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しおりを挟む「団長が結婚?」
同居を始めて一年が経った。
職場ではいつも通りに過ごしたし、みんなに見られないよう最初の頃より注意している。
団長も私も相手がいないと思われていて、それぞれ食事に誘われることもあったし、紹介されることもあった。
「聞いてません? ヨハンナさんは近くにいるから知っているかと思って。内緒でみんなでお祝いしたいって思っているんですが、もし間違っていたり、求婚が失敗していたりしたら……」
「全然、聞いてないわ」
「じゃあ、偽情報なんですかね……? このところずっと機嫌がいいから、そうに違いないって話してたんすけど」
機嫌がいい?
特に変わらないと思うけど。
「一緒に飲みに行っても早く帰りたがるし、笑っていることがあるんすよ。団長が女と暮らしてるって聞いたからもしかして、って」
「へぇ……誰から聞いたの?」
別の団員の名前が上がって、ひやりとする。窓に女性の影が見えたらしく。
カーテンを閉めているからって油断したみたいだ。
これ以上一緒に暮らすのは無理かもしれない。
それにもしかしたら知らない間にニールスに恋人ができたのかも?
彼ならわざわざ言わない可能性もある。
だって弟がいることも最近まで知らなかったから。
「団長は自分のことをあまり話さないから、正式に発表があるまで待ったほうがいいかも」
「副団長も知らないって言うし、ヨハンナさんもわからないなら、待つしかないっすね」
「……そうね」
気持ちが落ち着かない。
こんな日に限ってニールスは職場にいなくて、昼の視察の後そのまま帰宅することになっていた。
早く終わるはずだから、恋人とデートするかもしれないし、家で独りくつろいでいるかもしれない。
色んなことが気になって、その日は急いで仕事を終わらせた。
「おかえり、ヨハンナ」
「ただいま、ニールス」
キッチンに立っていたニールスが私を振り返った。
腰で結ばれたエプロンの紐が曲がっていて、直したくなる。いつもなら笑って手を伸ばすのだけど、今日はなぜかピタリと足が止まってしまった。
「どうした? 飯はまだだろう? 市場でいい肉が手に入ったんだ」
「まだです。いい匂いですね」
「先にスープを作っていた。風呂はどうだ? 腹が減ってるなら急いで肉を焼くが」
「先にお風呂をいただきます。ありがとう、ニールス」
ここ数ヶ月、時々ニールスが休みの日に夕食を作ってくれるようになった。
そういう日は、前日にまっすぐ帰ってくるように言われる。
私も同じように休みの日に料理をすることが増えた。
密かに二人で食事をとることを楽しみにしていたのだけど、今夜はなんだか心がざわめく。
今日は休日でもないし、早く帰って来るように言われたわけでもない。
仕事が早く終わって気まぐれに料理を作っただけだと思う。
でも何かがひっかかる。
それでも、風呂に入ると体も心もさっぱりして、少し落ち着いた。
家で料理をするようになったのは、今後恋人に振るまいたいから?
もしかしたら今夜女子寮に移ってほしいと言われるかもしれない。おいしいものを食べてお別れ会の代わりかも。
私たちだって良い友人関係を築いてきたと思う。
居心地の良さに考えるのをやめていたけど、友人と呼ぶには少し胸が苦しい。
ニールスへの想いが今も心の中でくすぶり続けている。
大きく息を吐いて、もやもやした気持ちを振り払って扉を開けた。
「すごい……」
いつもよりご馳走が並んでいる。
それに花も飾られているし、ろうそくがいくつも並んでいて、明かりがいつもより落とされていた。
ロマンティックな雰囲気に勘違いしてしまいそう。
これではまるで……。
「早く座れ」
驚いて立ち止まってしまった私にニールスが声をかけた。
「はい、ありがとうございます。とてもおいしそうですね。……何か、いつもと違いますね」
眉間にしわを寄せて、そういうわけじゃないと答える。
「市場が盛り上がっていたから、色々買ってきたんだ」
花まで?
「……そうなんですね」
「明日休みだろう? 一杯どうだ?」
「いただきます」
彼が葡萄酒を注いでくれて、掲げて乾杯をする。
今日のメインは牛肉のステーキで、焼いた野菜が添えられていた。
熱々のスープと、パンも温められている。
「ニールス、とても美味しいです」
「そうか……よかった」
おかしなことを口走りそうで黙々と食べる。
食べ物に集中していると、ニールスがいつもより酒を飲むペースが早い気がした。
酒豪だから酔っているところなど見たことはないけれど。
食後にもチーズと一緒にグラスを傾ける。
私が見つめていることに気づいて、
「なんだ?」
「いつもより、飲んでいる気がして……」
「少しくらい酒の力を借りたい」
じっと見つめられて心臓が跳ねる。
一瞬自分に都合がいいことを考えてしまった。
ニールスが私を好きかもしれない、と。
この不確かな状況に心が揺れる。
「ヨハンナ、結婚してくれ」
紡ぎ出された言葉は思いもよらないもので、驚き過ぎて息を呑んだ。
「ああ、すまない。唐突過ぎたか。……ヨハンナ、好きだ。俺の妻になってほしい」
手の込んだ料理に、飾られた花、いつもより控えめな灯り。
全部私のために――?
心臓が早鐘を打つ。
声が震えそうになって、短く息を吐くとお腹に力を入れた。
「ニールスが恋人と結婚するって、噂になっていました」
「……⁉︎」
「私、女子寮に移ることを考えていたんです」
「……ずっとここにいてほしいんだ」
まっすぐ射抜かれて、自分が返事を先延ばしにしていることが恥ずかしくなった。
「私、結婚に失敗しているんですよ。今も向いていないと思っています」
「俺だって向いているかわからない。だが、この先もヨハンナと一緒にいたい」
「一緒にいるだけじゃだめですか? 恋人としてなら結婚しなくても」
「それじゃ足りない。誰にも奪われたくないんだ、確約が欲しい」
「そんな言い方すると、私がモテているみたいじゃないですか……そんな相手はいませんから、心配は」
「心配だ。君はまるで自分のことがわかっていない。すごく、魅力的だ。それに、警備団員は離婚も多いが再婚も多いだろう?」
「多いですけど、私は関係ありません」
「いや、それは俺が……いや、何でもない。酒の力を借りようと思ったら余計なことばかり口走ってしまうな」
独り言のようにつぶやくニールスは珍しい。
「俺が言いたいのはつまり、ヨハンナ。君と添い遂げたい」
まっすぐ見つめられて、視線を外すことができなくなる。
「……本当にこんな私でいいんですか?」
「ヨハンナがいい。そのままの君が好きだ」
私の手を大きな手で握り込む。
少し汗ばんでいて、指先が震えていた。
「好きなんだ。今のままでいい、ただ君にいてほしい。今すぐ結婚しなくてもいいんだ。ただ、逃げないでほしい」
「逃げはしませんけど……結婚は」
「ヨハンナが結婚したくなるまで待つ。じいさんになっても俺は求愛し続けるだろうが、その前に返事をもらいたい」
歳をとったニールスを想像した後、その隣に自分がいるのが自然と頭に浮かんだ。
この人となら、この先も歩んでいけるかもしれない。
「……はい、よろしくお願いします」
「……っ、ふ! む? 即答していいのか、いや、ありがとう。一緒に幸せになろう」
いつになく慌てた姿をみて、胸がいっぱいで視界がゆがむ。
頭で考えるより心のほうが反応しているみたいだった。
「ヨハンナ」
回り込んだ彼が私をそっと抱きしめた。
大きな身体に包まれて、思わず安堵のため息を吐く。
それから、素直に伝えた。
「ニールス、私も好きです」
「ヨハンナ……」
髪を撫でられて、そっと上向く。
落ちてきた彼の唇を受け入れ、彼の胸に頭を預けて私からも抱きしめ返した。
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