約束を守れなかった私は、初恋の人を失いました

能登原あめ

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9 思い出す

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 上質なもので膝まですっぽり覆うような上品なものだし、隣にガウンがあるから、両方着るしかないのだと思う。
 王宮の侍女に着替えだけ置いてもらえれば大丈夫だなんて言わなければよかった。

 セヴランがいなくなってから、秘密を漏らしたミリーは専属侍女から外した。
 子爵家の娘でキノン侯爵家に行儀見習いとしてきていたから、後継ぎの専属侍女だと箔がついたのにそれがなくなって不満そうだった。

 ミリーはセヴランのことは恋人にしか言っていないと言い、釣り合わないってことを早くわかってよかったんですと秘密を漏らしたことを謝りもしなくて。恋人に隠し事はしないものよ、なんておかしなことまで言っていた。

 お茶会でも使用人たちの休憩室でもおしゃべりが盛んだし、秘密だと言いながら母親の友人も人の秘密をさらしていたから、立場に関係なく自分を含めて黙っているのは難しいのかもしれない。
 
 あれ以来噂を盗み聞きするのも、自分のことを詳しく話すのもやめた。
 交代でやってくる侍女の手を少しずつ借りないようにして、自分のことは自分でできるように教えてもらうのはなかなか楽しいことだった。

『お嬢様、結婚が決まりました』

 あれから半年も経たないうちにミリーに縁談がきて侍女を辞めることに。  
 政略結婚する前に恋愛を楽しみたかったらしいけど、恋人のジャックは侍従長だけじゃなくて、伯爵家の馬丁のジャックともつき合っていたらしい。

 馬丁のジャックがエスム伯爵夫人とも関係を持っていて秘密が漏れただなんて思わなかったけど、身辺調査をしたミリーの結婚相手に二人のジャックの存在がバレて破談になった。
 
 勘当されて泣きついてきたけどシルヴェーヌは彼女を雇い続ける気はなかったし、推薦状は侍従長のジャックに頼むようにとしか言っていない。
 侍従長は最後まで渡さないことにしたようで、彼女は二人のジャック以外の男を頼ったらしい。きっと今もどこかで気の合う男と暮らしているのかも。

「今思い出すことでもないのに……」

 セヴランと会ったことで色々と昔のことが思い出される。
 これも現実逃避かもしれない。
 大きく息を吐いて寝衣を身につけることにした。

 ガウンをきっちり着込んで部屋に戻ると、セヴランがちらりとこちらを見た。
 すぐに立ち上がって浴室へ向かってしまう。

 お互いに無言で、こんな状態から結婚生活を始めるなんて先が思いやられる。

「はぁ……どうしたらいいんだろう」

 いつの間にかバスケットに果物やパン、ワインが数本届いていた。
 気を落ち着ける為にワインを開けてしまおうと思ったのは、周りにマルソーみたいなざっくばらんな態度をとる男たちが多いからかもしれない。
 完璧な令嬢ならお茶を飲んでいるかも。

「一本くらい問題ないわ」

 礼儀作法はいったん忘れることにした。
 時々言葉遣いも態度も荒くなるけど、これが今の自分だし、ダメな点を数え始めたら手の震えが隠せなくなる。

 ソファに座り、セヴランを待ちながらグラスを傾けた。
 かすかに口の中ではじける白ワインはさわやかで軽く飲み心地がいい。何も考えずに手にしたけれど、当たりだったらしい。
 渋みの強い重たい赤ワインを選んでいたら、考え過ぎて悪いことばかり想像してしまったかも。

「おいしい」

 初夜について、知識はある。
 シルヴェーヌがいることに気づかず、マルソーたちが下半身の話をすることもあったし、魔獣討伐中に怪我の世話をすることもあったから、身体の作りも知っていた。

 貴婦人もお茶会で営みの話をする。
 同じ頃デビューした令嬢たちは子どももいるし、愛人を持つ者もいたから、別世界の話のように聞いていたけれど。

 二杯目のワインを飲み干す頃、扉が開く音がした。

「…………」
「飲む?」
「少し」

 セヴランもガウンを着ていて、髪が濡れている。
 もしかしたら急いで入ったのかもしれず、彼も落ち着かないのだと思ったらほんの少し気が楽になった。
 セヴランが立ったままグラスを一気に傾ける。
 彼は今も細いけど、ガウンのすきまからうっすらと筋肉が盛り上がるのが見えた。
 昔のようにあばらが浮くほど痩せているわけじゃない。

「ジャゾンと似ているわ」

 思わずそう漏らして、しまったと思ったけどもう遅い。
 お酒は口を軽くするのに。
 
「ジャゾンはうちの討伐隊の一人よ。一緒に剣術を習ったの。彼と、セヴラン殿は体格が似ていたから、つい」

 言葉を重ねるほど、部屋の温度が下がったような気がする。
 
「初夜に他の男の名を聞くのはおもしろくないな。あなたにとって望んだ結婚でなくとも、俺は妻に敬意を払う。食事は後でいい?」

 そう言って彼は手を差し出した。

 彼のほうこそ望んだ結婚じゃないくせに。

「私も夫を、尊重するわ。これから一緒に暮らすのだし……だから……」
「おいで」

 時間を引き伸ばす言葉が何も出てこない。
 頭の中がどんどん空になっていくみたいで、頷く以外に答えようもなく、シルヴェーヌは彼の手に自らの手をのせた。
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