恋人に捨てられた私のそれから

能登原あめ

文字の大きさ
上 下
2 / 8

しおりを挟む


 馬車の中で一度は涙が止まったものの、用意された風呂に浸かる頃には再び涙があふれた。
 両親は出かけていて、侍女が心配そうな顔をしていたけれど、悲しい話の朗読会だったと言い訳して部屋から追い出し、声を殺して泣く。
 
 いつも遅れたことのない月のものが2週間も遅れている。
 体がいつもと違うと感じていた。

 一体、これからどうしたら……?
 関係のない相手を騙して結婚なんて考えられない。

 叩かれた頬に触れる。
 少し違和感を感じるから、もしかしたら腫れているのかも。
 手を上げるなんて紳士のすることじゃない。

 このまま縁を切ったほうがいいこともわかっている。
 でも……まだ彼を嫌いになれない。

 きっとカトリオーナが浮気したと勘違いして、愛していた分カッとなったのかも。
 それなら……。
 もしかしたら、間違いだって気づくかもしれない――。
 
 彼は忙しいから、1週間くらいして薔薇の花束と指輪を持って謝った後にプロポーズを……そう考えて涙が止まらない。
 ありえないって思うのに、わずかな可能性を信じてしまう。
 
 夢かもしれない。夢であってほしい。
 
 両親に相談する勇気も出なかった。
 修道院は受け入れてくれる? 
 一人で産む?

 もしかしたら勘違いで妊娠していないかもしれない。
 そうよ、きっと。

 でも、もし本当に……。
 これからどうしたらいいんだろう、そう考えているうちに日々が過ぎていく。
 女学校を卒業し、両親がカトリオーナに届いた縁談を吟味し始めた頃――。

「お嬢様、もしかしてが……?」

 カトリオーナ付きの侍女は歳が若くてごまかせていたけど、母に仕える侍女が気づいてしまった。

 このところずっと食欲がなくて、特に朝は気分が悪かった。
 ついに、つわりを隠すことができず、うなだれる。

「…………」

 侍女から母へ、それから父に伝わって……もう隠し通すことはできなかった。
 カトリオーナは相手が誰か伝えるしかない。

 医者が呼ばれて診察した後、廊下で話し合いの声がもれて聞こえ、布団に潜った。
 自分がどれほど馬鹿なことをしていたのかわかっていなかった。
 
 このまま消えてしまいたい。

 その後はカトリオーナの体調が落ち着いた時に不機嫌な父と馬車に乗った。

「責任をとって結婚してもらう。できれば貴族と縁を結んでほしかったが、この際それはいい。……平民ではあるが、商売も順調だしゆくゆくは男爵家になるんだろう? うちの抱える商会とも今後は協力してやっていければ……まぁ、悪くないかもしれないな」

 馬車の中でカトリオーナの父がブツブツ言う。
 緊張で胃が痛い。
 会うのが怖い。

 2度と顔を見せるなと言われたことは、さらに自分を傷つけるようで両親に伝えられなかった。
 
 きっとダメだと思う。
 あれから一度も連絡がないのだもの。
 違う。自分が会いに行って、デートの約束をしていた。

 ジョン・ジョーはもしかしたら連絡手段に困っているのかも?
 両親は彼と恋人関係にあったことは知らないから……。

 ごくわずかな可能性を捨て切れない。

 もしかしたら、ジョン・ジョーがあの日は悪かったとひどく後悔していて、謝って結婚を申し込んでくれるかもしれない。

 もしかしたら、愛しているのはカトリオーナだけだと言うかもしれない。
 もしかしたら……。
 
 







 ジョン・ジョーはキャロラインを冷たい瞳で見下ろした。

「顔を見せるなと言ったのに……父親も巻き込んだのか? アバズレめ、よその男の子どもを押しつけようとするな」

「なっ! うちの娘かそんなふしだらなはずあるか! お前以外いないと、恋人関係にあったと聞いている! 紳士ならちゃんと責任をとれ!」

 顔を真っ赤にした父に対して、ジョン・ジョーがあざ笑う。
 彼が少しも信じてくれていないことにカトリオーナの血の気がひき、指が震えた。
 それを隠すようにぎゅっと握り込む。

