言し、一門の傍流の男を自らの後任に推した。
翌日、王莽が再び伯父の邸を訪ねると、伯父の病床の周りから高貴な叔父たちの姿が消えていた。王莽は伯父と直に会うことが出来た。数年ぶりに見た伯父の面差しは、父のそれに似ているように見えた。その日、王莽は帰宅せず、伯父を看病した。伯父の額に汗が浮かべば素早く拭き取り、伯父の唇が乾けば水を含ませた布で湿らせた。薬湯を飲ませる時は自らが先に味見し、熱ければ扇いで冷まし、冷めていれば温め直した。次の日も、その次の日も、昼夜を問わず、伯父を看病した。
二十日と数日が過ぎ、伯父は死んだ。伯父の死後、王莽が喪に服していると、皇帝の使者が王莽の許を訪れ、王莽が皇帝の護衛官に任命されたことを伝えた。死んだ伯父の推薦であることを、王莽は皇帝の使者に教えられた。王莽は皇帝に仕える若き官員の一人となり、程なくして近衛軍の精鋭弓兵隊長に抜擢された。
王莽の立身は続いた。王莽が近衛軍の隊長に任命されてから数年後、当世の名士として声望を得ていた官僚たちが、王莽を諸侯に封じるよう皇帝に上奏した。曰く、王氏一門は皇太后の権威を恃んで勝手気儘に振る舞い、法律や道徳を蔑ろにして奢侈に耽る者が多いが、王莽は清貧を貫いて仁の道を実践している。王莽は人格高潔の士である、と名士らは称賛し、また王氏一門からも、王莽の叔父の一人である成都侯――帝都の城壁を無断で穿ち、そこから水を引き入れて舟遊びをした男が、前途有望と思しき甥に恩を売るために、自らの領地を分割して王莽に与えることを皇帝に願い出た。
王莽は世襲の爵位と領地を与えられた。官職も皇帝の諮問官へ栄転した。父の死から十七年が過ぎていた。王莽は父と兄の墓を諸侯の格式のそれに造り直し、諸侯としての諡号を父に追贈した。諡号とは死後に国家から贈られる称号で、王莽は国家公認の称号を父に贈ることで、父、王曼の名を大漢帝国の記録に残した。
しかし、ようやく兄との約束を果たした王莽を、またしても不幸が襲った。これまで不本意ながらも王氏一門を重用し、その度重なる不正行為を見逃していた皇帝が崩御した。新たな皇帝の即位によって新たな外戚が登場し、王氏一門は瞬く間に権勢の座から追い落とされた。王莽も当初は現職に留まることが出来たが、帝室の席次や宗廟の制度を巡る政争に敗れ、職を辞すことを余儀なくされた。
父は大漢帝国の皇太后の弟、つまり皇帝の外戚で、健康な体に生まれていれば将来の栄達が約束されていた。しかし、そうでない体に生まれたせいで帝国政府に仕官できず、それでも生きてさえいれば諸侯になれたが、爵位と領地を授けられる前に病死した。死の前日、王莽が兄と共に父を看病していると、父は窓の夕陽を虚ろな目で眺めながら、自分は何のために生きたのか、と呟いた。
父の遺体は、庶民から見ればそれなりに立派な、しかし、皇帝の外戚としては慎ましすぎる墓に葬られた。父の墓前で、王莽は兄に言われた。
偉くなろう。それが父への、何よりの孝行になる。
父の死後の生活は、経済的には決して苦しくはなかった。王莽の兄は既に帝国政府に仕官しており、一家を餓えさせず、且つ子弟に高等教育を受けさせられるだけの収入を得ていた。しかし、贅沢は出来なかった。そして、諸侯に封じられた叔父たちは、その立場を利用して不当に財を蓄え、ある者は皇帝の宮殿を模した豪邸を造り、また別の者は帝都の城壁を無断で穿ち、そこから河川の水を引き入れて舟遊びに興じるなど、贅沢三昧の日々を送っていた。
