8 / 8
8 (終)
しおりを挟む「……キャット、少し話がしたい」
その日、カトリオーナは一人で買い物に出ていた。
次のお茶会のために新しく仕立てたドレスの調整。
新しい染料で染めた布地を使ったから、とてもいい宣伝になるだろう。
そんなウキウキした気持ちに水を差す人物。
ジョン・ジョー・ポップ。
なれなれしい呼び名に、思わず眉をひそめてしまった。
「……お久しぶりね」
「君に聞きたいことがある」
ジョン・ジョーは会社が破産してから色々と精算に追われているようで、目の下の隈がひどく、昔と違ってずい分と白髪が増えた。
くたびれた、というのが今の印象。
レジナルドが16歳になるのだから、お互いに歳を重ねたものだと思う。
「少しだけ、時間が欲しい」
こちらに話したいことなどない。だけどこのまま立ち話をして目立ちたくなどないから、近くのティールームに入った。
融資でも望んでいるのかもしれない。
堅実に商売して大きくなった商会の会頭ライナスの妻に、事業に失敗したジョン・ジョーが取り入ろうとしているのかも。
今さらなびくわけがないのだけど。
ライナスの手を煩わせたくないから仕方ない。
商会を引き継いだ夫は今、とても忙しいのだから。
「今まですまなかった。君を疑ったことをとても後悔している」
「…………」
その話題に触れるとは思わなかったから驚く。
「……君が一緒にいたのは……あれは俺の息子か? 時計屋から出てくるのを見たんだが、こちらも忙しくてすぐに行動できなかった」
彼が呼び止めたのは、金のためではなかったの?
レジナルドと一緒にいたところを見られていたとは思わなかったけど、確かに彼と見た目は似ているから気づいたのかもしれない。
何年も寄宿学校に入っていた息子は周りに今の顔を知られていなかった。同じように思う人がいるかもしれないけれど、息子はすでにこの国にはいない。
しばらく帰ってくることはできないし、安全な場所にいる。
「君も知っているだろうが、俺は今すべてを失ってしまった。だが、血のつながった息子がいるとわかってから、考えが変わったんだ。家族のためならもうひと踏ん張りできる。借金の返済だって、新しい事業を始めればうまくいくはずだ。だから息子と一緒に暮らしたい」
ジョン・ジョーは自分の力で財を築いた。商才はあるのだろう。
それに男爵位を持っている。
でも、融資してくれる相手なんて現れる?
彼は数多くの既婚女性にも手を出していて、資金力のある夫たちが手を貸すとも思えなかった。
父はすでに仕事仲間に取引しないよう根回しをしていたらしいし、ライナスも関わっただろう。
兄だって社交界で何もしなかったとは思えない。ジョン・ジョーが夜会に顔を出さなかったのではなくて、招待状を送る貴族が減ったのだと後から知った。
一代限りの男爵位があったって、売れもしないし名ばかりで少しも役に立たない。
カトリオーナはレジナルドを巻き込みたくなかった。
聡い子だから、実の父親の話は伝えてある。
愛する人との間に授かったが、考えの違いから決別したと。
客観的に伝えたし、その場にいたライナスが血のつながりはなくても実の息子だ力強く言った。
おかけでレジナルドは曲がることなく育ったのだと思っている。
カトリオーナはすぅ、と息を吸った。
「違います、あなたの子どもではありません。私と最愛の夫、ライナスの子どもよ。それに……あなたが見たという彼は、この国を出ていったわ」
「は⁉︎ 仕返しのつもりか? 話したい。迷惑をかけるつもりはないんだ! あの時は本当にすまなかった、俺も若かったんだよ」
ジョン・ジョーはカトリオーナの言葉を信じていない。
カトリオーナだって彼のことなど信じることはできないのだけど。
「……私は学生で18だった」
彼の後悔の浮かぶ顔をじっと見た。
「あの子は私と夫の子どもよ」
時間を戻すことはできない。
ライナスを尊敬しているレジナルドが、連絡をとりたがるとも思えなかった。
「もう一度俺とやり直せないか……? 好きだったんだ……」
あの頃の純粋なカトリオーナなどもういないのに。
「馬鹿なこと言わないで。私は今の夫、ライナスを心の底から愛しているわ。彼とは長い時間をかけて信頼を積み重ねてここまでやってきたの。ありえないわ」
口を開きかけたジョン・ジョーに話す隙を与えず、話し続ける。
「……私、4人の子どもがいるのだけど、どの子もとても可愛いの」
彼が今さら家族ごっこがしたくなるなんて思わなかったから、呆れてしまう。
「夫と子どもたちに恵まれて幸せよ」
「…………」
さっきから彼はずっと黙ったまま。
これ以上お互いに話すことなど何もない。
カトリオーナはため息をこらえて立ち上がった。
「さようなら」
「…………」
ジョン・ジョーがレジナルドを見つけることはできるだろうか。
両親は口を開かないだろうし、当時を知る使用人たちは口が堅い。
侯爵家だって、きっとレジナルドの背景を調べた上で留学を勧めたのだろうし、彼に何かあれば黙っていないだろう。
運良く辿り着いたところで、レジナルドの通う閉ざされた寄宿学校は部外者に厳しい。
大事な生徒を守ることでも有名だから。
