愛されることはないと思っていました

能登原あめ

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34 メープルパイと古城の宿②

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 二日目の朝はすっかり寝過ごしてしまいました。
 結局昨日はもうひとつカフェに寄って、分け合ってミートパイを食べたのです。

 そのお店のメープルパイは二つ目に入ったカフェと似た薄いパイでしたが、サトウカエデのシロップがたっぷりかかっているのを見かけ、ためらいました。

『一口だけ、食べたらいい』

 そう言って注文したブレンダン様が、残りをすべて食べてくださったのです。
 夫のおかげで色々なメープルパイを味わえて満足しましたが、二人ともコーヒーを何杯も飲みすぎてしまいました。

 部屋では遅い時間にサーモンの燻製と生のカリフラワーのサラダと葡萄酒、ブレンダン様はパンとチーズも食べたせいで目が冴えてしまったかもしれません。
 古城の雰囲気に浮かれていたのもあるのでしょう。

 眠気が訪れないままベッドに横になって、時々キスを交わして、お互いに腕を絡ませて。
 その先に進まなかったのは長旅の疲れを考慮してくれたからだと思います。

 ブレンダン様自身は元気そうでしたから。いつでも大事にされていると感じます。気持ちを伝えたくてたまらなくなりました。

『ブレンダン様、愛しています』
『アリソン、私も愛しているよ』

 彼の腕の中に包まれているだけで、守られているような幸せな感情に満たされます。
 
『明日は何をしたい?』
『そうですね……晩餐は宿のレストランへ行きたいので、昼間は宿の周りをのんびり散策するのはどうでしょう?』

 軽食もおいしかったので、晩餐が楽しみになりました。
 それに晩餐会用のドレスは宿泊日数分持って来ているのです。せめて新しいドレスはこの旅でブレンダン様に披露したいと考えていました。

『そうだな、それがいいね。温泉もあるようだしのんびり過ごそうか。……朝市と大聖堂は最終日がいいかもしれないね』

『最終日、ですか? 明後日でも……』
『いや、私は早起きできる自信がない』

 ブレンダン様はそう言って唇を重ねました。
 夫は短い睡眠でもいつも元気なのですが……。

『明日の夜になればわかる』

 本当でしょうか。





 朝と昼を兼ねて宿のカフェへ向かいました。
 ウィンナーやベーコンにもサトウカエデのシロップをかけることになるとは思いませんでしたが、焼きたてのパンはとてもおいしかったです。

 その後は気の向くままに宿の周りを歩きました。ちょっとした散歩道ができていて、ところどころにベンチも置いてありましたから絵を描いている方もいらっしゃいました。

 赤く色づいた葉は本当に美しく、私は絵にすることはできませんが、心に留めようとついつい立ち止まってしまいます。
 ブレンダン様も……なぜか視線が合うことが多いように思いました。
 同じタイミングで見ているのかと不思議に思っていますと、笑って言います。

「そろそろ戻ろうか。温泉に入って晩餐の準備をしよう」
「はい、そうですね」
 
 宿に戻って特別に造られた温泉にゆっくり入りました。
 ブレンダン様は先に正装しています。

「プレイルームをのぞいてくるから、ゆっくり支度するといい。楽しみにしているよ」

 私はその間、客室専任の侍女の手を借りてドレスを身につけ、化粧をしてもらい髪を結っていただきました。
 この後は侍女がブレンダン様を呼んできてくださるそうです。

「ありがとう」
「とてもお綺麗です、マダム」

 髪の結い方も異国風で絶妙なおくれ毛がいつもより退廃的で艶めいたものがあります。
 化粧のせいかもしれません。

 胸元が深く開いたドレスに合わせていて、おかしくはないと思うのですが、全体的にどことなく見慣れません。
 ブレンダン様がどう思うか気になりました。
 
 少しはしたないのでは……?
 いえ、でもドレスコードは守っています。
 宿の泊まり客の中にいても浮くことはないでしょう。
 それでもショールのようなものがあれば、気持ちが落ち着くかもかもしれません。

 試着した時はこんな風に思いませんでしたのに。
 立ち上がってクローゼットへ向かいました。

「アリソン」

 いつの間にブレンダン様が入ってきたのでしょう。
 ぎくっとしてしまいます。
 こうなっては仕方ありません。
 ゆっくり振り向いて視線を落としました。

「あの、ブレンダン様……ショールを羽織ろうと思うんです」

 胸の前でぎゅっと手を握り合わせました。
 大股で近づいてくるのがわかります。
 がっかりした顔が見たくなくて顔を上げられないでいますと、顎に手をかけられました。

「アリソン、綺麗だ。もっとよく見せて」

 そう言われては顔を上げるしかありません。
 恐る恐る視線を合わせます。

「…………綺麗だ。まいったな、メインディッシュだけ食べて早々に部屋に戻りたくなった」

 唇を重ねようとして直前で止まり……両頬に音を立ててキスしてくださいました。
 艶やかな口紅を気遣ってくださったのだと思います。
 喜んでいる様子が伝わってきて、ほっとして気持ちが明るくなりました。

「ブレンダン様……。少し、はしたないかと心配しておりました。おかしく、ないですか……?」
「少しもおかしいところなんてないよ。ドレスも似合っているし、美しいマダムにしか見えない」

 ブレンダン様の瞳には称賛の色しか見えません。
 自信を持っていいのでしょうか……?

「もちろんだよ、アリソン。あなたは私の美しい妻だ」

 どうやら口に出してしまったようです。

「今夜は絶対に一人にならないで」
「ずっと、ブレンダン様がいてくださるのでしょう?」
「もちろん離れない。今夜はダンスホールに寄らないけどいいか?」

 私は笑って頷きました。
 慣れない自分の姿に慌ててしまいましたが、気に入ってくださってよかったです。それに、心配しなくてもブレンダン様しか見ていませんのに――。

「ブレンダン様はいつもとても素敵です。その……もしも、今夜のデザートがメープルパイなら、部屋に用意してもらいますか……?」
 
 私からこんなことを言うなんて、少し恥ずかしいのですが。
 デザートは二人きりになってからでもいいかと思ってしまいました。
 ブレンダン様が口端を上げて笑います。

「いいね。十中八九メープルパイだと思うよ」

 ブレンダン様の腕に手を絡ませて、私たちは歩き出しました。
 今夜も遅くまで起きていることになりそうです。
 部屋に戻ってからも、私やドレスのことをたくさん褒めてくださるでしょうから。

 もちろんそれだけですむはずもなく――。
 ブレンダン様の言ったとおり、明日の朝は早起きできそうにありません。
 ですが、今回の旅は時間に余裕がありますから、十分満喫することができると思いました。
 
 でも。
 少し心配なのはほかにも新しいドレスを持って来ていることです。
 ブレンダン様が最終日に朝市と大聖堂と言った通りになる気がしてきました。
 
 






******


 お読みくださりありがとうございます。サトウカエデとメープルがややこしいので今後メープルで統一するかもしれません。
 
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