父の墓は、あんなにも小さいのに、なぜ叔父たちの邸は、こんなにも大きいのか。叔父たちの邸の前を通るたびに、王莽は邸の門を見上げ、虚しい自問を繰り返した。
父の死から六年後、兄が死んだ。叔父たちに早く追いつこうと、父譲りの体で無理を重ねたことが命を縮めた。同年、叔父たちが爵位を列侯爵へ進めた。列侯爵は漢帝国の臣民に許される最高位の爵位であり、叔父と従兄弟たちは一門の栄華に喜び浮かれ、叙爵を祝う宴を何日も開いた。その賑やかな物音が、自宅で兄の喪に服している王莽の耳にも届いた。王莽は唇を噛んで壁に向かい続けた。時に涙が出そうになると、偉くなるために学んでいる書物の文章を、上を向いて諳んじた。
「子曰く、天地の性、人を貴しと為す。人の行いは、孝より大なるは莫し。孝は父を厳ぶより大なるは莫し。父を厳ぶは天に配するより大なるは莫し。則ち周公は其の人なり」
兄の死から五年後、未だ世に出られずにいた王莽に転機が訪れた。大漢帝国の大司馬、すなわち軍務長官として王氏一門の権勢を支えていた伯父が病に倒れた。王莽が伯父を見舞うために大司馬の公邸を訪ねると、既に伯父の病床の周りには高貴な叔父たちが群れ集い、病の長兄を案じて目に涙を溜めていた。無位無官の王莽は伯父の視界に入ることすら出来ず、遠くから快癒を祈願したのみで邸を辞した。
数日後、皇帝が大司馬の枕頭へ使者を遣わした。皇帝の使者は病が篤くなる一方の大司馬に対し、もし大司馬の身に万一のことがあれば、大司馬の弟たちの中から次の大司馬を選ぶつもりであるが、大司馬はそれで構わないか、という皇帝の問いを伝えた。大司馬は細い息を懸命に振り絞り、皇帝の問いに答えた。
あの愚弟どもを、大司馬にしてはならない。
王莽の伯父――大漢帝国の軍務長官という要職を十年以上も占め、その間、一門の不祥事の揉み消しに奔走させられた男は、己の弟たちが如何に強欲で驕慢であるかを使者に説明した。あの者たちを重用すれば国政が乱れる、と断言し、一門の傍流の男を自らの後任に推した。
翌日、王莽が再び伯父の邸を訪ねると、伯父の病床の周りから高貴な叔父たちの姿が消えていた。王莽は伯父と直に会うことが出来た。数年ぶりに見た伯父の面差しは、父のそれに似ているように見えた。その日、王莽は帰宅せず、伯父を看病した。伯父の額に汗が浮かべば素早く拭き取り、伯父の唇が乾けば水を含ませた布で湿らせた。薬湯を飲ませる時は自らが先に味見し、熱ければ扇いで冷まし、冷めていれば温め直した。次の日も、その次の日も、昼夜を問わず、伯父を看病した。
二十日と数日が過ぎ、伯父は死んだ。伯父の死後、王莽が喪に服していると、皇帝の使者が王莽の許を訪れ、王莽が皇帝の護衛官に任命されたことを伝えた。死んだ伯父の推薦であることを、王莽は皇帝の使者に教えられた。王莽は皇帝に仕える若き官員の一人となり、程なくして近衛軍の精鋭弓兵隊長に抜擢された。
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しかし、ようやく兄との約束を果たした王莽を、またしても不幸が襲った。これまで不本意ながらも王氏一門を重用し、その度重なる不正行為を見逃していた皇帝が崩御した。新たな皇帝の即位によって新たな外戚が登場し、王氏一門は瞬く間に権勢の座から追い落とされた。王莽も当初は現職に留まることが出来たが、帝室の席次や宗廟の制度を巡る政争に敗れ、職を辞すことを余儀なくされた。
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