4 / 23
⑴
3 領地と契約と
しおりを挟む明け方まで眠れなかったものの、うとうとして次に目覚めたのはずいぶん日が高く上ってからだった。
湯浴みをし、着替えて軽く食事をとって部屋を出ると、兄だけが残っていた。
泊まっていたお客様もみな出発していて、父も夫になったボールガール様も王都へ向かったと言う。
「この後、エナン伯爵が領地を案内してくださるんだ。うちからもかなり工場に出資しているから」
「それは……私もついて行った方がいいのでしょうか?」
「……無理しなくていい。ここはゆくゆくミレイユの領地になるんだから」
「まぁ、お兄様ってば……」
冗談はやめて、と笑い飛ばそうとした私に兄が言う。
「王都のエナン伯爵家の屋敷から、愛人を離れに移したんだ。だからもう堂々と過ごせばいい。……本当は視界に入らない遠くの別宅に移ってもらいたかったんだが……」
兄が言葉を濁す。
「もう一人の愛人ね……。噂で聞いているわ」
本館である屋敷に住む幼馴染の愛人と、王都の外れにあるボールガール様がお祖母様から相続された別宅に住む愛人。
彼は結婚が決まったからと言って、女性達と縁を切ることはなかった。
あれから一度も夜会には出なかった私だけど、たびたび招待された茶会では私の反応を見るように悪意のある噂を聞かされた。
それでも、私はボールガール様の婚約者で今は正妻。
何を言われてもにこにこ笑って驚かなかった。
家と家との結婚ですもの、そう言えば嫌味の一つ二つで次の話題へ移ったから。
「そうか……俺はミレイユにひどいことをしているか? 政略結婚なら、好きな相手のほうがいいと思ってしまったんだ」
やっぱり兄は気づいていたんだわ。
私が彼に憧れて、見つめていたことを。
「私、ボールガール様で良かったと思うわ。お兄様、ありがとう」
「……もし、この結婚がうまくいかなかったら戻ってきていいからな。ミレイユ一人くらい簡単に養える」
「お兄様……私、まだ結婚したばかりだもの。よくわかりませんわ」
兄が罪悪感を感じる必要はないのに。
新妻を置いて、一人で王都へと帰ってしまうような男は兄から見ても夫として不合格なのかもしれない。
でもまだ結婚してたった一日だから。
これから信頼関係を積み重ねて行けたらいいと思う……。
「ああ、そうだな。新婚の妹に言う話じゃなかった。ただ、本当に……」
「お兄様、私、幸せになりますから。そんなに心配しないで」
ようやく兄が顔を緩めてほっとした。
それから、やって来たエナン伯爵と共に馬車に乗り、工場を見学して回った。
ほんの少しのだるさと、脚の間に違和感は感じたものの、休むほどではなかったから。
むしろ、二人に気遣われるほうがいたたまれなくて笑顔を貼りつけた。
「ミレイユさん、落ち着きのない息子だがよろしく頼むよ。あなたになら任せられると思って申し込んだんだ。年若いが落ち着いていて寛容な女性だと思ったからね。あなたならボールガールとも良い夫婦になれると信じている」
エナン伯爵は若い頃に奥様を亡くしていて仕事に集中してしまったために、ボールガール様とうまく信頼関係を築けなかったと言う。
私とボールガール様は母親がいないのが共通しているのだわ。
でも私には兄もいたし父とも仲が良かったから、やっぱりボールガール様は可哀想だと思う。
「私は領地でこの粉ひき工場が軌道に乗るように尽くすよ。この領地はね、息子のボールガールではなく、あなたの息子が引き継ぐのだよ。そういう契約を交わしてあって、息子も知っていることだから」
「はい、わかりました……」
だから彼は私の子供が必要で、私のことを正妻として扱ってくれたのだろうか。
昨晩、彼に投げかけられた言葉は私を深く傷つけた。
でも考えるのはやめたほうがいいみたい。
私が、伯爵家の役割を担えば彼も認めてくれるはずだから。
兄ともう一泊してから馬車で一緒に王都に戻った。
エナン伯爵家の屋敷まで送ってもらい、玄関まで送ってもらう。
「お帰りなさいませ、奥方様」
無表情の家令に、厳しそうな表情の侍女長が出迎えてくれた。
何度か顔を合わせているし屋敷の中も案内してもらっているけれど、全く気を許してくれない使用人達。
兄が心配そうに、私を見る。
私達の育った屋敷の使用人達はみな気さくで明るかったから。
ここは少しピリピリした雰囲気だった。
「お兄様、大丈夫よ」
兄だけに聞こえるようにささやく。
それから、周りに聞こえるように明るく言った。
「忙しいのでしょう? ここまで送ってくださってありがとうございます。お兄様も疲れたでしょうから、気をつけてお帰りになって」
私を見つめ、わずかにためらった後で兄はその場を立ち去った。
「……部屋の準備は整っております。どうぞ」
案内された部屋は、亡くなった伯爵夫人が使用していたとのことで長らく使われていなかったそう。
愛人が使わなかったことにほっとする。
きれいに掃除はされているし、ボールガール様のお母様が使用された家具をそのまま磨いてくださっているみたい。
古めかしいけれど、私は落ち着く部屋だと思った。
