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 ファニーの能天気な笑い声が聞こえたような気がして、私は目を覚ましました。
 体が動かない、そう思ったらブレンダン様に抱きしめられたままです。

「…………」

 思わず体が固まります。

「おはよう、アリソン」

 体に響くような低いブレンダン様の声に、ゆっくり顔を上げました。
 彼の穏やかな瞳で私を見つめています。
 そうでした、彼の妻になったのでした。

「……おはようございます、ブレンダン様」
「よく眠れたか?」
「……はい。ブレンダン様は……?」
「よく眠れた……とは言えないかもしれない。腕の中にとても魅力的な妻がいたからね」
「まぁ……」

 思いがけない言葉に私は何も言うことができません。
 少しも気の利いた言葉が出てこないのです。
 
「……すまない、言葉を飾って話すことは苦手なんだ。長く軍にいたから、思ったことをそのまま口に出してしまう……あまり言われたくないか?」
「いえ、その……そのようなことを言われたことがないので……なんと返したらいいかわからなかったのです」

 ブレンダン様はほっとしたように笑いました。

「そうか……こうして話すのはとても大事だな。アリソンのことを一つ知ることができた」
「はい……私も」
 
 昨日までお互いを知りませんでしたが、今のところブレンダン様はとても好ましいお方のようです。
 私は思ったより幸せになれそうだと感じました。

 着替えてブレンダン様と一緒に部屋を出ると、ずいぶん静かです。
 屋敷に泊まった父達は、雪が降ったら大変だからと早々に帰ったと家令から聞きました。

 ブレンダン様はサトウカエデのシロップをたっぷりかけたパンケーキなど食べて欲しかったようです。
 代わりといってはおかしいですが、私がブレンダン様に勧められるままたっぷりとシロップをかけました。

「初めて食べましたが、とてもおいしいです」
「よかった。いくらでもあるからたくさん食べるといい」

 蜂蜜とはまた違う甘さを味わいながら舌鼓を打ちました。
 二人きりで少し気恥ずかしいのですが、初めて新婚生活を味わっている気分です。

 薄情かもしれませんが、ここに父達がいなくて良かったと思ってしまいました。

 ブレンダン様のお顔を直視することができなかった父、継母とファニーはヴェールを重ねて顔を隠していました。
 いつもの明るさはどこへいってしまったのか口元はひきつっていましたし、会話が長く続きません。

 そのような態度をとるので、ブレンダン様にも、そのご両親である前伯爵夫妻に対しても申し訳なく思いましたが、このような反応に慣れているのか淡々とされていました。
 食事中に話さなくてもいいように絶えず音楽隊が演奏していたのも彼らの心遣いなのでしょう。

 いつも通りだったのは兄だけでした。
 相変わらず口数は多くありませんが、ブレンダン様と会話した後、私の目を見て頷きます。

 正直意味がわかりませんでしたが、私も同じように頷き返したところで兄が笑顔を浮かべたので、対応は間違っていなかったようです。
 頑張れ、とか幸せになれとか、そんな意味合いだと思うことにしました。







 ブレンダン様は爵位を継いでそれほど経っていないためか、前伯爵夫妻と家令が順番に書斎にやってきます。
 私も時々そこに呼ばれて領地の運営についてや領民のことなどを聞きました。

 そうでない時は前伯爵夫人である、ブレンダン様のお母様が心得を教えてくださいます。
 とても温かく穏やかな方で、母が生きていたらきっと二人は仲良くなれたと思うと少し寂しい気持ちになりましたが、一緒に過ごすうちに母と過ごしているように感じました。
 
「アリソン、あなたのように落ち着いた方がブレンダンの妻になってくれてよかったわ。ここは自然が多くて厳しい土地だから並のお嬢さんでは務まらないと思っていたの。それにね……実は私も再婚してこの土地にやって来たわ。だから少しは気持ちがわかるつもり。……あなたのことは娘のように思っているから、なんでも相談してちょうだい」

 そう言ってくださって、胸がいっぱいになりました。
 役に立てるようにもっともっと頑張らなくては。
 出来の悪い私が質問するとどんなことにでも丁寧に教えてくださいます。

「最初からそんなに気負わなくていいのよ。疲れてしまうじゃない。あなたは覚えが早いから、すぐに教えることが無くなってしまうわ……じゃあ、今日はもうお茶にしましょう」

 私は真面目すぎると笑われました。
 少し、混乱します。
 すると前伯爵夫人が前のめりになって訊いてきました。

「アリソンはあの本をもう読んだの? 王都で流行っている下町の娘と侯爵の恋物語の四巻よ。あの娘は国王のご落胤らくいんなのでしょう? 最新巻はまだこちらには届かないのよ」

 私も彼女も読書が好きで、同じ本を読んでいました。
 寒い冬はいくらでもこもれるように屋敷には大きな書庫があります。

「……読みましたが、私が話してしまったら楽しみが減ってしまうのではないでしょうか」
「だって我慢できないのですもの。次のお勉強会は書庫にしましょう、たくさん着込んで来てね」

 まるで少女のように笑います。
 そうしてぽつぽつ話をしていますと、ブレンダン様と前伯爵がやって来て一緒にお茶にすることになりました。

 主に前伯爵夫人がおしゃべりして、私やブレンダン様も巻き込みつつ、時折り前伯爵が口を挟みます。
 
 思わず笑みが漏れるような、温かいやり取りがとても心地がいいので、ブレンダン様に顔を向けました。
 彼は私に顔を寄せてささやきます。

「両親はいつもこんな感じなんだ。驚いたかい?」
「その……とても素敵な関係だと思います」

 顔が少し熱くなりますが、まだ赤くはなっていないと思います。
 なるべく冷静に答えました。
 私一人どきどきするなんておかしいと思いましたから。

「うん、だからね。私もそうなりたいんだ」
「……はい」

 ブレンダン様は私から視線を外しません。
 私は返事をするのが精一杯です。
 どうしてそんなふうに思うのか不思議ですが、同じ寝室で眠っているからでしょうか。

 ほんの少し親密な雰囲気が流れます。
 ブレンダン様は率直すぎる気もしますが嫌では……ありません。
 嬉しいとさえ、思います。

 そうして、少しばかり私達は見つめ合い過ぎたようでした。

「……さて、そろそろ私達は失礼するわ。別宅の温泉は暗くなる前に入りたいもの」

 前伯爵夫妻が私達の様子を温かい眼差しでみていたようです。
 少し恥ずかしくなりました。
 普段は別の場所にお住まいの二人ですが、私達が落ち着くまでは屋敷からそう遠くない別宅で過ごされています。

 庭に野生動物が現れたと聞いたばかりでしたので、引き止めることはしませんでした。

「今日もいろいろなことを教えてくださって、ありがとうございました」
「あなた達と過ごすのはとても楽しいもの。あっという間に時間が経ってしまうわね」

 前伯爵も隣で頷いてくださいます。
 冬の厳しい寒さも彼らと一緒にいて、とても温かく過ごすことができました。

 そうしてあっという間に季節が移り変わり、もうすぐ春を迎えます。
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