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⑶
15 伝えられない想い①
しおりを挟むside アルシェ
僕達は目立たないようにひっそり生きてきた。
こうすれば母の機嫌がいいとか、悪くなるとか判断して毎日を過ごす。
それは父が生きていた時も歳の離れた異母兄に睨まれないようにしていたから、いつの間にか周りの表情を探って望むようにすることが身についていた。
父と暮らしていた頃の方がしっかり食事はとれていたけど、エナン伯爵は全て母に任せていたから朝食をとらない母に合わせて、僕らも食べることはなかった。
小さな頃は子供部屋に鍵をかけられてそこから出ることができなかったけど、ある時から雨の日以外は外で遊んできなさいと追い出され、まともな食事は二人で食べる夕食だけ。
部屋に置かれた果物に手をつけると折檻を受けたから、あれは飾りなのだと思いこむ。
使用人がこっそりパンを分けてくれたこともあったけど、いつの間にかいなくなっていたからそれ以来食べ物を受け取ることはない。
最初はお腹が空いたけど、だんだんそれに慣れていった。
伯爵の屋敷に住んでいた時は母と結婚するのだと思っていたから、歳の離れた女の子と結婚することになって驚いた。
母は結婚できなくて機嫌が悪くなるかと思ったけど、離れを母好みで贅沢な造りに改装してもらって喜んでいる。
どうやら貴族とはそういうものらしい。
それなら一人を大事にして添い遂げる平民の結婚の方がいいと僕は思ったけれど。
十八歳で伯爵の元へ嫁いだミレイユ様のことを母や伯爵が太り過ぎだと馬鹿にして笑っているのを聞いてすごく驚いた。
それなら結婚しなければよかったのに。
そんなミレイユ様にある日突然話しかけられて、毎日おやつを用意してくれるようになった。
最初の頃は無言で一緒に食べるだけだったけれど、お腹と心も満たされていく。
食べ物をくれる人、という認識からいつの間にか一緒にいると幸せな気持ちになる人に変わっていた。
ふっくらした身体なんてまったく気にならないし、柔らかい手は温かくて僕やダミアンにとても優しい。
エナン伯爵家に住まわせてもらうようになってからは兄弟以外に大事なものはなかった。だけど、何か満たされない気持ちが残っていたらしく、ミレイユ様がそれを埋めてくれていることに気づいたのはいつだろう。
ミレイユ様は少しも幸せそうじゃない。
一緒にいるうちに彼女の繊細で恋に夢を見るような一面も知ってしまった。
伯爵が好きなのに振り向いてもらえない、一方通行の想いに。
僕もダミアンも母が恋しかったのは幼い頃だけで、すでに諦めていた。
伯爵のことを諦めたほうが楽になれるって思ったけど言葉に出せない。
言えないけれど、僕達が近くにいて少しでも寂しくなかったらいいなとは思った。
それにミレイユ様とのおしゃべりも同じ本の感想を言い合うのも楽しい。
「うぇー、女の子ってこんなことを考えているのー?」
ミレイユ様は女の子が恋をする物語が好きで、ダミアンは読み始めてしばらくすると顔をしかめた。
王女様が騎士に片想いする身分差の恋物語で、隣国の王子に求婚されたり、誘拐されたり、恋のライバルが現れたり、病におかされ、記憶喪失、隠し子騒動まで起こるというハラハラする全十巻の人気作。
僕は最後まで読んだけれど、お城を抜け出して何度も誘拐される王女様のせいで騎士が何度も怪我する。
そこまで尽くしてしまう騎士の気持ちについて、考えずにはいられない。
それほどまでに好きなのかなって。
ミレイユ様も騎士の献身にときめくみたい。
「みんながみんな、同じじゃないわ。……ダミアンはこっちにしたら?」
ミレイユ様が笑って、無人島に漂流した少年の物語を渡すと夢中になって読んで、しばらくは本気で冒険者になると言っていた。
そんなダミアンがミレイユ様を好きだというのを聞いて、この気持ちは特別の好きなんだって気づいた。
ずっと僕だけを見てくれたらいいのに。
だけどミレイユ様が人妻でこれ以上近づくことができないと実感したのは、彼女が伯爵に乱暴されるのを僕だけが見てしまった時だった。
ダミアンは外を駆けていくのが見えたから。
珍しく伯爵が昼間にやって来て、僕は図書室の奥に隠れて息をひそめ――。
あれは夫婦の営みと呼ぶには乱暴すぎた。
色んな場所をうろついていた僕達は、恋人同士が愛を交わすのを何度か見たことがある。
最初は何事かと思ってよくわからなかった。
使用人達が隠れて睦み合うのは、時に情熱的だったり、楽しそうだったり、幸せそうに見えたけど。
それとは全然性質の違うもので、伯爵が立ち去った後ミレイユ様は声を殺して泣いていた。
僕だったらあんな風に泣かせないのに。
なぜかそう思った。
でも、子供の僕にはどうすることもできなくて、その場で小さくなるしかなかった。
伯爵はどうして優しいミレイユ様を愛して大切にしないのだろう。
母様のことはお好きみたいだけど、使用人の噂話によると他に何人もの女性とつき合っているらしい。
伯爵は本気で人を好きになったことはないのかもしれない。
僕のそれは淡い初恋だったのだろう。
僕はただ静かにミレイユ様を愛することしかできなかった。
ポーラという女がやって来て、伯爵の子を産んだのは僕が十七歳になってちょうど一ヶ月が経った日だった。
ミレイユ様がすっきりとした顔をされるようになったのは彼女が来てからで、伯爵への気持ちに決別したのが見てとれた。
ダミアンじゃなく、僕だけにミレイユ様のご実家の子爵家とのやりとりを頼まれて嬉しい。
ダミアンは身体が大きいけど十五歳で嘘がつけない性格ということもあるかもしれないけど。
子爵はミレイユ様に伯爵との結婚を勧めたのを後悔していらしたから、僕に屋敷での様子を知っていることは何でも教えて欲しいと聞きたがった。
盗み見た夫婦間のことはさすがに言えなかったけど、訊かれたことを正直に答えるうちに気に入られたらしい。
「アルシェは今後はどうしたいんだ? 成人したらうちで働くのはどうだ?」
家庭教師やミレイユ様とも今後のことは話した。
「ありがとうございます……ですが僕はミレイユ様のそばで働きたいです。これから先も役に立ちたいので」
「そうか……もしも貴族としての身分が必要になったら、養子先を紹介するよ。縁戚に子供のいない貴族がいるから。そのまま燻っているのはもったいない」
確かに今の身分は名乗れる家名も何もない。
でも貴族になって、政略結婚なんてしたくないという気持ちが強かった。
それにミレイユ様のそばを離れるのが一番嫌だ。
「もったいない言葉です。……多分必要ないと思います」
「まぁ一応覚えておいて。ミレイユとつないでくれたお礼がしたいんだ」
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