この先は君だけだと言われましても

９ 林視点

「なみちゃん。婚前契約書、考えてみたんだけど読んでみて。納得いかないことがあれば直すから」
「はい？」

　とある日の週末、シュウマイを作りすぎたという理由でなみちゃんを誘って部屋で昼食を食べた後、ジャスミンティーのおかわりと一緒に一枚の紙を差し出した。

　なんでも美味しそうに食べてくれる顔も可愛いけど、驚いた顔で見上げてくるのもマヌケで可愛い。

「意味がわかんないんだけど、つき合ってもいないのに婚前契約って……あ、誰か友だちの話？」

　恥ずかしい、勘違いしちゃったとかつぶやいてる。
　相変わらず鈍いというか、対象外のままというか。なみちゃんのアパートに泊まった夜には彼女を手に入れたと思ったのにな。

　せめて意識してくれるかと思ったのにあの日限りのこととしてすっぱり忘れようとしたみたいだ。
　何度も何度も好きだと伝えたのに、今までの行いが悪かったのか信じてもらえない。だから長期戦に切り替えた。

　同じマンションに住むようになってから３ヶ月、時々一緒にご飯を食べるし、一緒に買い物にも行くし、一緒に部屋で映画を観ることもあった。

「俺は結婚前提でつき合ってるんだと思ってたけど」
「え⁉︎　でも、私たち……」

　なみちゃんの目が泳いでいる。
　会社ではこれまで通り、ただの同僚。
　でもカラダの関係だって片手じゃ足りない回数してるんだけど。

　嫌われてはいないと思う。なみちゃんが本当に無理と思っているなら、はっきり断るはずだ。
　でもそうじゃないから諦めるわけがない。

「なみちゃんに俺の本気を見せようと思って。ほら、ここ見て。俺が浮気したら即離婚って項目」

「で、でも続きに私が浮気したら一回まで許すって……林、ここ逆じゃない？　間違ってる」

「だから俺の本気。正直、なみちゃんが浮気したら多分しばらくベッドから起き上がれなくなるかも。許せるのは一回だけ。俺のが絶対いい男だと思うし」

「すごい自信」
「手をつなぐとか２人で出かけたら浮気だから」

「そのレベル⁉︎　まぁ……しないけど。林、本気で私と結婚前提で、って考えてる……？」

　探るように見てくるから、ぎゅっと手を握った。
　ろくな男とつき合ってこなかったらしく、こっちを疑ってくるのもまぁ、わかる。
　
　もうなみちゃんしか見えてないって、どうしたら信じてもらえるかな。

「婚前契約書作るくらい本気。引いてる？」
「うん」

　なみちゃんの正直なところもいい。
　女の子はみんな可愛くて好きだし刺激的だけど、仕事中に駆け引きしたり、見えすいた嘘を言う子たちにはうんざりしてた。

　もともとなみちゃんとはほどよい距離感なのも居心地がいいと思ってた。
　彼氏持ちは対象外なのに、ずっと早く別れないかなってなんとなく考えていたのは、最初から気に入っていたんだろう。
　気づいたら好きになってた。
　
「婚前契約って海外では当たり前だって言うよね。日本でもやる人はやるみたいだね……周りじゃ聞かないけど、今はいいのかも」

　ショックを受けたと思ったのか、なみちゃんがフォローする様にそんなことを言う。

「なみちゃんは何か追加したいことある？　俺たち婚約者なわけだし」
「婚約者⁉︎」
「俺たち結婚するし、合ってるよ」

「つき合おうもプロポーズもないのに？」
「プロポーズはあらためてする。まずは来週デートしよう」
「出かけるのは嫌じゃないけど、職場の人に会いそうなところは嫌だな」

　せっかくここまで進めた関係を誰にも邪魔されたくない。
　本当は男どもに牽制のためにも発表したいけど、まだなみちゃんは昔の男とつき合っていることになっている。

「車借りて、遠出しよう」

　プロポーズする場所は決めた。
　ロマンティックに、一生記憶に残るようなやり方にするから、今よりもっと好きになってほしい。

「それならいいかな。私も免許持ってるから交代で運転してもいいし」
「……運転することあるんだ？」

　昔の男の車か？
　そう考えて嫌な気分になった。
　早くなみちゃんの全部塗り替えてしまいたい。

「免許とってから、地元で父の車を運転させてもらったよ。働き出してからは乗ってないけど」
「ペーパー……」

「え、でも、筋はいいって言われた！　高速は無理かも、しれないけど。最初は少し右折戸惑うかもしれないけど」

「疲れたら変わってもらうかもだけど、今回はそんなに遠くないいから大丈夫。一泊の準備しておいて」
「一泊？　どこ？」

　多分帰りのなみちゃんは疲れて助手席で眠ることになると思う。

「内緒」
「服の準備もあるし、教えて。サプライズほど嫌なことはないんだよね。ワンピースにパンプス姿で山登ったりバーベキューとかしたくない」

　過去にそんなこともあったのか。
　真剣な顔で詰め寄ってくるのもただただ可愛いんだが、サプライズはしないと心に留める。
　
「海」
「うそ！　水着は無理、ごめん。行けない」
「海に入るのはまだ早いんじゃない？　行きたい店があるんだけど、スズキのポワレが絶品のフレンチ。家でも作りたい」

「家でフレンチが食べれたらすごいね！　じゃあ、オシャレしたほうがいいかな」
「なみちゃんは何着ても可愛いよ。俺のためにドレスアップしてくれたら嬉しいけど」

　さらにその後脱がせるのが楽しみ。
　
「考えとく」

　何着ようかな、なんてつぶやいていて可愛い。

　このマンションの最上階にファミリータイプの造りの部屋が空いている。
　なみちゃんがプロポーズにＯＫしてくれたらすぐに引っ越してもいい。
　同じ林姓だから、式の前に籍を入れてもいいかもしれない。

　今日は少し前進した。