「…………」
 
 口を開いたけど、喉がきゅっと閉じて声が出ない。
 
 彼の子なのに!
 裏切っていないのに――。
 来なければよかった。

 同じ部屋にいる今、愛した人から罵られて胸が苦しい。
 
「俺は平民だからそう言われても。誰の子ともしれない男の子どもを息子にするつもりはない。…………それに、キャット」

 ジョン・ジョーがカトリオーナに顔を向け、醜く歪ませて笑った。

「娼婦になったらどうだ? 厚顔無恥なお前にはそれがお似合いだ。なんなら、いい娼館を紹介してやる。世の中には妊婦とヤリたいっていう男もいるんだ」

 ガダッと音を立てて父親が立ち上がり、カトリオーナの腕をとった。
 
「……娘の子はお前の子ではないようだ。失礼する」

 カトリオーナは一言も言い返すことができないまま、父に引きずられるように外へ出た。
しおりを挟む
感想 27

あなたにおすすめの小説

麗しのラシェール

真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」 わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。 ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる? これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。 ………………………………………………………………………………………… 短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。

半日だけの…。貴方が私を忘れても

アズやっこ
恋愛
貴方が私を忘れても私が貴方の分まで覚えてる。 今の貴方が私を愛していなくても、 騎士ではなくても、 足が動かなくて車椅子生活になっても、 騎士だった貴方の姿を、 優しい貴方を、 私を愛してくれた事を、 例え貴方が記憶を失っても私だけは覚えてる。  ❈ 作者独自の世界観です。  ❈ ゆるゆる設定です。  ❈ 男性は記憶がなくなり忘れます。  ❈ 車椅子生活です。

すれ違う思い、私と貴方の恋の行方…

アズやっこ
恋愛
私には婚約者がいる。 婚約者には役目がある。 例え、私との時間が取れなくても、 例え、一人で夜会に行く事になっても、 例え、貴方が彼女を愛していても、 私は貴方を愛してる。  ❈ 作者独自の世界観です。  ❈ 女性視点、男性視点があります。  ❈ ふんわりとした設定なので温かい目でお願いします。

おバカな子供はやっぱりおバカだった

アズやっこ
恋愛
私はリップ、伯爵夫人よ。 夫のケーニスと毎日楽しく仲良く暮らしているわ。 娘と息子、可愛い子供達にも恵まれた。 娘はケーニスにそっくりなの。おバカ具合が…。あのおバカは遺伝するのかしら…。 ❈ 作者独自の世界観です。 ❈ おバカシリーズ ③

婚約を義姉に邪魔されましたが…私と彼は運命の相手ですので、あなたの出る幕はありません。

coco
恋愛
婚約した事を義姉に伝えると…彼女は祝福してくれなかった。 しかも、私に彼は釣り合わないから、自分に譲れとまで言って来て…?

貴方もヒロインのところに行くのね? [完]

風龍佳乃
恋愛
元気で活発だったマデリーンは アカデミーに入学すると生活が一変し てしまった 友人となったサブリナはマデリーンと 仲良くなった男性を次々と奪っていき そしてマデリーンに愛を告白した バーレンまでもがサブリナと一緒に居た マデリーンは過去に決別して 隣国へと旅立ち新しい生活を送る。 そして帰国したマデリーンは 目を引く美しい蝶になっていた

ただずっと側にいてほしかった

アズやっこ
恋愛
ただ貴方にずっと側にいてほしかった…。 伯爵令息の彼と婚約し婚姻した。 騎士だった彼は隣国へ戦に行った。戦が終わっても帰ってこない彼。誰も消息は知らないと言う。 彼の部隊は敵に囲まれ部下の騎士達を逃がす為に囮になったと言われた。 隣国の騎士に捕まり捕虜になったのか、それとも…。 怪我をしたから、記憶を無くしたから戻って来れない、それでも良い。 貴方が生きていてくれれば。 ❈ 作者独自の世界観です。

ガネット・フォルンは愛されたい

アズやっこ
恋愛
私はガネット・フォルンと申します。 子供も産めない役立たずの私は愛しておりました元旦那様の嫁を他の方へお譲りし、友との約束の為、辺境へ侍女としてやって参りました。 元旦那様と離縁し、傷物になった私が一人で生きていく為には侍女になるしかありませんでした。 それでも時々思うのです。私も愛されたかったと。私だけを愛してくれる男性が現れる事を夢に見るのです。 私も誰かに一途に愛されたかった。 ❈ 旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。の作品のガネットの話です。 ❈ ガネットにも幸せを…と、作者の自己満足作品です。

処理中です...