愛しの婚約者はいつも

能登原あめ

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5 私の婚約者はいつも (終)

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 ディートリヒ様に好きだと言われた。
 可愛いとも。
 怒ったような雰囲気だったけど、今はそうじゃないってわかる。

「ディートリヒ様」
「あいつは違うからな、ギーゼラはただの幼なじみで、婚約者もいる」
「……そう、わかったわ」

 よく見えるように身を乗り出してディートリヒ様の握りこぶしに触れた。
 とても大きな手がピクリと動く。
 少し大胆だったかもしれないけど、私は舞い上がっていたから――。

「私も好き。いつかディートリヒ様が私のことを好きになってくれたらいいなと思っていたの」

 思い切って気持ちを伝えたのにディートリヒ様は私を見つめたまま、かたまっている。
 彼がどう思っているのか考える余裕もないまま、私は続けて話すことにした。
 だってディートリヒ様も打ち明けてくれたから。

「ひとつ、謝らなければいけないことがあるの」
「…………なんだ?」

 ディートリヒ様が身構えたのがわかって少し怖い。でも言うなら今しかない。
 
「私、とても目が悪くて、部屋の中では眼鏡をかけているの」
「…………それだけか?」

 思い切って打ち明けたのに、ディートリヒ様は少しも怒らなかった。姉や母は家の中でも眼鏡をかけていると顔をしかめるのに。
 
 もう片手で私の手を握り返す。

「眼鏡をかけたかったら、かけるといい……どちらでもカッ」
「でも、家族は見栄えが悪いからやめたほうがいいって」
 
「クリスティーネは眼鏡があろうがなかろうが、カッ、可愛いことには変わらない。……そうか、少しそそっかしくみえたのも見えていなかったからなのか」

 そう言ってなぜか安心したように笑うから私は困った。

「クリスティーネが思うようにしたらいい」
「はい、ありがとう」

 私が返事をすると同時に馬車が止まった。
 ディートリヒ様がいつもと同じように私を馬車から下ろしてくれる。
 気持ちが通じ合ったからか、なんだか顔がほてって熱い。

「早く部屋に入るように」

 いつも義務は終わったとばかりに急かせるディートリヒ様だったけど、もしかして――。
 立ち止まって婚約者を見つめる。

「なにをしている? 夜風に当たり過ぎて身体を壊したら困るだろう」
「はい……でも、もう少しだけディートリヒ様のお顔を見ていたくて」

 これまでも私の身体を気遣って早く部屋に入るように言ってくれていたのかな?

「……クリスティーネ」

 ディートリヒ様の顔が薄暗闇の中でも赤くなっていくのがわかる。

「好き」

 無意識に口から飛び出した言葉とほぼ同時に私はディートリヒ様に抱きしめられた。

「……もう冷えているじゃないか」
「ディートリヒ様は温かい」

 ダンスの時よりも近い距離。
 ドキドキして胸が苦しいのにすごく幸せ。
 私からも大きな背中に腕を回したら、ディートリヒ様の身体がビクッと震えた。

「カッ」
 
 そんなに力を入れたわけじゃないから、くすぐったかったのかもしれない。

「……早く風呂に入って温まるといい」

 パッと私から離れるとくるりと背を向けた。
 うなじまで赤く見えたのは、馬車の灯りのせいかもしれない。

「ディートリヒ様、おやすみなさい」
「ああ……おやすみクリスティーネ。また……明日」

 約束していなかったけど、嬉しくて笑顔で手を振る。

「はい、また明日」
「カッ……早く入って」








 それからディートリヒ様は毎日のように私に会いに来てくれた。
 以前よりも細やかに私が困らないよう動くから、人前では眼鏡をかけていない。

 ディートリヒ様の前でみんなに見られないように眼鏡をかけて見せたら、どちらでも可、だって。

 初めて訪れた鍛錬場では、見学席の私のもとまで駆け寄ってきた。
 途中騎士団員たちから声をかけられていたから仲が良さそう。
 
「ディートリヒ様、こんにちは。騎士団ってにぎやかなのね」
「今日はクリスティーネが……いや、なんでもない」

 ディートリヒ様の名前が時々聞こえてくる。

「忙しいのにごめんなさい」
「大丈夫だ。クリスティーネ、こっちに座るといい。待て、ハンカチを」
「平気よ。問題ないわ」
「ブランケットをかけてくれ」

 私の後ろで控えていた侍女に色々と指図する。
 この侍女は体術と剣術に優れている上、口を開けば毒舌で外出時に困ることがない。
 ディートリヒ様が一緒にいられない時は、彼女といるように何度も何度も言われたくらい頼りになる。

「ありがとう、ディートリヒ様。今日はとても楽しみにしてたの!」
「カッ……そうか」
「はい」

 今日は眼鏡の代わりにオペラグラスを持ってきた。他の令嬢も手にしているし、堂々と見ることができる。
 自然とニコニコしてしまう私に、鍛錬場内にいるオルトマン卿が手を振ってきた。

「私も手を振り返した方がいいの?」
「しなくていい、俺だけにしてほしい」

 鍛錬場のマナーなんて知らないから、ディートリヒ様がいてくれてよかった。

「そういうものなのね、わかったわ」
「カッ……そうしてくれ」

 ディートリヒ様がとても怖い顔でオルトマン卿をにらんだ後、彼と一緒に組んで手合わせをすることになった。
 ディートリヒ様の顔ばかりオペラグラスでのぞいていたら――。

「あッ……手加減しろよ、ディートリヒ!」
 
 本当に、剣がくるくると空を飛んでいた。

「お嬢様、愛されてますねぇ。正直、息苦しくなりませんか? 独占欲はすごいし執着もすごそうです」
「そう? 私は嬉しい」
 
 結婚式まであと半年を切った。
 こちらを見てほんの少し顔をゆるめるディートリヒ様の表情に胸が高鳴ってますます好きになる。
 すぐに顔を引き締めてしまったけど、真面目な顔もやっぱり――。

「カッ……こいい」
「お嬢様も口癖が移ってしまったんですね」
「え? ディートリヒ様の『カッ』って言う、あれ?」
「そうです、素直に可愛いといえば良いのにといつも思っています」

 言われてみれば鍛錬場で誰もカッ、なんて言っていない。

「そうだったんだ」
 
 ディートリヒ様は会うと毎回カッと言う。
 愛しの婚約者はいつも私のことを可愛いと思っているらしい。
 嬉しい。どうしよう、顔がゆるんでしまう。

「お嬢様、どこを見ているんです? こちらに手を振ってますよ」
 
 オペラグラスを外してディートリヒ様に手を振った。
 私の婚約者はいつも――カッ……こいい。



 




 ******


 お読みいただきありがとうございます。
 この後はR18となりますので、大丈夫な方はおつき合いくださいますと嬉しいです。
 
 

 
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