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しおりを挟むカトリオーナは恋愛結婚に憧れていた。
婚約者はまだいない。
伯爵家の末娘として生まれ、両親は彼女に甘く、結婚は好きな相手を選んでいいと言われてきた。
恋人と付き合って3ヶ月、女学校も卒業間近。
まだ少し報告するには早かったけれど、愛する人の子どもを宿したことが嬉しくてカトリオーナはすぐ伝えた。
「俺の子のはずはない」
喜んでくれると思ったのに、彼は冷たい。
「ジョン・ジョー、信じて。あなたの子なの」
いつものように抱きしめてもらおうと、彼に腕を伸ばす。
バチンと重たい音がしてカトリオーナの体が吹っ飛んだ。
柔らかいソファに着地したものの、頭の中が真っ白になって呆然とする。
「嘘をつくな、キャット。俺は嘘つきがこの世で一番大嫌いなんだ。……クソッ、もう二度と俺の前に顔を出すなよ。不愉快だ」
頬が熱く、痛い。
ジョン・ジョーに殴られたのだと、震える手を頬に当てて見上げた。
突然のことに言葉が出てこない。
彼はさげすむような視線をよこした後、舌打ちして背を向けた。
それからバタンッと扉が閉まる音が大きく響く。
わけがわからない。
どうして殴られたの?
2人は愛し合っていて、約束はしていなかったけれど結婚するんじゃなかった?
再び扉が開いて、顔を上げる。
残されたカトリオーナの目の前に、長身の美しい秘書が立つ。彼女はいつも冷たい目でにらんできたけど、今日は――。
「バカね。ほかの男の子供を妊娠するなんて」
あざけるように笑い、キャロラインの耳元に唇を寄せた。
「社長は種無しなのよ。知らなかったの? 前妻2人との間に子どもはできなくて、離婚後にどちらも再婚相手の子どもを産んだのよ。そして3人目の奥さんは別の相手の子を妊娠し、社長の子として育てようとしたの……でも生まれてみたら全く似ていなくて離婚したわ。……いやだ、なにも知らなかったのね? 馬鹿な子。……まぁ、あなたみたいな浅はかなお子ちゃまには彼は無理ね」
前妻がいたことは知っていたけれど、そんな話は聞いたことがなかった。
それに、カトリオーナは一つも嘘なんて言っていない。
初めては彼に捧げたし、それは彼も知っている。
本当にジョン・ジョーとしか経験がないのに。
「でも……」
「言い訳なんていらないから、さっさと出て行ってくれる? 私からのアドバイスは一つよ。貴族なんだからお見合いでもなんでもしてお坊ちゃんと早く結婚してしまいなさい。お腹が目立たないうちにね! 全く、いい身分よね、貴族って! 親に頼めば叶うでしょ。あははっ……」
カトリオーナは、ちょうど18歳になったばかりで結婚ができる年齢だし、彼とそうなるはずだったのに。どうして――。
「私、本当に……」
貿易会社社長のジョン・ポープと出会ったのは、彼が経営する貴族御用達の店で。
何度か顔を合わせるうちにティールームに行くことになって、それから時々デートを重ね、正式につき合うことになった。
歳は30を超えたばかりで、爵位はないものの顔立ちが整っていて、人気があり呼ばれれば社交界にも顔出す。
一代限りの男爵位が認められそうだと少し前に聞いたばかりだった。
この国の貴族は名前が長いけど、平民の彼の名前は短いから、尊敬する祖父の名をつなげてジョン・ジョーと呼ばせる。
カトリオーナのことは街の女の子のようにキャットと呼び、彼の前では伯爵家の娘だなんて気にしなくてもいい、ただの恋人になれた。
周りにキャットと呼ぶ人は誰もいなかったから新鮮で、どんどん彼にのめり込んで言ったのはしかたないと思う。
社交界で出会う男性たちより大人で野心的で魅力的に見えた。
それに恋、してしまったのだから。
父は気づいていないけど、母は学生時代の戯れだと思っているのか、羽目を外さないようにと言われただけ。
もちろん、はいと答えた。
ジョン・ジョーの部屋へは何度か誘われたし、抱きしめられたこともキスされたこともあったけど、その先へは進まなかった。
だけど誕生日には18本の薔薇とダイヤモンドのついたネックレスをジョン・ジョーからもらって、とても幸せを感じて……。
彼に大丈夫だからと誘われて、唇を重ね肌をさらした。
途中で痛くてやめて欲しかったけど、強引に押し切られ、訳のわからぬまま子種を受け入れた。
ただ彼を信じて。
何も知らなくて、わかっていなかった。
彼は妊娠しないと思っていたから遊びでつき合っていた?
貴族令嬢の処女性は今でも大事にされていると、彼だって知っていたはずなのに……。
結婚は好きな人とするって伝えたこともある。本気で好きで、彼と結婚することを夢見ていたから。
ジョン・ジョーが笑顔でいたから、同じ気持ちなんだって信じていた。
彼は言葉で愛情表現はほとんどなかったけど、プレゼントの大きさで示してくれているのだと――。
結婚できないなら、恋人関係になる前に言って欲しかった。
あれは愛ではなくてただの欲望で、愛していると言ったのはその場限りのもので、気分を盛り上げるだけの言葉だったなんて。
ポタポタと涙が落ちる。
「……もう、しかたないわねっ、最後に馬車を呼んであげるから。そんなところで泣き出さないでよね。……社長も子どもに手なんか出すから! 早く涙をふいて、誰かに見られたら私がいじめたみたいじゃないの!」
カトリオーナにイライラした秘書が声をかける。
彼女に引っ張られて外に連れ出され、馬車を呼び止めるのをぼんやり見ていた。
いつもは社長の馬車で送られるのに、彼の姿はどこにも見えない。
これが夢だったらいいのに――。
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