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3 領地と契約と

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 明け方まで眠れなかったものの、うとうとして次に目覚めたのはずいぶん日が高く上ってからだった。

 湯浴みをし、着替えて軽く食事をとって部屋を出ると、兄だけが残っていた。
 泊まっていたお客様もみな出発していて、父も夫になったボールガール様も王都へ向かったと言う。

「この後、エナン伯爵が領地を案内してくださるんだ。うちからもかなり工場に出資しているから」
「それは……私もついて行った方がいいのでしょうか?」
「……無理しなくていい。ここはゆくゆくミレイユの領地になるんだから」
「まぁ、お兄様ってば……」

 冗談はやめて、と笑い飛ばそうとした私に兄が言う。

「王都のエナン伯爵家の屋敷から、愛人を離れに移したんだ。だからもう堂々と過ごせばいい。……本当は視界に入らない遠くの別宅に移ってもらいたかったんだが……」

 兄が言葉を濁す。
 
「もう一人の愛人ね……。噂で聞いているわ」

 本館である屋敷に住む幼馴染の愛人と、王都の外れにあるボールガール様がお祖母様から相続された別宅に住む愛人。
 彼は結婚が決まったからと言って、女性達と縁を切ることはなかった。

 あれから一度も夜会には出なかった私だけど、たびたび招待された茶会では私の反応を見るように悪意のある噂を聞かされた。

 それでも、私はボールガール様の婚約者で今は正妻。
 何を言われてもにこにこ笑って驚かなかった。
 家と家との結婚ですもの、そう言えば嫌味の一つ二つで次の話題へ移ったから。

「そうか……俺はミレイユにひどいことをしているか? 政略結婚なら、好きな相手のほうがいいと思ってしまったんだ」

 やっぱり兄は気づいていたんだわ。
 私が彼に憧れて、見つめていたことを。

「私、ボールガール様で良かったと思うわ。お兄様、ありがとう」
「……もし、この結婚がうまくいかなかったら戻ってきていいからな。ミレイユ一人くらい簡単に養える」
「お兄様……私、まだ結婚したばかりだもの。よくわかりませんわ」

 兄が罪悪感を感じる必要はないのに。
 新妻を置いて、一人で王都へと帰ってしまうような男は兄から見ても夫として不合格なのかもしれない。
 でもまだ結婚してたった一日だから。
 これから信頼関係を積み重ねて行けたらいいと思う……。
 
「ああ、そうだな。新婚の妹に言う話じゃなかった。ただ、本当に……」
「お兄様、私、幸せになりますから。そんなに心配しないで」

 ようやく兄が顔を緩めてほっとした。
 それから、やって来たエナン伯爵と共に馬車に乗り、工場を見学して回った。
 ほんの少しのだるさと、脚の間に違和感は感じたものの、休むほどではなかったから。
 むしろ、二人に気遣われるほうがいたたまれなくて笑顔を貼りつけた。

「ミレイユさん、落ち着きのない息子だがよろしく頼むよ。あなたになら任せられると思って申し込んだんだ。年若いが落ち着いていて寛容な女性だと思ったからね。あなたならボールガールとも良い夫婦になれると信じている」

 エナン伯爵は若い頃に奥様を亡くしていて仕事に集中してしまったために、ボールガール様とうまく信頼関係を築けなかったと言う。

 私とボールガール様は母親がいないのが共通しているのだわ。
 でも私には兄もいたし父とも仲が良かったから、やっぱりボールガール様は可哀想だと思う。
 
「私は領地でこの粉ひき工場が軌道に乗るように尽くすよ。この領地はね、息子のボールガールではなく、あなたの息子が引き継ぐのだよ。そういう契約を交わしてあって、息子も知っていることだから」
「はい、わかりました……」

 だから彼は私の子供が必要で、私のことを正妻として扱ってくれたのだろうか。

 昨晩、彼に投げかけられた言葉は私を深く傷つけた。
 でも考えるのはやめたほうがいいみたい。
 私が、伯爵家の役割を担えば彼も認めてくれるはずだから。

 

 
 



 兄ともう一泊してから馬車で一緒に王都に戻った。
 エナン伯爵家の屋敷まで送ってもらい、玄関まで送ってもらう。

「お帰りなさいませ、奥方様」

 無表情の家令に、厳しそうな表情の侍女長が出迎えてくれた。
 何度か顔を合わせているし屋敷の中も案内してもらっているけれど、全く気を許してくれない使用人達。

 兄が心配そうに、私を見る。
 私達の育った屋敷の使用人達はみな気さくで明るかったから。
 ここは少しピリピリした雰囲気だった。

「お兄様、大丈夫よ」

 兄だけに聞こえるようにささやく。
 それから、周りに聞こえるように明るく言った。

「忙しいのでしょう? ここまで送ってくださってありがとうございます。お兄様も疲れたでしょうから、気をつけてお帰りになって」

 私を見つめ、わずかにためらった後で兄はその場を立ち去った。

「……部屋の準備は整っております。どうぞ」

 案内された部屋は、亡くなった伯爵夫人が使用していたとのことで長らく使われていなかったそう。
 愛人が使わなかったことにほっとする。

 きれいに掃除はされているし、ボールガール様のお母様が使用された家具をそのまま磨いてくださっているみたい。
 古めかしいけれど、私は落ち着く部屋だと思った。

「それでは隣に浴室がごさいますので、好きな時にご利用くださいませ」
「それはとても便利ね。嬉しいわ」

 部屋まで湯を持って来てもらうのは大変だもの。
 それにここの使用人の手をなるべくわずらわせたくなかった。

「本日はボールガール様は遅くなるそうで、夕食は先に食べるようにとのことです。……こちらにお持ちしてよろしいですか?」

 一人でも食堂へ行こうかと思ったけれど、そう言われてしまえば私は頷くことしかできなくて。

「ええ、お願いします」

 湯船に浸かって旅の疲れをとった後、居室に戻るとすぐにテーブルに夕食が準備された。
 柔らかく煮込まれた鶏肉も、添えられた野菜もとてもおいしいはず。
 パンもスープも、それから何種類も盛り付けられたデザートも美しい。

 料理だけみたら歓迎されていると思う。
 でも、誰もいない部屋で独りぼっちで食事を取るのはさみしい。
 慣れない場所で話し相手もいなくて。

「政略結婚だもの」

 自分自身に言い聞かせる。
 
「子供を授かれば……私の居場所ができるはず」

 脂肪でふくらんだお腹に手を当てた。
 できれば、もうしたくない。
 痛くて、恥ずかしくて、つらい。
 
 私の願いも虚しく、屋敷で静かに過ごす日々の中、月のものがやって来た。
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