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8 領主様と婚約? ②
しおりを挟む修道院から領主館まで歩けると言われたけど、私たちは馬車に乗った。
私の隣にバレンティ様で、向かいにベルニ様が座っている。
手はつないだままだし、少し恥ずかしいような安心するような。
「今は兄が爵位を継いでいて、王都で文官をしています。姉は男爵家に嫁いで、母は……ちょっとわからないので誰かに聞いてみます」
「いや、俺が調べてみよう」
「ありがとうございます。兄の屋敷の侍女長に聞けばわかると思うんですけど」
「そうか」
兄とバレンティ様は顔を合わせたことがあるみたいだし、もしかして私のことを覚えているかも?
「私……狩猟大会の時に、バレンティ様とお会いしたことがあるんです」
「そうなのか……? どこで? いくつの時だ?」
「王都の西にある父の従兄弟の領地で、私が八歳の頃です」
「……俺が十六歳前後か。すまない、あの当時のことは忙しくてあまり覚えていないんだ」
今の私より若い時に爵位を継いで大人の中にまじるのはとても大変だったと思う。
「私は恥ずかしいので覚えていなくて良かったかもしれません」
「そうか」
「…………」
「…………」
馬車の中が、シンとする。
「そこは、何があったのか知りたくなるところじゃないの?」
ベルニ様がそう言うと、バレンティ様は首を横に振った。
「レアルが恥ずかしいと言ったんだ。俺には聞けない」
「男にはその対応でもいいと思うけど、女の子……いや、婚約するのにそれでいいのか?」
「ダメなのか?」
「お互いのことは色々知っておいたほうがいいと思うけどな」
「そうか」
バレンティ様とベルニ様は本当に仲がいいみたい。
やりとりを眺めていると、バレンティ様が私に顔を向ける。
「二人になったら教えてくれるか?」
「はい、いいですよ」
バレンティ様の低い声はとても落ち着く。
朝は婚約することになるなんて想像できなかったから、今も現実じゃないみたい。
もし私が社交界にデビューして、バレンティ様に求婚されたら迷わず受け入れたかもしれない。
絶対ないことだけどそんな夢を一瞬だけ見て気を引き締める。
私は半年したら修道女になるのだから、浮かれ過ぎないようにしないと。
領主館でもお祈りは続けたほうがいいみたい。
「なんだよそれ、俺も知りたいんだけど!」
「……たいしたことじゃないですよ、ベルニ様」
「それなら!」
「ダメだ……先に聞くのは婚約者だろう?」
バレンティ様って冗談を言うんだ。
驚いているとベルニ様が小声でつぶやく。
「婚約はこれからの癖に」
「領主館で今夜婚約式をとり行う」
簡単に書面ですませると思ったのに、バレンティ様の言葉に驚いた。
「神父様を呼ぶのですか? でも私たちの関係は」
「婚約は本物だ。神の前で嘘をつくわけじゃない。世の中は婚約破棄だの婚姻無効だの……離婚は少ないが、予定と変わることがある。……つまりそういうことだ」
「つまりそういうこと……」
婚約関係の間は、私もバレンティ様の本物の婚約者として嘘偽りなく過ごせばいいってことかもしれない。
そういえば婚約式をしたことのあるお兄様は二回婚約解消されていたっけ。
もしかしたら今独身なのも婚約解消の記録を更新しているのかも。
どうなるかはわからないから……。
「神様に嘘をつくことにならない……ってことですか?」
「そうだ、問題ない。本当のことだから」
バレンティ様が力強く頷いたから、私も頷き返した。
ベルニ様が吹き出しかけたけど、ごまかすように大きな声で言う。
「神官と仕立て屋を手配しておくよ。バレンティはヒゲと髪だ……レアルは出会った頃のバレンティの姿を覚えている?」
「ヒゲはなかったです。髪は……きれいな青い目がよく見えるように一つにまとめていたと思います」
思い出しながら答えると、ベルニ様が笑う。
「きれいな青い目がよく見えるように整えないとね」
仕立て屋がいくつか持ってきたドレスの中からその場で選んですぐに直してくれた。
豪華だけど可愛らしい形の姉のお下がりのドレスとは違って、最初から私のサイズに近いドレスを直したから、ドレスのラインがとてもきれい。
「よくお似合いですよ」
私はこの七年ですごく背が伸びた。
スレンダーラインと呼ばれる細身のドレスは大人っぽいし、何より色がバレンティ様の瞳に近い青色。
一目で気に入ったし、バレンティ様も喜んでくれたら嬉しい。
ドアがノックされて扉が開き、私のほうが驚かされた。
「バレンティ様、とってもとっても格好いいです!」
ヒゲを剃り、髪を短く整えたバレンティ様は記憶よりも格好よかった。
あの頃の少年らしさが抜けて大人の落ち着きがある。
キリッとした眉も、大きくて澄んだ青い瞳も、少し厚めの唇も全部がっしりしてたくましいバレンティ様に似合っていた。
「……あ、あ。ありがとう……レアル、きれいだ。ドレスもよく似合っている」
「ありがとうございます。バレンティ様の瞳の色と似ていて、気に入りました。お下がりじゃないドレスは初めてなので、すごく……嬉しいです」
今ならお姉様があんなにたくさんドレスを欲しがったのもわかるかも。
「このドレスを毎日着たいくらい……好きです」
「好きか……ドレスならいくらでも買ってやる。レアルは何を着ても似合うだろう」
「いえ、もったいないのでたくさんはいらないです」
あごを触りながら、そうかと答えるバレンティ様の顔をじっと見つめた。
今はとくに婚約者役が必要なのもよくわかる。
強くていかめしい顔つきだけど目が離せないくらい格好いいもの。
そういえば誰かがコワモテ領主様って呼んでいたっけ。あれは褒めていたのかな……?
「バレンティ様はヒゲがないほうが素敵です。髪も……昔会った頃とは違いますけど、短いのもお似合いですね」
「そうか。これからは維持できるようにする」
「はい、きっとたくさんの女性が寄ってきますね」
「だが、レアルがそばにいてくれるんだろう?」
「はい」
「……さぁ、行こうか」
バレンティ様が私の手をとり歩き出す。
「この婚約を後悔させない。共に歩もう」
勢いでここまできてしまったけど、私の迷いに気づいていたのかもしれない。
間違ったことをしているんじゃないかって少し不安もあったけど、一度決めたんだもの。頑張ろう。
やっぱりバレンティ様はすごい。
「はい、よろしくお願いします」
歩きにくいドレスだから、バレンティ様が隣りをゆっくり歩いてくれた。
高いヒールを履いてもまだバレンティ様を見上げるのだから本当に大きい。
「どうした?」
「バレンティ様はとても大きくて、安心感があります」
「そうか」
バレンティ様はそのまま何も言わなかったけど、一度だけ手をぎゅっと握り返してくれた。
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