愛されることはないと思っていました

能登原あめ

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37 麦とウイスキーのフェスティバル

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 国中のお酒好きが集まるホップスコッチフェスティバルというお祭りがあります。
 ウイスキーのお祭りは各地で行われますが、ホップ――ビールや、テキーラなど他にもたくさんの種類が集められて何倍も賑やかなのだとか。

 冬の王都でお会いした方々からいろんなお酒を飲み比べして楽しかったと聞いて、興味がわきました。
 ブレンダン様も過去に行ったそうで、私も行ってみたいと思ったのです。

「甘くて飲みやすいリキュールもあるのでしょう? 変わった果物のお酒もあるのだとか。強過ぎたらデザートに使ってもらえば一緒に楽しめますね」
「それもいいね。少し遠いから日程を調整してみよう」

 ブレンダン様は笑って頷いてくださいました。
 リキュールと言ったのも嘘ではありませんが、クリスマスプレゼントに内緒でいくつかお酒の小瓶を買いたいと思っています。

 領地に戻ってから少しずつ揃え始めましたが、あともう少し何か欲しいと思っていました。
 うまくいくかわかりませんが、機会を見てこっそり買い求めたいです。
 
 馬車で一日かかる距離だというので行き帰りともに途中で一泊して、お祭りの街は三泊することになりました。

 王都のお祭りから戻って二週間。
 とても楽しみでした。
 わくわくしていたのですが……それほど道が悪くないにもかかわらず、馬車で酔ってしまったのです。

「少し降りて休憩しよう。横になって一眠りするかい?」
「そうですね。時間が大丈夫なら、少しだけ……今日が楽しみでしたから、あまり眠れなかったんです」

 ごめんなさい、というとブレンダン様は私を横抱きにしてブランケットの上に座りました。

「道が悪かったから気にすることないさ。帰りは別のルートにしよう。少し時間がかかるがもっと平坦だから」

 私に膝枕をしてくれて、そっと額から髪を後ろへ撫でてくださいます。
 
「もっと体調に気をつけないといけませんね」

 冷たい水で濡らしたハンカチを目元に落とされて、ほっと息をつきました。

「この先は俺をクッションにすればいい」
「ブレンダン様ったら……」

 気分はあまり良くありませんが、明るい気持ちになりました。
 その後は御者もものすごく慎重な手綱さばきで馬車を走らせてくれたのです。

 すでにお祭りが始まっていた街は賑やかで、予約していた宿の食堂は人であふれていました。
 ブレンダン様が受付で手続きをしている間、奥まった場所にあるソファに座って待っていますと女性に話しかけられたのです。

「大丈夫ですか? 顔色が優れないようですが……あ、私は医師をしておりまして。少しの間お話を伺っても?」

 私たちのそばにひと気がなかったのもあって、馬車で酔ったことや普段のことなど、訊かれるままに答えますと彼女はにっこり笑って、とある可能性について言いました。
 
「……今回はフェスティバルを楽しみにいらしたの?」
「はい、そうです」

「残念ですけど、念のためお酒は控えたほうがよろしいですわ。水を差すようで申し訳ありませんけど。お帰りになられたら、かかりつけのお医者様にかかって下さいね」

 思いがけないことを言われて、言葉が出てきません。
 思わずそっとお腹に手を当てました。
 まさか、と思いました。
 まだわかりませんが、本当だったらどんなに嬉しいでしょう。

「アリソン、待たせたね。食事は一刻後に部屋へ頼んだよ」
「はい、ブレンダン様!」

 勢いよく立ち上がり、前のめりになる私を夫が支えてくださいました。

「奥様、お大事になさってね。では、良い旅を」
「はい、ありがとうございます。あなた様も」

 彼女もお連れ様がやって来て、互いに会釈して別れました。
 部屋に荷物を置いて、ひとまわり見渡した後、風呂の準備をしながらブレンダン様が言います。

「さっきの方とはどんな話を?」
「あの方はお医者様で、私の体調を気遣って話しかけてくださいましたの」

 私の顔をのぞきこんで頬に触れます。
 心配そうな表情を浮かべていますから、伝えたい気持ちもありますが、そうしたらブレンダン様がフェスティバルを楽しめません。
 私も秘密のプレゼントを買うことができないのは困ります。

 明日一日だけ、内緒にしようと思いました。
 一人で抱えるのは心苦しいですもの。

「具合はどう?」
「だいぶよくなりました」
「そうか、無理しないように、いつでも言ってほしい」
「はい、ありがとうございます」

 まだ食欲は戻っていなかったので、私はスープだけいただいて、ブレンダン様が食べる様子を眺めます。
 豚肉のビール煮など、お酒をふんだんに使ったものがこの時期は多いようでした。
 どの料理もアルコールは飛ばしてあるようなので、食べても問題ないでしょう。