留学先だって同じ。
またレジナルドがこの国に戻って来る頃には立派になっているはずだから、彼自身も十分対応できるだろうけど、念のため対策は練ってもいいのかもしれない。
だけど、これ以上ジョン・ジョーが近づいてこない気がする。
カトリオーナは馬車に乗り込み、ようやく息をついた。
きれいに整えられた屋敷の前庭を見てホッとする。一瞬で気持ちが切り替わるのを感じた。
玄関に入ると、優しくて暖かい匂いに包まれる。
「お母さま、おかえりなさいませ!」
子どもたちがカトリオーナの姿を見つけて駆け寄ってきた。
「どうしたの?」
「見てください! お母さま、上手にかけたでしょう?」
つたないけれど、笑顔を浮かべる家族の絵。
「とても上手に描けたのね」
「ぼくのも見てください!」
キラキラした目でカトリオーナを見上げる。こちらは紙いっぱいの海。青空かと思ったけれど、小舟で気づいた。
「……綺麗ね。とても色使いがいいわ」
「わたしはけえきの、え」
「とてもおいしそう。明日のティータイムに作ってもらいましょうか」
そう言うと、どのケーキが食べたいかそれぞれが話し出した。
食べたいものが違うから中々決まらない。
そうして子どもたちに囲まれていると、仕事を終えたライナスが顔を出す。
「楽しそうだね」
しばらくみんなでおしゃべりをした後、子どもたちが大作を描くのだと張り切って戻っていった。
明日のティータイムはチョコレートファッジケーキ。
今から子どもたちの笑顔が目に浮かぶ。
カトリオーナは愛する夫の胸に体を預けた。
今日はとても疲れたけれど、夫に抱きしめられるとほっとして嫌なことも忘れてしまう。
「何かあった?」
ライナスが労わるように額にキスを落とした。
「あのね……」
信頼する夫を見上げて話し出す。
これからも愛しい家族とともに過ごせることをカトリオーナは心の底から感謝した。
終
******
お読みくださり、ありがとうございました。
78
お気に入りに追加
774
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(27件)
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
麗しのラシェール
真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」
わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。
ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる?
これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。
…………………………………………………………………………………………
短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
半日だけの…。貴方が私を忘れても
アズやっこ
恋愛
貴方が私を忘れても私が貴方の分まで覚えてる。
今の貴方が私を愛していなくても、
騎士ではなくても、
足が動かなくて車椅子生活になっても、
騎士だった貴方の姿を、
優しい貴方を、
私を愛してくれた事を、
例え貴方が記憶を失っても私だけは覚えてる。
❈ 作者独自の世界観です。
❈ ゆるゆる設定です。
❈ 男性は記憶がなくなり忘れます。
❈ 車椅子生活です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
すれ違う思い、私と貴方の恋の行方…
アズやっこ
恋愛
私には婚約者がいる。
婚約者には役目がある。
例え、私との時間が取れなくても、
例え、一人で夜会に行く事になっても、
例え、貴方が彼女を愛していても、
私は貴方を愛してる。
❈ 作者独自の世界観です。
❈ 女性視点、男性視点があります。
❈ ふんわりとした設定なので温かい目でお願いします。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
おバカな子供はやっぱりおバカだった
アズやっこ
恋愛
私はリップ、伯爵夫人よ。
夫のケーニスと毎日楽しく仲良く暮らしているわ。
娘と息子、可愛い子供達にも恵まれた。
娘はケーニスにそっくりなの。おバカ具合が…。あのおバカは遺伝するのかしら…。
❈ 作者独自の世界観です。
❈ おバカシリーズ ③
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
婚約を義姉に邪魔されましたが…私と彼は運命の相手ですので、あなたの出る幕はありません。
coco
恋愛
婚約した事を義姉に伝えると…彼女は祝福してくれなかった。
しかも、私に彼は釣り合わないから、自分に譲れとまで言って来て…?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
貴方もヒロインのところに行くのね? [完]
風龍佳乃
恋愛
