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7 婚約の申し入れ

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「第三王子から婚約の申し入れがある」

 十八歳になったエルバに義父が言った。

「第三、王子ですか……オスバルト殿下ですよね。……お断りすることはできませんか?」

 あと二年経ったら修道院へ入れるというのに。思いもよらない話に驚く。
 
「エルバ、いいご縁だと思うわ。オスバルト殿下は年下だけど、穏やかな方だしあなたならうまくやっていけると思うの。熱心に慈善活動をしていたから、認められたのね」

 グアダルペがにこにこして言う。
 彼女は書斎のソファに体を預けてブランケットを膝に乗せていた。
 珍しくこんな場所にいたのは、エルバを説得するためらしい。

 すっかり痩せてしまって、あの日の姿が夢ではなかったかと思ってしまうけれど、今の姿は義父にとって儚げで美しい妻に見えているのだと思う。

「一生を神に捧げるなんてもったいないわ。殿下に捧げたらいいと思うの。最期にあなたの幸せな花嫁姿を見せてちょうだい」
「…………」

 グアダルペはもう長くないかもしれない。
 義父が日々寄り添い、今も頻繁に医師が出入りしているけれど、特に効果がないように見える。

「お母様……私、結婚はしたくないのです。ごめんなさい」

 とても言いづらい雰囲気の中、エルバが絞り出すように言葉を発した。
 第二王子に近づかないようにしていたし、第三王子のオスバルト殿下は結婚に関心がなかったはずなのに。

「修道女になりたいという気持ちは変わらないのかい? 殿下じゃなくても、好きな相手がいるならどんな相手でもいいから教えてごらん。既婚者でなければ私が」

 義父の言葉をさえぎって、グアダルペが珍しく激昂する。

「いけません! エルバに苦労してほしくないのよ! オスバルト殿下と結婚なさい!」
 
 とても、とても大きな声だった。
 グアタルペが苦しそうに胸を上下させ、駆け寄った義父が彼女を抱きしめた。その腕の中から顔を上げてエルバを見て歪ませる。

「王族に嫁げるのよ……私だってそうしたかった……だから、……っ‼︎ はぁ、はぁ、あぁ……っ、エルバ、これが! 最期なのよ!」
「もういい、わかった、わかったから。少し休んで」

 義父に言われてグアダルペが苦しげな表情に笑みを浮かべる。

「母からの……の、お願いよ」
「…………」
 
 彼は妻の願いは全て叶えてきた。
 最近はとんでもないわがままさえも頷いていて……。

 エルバの全身から血の気が引いていく。

「エルバ、またゆっくり明日話そう。さあ、行くよ、グアダルペ。心配しなくても大丈夫だから。すべて私にまかせて」
「ありがとう、あなた」

 義父が一瞬エルバに視線を寄越したものの、温かみは一切なく、巻き戻り前の修道院へと入れられた頃を思い出してしまった。
 二人が出て行き、エルバは一人書斎に残る。

 頭の中が真っ白になってすぐに体が動かない。
 どこからか時が刻む音がした。

「エルバ様、お部屋へ……」
「いえ、もう少しだけここにいさせて。湯浴みの準備が整ったら声をかけてくれる?」
「はい、かしこまりました。……失礼いたします」

 家令に声をかけられて機械的に答え、ソファに腰を下ろして呼吸を整える。

 鼻の奥がツンとした。
 こんなところで泣いても、何も変わらない。
 舌先をわずかに噛んで、涙を止める。

 オスバルト殿下に嫁ぐことが決まってしまった――? 
 彼を嫌いなわけじゃない。
 愛しているのはずっと昔からただ一人。
 それが叶うはずがないから、この身は神に捧げるつもりだった。

「フェルお義兄様……」

 誰もいない書斎でぽつりと漏らす。
 貴族なのだから政略結婚は当たり前なのに、義父が自由にさせてくれていたから、勘違いをしてしまったのかもしれない。

 それに、巻き戻ってフェルシアノの死を回避することと修道院に入ることしか考えてこなかった。

 この婚姻は仕方ないのかもしれない。
 オスバルト殿下は頼りないけれど悪い方ではないし、ふっくらした見た目も親しみがある。話もだいたい合う。

 愛することはできなくても、寄り添うことならできるかもしれない。でも……あの人の最期の願いを叶えるなんて、すごく嫌。
 関わることなく生きていたいのに。
 今度もまた、彼女は――。

 エルバは大きく息を吐いた。
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