「フェスティバル、楽しみですね」


 その夜はブレンダン様に後ろから包まれるように抱きしめられて眠りました。
 夫の手が私のお腹に乗せられたのは偶然ですが、眠っている間も守られている気がして嬉しくなります。
 私は幸せな気持ちのまま朝を迎えました。

「おはようございます、ブレンダン様。早く買い物に出かけたいわ」
「おはよう。私の妻は今日も可愛いね。欲しいものはなんだって買ったら良い」

「きっとその言葉を後悔しますわ」
「してみたいね。たまにはアリソンに困らされるのも悪くない」

 私の頬に口づけした後、ブレンダン様が先に体を起こしました。
 もたもた着替えている間に、部屋に届いた朝食を夫がテーブルに並べます。

「好きなものを食べられるだけ食べて」

 私の握りこぶしよりも小さな赤い林檎を手にとりました。
 普段目にするものより小ぶりで可愛いです。

 ブレンダン様が当たり前のようにむいてくださいました。
 白い果肉はみずみずしくて、やや酸味がありますがとても美味しく感じます。

「とてもおいしいですわ」
「そうか、気に入ったなら領地に持ち帰ろうか」
「そうですね、一かご分くらいあったら嬉しいです」
「たったそれだけ? 小さいからいくらでも食べられるだろう」

 ブレンダン様が眉を上げますが、私は首を横に振りました。

「あまり日持ちがしないのではないかしら。だから今、もう一つ食べますわ」

 旅先で食べるからこそおいしいのだと思います。私はこの林檎を気に入りました。

「わかった。この街にいる間たくさん食べるといい」

 ブレンダン様もしっかり食事をすませた後、街に出ました。
 林檎のおかげで、一日を気分良く始めることができて嬉しいです。

 フェスティバルの間は昼間からお酒が飲めるらしく、皆さん陽気です。
 夜が一番賑わうそうなので、買い物は混雑しない早い時間にすませるつもりでいました。
 隣にブレンダン様がいますから、どうやって内緒で買うか頭を悩ませます。

「ブレンダン様、お好きなものを飲んで」
「あぁ、ありがとう。気になったものをいただくよ」

 ブレンダン様は試飲しながら気に入ったものを宿屋に送るように頼んでいます。
 私は試飲を断って綺麗な瓶に詰められたリキュールを選びました。

「朝は林檎しか食べていませんから、すぐ酔ってしまいそうですわ。家に帰ってからの楽しみにしたいのです。開ける時はブレンダン様もつきあってくださいますか?」
「もちろん」

 不自然じゃないかとドキドキしてしまいます。
 それから道の突き当たりでブレンダン様が軍隊に所属していた時代の友人に会いました。

 挨拶をした後、まだ話したそうな様子でしたので、ブレンダン様と立ち寄っていないお店で待つことにしたのです。
 夫の視界に入る距離ですが、声は聞こえないはず。

 古くからある店のようで、今年も来たよ、なんて会話が聞こえて来ました。
 私も人の良さそうな店主に小声で話しかけます。

「主人にプレゼントをあげたいのだけど、驚かせたいの。このお店でとびきり上等な、おすすめのお酒を小瓶に詰めてくださる? 二、三種類欲しいわ」

 渡すまで秘密にしたいと伝えたら、リキュールに見せかけて私宛てでわからないように送ってくださることになりました。
 もう一軒、紹介された店で別の上質な酒を買い求めたところで、ブレンダン様が近づいてくるのが見えます。

「ありがとう、お願いしますね」

 店主に背を向けてブレンダン様の元へ向かいます。

「もういいのかい?」
「はい。ブレンダン様、私小遣いを使いきってしまいましたの。向こうで甘いお菓子を買ってくださいませんか?」

 おや、というふうにブレンダン様の眉が上がりました。

「いいものが買えたかい?」
「はい。たくさんリキュールを買いました!」
「そう、よかった。じゃあ、何か食べて休もうか」

 ブレンダン様はにこにこしています。

「向こうでアップルクランブルを見かけたんです。今なら二つ食べられるかもしれません」

 買いたいものが全部買えて気分が高揚していました。

「わかった、二つ買ってあげよう」
「はい! でももし」
「食べきれなかったら俺が食べるから」

 一つで十分でした。
 二つ目に手をつけたものの、とても甘くて手が止まってしまったのです。

「無理をしなくていい。口直しに他のものを食べるか?」
「いいえ……」

 ブレンダン様が笑いながらビールと一緒に食べてしまいました。
 十分満喫したと言う懐の深い夫のことをますます好きになります。
 
 今夜、ブレンダン様に伝えてみようと思いました。


 
 






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