元気で活発だったマデリーンは
アカデミーに入学すると生活が一変し
てしまった
友人となったサブリナはマデリーンと
仲良くなった男性を次々と奪っていき
そしてマデリーンに愛を告白した
バーレンまでもがサブリナと一緒に居た
マデリーンは過去に決別して
隣国へと旅立ち新しい生活を送る。
そして帰国したマデリーンは
目を引く美しい蝶になっていた
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
ただずっと側にいてほしかった
アズやっこ
恋愛
ただ貴方にずっと側にいてほしかった…。
伯爵令息の彼と婚約し婚姻した。
騎士だった彼は隣国へ戦に行った。戦が終わっても帰ってこない彼。誰も消息は知らないと言う。
彼の部隊は敵に囲まれ部下の騎士達を逃がす為に囮になったと言われた。
隣国の騎士に捕まり捕虜になったのか、それとも…。
怪我をしたから、記憶を無くしたから戻って来れない、それでも良い。
貴方が生きていてくれれば。
❈ 作者独自の世界観です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
ガネット・フォルンは愛されたい
アズやっこ
恋愛
私はガネット・フォルンと申します。
子供も産めない役立たずの私は愛しておりました元旦那様の嫁を他の方へお譲りし、友との約束の為、辺境へ侍女としてやって参りました。
元旦那様と離縁し、傷物になった私が一人で生きていく為には侍女になるしかありませんでした。
それでも時々思うのです。私も愛されたかったと。私だけを愛してくれる男性が現れる事を夢に見るのです。
私も誰かに一途に愛されたかった。
❈ 旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。の作品のガネットの話です。
❈ ガネットにも幸せを…と、作者の自己満足作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
いい歳して女学生に手を出したクズがまっとうに生きられる最後のチャンスをその手でブチ壊して落ちぶれていくところもじっっっくりと見たかったな〜〜〜
こういっちゃなんだが、純情でお花畑な貴族のお嬢様が不貞をするわけが・・・まぁ、自分がゲスクズだからそこ基準だったんだろうけど。
自分の振る舞いはもちろん、主人公の家族や親族に根回しされて干上がっていく発想が無い時点でそれだけの才能でしかなかったワケよ。
破産するまでをクズ視点でニヤニヤしたかったなぁ〜〜〜
落ちぶれて過去を美化して主人公に迫るのバカすぎてwwwwww
なんで幸せな奥様やってる主人公が何の取り柄も無い事故物件の爺とやり直すのよwwwwww
ギリギリまで信じてた主人公の純情と愛情を踏み躙った記憶も無いの?wwwwww
自分の子供がいるなら頑張れるwwwんなら都合のいい事ほざいてないで身を粉にしてでも働いたら良いのに、まーだ投資で一山当てようとするの馬鹿の一つ覚えすぎて哀れ哀れ・・・現実を見ろ。
自己弁護も醜い、主人公は純情な学生だったんだぞこのクズ('д'⊂彡☆))Д´)パァン
すぐに主人公の幸せな現状も突き付けられてたけどwこのまま誰からも助けてもらえずに救貧院コースでじっくり絶望すればええ。
若かった()頃は誤魔化せても、歳いったら己の言動に相応しい行き先になるんですよねぇ・・・
脂肪も落ちにくいしw
っていう自戒を込めてもいっちょ('д'⊂彡☆))Д´)パァン!オンドリャー(っ`・д・´)三三⊃)゚3゚ラ)'∴:.
ジョン・ジョーって本当にお馬鹿さんですよね(๑˃▿︎˂๑)))
女学生で貴族のお嬢様に手を出すってまともな大人ならやらないですし、全部自分でぶち壊しておきながら、都合のいいこと言ってますもんね。
名無しさん。さま、スカッとする感想にこちらも楽しくなりました。
悪いことした人に何もなしはすっきりしないですし、因果応報とか自業自得とか好きなんですけど、とにかくざまぁが下手くそなんです(ノ≧︎ڡ≦︎)
堕ちていく過程ってそういえばあまり書いたことないかもしれません。
今後チャレンジしてみるのもアリですね。
名無しさん。さま、コメントありがとうございました🤗
通知を見落としており、本日一気読みをさせていただきました。
あんなことが、ありましたが。素敵な日々の中を歩めるようになって、本当によかったですよね。
愛する、そして大切な人に囲まれる毎日。
そちらがこの先も、ずっと続くように。自分も願い、祈っております……!
たくさん更新がある時はどんどん流れて私も気づかないことがありますよー!
ドウゾ(∩︎´。•o•。`)っ.゚🍉.゚
今回、始まりがかなり酷いので、いつまでも幸せに暮らしましたエンドを目標にしました♪
ハッピーエンドっていいですよね♡
柚木ゆずさま、コメントありがとうございました🤗
完結おめでとうございます🎉🎉🎉
わー✨嬉しいです(。•ㅅ•。)♡︎
じゃぁ、一緒に乾杯を♪
ドウゾ(∩︎´。•o•。`)っ.゚🍹.゚
HIROさま、コメントありがとうございました🤗