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8 フェルシアノ①

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 エルバと二人きりの朝食は、いつになく静まり返っていた。
 両親はいつも通り、起きてこない。
 第三王子からの縁談を聞いて今のエルバがどう考えているのかわからないが、話題に出ない限りその話をするのは嫌だった。

 いつもなら笑顔を浮かべて喜ぶ苺ジャムの入ったコルネットをエルバは黙々と食べながら、ミルクたっぷりのオルヅォを飲んでいる。

 今日のエルバはこちらに視線を向けてくることもなく、やけに静かで穏やかな様子に嫌な予感がした。

 食事が終わり、オルヅォをゆっくり飲む様子を見て声をかけた。

「エルバ、少しいいか?」

 彼女の黒い瞳が不安そうに揺れる。
 こんな顔を見たいわけじゃないのに。
 昔みたいに瞳を輝かせて見つめてほしかった。

「はい」
「たまには庭に行かないか?」

 目をぱちくりさせて驚いていたけれど、そのまま無言で頷いてくれた。

「じゃあ、行こう」

 テーブルを回り込んで、フェルシアノが手を差し出す。エルバは一瞬躊躇ためらったけれど、冷たくて小さな手が触れた瞬間、ぎゅっと握った。

 筋肉はつきづらいが、少しずつ体は鍛えてはいる。手指だけはどうしようもなく、男としては頼りない手だ。
 だが細くて長くて綺麗な指だとエルバが褒めてくれたから、今、この手を嫌いになることはない。

 指を絡ませるように握って、歩き出した。







「いい天気ね……」

 雲ひとつない晴天にエルバが目を細める。
 
「まだ蕾が多いが、少しずつ咲き始めたよ」

 薔薇園はこれまでと変わりなく存在していて、ここだけ見ると二人の関係さえ変わっていないように思えた。
 けれど、エルバはフェルシアノの手から小さな手を引き抜いて先に歩き出してしまう。
 
「蕾のほうが、いい香りがするわ」

 彼女が顔を近づけて薔薇の匂いを吸い込む。
 顔を傾けると黒髪がサラサラと流れてほんの少し顔を覆って表情がよく見えない。
 髪を耳にかけたくなったけれど、フェルシアノは拳を握って耐えた。

 そういえば、エルバが幼い頃はどんな味がするのか食べてみたいと、話していたのを思い出す。

「また薔薇ジャムを作ってもらえばいい」
「そうね。そんな時期だものね。……私、そんなにわかりやすく食べたそうな顔をしていた?」
「どうかな」
 
 一歩、一歩と静かにエルバに近づいた。まだ彼女は気づいていない。
 だから彼女が振り返った時、とても驚いた顔で見上げられて笑ってしまった。
 逃がすわけないんだけどな。

 そんなエルバにさらに一歩近づいた。

「おいしそうとは思ったけど」
「フェルお義兄様が食べたかったのね!」

 笑い出したエルバだけど、少しもおもしろくない。多分考えていることが違うからだろう。

「……フェルお義兄様?」
「エルバ、殿下と結婚するな」
「……でも」
 
 エルバの声が震えて、視線が下がる。
 長いまつ毛に見惚れてしまったけれど、一息に言った。

「俺と結婚しよう」

 その言葉にエルバと視線が絡んだ。

「エルバが俺と結婚してもいいと思えるまで待とうと思った。修道女になったとしても、待つつもりだったよ」
「そんな……でも」

 でも、ばっかりだ。
 聞きたいのはそれじゃない。

「俺はずっと昔からエルバだけが好きだよ。他の誰もいらない、エルバじゃなければ結婚する意味がないし、しない」

 彼女の瞳から涙が流れるのを見て思わず腕の中に閉じ込めてしまった。
 どうしていいか迷うような動きをしたエルバの腕が、フェルシアノの胸をそっと押す。

 拒絶。
 そう感じてもう一度引き寄せようとした時――。

「私もずっと……フェルお義兄様だけが好き。でも、王家からの縁談だなんて断れないでしょう?」

 フェルシアノを見上げて、震える唇からつむぎ出された最初の言葉に胸が震える。
 その言葉さえあれば、なんだってできるんだ。

「大丈夫だよ。ずっと俺に婚約者がいなかったのは、父にエルバがいいと伝えていたからだ。味方になってくれる」
「でも、お、母様が……」

 溢れてくる涙はもう指で拭える程ではなくて、フェルシアノはエルバの顔をそっと胸に押しつけた。
 そうでもしないと、別の方法で涙を止めたくなるから――。

「絶対に大丈夫。父は彼女に甘いけど、殿下との結婚をあと二年も待てるほど気は長くない。早く式を挙げて、彼女の為に父は俺達の幸せな姿を見せたいと思うはずだ」

 オスバルト殿下が成人するまであと二年。
 父も医師も、グアタルペがそれまで持たないと考えているだろう。

「本当に……? 信じてもいい?」
「俺が嘘をついたことがある?」
「……ないわ」

 エルバがぽつりと漏らした後、深く息を吐いた。それからフェルシアノを見上げる。

「私も……フェルお義兄様がいい」

 ささやかれたエルバの言葉に胸が熱くなる。
 細い腕がおずおずと背中に回るのを感じて、フェルシアノは腕の中の愛しい女性を強く抱きしめた。
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