この夜を忘れない

能登原あめ

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 ハーヴィー殿下から手紙が届き、お父様からはこの機会を逃すなと激励を受け、お母様からはドレスから小物、髪型などこまやかな指示が下りた。
 私はそれに静かに従い、憂鬱な気分で王宮に入る。

 案内されたのは庭園で、婚約者候補の一人が目を潤ませ、会釈だけして私とすれ違った。
 ああ、やっぱりと思う。
 彼女は大人しく引き下がるしかなかったのだと分かった。

 そのまま進むと、ガゼボの中からハーヴィー殿下が私に手を振る。
 
「やぁ、今日はすまないね」

 私は挨拶しようと近づいた。

「ハーヴィー殿下、本日はお招きいただきまして」
「いや、ここは二人きりだ。気楽にして欲しい」

 笑って挨拶をさえぎると、隣の席を指し示した。
 すでにさっきまで座っていたであろう彼女の形跡はなく、新しいものに変わっている。
 近づいてきた侍従が静かにお茶を注いで離れた。

「ハリエット、ずっと待たせてすまなかった」

 そう言って大きく息を吐く。
 私はその後の言葉をじっと待った。

「……ハリエットとは気が合うと思っている。一緒にいて気が楽だ。周りの評判もいいし、なんでもそつなくこなす。……君を私の妻にするのが正しい……きっと、私達ならば戦友のように協力していけるのだと思う。……だけど」

 殿下が言いよどむ。
 その先になんと言われるかわかったけれど、私は黙って続きを待った。

「……すまない。私は、……イライザに決めた。イライザを私の伴侶にする」
「はい、おめでとうございます」

 私は笑顔で素直に祝福することができた。
 とうとう終わりだという複雑な思いもあるけれど、覚悟ができていたからかもしれない。
 殿下はほっとしたようで、ぎこちない笑みを浮かべて言う。

「この五年、ハリエットにたくさん助けられた。不甲斐なくて申し訳なく思う。だから、もしよければこちらで婚姻の相手を用意したい」

「ハーヴィー殿下、ありがとうございます。ただ、父が考えていると思いますので、まず両親に相談してもよろしいでしょうか?」
「……そうか。わかった」

 私が言うと殿下はあっさり引き下がる。

「ではまたの機会にするか」
 
 両親が考えている相手より殿下の紹介のほうが、まともかもしれないと一瞬思ったものの、勝手に頷くわけにもいかなかった。
 それに殿下から先に紹介されたら断りづらくなって、エドウズ侯爵家としても困るかもしれない。

「ハリエット、これからも良き友としてよろしく頼む」
「はい、こちらこそよろしくお願いいたします」

 私達の間に流れる空気はこれまでと変わらず穏やかだった。
 お互いに親愛のたぐいはあっても、それ以上のものはないから当然と言えば当然で。

「……ところで、それは何?」

 殿下が私の持っている巾着に目を留めた。
 いつもより一回り大きく、華やかな刺繍が施されていて母に持たされたものだ。

「あぁ、忘れるところでしたわ。母から特別な砂糖をいただきましたの。花びらが入ったもので、お茶に浮かべると花が開いて綺麗なのだとか」
「へぇ? 花びらの砂糖漬けとは違うのかな?」

 小瓶を取り出すと薄く色づいた砂糖のかたまりが見える。胡桃の殻程度の大きなものが二粒入っていた。
 中に大輪の花が入っているのでないなら、相当甘いかもしれない。

「では、私が先に問題ないか確認いたしますので」
「わかった」

 親しくしているとはいえ王族に毒見なしでは渡せないし、これまでも私はそうして先に安全を確認してから殿下に差し出していた。
 お茶に落とすとゆっくり溶けて、やや色濃くなり、花びらが浮かび上がる。

「ほぅ……、見た目は綺麗だな」

 殿下がのぞきこんで言った。

「そうですね。では、お先にいただきます」

 まず想像以上の強い甘みに驚いた。
 一瞬眉をひそめてしまったため、殿下が首を傾げる。

「どんな味だ? 甘いのか?」

 殿下は甘いものがお好きだと思われているけれど、実はかなり苦手だった。
 お茶会では笑顔で特別に作られた甘さ控えめのケーキを食べ、その後胃がスッキリするお茶を飲んでいることを知っている。

 弱みを見せたくないと言って、殿下の従者以外にはたまたま見てしまった私だけが知っていることだ。
 きっと今はイライザ様も知っているだろう。彼女も甘いものを好まないから。

「はい……。驚くほど甘いです。これは、殿下には甘すぎるかと……。申し訳ありません、女性向けのようですね。……また別の機会にイライザ様も召し上がれるようなものをご用意しますわ……」

 あまりの甘ったるさに喉が渇く。
 仕方なく少しずつ飲んではみたものの、見た目が可愛いだけでよほどの甘党の女性じゃないと喜ばないと思った。

 お母様は自ら流行を作りたくて変わったものを仕入れてくるから、もしかしたらこれも試作品だったのかもしれない。

「無理しなくていいよ。新しいお茶にしたらいい。……しかし、あなたが顔をしかめるほどとは、なかなか強烈なもののようだね」

「はい……花の風味よりも甘みが強いので、個性的ではあります。少しお酒が入っているようですね。これが男性に向けてでしょうか。……綺麗ではありますが、家で味見をしてくればよかったですね」

 私の言葉に殿下が笑う。

「エドウズ侯爵夫人は新しいものが好きだからね」
「はい……本当に申し訳ありません」
「いや、いいものを見せてもらえたよ。見た目は美しかったからね。そういえば前にも……あれはなんだったかな? 塩気が強くて驚いたものが……」

 殿下が話をそらしてくれたので、新しいお茶に代えてもらい、たわいのないことを話した。
 イライザ様にはすでに求婚されて良い返事をもらっているとのことで、今日の私が最後だったそう。

「……ハリエット? 少し顔が赤い?」
「そうですか? 言われてみれば熱いかもしれませんね」

 頬に触れるとほんのり熱を感じる。
 それになぜか、体もほてっている。
 思いの外、強いアルコールが入っていたのかもしれない。
 
「殿下とのおしゃべりが楽しくて、興奮してしまったのかもしれません」
「ハリエットまでそんなことを言うのか、全くそんなことを思っていないくせに」

 強く押されるのが嫌いだから、殿下が困ったように笑う。

「殿下のことは敬愛してますわ。改めまして、ハーヴィー殿下とイライザ様の幸せをお祈りいたします。おめでとうございます」
「あぁ、ありがとう」

 それを帰りの合図として私は立ち上がり、片足を引いて膝を曲げお辞儀をした。
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