「それでは隣に浴室がごさいますので、好きな時にご利用くださいませ」
「それはとても便利ね。嬉しいわ」
部屋まで湯を持って来てもらうのは大変だもの。
それにここの使用人の手をなるべくわずらわせたくなかった。
「本日はボールガール様は遅くなるそうで、夕食は先に食べるようにとのことです。……こちらにお持ちしてよろしいですか?」
一人でも食堂へ行こうかと思ったけれど、そう言われてしまえば私は頷くことしかできなくて。
「ええ、お願いします」
湯船に浸かって旅の疲れをとった後、居室に戻るとすぐにテーブルに夕食が準備された。
柔らかく煮込まれた鶏肉も、添えられた野菜もとてもおいしいはず。
パンもスープも、それから何種類も盛り付けられたデザートも美しい。
料理だけみたら歓迎されていると思う。
でも、誰もいない部屋で独りぼっちで食事を取るのはさみしい。
慣れない場所で話し相手もいなくて。
「政略結婚だもの」
自分自身に言い聞かせる。
「子供を授かれば……私の居場所ができるはず」
脂肪でふくらんだお腹に手を当てた。
できれば、もうしたくない。
痛くて、恥ずかしくて、つらい。
私の願いも虚しく、屋敷で静かに過ごす日々の中、月のものがやって来た。
1
お気に入りに追加
778
あなたにおすすめの小説
【完結】気付けばいつも傍に貴方がいる
kana
恋愛
ベルティアーナ・ウォール公爵令嬢はレフタルド王国のラシード第一王子の婚約者候補だった。
いつも令嬢を隣に侍らす王子から『声も聞きたくない、顔も見たくない』と拒絶されるが、これ幸いと大喜びで婚約者候補を辞退した。
実はこれは二回目人生だ。
回帰前のベルティアーナは第一王子の婚約者で、大人しく控えめ。常に貼り付けた笑みを浮かべて人の言いなりだった。
彼女は王太子になった第一王子の妃になってからも、弟のウィルダー以外の誰からも気にかけてもらえることなく公務と執務をするだけの都合のいいお飾りの妃だった。
そして白い結婚のまま約一年後に自ら命を絶った。
その理由と原因を知った人物が自分の命と引き換えにやり直しを望んだ結果、ベルティアーナの置かれていた環境が変わりることで彼女の性格までいい意味で変わることに⋯⋯
そんな彼女は家族全員で海を隔てた他国に移住する。
※ 投稿する前に確認していますが誤字脱字の多い作者ですがよろしくお願いいたします。
※ 設定ゆるゆるです。
わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑
岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。
もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。
本編終了しました。
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
一度は諦めようとした愛ですが、それでも…
夢見 歩
恋愛
王都で一番立派な教会で一組の男女が大勢の参列者に見守られながら晴れの日を迎える。
私もその大勢の中のひとり。
新婦は幼い頃から苦楽を共にしてきた私の親友だったベラ。
整った顔立ちのベラが幸せそうに微笑んでいる姿を私は直視出来なかった。
その視線の先に居るのは私の最愛の人。
「…レオン様」
もう二度と名を呼ぶことは無いと決意していたのにこれが最後だと自分に言い聞かせて小さな声で彼の名を呼ぶ愚かな私。
二度目の婚約者には、もう何も期待しません!……そう思っていたのに、待っていたのは年下領主からの溺愛でした。
当麻月菜
恋愛
フェルベラ・ウィステリアは12歳の時に親が決めた婚約者ロジャードに相応しい女性になるため、これまで必死に努力を重ねてきた。
しかし婚約者であるロジャードはあっさり妹に心変わりした。
最後に人間性を疑うような捨て台詞を吐かれたフェルベラは、プツンと何かが切れてロジャードを回し蹴りしをかまして、6年という長い婚約期間に終止符を打った。
それから三ヶ月後。島流し扱いでフェルベラは岩山ばかりの僻地ルグ領の領主の元に嫁ぐ。愛人として。
婚約者に心変わりをされ、若い身空で愛人になるなんて不幸だと泣き崩れるかと思いきや、フェルベラの心は穏やかだった。
だって二度目の婚約者には、もう何も期待していないから。全然平気。
これからの人生は好きにさせてもらおう。そう決めてルグ領の領主に出会った瞬間、期待は良い意味で裏切られた。
断罪される一年前に時間を戻せたので、もう愛しません
天宮有
恋愛
侯爵令嬢の私ルリサは、元婚約者のゼノラス王子に断罪されて処刑が決まる。
私はゼノラスの命令を聞いていただけなのに、捨てられてしまったようだ。
処刑される前日、私は今まで試せなかった時間を戻す魔法を使う。
魔法は成功して一年前に戻ったから、私はゼノラスを許しません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる