あの日をくり返したくないから

能登原あめ

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10 あの日はくり返さない(終)

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 昼過ぎに外出していた義父が戻ったものの、長くグアタルペの部屋から出てこなかった。
 かかりつけの医師も来ていたし、新しい治療法を試しているのかもしれない。

「大丈夫だよ、彼女はわかってくれたから祝福してくれる」

 フェルシアノはそう言うけれど、気が変わったと言われないか心配でたまらない。
 結局義父と落ち着いて話せるようになったのは、晩餐の後だった。

「フェルシアノから聞いたよ。私は二人の結婚を認める。エルバは私の可愛い娘でもあるから無理強いしたくなかったが、もともと二人が結婚してくれたら嬉しいと思っていた」

 義父とフェルシアノが視線を合わせる。

「殿下にもうまく伝えておくから心配しなくていい。グアタルペの体調を理由に断ろうと思う。……お前達には悪いがすぐに式を挙げることになるし、準備に時間が取れない。小さな式になってしまうだろう」

「私はかまいません」
「俺も、早く結婚できる方が嬉しいです。……それに、ドレスはほぼ準備できていますから」

 エルバが驚いていると、顔を緩めた義父が笑った。

「そうだったな。二人が幸せになることが、私とグアタルペの幸せでもある。……彼女もさっき反省していたよ。……今、一時的に声が出なくなっていて筆談なんだが」

 昨日は大きな声で叫んでいたから喉を痛めたのかもしれない。

「それでお母様のところに先生がいらしていたんですね」
「ああ、ちょうど新薬を試そうとしていたから、タイミングがよかったよ。しばらく毎日喉に湿布をあてることになった。昨日興奮したからだろう。まぁ、大丈夫だよ。一日も早く式の計画を立てることとしよう。二人が幸せな姿を見れば、生きる力がもっとわくだろうから」

「……半月後の週末がちょうど皆、予定が空いているはずです。侯爵家の力でなんとかなるでしょう。義母上に早く見せて安心してもらいたいですから」

 義父とフェルシアノの二人でどんどん話を進めていく。エルバがぼんやり話を聞いていると、

「エルバ? 結婚式で絶対譲れないことって何かある?」

 そう尋ねられて、少し考えた。
 昔ならたくさんの薔薇で式場を飾り付けしたいとか、髪にもドレスにも薔薇を飾りたいとかあったけれど、今なら――。

「薔薇園の花でブーケを作りたいです。そうしたら、フェルお義兄様を産んでくださったお母様も一緒にお祝いできると思うから」

 フェルシアノは嬉しそうに笑い、義父が涙ぐんだようにみえた。

「エルバ……きっと彼女も二人の門出を祝福するだろう。ありがとう……グアタルペがフェルシアノの為に残してくれたからこそだな」

「俺達にとって母が遺してくれた庭園は特別な場所ですし、あそこに咲いている薔薇にもたくさんの思い出があります。エルバがそう言ってくれて嬉しい」

 エルバは胸がいっぱいになって、ほんの少し泣きそうになった。







 結婚式の当日はよく晴れて、侯爵家らしく全てがとどこおりなく進んだ。
 この二週間でフェルと呼ぶことに慣れてきたエルバだけれど、先程夫になったばかりのフェルシアノの嬉しそうな笑みにドキドキして困っている。

 朝摘んだ薔薇で作られた淡い色のブーケは、祝福するように今も強く香っていた。
 ウエディングドレスは乳白色で、ウエストから裾にかけて鐘のような形に広がるベルライン。
 エルバの好みそのもので、サイズの調整もそれほど必要なかった。

「綺麗だよ、エルバ。ずっとその姿を夢見ていた」
「ありがとう、フェル。……夢じゃなくて、現実なのよね」

 幸せすぎて今でも夢じゃないかと不安になる。フェルシアノはすぐにエルバを抱きしめて、心音を確かめさせてくれた。
 エルバにとって彼の心音は現実だと感じさせるものだったから。

「温かいだろう、心臓だって動いている。夢じゃないよ。ほら、みんなが待っているから、行こう」
「はい」

 オスバルト殿下との縁談は、彼が別の縁談から逃れるためにエルバの名前をあげたために起こったことだった為、あっさり立ち消えた。
 
 すぐにオスバルト殿下から謝罪の手紙が届いて、フェルシアノがなぜか嫉妬するという事柄があったものの、大きな問題にならず本当に安心した。

「結婚おめでとう」
「ありがとうございます、オスバルト殿下」

 侯爵家の庭で開かれたパーティーに、少し申し訳なさそうな、でも穏やかな顔をしたオスバルト殿下がこっそり顔を出した。

「実は侯爵家の特別なデザートが用意してあるんです。ズッバ・イングレーゼにズコットはぜひ召し上がっていただきたいわ」

 たっぷりシロップを染み込ませた生地にカスタードクリームのかかったズッパを頭に思い描く。大きなスプーンでたっぷりすくったらそれだけでお腹いっぱいになるけれど。

 侯爵家のズコットはスポンジの中にチーズクリームを使って酸味があるのが特徴的だと思う。
 目を輝かせる殿下に、エルバは笑って頷いた。

「殿下、マリトッツォとパンナコッタ、ティラミスもおすすめです」
「ありがとう、それは楽しみだ」

 フェルシアノが笑顔で言うと、オスバルトが満面に笑みを浮かべていそいそと移動した。
 はずむような後ろ姿を目で追うと、エルバのウエストに回された腕がきつく引き寄せる。

「フェル?」
「ほかの男は見てほしくないな」
「フェルが一番大好き」
「……俺もだけど。好きだよ、エルバ」

 儚い侯爵夫人の最期の願いは、愛娘の幸せな結婚式を見守ること――。
 義父の言った通り、そんな触れ込みで急に開かれたパーティ。

 侯爵家の使用人達はお茶会も夜会も慣れたものだから、来客達も気楽にくつろいでいるように見える。

 グアタルペは体調が思わしくなく式にも出られなかったけれど、暖かい室内から見える位置にいるはず。喉を痛めたままの今の状態でお客様に会いたくないのもあったようで。

 二人を祝福するグアタルペの態度にとても驚いたけれど、もしかしたら本当に先が長くないのかもしれない。
 人は死を目の前にすると考え方が変わると聞くから……。

 ただ、ぼんやりしているようにも見えるし、もしかしたら新薬の副作用がきついのかもしれなかった。

「……エルバ、にっこり笑って手を振って。ほら、あそこにいるから」

 隠れるように座っている、青白い顔のグアタルペに形ばかりの手を振る。
 同じようにフェルシアノが手を振ると、小さく、ぎこちなく振り返してきた。

「せっかくだから、エルバ? 一曲踊ろう」

 フェルシアノの声に音楽隊が反応する。

「はい、もちろん喜んで」

 彼の手を取り、いきなりくるりと回されてエルバの視界が彼一色になった。
 幸せに満ち溢れた二人の笑顔にあてられて、庭園の中も笑い声が響く。
 
「エルバ、愛しているよ。これからはどんな時も俺がいるから」
「ありがとう、フェル。私も愛しています。ずっとそばにいさせてね」

 そっと唇を合わせると、どこからか薔薇の匂いが香った。






           終



******


 お読みくださりありがとうございます。
 この後はR18になりますので、大丈夫な方はお付き合いくださると嬉しいです。
 
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